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zoom RSS 【765】 電車列車での集札

<<   作成日時 : 2017/01/30 05:30   >>

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先週は岡多線三河上郷駅で降りた酔っ払い氏のお話をしました。
当時の岡多線の旅客列車は神領電車区の113系4両編成が使用されていて、この三河上郷駅では出口階段がある位置に列車の最後部が停車するようになっていたので、ああいうことができました。これも岡多線が新しい線区であり、元から無人駅では車掌が集札することを前提に停止位置も考慮された結果だったのでしょう。ところが、古くからある本線系の駅は、そんなことは考慮されていませんでした。列車の前の方に出口がある無人駅はいくらでもあって、一人乗務だと物理的に集札ができませんでした。そういう駅では駅出口付近に置いてある集札箱があれば、そこへ切符を入れてもらうわけで、不正乗車が多数あっただろうことは想像に難くありません。武豊線など集札箱さえもありませんでした。
画像
画像はJR東海、落合川駅の集札箱です。上下線が停まる島式のプラットホームの名古屋方の端に出口へ続く跨線橋がありますので、塩尻方面へ行く下り列車では集札には好都合でしたが、名古屋方面に行く上り列車ではそうはいきません。

国鉄の本線用の「電車」、たとえば113系や165系では最後部車両の乗務員室でしかドア扱いができませんでした。車掌スイッチを取り扱ってドア開閉をしますが、別に切換スイッチなるものがあって、運転士が切換スイッチを「後位置」にした車両だけでドアの開閉ができたのです。(客車鍵を用いて車掌スイッチをどの車両の乗務員室からでも取り扱うことが可能な電車も一部にありました。)
無人駅では車掌がドアを開け、集札もするものですが、最後部車両でドアを開ければ、出口が前の方にある駅で集札することは無理でした。このため、無人駅から無人駅へ行かれるお客さんなどは、長編成の列車だと車内で切符を買おうにも車掌は切符を売りに来ないし、目的地の駅に降りても駅員がおらず、運賃は自己申告額を賽銭箱のような集札箱に入れるしかないという状況が多々あったわけです。

名古屋口の関西本線。亀山まで電化されたのは私が車掌をしているときで、1982年(昭和57年)でした。普通列車の主力車両は、岡多線と同じで、神領電車区の113系4両編成でした。夜遅くの名古屋発亀山行。四日市駅に停車すると駅の助役が私のところへ走ってきました。
「一番前に井田川まで行く男の人がここで乗ったけど、切符を持っていない。駅で切符を買ってから乗るよう説得したが、いつも井田川まで車掌は車内に来ないし、集札もしない。切符を正直に買うのがばからしいから買わないと言っている。車内で運賃取ってくれ」とのこと。
駅で無札のまま改札を通して、列車に乗せてしまうのもどうかというケースでしたが、先週書いた酔っ払いのとき同様に駅員も困り果てたのでしょう。発車してから早速、4両先の先頭車まで車内を走って行ってみました。次の南四日市までの運転時分は、わずか3分30秒です。南四日市では最後部まで戻ってドア扱いをしなければなりません。
車内は、夜遅くの列車だけに乗客は少なかったですが、次駅までの短時間で車内改札をするのは困難ですから、
「四日市からのお客さんおいでになりますか?」
と大きな声で言うと目があった男性客。小銭をさっと出しました。
「井田川でよろしかったですか?」
「いつもこうやって来てくれれば払うけど、アホらしない? 買わにゃ買わんで済むのはおかしいだろう。」
そんなことを聞きながら、切符を書いてトラブルもなく一件落着。大急ぎで最後部の乗務員室へ戻ります。
まあ、おっしゃりたいことはもっともではあるわけで、それは車掌サイドの言いたいことと何ら変わらないのでした。
当時の下り4両編成の場合、井田川では出口へ続く跨線橋付近に先頭車両が停まりました。ですから井田川で降りるお客さんの大多数が先頭車両に乗ることは車掌は皆が承知していましたが、車両の構造上集札に行けず、車内改札もままならないです。
それなら運転士が集札すればいいだろうと誰もが考えるわけですが、国鉄の場合、運転・施設・営業の職場は、それぞれ縦割り組織でしたから、機関士や運転士は技術者としてしか養成されていませんでした。営業の教育は全く受けてなく、集札はもちろんのこと、すべての接客業務は作業範囲に含まれていなかったのです。ですから国鉄本体としては客商売としては失格であっても、運転士個人が職務怠慢とは言えません。こういう問題は国鉄の営業サイドで対応策を考えるべきことでした。
こんなとき、降車客の中には運転士に切符を渡すため、運転室の窓越しに切符を運転士に差し出す人もありましたから、そうすれば運転士は切符を受取らないわけにはいきません。現金を渡されることもあって、運転士から車内電話で、「ちょっと来てくれ」とか「〇〇からは、いくらもらえばええんだ?」と言ってきます。お釣りが要る場合などは先頭まで80m全力疾走でした。
画像
     (車内で発行する乗車券の例です。その当日の切符ではありませんが、私が最初に発行した乗車券です。)

