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zoom RSS 【759】 国鉄時代にいただいた挨拶状

<<   作成日時 : 2017/01/09 06:30   >>

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昨年まで保存していた年賀状のほかに、転勤・退職、冠婚葬祭などの挨拶状も手元にたくさん残っていた。
そんな中から、転勤・退職に関するもので、国鉄があったころの背景や人事異動の実態がわかるものををいくつか…
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私が国鉄に就職して、最初に荷扱乗務員を3年やってきたが、荷物営業関係の現場は、少しずつ民間委託化が進んでいきつつあり、国鉄分割民営化前に荷物列車は廃止された。車掌区に配置されても接客の道を選ばない方もあって、荷扱の車掌長や車掌補を定年まで続け、定年退職後に荷扱の受託会社に再就職して、引き続き荷物列車の乗務を続けられた方もあった。下の挨拶状は昭和57年の日付となっていて、乗務基地は熱田となっていた。
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熱田駅にあった荷物基地では、乗務員だけでなく、地上職として再就職された方もあった。国鉄で荷扱乗務員の仕事を長年やっておられた地上職の方々から、私どもが乗務する荷物車へ積み込まれる荷物はきちんと仕訳され、乗務員の痒い所に手が届く仕事がされていた。この後のことを私は知らないが、おそらく国鉄が荷物営業を廃止した時点で仕事を失うことになったのだろうと思う。

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私が就職したころは、国鉄で車掌になるためには、「普通課程列車掛科」の受験をした。さらなる上級職を目指す方々は、希望する「高等課程」の試験を受けて非現業職や管理職になっていった。仕事を教えていただいた先輩たちで、それらの試験に合格し、車掌や専務車掌を卒業して新しい職場に旅立っていった方も多かった。自分が乗務する列車が、その方の転勤先の駅ホームを発車し、列車が加速していくとき、赤に金筋の入った帽子をかぶった列車監視中の先輩の姿を認めると、一瞬の出会いの敬礼の手に力がこもり、お互いに表情がほころんだ。
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鉄道管理局に高卒で採用された者には、将来の幹部養成を目的とする「大学課程」という進路が設けられ、ここを卒業すると、部内では大卒に準じた扱いになった。受験に当たっては、優秀で現場長の推薦も必要だったから、私は受験する気などなかったし、どのような勉強をされたのか私は知らないし興味もなかった。合格すると勤務先(入学先)は国立にあった中央鉄道学園となった。その方からの挨拶状。
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国鉄分割民営化を前提として、職員を対象に国家公務員の募集があった。その試験に合格して、分割民営化の1年も前に転職された方からの挨拶状。国鉄の職場はどこでも、この時期は人の入れ替わりがはげしかった。
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国鉄分割民営化でJR系の通信会社に採用された列車掛同期生からの挨拶状。
この挨拶状は、分割民営化翌月に受け取ったものだが、国鉄を退職することだけが書かれ、新たに採用された先が記されていなかった。これはこの挨拶状の発送先の中には、JRに採用されながら希望の職種につけず、乗務員から外された人や、希望どおりの職種にありつけなかった人たちが少なからずあったから、その気遣いからだと思われる。
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国鉄分割民営化後、国鉄清算事業団で資格を取得して転職された方からの挨拶状。
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国鉄職員は一般の公務員同様に雇用保険法の適用除外になっていたから失業手当はなかった。しかし代替えとして新会社に採用されなかった者や採用希望を出さなかった者は、国鉄清算事業団に所属することになり、3年以内に解雇される前提で、職業訓練や国家資格の取得に励むなどして再就職活動をした。

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ここに紹介した方々の消息を私はほとんど知らないが、年賀状同様に改めて拝読すると、ともに乗務した30〜40年前の皆さんの姿や交わした会話の内容までもが思い出される。新しい職場で皆が幸せになっていればよいが、そこはお互い様で、山あり谷ありの繰り返しだったのだろうと思う。私は後悔の念は全くなく、多くの人に支えられ、ありがたい道を歩ませていただいたと思っているけれど、国鉄に籍を置いて乗務員をやっていた11年が、いろんな意味で一番思い出深い。先日も30年前に国鉄から足を洗った先輩が、「何か知らんけど、今でも乗務する列車に乗り遅れる夢見るわ… 今の会社で遅刻したなんていう夢は一回も見んけどなあ」 と、言っていた。乗務員はみんな同じなのかも。
私はこの30年間、仕事上で壁に突き当たった時も、外から鉄道を見たり、乗り回すことによって気持ちを切り替えができ、挫折せずにここまで来れた。そういう意味では、ずっと鉄道に支えられてきたのも、また事実といえようか。