こういう出来事があったのは、関西本線の名古屋〜亀山間が電化されてしばらくしてからでした。電化前はこのような問題はありませんでした。機関車が牽く旧型客車列車は手動ドアでしたからドア扱いがなく、井田川駅では車掌は前の車両へ移動して集札をしていました。ディーゼルカーの場合は最後部でなくても、中間車のどの乗務員室からでも客車鍵さえ挿せばドア扱いができましたし、先頭車の運転室からでも助士席側であればドア扱いは可能でしたので、どの位置に駅の出口や跨線橋があろうとも、最悪でも2両分の40mくらいホームを走れば集札が可能でしたし、車内巡回中に停車駅が近づいても、最後部まで全力疾走しなくても最寄りの乗務員室でドア扱いが可能だったのです。電化され113系になってから、車掌が集札に来なくなったので、その男性客は「最近、車掌がサボっていて集札に来ないじゃないか。国鉄はたるんどる。それだから赤字なんだ。」と言いたいのは、私にはわかっていたのですが、どうしようもないことで、車掌の悩みとなんら変わらなかったのでした。そんな言い訳を乗客にはできませんから、ただ申し訳ございませんというしかなかったわけです。乗客から不公平感や不信感を抱かれないよう、三河上郷でほかの乗客に聞こえるような大声で「警察が来てるよ」とウソを言ったり、せめて4両の場合は、駅間距離の長い区間を利用して車内巡回へ走るように行くくらいしか個人でできることはなく、それは無理のない範囲で実行していたつもりですが、気動車や客車時代に比べ、加速や減速性能がアップした分、駅間の走行時分も短くなり、難しくなりました。
画像
画像は113系ですが、中央西線で撮影した6両編成です。中央西線名古屋口には無人駅は少なく、あまり問題になりませんでしたが、無人駅が多かった関西本線では一部に中央西線用の113系6両編成を使用する列車もありました。6両もあると先頭までの車内巡回は駅間距離がよほど長い区間でないと難しく、伊勢線へ送り込む車掌と2人乗務となる乗務行路もありました。

営業職として車掌を経験し、直接乗客の意見を聞く身としては、国鉄そのものに理不尽な問題があって営業に関わる職員自らが困っていることばかりで、無人化や電車化によってほころんだところの対応ができていなかった当時の国鉄は、社会的に攻められるべき部分がいくつもあったことは確かでした。そこに見えるのは国からの至上命令であった赤字額を増やさないために人員削減と車両の改良経費の削減を優先せざるを得ない国鉄の追い込まれた立場があり、それに抵抗する労働組合との関係は悪化し、国鉄内部の自助努力では改善できないものと国民が考えたのも無理はないだろうと思われます。ただ残念なのは現場の国鉄職員の働きが悪いものと決めつけ、それが国鉄赤字の原因のすべてみたいな捉え方をされることでした。今の企業におけるゼネラリストのような職員は国鉄にはいなかったかもしれませんが、その道のスペシャリストは育っていたと思うのです。それから5年もしないうちに、国鉄は分割民営化を迎えました。

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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
初めまして。いつも楽しく拝見しております。

私はかつて国鉄475系をローカル運用していた地区で運転士をしていますが、同じ乗務員区所の車掌で不正乗車が許せず、金曜の夜など多少の遅れに目を瞑ってでも全員から集札する後輩がいました。
急行型の475系ですので、本文にもありますように戸閉め切換スイッチ「後」としなければドア扱いが出来ないのですが、彼から「前で集札する」と連絡があった時は停車後に戸閉切換を扱い、最前部までやってきた彼が前頭運転台でドア扱いを行っていました。
マニュアルにない取扱いで手間も掛かりますが、同じ駅出身ということで気心が知れた仲であり、真面目な彼の気持ちはよく分かりましたので連携して集札に協力しておりました。

この春のダイヤ改正から、私が担当する地区では一部時間帯のワンマン化が実施されますが、車掌の職を離れて久しく営業関係の知識はすっかり頭から抜け落ちております。
また仮にも「本線」ですのでいくら地方と言えども乗客はそれなりに多く、また遠距離から事情を知らずに乗り通してこられる方も多く見られますので、果たしてまともに運行出来るのか、今から不安に思っているところです。
(新幹線開業に伴い一足先に3セク化した区間においては、遅れが常態化してワンマン運転を断念したと聞いております)
Chihiro
2017/01/30 16:55
Chihiro様 コメント投稿ありがとうございます。
後輩の車掌氏、なかなか職人気質ですね。Chihiro運転士さんは旅客対応による多少の遅れは回復運転で取り戻してしまわれるのでしょう。漫画「カレチ」の武藤運転士を思い起こしてしまいますね。運転士と車掌が同じ区所に所属していることが、問題点を一つの職場で共有でき解決しやすいということが、国鉄とは大きな相違点ですね。前後の乗務員の人間関係も仕事を円滑に進めるうえでは重要なことでしょう。国鉄末期には15秒遅らせたとか30秒遅らせたとかでチクられたとかいう話も聞きましたが、当時、所属区所は違っていても長く車掌をしていると、気心が知れた運転士氏もありましたし、この人走る運転士!とわかったものです。私から依頼はしませんでしたが、切換スイッチで似たような便宜を図っていただいたことはあります。
ともすると、車内改札ばかりに力を入れ、運転取扱を従として増収ばかりに力を注ぐ車掌が国鉄時代にも存在しましたが、体は一つなので二兎は追えません。あくまでも運転保安要員であることの自覚を持って運転取扱で間違いがないようにしなければならないのが車掌ですので難しいです。

鉄道の仕事を退いてから、こんな体制でまともな運転とまともな運賃収受の両立などできるものか!と思ったことは数知れません。枝線ならまだしも、本線系では普通列車とは言っても短距離客ばかりではなく、IC乗車券もあるので問題山積ですね。ご苦労様です。
しなの7号
2017/01/30 18:00
しなの7号様 こんばんは
国鉄の電車は気動車のように乗務員室ならばどこでもドア扱いが出来ないのですね。初めて知りました。
あと、営業と技術の職ではそのような違いがあったんですね。昔のことといえ、よく分かりました。

2017/01/30 19:21
天様 こんばんは。
ドアの件、意外と知られていないことではないでしょうか。
起源が、蒸機を運転する技術者と「列車を掌る」車掌、一心同体であるものの、職務は別々であったのが、気動車化や電車化、ついにはワンマン化になり時代ととも両方をこなすようになるまでの過渡期だったとも言えるのではないでしょうか。
しなの7号
2017/01/30 19:48
 こんばんは、しなの7号様。
基本国鉄電車は都会の車両だったのですね。近郊形や急行形が設計された昭和30年代、電化の進展による投入線区の拡大や駅の無人化までは予想されていなかったのでしょう。旧形客車に代わって登場した50系客車は扉が自動化されましたが、オハフ50の両妻に乗務員室を設け合理化の進んだ実態に配慮した感じがあります。実際の編成でもオハフの割合が多かったと思います。驚いたのは名鉄車両で中間車にも車掌スイッチや合図ベルを設け無人駅での集札や補充券の発行がしやすくしていることです。押しスイッチが2つあり他の扉を閉めたのち車掌自身の扉を操作していました。
 国鉄当局が赤字額の増大をはじめとする数々の問題に苦しみながらも何とか合理化の実績を挙げて国民の理解を得ようとした努力は30年経った今理解できる気がします。組織を守る職場を守るが基本と思うからです。ずるい政治家に取り入ってあっさり自らの組織・仲間を裏切った某中央会社の元社長の自慢話は腹立たしい限りです。
 私も国鉄33回忌大賛成です。
門鉄局
2017/01/30 21:55
こんにちは。
うーん、四日市のは難儀なオッサン、と思いましたが、今の世の中の流れからすれば一理どころか仰るとおりですね。車両と駅の構造は乗客の都合では有りませんから。しなの7号さんのようにハッキリと車内巡回をすれば切符を買ってくださっている。
実際に民営化後の四国の113系だったか、中間車にも車掌スイッチが後付けされましたし。
名鉄の車内の車掌スイッチ、最初見たときはちょっとビックリ、電鐘はモロに聞こえるし、戸締め後の発車時の監視は無いし。
最近増えたワンマン運転だったら同じことですか。
NAO
2017/01/31 16:08
門鉄局様 こんにちは。
首都圏と同じ113系がローカル線区でも使用されるというのは無理がありますね。その線区に合った仕様変更は必要でしょう。国鉄最末期に四国電化で非常に古い111系が配属されましたが、中間車モハ110に開閉窓付きの車掌スペースが新たに取り付けられた例がありました。(車掌スイッチはどういうのが付いていたのか存じません)