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
 こんばんは、しなの7号様。
去るも地獄残るも地獄という三井三池争議の言葉がありますが、しなの7号様を含めた職員の皆さんは一人一人苦渋の選択をされたことでしょう。北海道や九州から首都圏・関西に転勤する広域移動もありましたね。当時のテレビ番組では洋々たる前途があるので応募に応じるよう説得する管理職の姿や個別面談までする光景もありましたが、管理職自身にも厳しいノルマがかけられていたのでしょう。北海道から首都圏の電車区間に転勤したものの、あまりの環境の違いに馴染めず郷里に帰ったという話を聞いたこともあります。先日の年賀状もそうですがこの挨拶状も1枚1枚から今までの感謝から将来の不安と希望の交錯する心情が感じられて、データーでは表れない生きた国鉄の歴史と言えると思います。鉄道雑誌が民営化30年を特集するなら、表の面だけでなくどれだけの職員が辞めていき人材活用センターの実態はどうだったのかとか、労働組合の勢力がどう変わったのかを報道して欲しいと思いますが、(特に未来の鉄道を考えるが売り物だったRJ誌)JRに遠慮してか「ロングシートの鈍行も悪くない」なんて記事を載せているようでは無理ですね。逆にスローガン列車などの写真を掲載して「職員・労組がこうだったから潰れた」などというバッシングが再燃しないか心配です。
門鉄局
2017/01/09 21:59
しなの7号様 こんばんは。欠乗夢、私も鉄道を離れて二十数年になりますが今でも時々見て目が覚めてから一人苦笑いしています。さすがに停車駅通過夢は見なくなりましたが。昨年までの10年間関東に単身赴任していましたが、その間の帰省がいつしか青春18利用はもちろんのこと急行能登+雷鳥やあずさ+しなの、はやて+白鳥+日本海など鉄分補給の旅になり気分転換となっていました。ただしなの7号様もおっしゃるように年々乗りたい列車、車両が少なくなってきました。しかし本日孫と京都駅6,7番ホームで列車ウオッチをしてましたが奈良線には103系、湖西線には113系と117系(塗装は緑1色でしたが)と自分が国鉄入社前から走っている車両が健在なのを見て元気をもらって帰ってきたので、私もやはり鉄道に支えられてきたのでしょね。
雷鳥23号
2017/01/09 23:53
こんばんは。
そういえば私の母方の叔父に国鉄時代の機関士が居ましたが、もう永いこと会っていません。なにぶん中学生ぐらいまでの正月の集まりで会うぐらいでしたし、大人が楽しく飲み交わしているところへ仕事の話しを持ち出す勇気はありませんでしたので。
私も今の会社での遅刻の夢はほとんど見たことがなく、30年以上前のバイト厨房仕事での遅刻、失敗や途方もない分量の仕込み、調理、山積みになった洗い物の夢を未だに見ます。
そういえば一時期だけ経験した車販アルバイトの夢も見ないなあ。先輩女性スタッフに指導されたり、乗車率が良ければ売り尽くしに近い数字が上がったり、乗客が少なければ少ないでカーテンを締めて客室最後尾座席で座らせてもらったり.....。
楽しい夢はなんで見ないんでしょうね。
NAO
2017/01/10 00:14
門鉄局様 こんにちは。
いつも、私の言い足りない部分を的確に解説していただいているようで、感謝します。
当初は、このような趣味の範囲から逸脱した内容の記事をアップするつもりはありませんでした。しかし漫画「カレチ」の5巻(最後の巻)で、作者はほとんどの読者が望んだと思われる昭和40年代のほのぼの路線から、あえて国鉄分割民営化に突っ込んだ昭和末期の現実路線に踏み込んだ内容へと転換されました。作者は昭和の古い価値観から新しい時代への転換期にあった国鉄に生きた登場人物が、「現実に起きた出来事と無関係に生きることができない」と5巻の表紙カバー裏側のコメントで明かしておられました。私は登場人物ではないにせよ同じ立場でしたから、避けて通れないと思うようになりました。
歴史はいつの世も、大きな流れは教えてくれますが、翻弄された多くの一般市民の実態には触れられません。変なたとえですが、御料車は文化財になりますが、オハ35はそうならないようなものではないでしょうか。でもオハ35をはじめとするうす汚い旧客には惹かれます。
しなの7号
2017/01/10 15:01
雷鳥23号様 こんにちは。
欠乗の夢の恐ろしさばかりは、車掌でないとわからないですね。運転しているのが自分でない車掌ならではの夢ですね。停車駅通過夢も怖いですが、現実になりかけたことがありまして、あれも悪夢です。あわや乗務停止というところでした。
えらい遠回りの帰省旅行をされたのですね。今の時刻表を眺めてもなんともブツ切状態の列車ばかりで、そういう楽しみは激減です。私の在職中に、大垣発飯田線経由上諏訪行急行(東海道本線内は快速)があり、それで、早い勤務明けに稲沢〜豊橋〜飯田〜辰野〜塩尻〜中津川経由で帰宅したことがありました。自分では一番長い通勤経路でした。昨年は珍しく数回京都へ出向く機会があり103系と113系に久しぶりに乗りました。懐かしいのはもちろんでしたが、いまだに都市圏で活躍していることに元気をもらえるというのにも同感です。
しなの7号
2017/01/10 15:02
NAO様 こんにちは。
機関士をされていた叔父様がおられるのでしたら、一度お話を伺うとよろしいかもしれません。私は趣味と職業が同居してしまったのですが、昭和の時代、別に鉄道が趣味ではなかったけれども一生の仕事として鉄道を選ばれ全うされた方には、趣味の世界とまったく違った側面からの鉄道に対する想いがあるのではないでしょうか。
まあ、話したがらない方が多いかもしれませんけれど、あと2年ちょっとで国鉄の三十三回忌です。我々は現実に生きているので、引きずってしまうこともあるものですし、忘れたはずの悪夢を見たりしますけれど、三十三回忌では香典やお供えの「のし」に紅白が用いられることもあるそうです。ここまで来るとすべての者が極楽浄土に達するということのようで、それだけの年月はすべてを笑い話にしてくれるでしょうから、話してもらえるかもしれません。。
そういう私は2年前の正月は、お気楽な初夢を見ていました。
【550】初夢?を模型で再現 (゚Д゚)ハァ?
http://shinano7gou.at.webry.info/201501/article_5.html
しなの7号
2017/01/10 15:02

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