50系客車は、もとからローカル用として製造されただけに、オハフ50の構造は一人乗務で無人駅がある前提としては理想的な設計ですね。一方で名鉄の客用ドア横の車掌スイッチについては、私も実際に使用しているところを見たことがありますが、列車到着時の停止するまでの監視と、特に発車時ドア閉扉〜列車起動後に列車監視すべき開閉窓がないのが、どうしても腑に落ちません。安全確認は運転士が代行する規定なのかもしれないですが、自分的にはたいへん安全面で不安です。私は列車起動後にホーム上の乗客と接触して列車を停めたことを経験しましたが、固定窓しかないということは非常に恐ろしいことに感じます。
国鉄車でも中間のサロやキロにはカギ付の車掌スイッチがあって開閉可能ですが、乗務員室の開閉窓はちゃんとあります。例外はキロ80の片方に荷物保管室があって開閉窓がありませんでしたが、そこでドア扱いは絶対にしていませんでした。やはり基本は最後部で監視するのが最も安全ですが、最近は長編成のワンマン列車には運転席のモニター画面が付いていますね。
国鉄は努力の甲斐もなく潰されました。新会社へのお膳立てを整えるのに苦しみながら最期を迎えたのではないでしょうか。30年経つと法事の参列者は減るばかりでなく、代が変わっていますから故人を直接知る者はが限られるのは止むをえません(ー人ー)

しなの7号
2017/01/31 16:10
NAO様こんばんは。
井田川駅、旧客時代はちゃんと集札できていましたが、跨線橋を渡るのが嫌で(または運賃を払うのが嫌で???)反対側扉から線路に下りてしまう降車客がいたようですが、そこまでは何ともなりませんでした。

四国の件と名鉄の件、私が門鉄局様あてに書いたコメントと同じ時間帯にNAO様からコメントをいただいて、奇しくも似た内容になってしまいました。ローカルのワンマンは2両までですから車両のバックミラーやホーム設置のミラーで対応というのが一般的ですね。地下鉄など長編成のワンマンはモニター画面でしょうか。運転士は複眼、魚眼でないと務まらない???
しなの7号
2017/01/31 23:20
しなの7号様、こんばんは。
企業上層部は現場の苦しみが見えない、よく目にする文章ですが末期の国鉄も同様であったのですね。(現場の苦しみが見えない、よりも苦しみを見て見ぬふりをしている、の方が妥当か)
純利益確保の為の人員削減、確かに否定はできないとおもいますが、限度を過ぎると確実に現場にしわ寄せが来ますね。私の前職も同様でした。京都、滋賀そして大阪に店舗を構えていた今は無き某スーパーですが、現場の人員は削減され、残留したスタッフは休日削減、長時間労働を余儀なくされました。一応、7連勤以上は禁止されており、残業代は満額頂けたので、まだマシな例だと捉えていました。現場スタッフの削減がサービス悪化、倒産の原因の1つであった事は確実でした。現場スタッフが勤務しやすい環境を造り出す事は上層部の義務だとおもいますが、逆行している企業が多数派な気がします。
はやたま速玉早玉
2017/02/01 23:46
はやたま速玉早玉様 こんばんは。
親方日の丸と言われた国鉄。赤字は垂れ流しでもだれも責任を取らない悪の根源のような企業体と言われても、自助努力で全国組織の民営企業として立ち直るための努力は上層部もしていたはずです。しかし国の既定路線を変えることはできませんでした。企業が立ち行かなくなるときは、どこでも似た状況があるものでしょうね。会社自体は平静を装っていても、従業員だけでなく顧客にも影響が出るようになると、その企業はかなり危ないところまできているものです。その時の国鉄はまさにそういう事態に陥っていました。
しなの7号
2017/02/02 20:17
お疲れ様です。坂本衛さんの著書でも読みましたが国鉄時代は運転士さんは技術系、車掌さんは営業系で車掌さんから運転士さんになるなんて事はなかったのですね。今は運転士さんを目指す人は駅員さん、車掌さんを経験しないといけないのですね。駅員さんいわく「今はワンマン運転も多いから営業の事も知っておかなければいけない」とか。縦割りにとらわれないであらゆる仕事をこなしていこうとする動きですね。私の最寄り駅は無人駅で上り方向だとホームへの出入り口に最後尾がくるので車掌さんが集札しようと思えばできるのですが特にされてはないです。私は定期を持っているので集札箱に切符を入れる事はありませんが、車掌さんに定期を見せています。
鉄子おばさん
2017/02/03 20:18
鉄子おばさん様 こんばんは。
国鉄に就職するとき、二次試験でいちおう営業・運転・施設のうちどれを希望するかということは聞かれました。希望どおりにいくとは限りませんが、最初に配属された職場が駅か車掌区の営業職場なら、ふつうは運転関係に行くことはなく、営業職場で退職するまでを過ごしました。施設職場に転出するにしても、技術がありませんから事務系の仕事しかありません。逆に振り出しが運転関係職場なら、駅や車掌になるのは一般に困難でした。
時代とともにすべてが変わっていきますし、会社や地域によっても何かと勝手が違うことが多く、今のことはよくわかりません。
しなの7号
2017/02/03 22:20
お久しぶりです。楽しく読ませていただきました。わが井田川の話を聞いて、あのおっさんの事かと心当たりました。国鉄当時でも、名古屋車掌区の人は、無人駅でまじめに集札しておられたように思います。
 下り列車の客車列車に乗ると、河原田を過ぎると車内巡回をしながら前の車両に行くため、後ろの車両は高校生の帰宅列車は喫煙車となっていました。
 私が高校を出て関西線が亀山まで電化になり、車掌の巡回が少なくなり、無人駅での集札も少なくなり、定期を買わずに回数券で乗っている奴がいるというのは後輩などから聞きました。桑名や津など近鉄線の連絡駅でも改札なしで近鉄から乗り換えできるので、国鉄線は乗り放題だった感じです。よほど車掌が一生懸命でないと、運賃の取りこぼしでした。三重県内の国鉄線は名鉄局も天鉄局も設備投資には消極的でした。
 草津線乗務時、〇〇駅は無人駅だから切り替えスイッチを後位置にしてドア扱いしてやるから集札しろよ、と亀山機関区の電車運転士から言われて、やったこともありました。
hicky
2017/02/06 00:54
hicky様 こんにちは。
当時のユーザー様のお目に留まってよかったです。 このお客さんにお心当たりがおありでしたか。転職後の会社でも、ローカルな営業所には、困り者という意味で所内で有名な常連さんが、どの営業エリアでもおられました。たぶんそういう方はご近所でも有名です。

あのころ名古屋を中心に乗務していると、関西・紀勢本線は他線区より10年〜20年はいろんな意味で遅れているなと思うことが多かったです。そういう中での運賃逋脱はいかにも容易でしたが、車掌としては如何ともしがたい状況でした。 高校生にまで行動パターンを読まれてましたか。上りで亀山から乗ってきた高校生からタバコとライター取り上げてやったこともありましたが、私の行動パターンはほかの人とは違っていたのかも(^◇^)

一般的に気動車運転士から転換で電車運転士になった方は、そういう便宜を図ってくれたようにも思えます。気動車時代のことを知っていれば、車掌が困っているだろうと思ってくださる方もあっただろうと推測します。関西本線電化でも気動車から電車への転換教育がありました。
しなの7号
2017/02/06 14:59

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