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zoom RSS 【762】 乗り鉄12か月…2004年1月「名古屋鉄道」 

<<   作成日時 : 2017/01/19 05:30   >>

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毎月1回ずつ、過去にその月に乗り鉄に行ったときのことと、撮り鉄に行ったときのことを書いています。
今回は、今から13年前の2004年1月10日に名古屋鉄道の電車とバスを乗り継いだときのことを振り返ってみます。

******************

年末年始には、ふだんは列車を利用しない人でも、酒を飲む機会が多いし初詣に行ったりしますので・・・というより、冬の閑散期の潜在需要をあてこんで、このようなフリー乗車券が期間限定で発売されることがあります。現在、名鉄では3,100円で「まる乗り 1DAYフリーきっぷ」を通年発売していますが、画像にある切符はそれより安く2,100円で、鉄軌道線だけでなく一般道の名鉄直営路線バスも乗り放題でした。さらに犬山成田山か豊川稲荷で箸を授与していただける引換券付きでしたが、そういう特典は放棄し、乗ったことがない名鉄バス直営路線を経路に組み入れました。
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私の場合は、通常運賃を払ってまで、私鉄の列車に乗りに行ったりすることがほとんどないので、こういう切符が発売されること自体が乗り鉄に行く動機になります。しかもこの時は、この切符を金券ショップでさらに安く入手しています。

実はこの2年前の同じ時期に同じ切符を購入して、2度にわたって名古屋鉄道の鉄道線と軌道線の未乗線区を乗りつぶし始めていました。2004年は3回目で、未乗線区を乗りつぶしつつ、ふだん乗ることがないバス路線にも乗れる周遊コースを考えました。名鉄の列車とバスだけでは、うまく周遊コースを組めませんでしたので、JRほかの他社線と名鉄バスを使って、自宅があるJR東海中央本線からほぼ一周となるコースができました。
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JR中央本線春日井駅=(名鉄バス)=小牧―(名鉄犬山線)―新鵜沼・鵜沼―(JR高山本線)―美濃太田―(長良川鉄道)―関―(名鉄美濃町・田神・各務原線)―新岐阜―(名鉄名古屋本線)―新木曽川…(徒歩)…玉ノ井―(名鉄尾西線)―弥富―(名鉄尾西・津島・名古屋本線)―新名古屋―(名鉄名古屋本線)―東岡崎=(名鉄バス)=足助…(徒歩)…香嵐渓=(足助・西中金連絡バス)=西中金―(名鉄三河線)―豊田市・新豊田―(愛知環状鉄道)JR中央本線高蔵寺駅
(駅名は当時の表記になっています。)
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左上:小牧〜犬山間で乗車した名古屋市交通局7000形
   名鉄300系に混じって走る4両編成2本(8両)だけの希少車。
右上:美濃太田から乗車した長良川鉄道ナガラ300形
左下:関駅で、名鉄モ800形と長良川鉄道ナガラ300形・ナガラ1形
右下:新岐阜駅の反転フラップ式案内表示機

この日のコースでは、それまで未乗区間だった
美濃町線のうち新関〜関(0.3q)
尾西線のうち奥町〜玉ノ井(1.5q)
尾西線のうち新一宮(現名鉄一宮)〜佐屋(35.9q)
が踏破でき、未乗で残る名古屋鉄道線は、築港線全線(1.5q)だけになったのでした。
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上はその未乗区間のひとつ。美濃町線の終点のうち「関」駅
名鉄美濃町線の新関〜関は、1999年に廃止された同線新関〜美濃町間の代替措置として、並行する長良川鉄道越美南線の関駅へ乗り入れる形で0.3q新線を延長した区間でした。このとき、わざわざ0.3qのために、JRと長良川鉄道を別払いで関まで来て乗ったこの区間は、訪問した翌年2005年に名鉄美濃町線の全線が廃止になったことによって、わずか6年の寿命でした。ちなみに1999年に廃止された同線新関〜美濃町間は、未乗のまま残ってしまいました。撮り鉄には出かけているのに、撮影だけして乗ることはありませんでした。
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左上:途中で下車した新木曽川駅。
右上:玉ノ井駅の線路終端部。
下2枚:津島〜弥富〜新名古屋で乗った5500系
    (4両編成で2両ずつ別のリバイバルカラーの装いでした。)

名鉄名古屋本線新木曽川駅から徒歩で名鉄尾西線の終点駅「玉ノ井」駅まで約2.5qは徒歩連絡のルートにしました。名古屋本線にそのまま乗って新一宮で尾西線に直接乗り継げますが、私は関係のない2点間のターミナルを徒歩移動するほうが、単純に枝線を往復するよりも好きという変わり者です。
その昔、尾西線の線路は玉ノ井から先、木曽川港駅まで続いて、木曽川の道路橋を挟んで対岸の岐阜と名古屋を結ぶルートだったという歴史を持ちます。

このあと、尾西線の未乗区間を乗りつぶし、名鉄線で最後に未乗として残った築港線をコースに組み入れて名鉄線完乗にすべきものですが、あいにく築港線には日中の列車がないので、それを外して、既乗区間ではあるものの3か月後に廃止が予定されていた三河線の猿投〜西中金間の乗り納めを優先しました。そこまでのコースも、例によって知立で接続する名鉄三河線をそのまま往復することを避けて、東岡崎まで名古屋本線に乗って東岡崎〜足助間の名鉄バスに乗りました。三河線猿投以北の廃止予定区間には、終点の西中金から逆に乗ろうというわけです。山間地の奥へ奥へと入っていく路線バスはいつでも楽しいものです。所要時間が1時間を超えるのもほどよい距離と時間で、こういうバス路線は味わい深く、私の好みです。しかし本数は少ない場合がほとんどなので、よほどダイヤを確認しないと、何もないところで数時間もの時間をもてあます結果となったり、このような一筆書きルートにこういうバス路線を組み入れると、場合によってはその先がつながらなくなる可能性があるので、注意を要します…というのは過去に苦い経験を持っているという意味です。
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乗ってきたバスの終点、足助のバスターミナル。名鉄三河線の前身「三河鉄道」は、この足助まで延伸される計画で、路盤工事も完成間近のところまで行ったのに、未開通のままで、足助と西中金の間は長く名鉄バスで結ばれていました。
しかし、このときすでに、その名鉄バス路線は廃止されており、コミュニティバスに移管されていたので、運賃は別払いでした。
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この日の西中金駅とキハ30形。このとき2度目の乗車にして乗り納めになりました。
この列車は猿投行。このころ、私の勤務地は豊田市内でした。それまで仕事で会社の車から線路を見てきましたが、この日は列車から逆に道路を見ていました。めったに警報機が鳴る場面に出くわさなかった踏切を一瞬で通過したり、部分廃止される日まで3か月足らずの廃止予定区間を堪能しました。猿投で乗り換え豊田市で下車。ここから愛知環状鉄道の新豊田駅まで徒歩数分。ここから乗る愛知環状鉄道は当時の通勤区間でしたので、定期券がありました。いちおう旅はここで終了したようなものでしたが、この日、家を出てから帰るまで、約12時間を要しており、実際の名鉄電車・バス運賃を計算すると、フリー乗車券発売額の2倍を超えていました。

付記:乗り残した築港線には乗車する機会がないまま長く放置したままになりましたが、8年後の2012年10月、仕事帰りに乗りに行き、名古屋鉄道線が完乗となりました。

******************

「撮り鉄12か月・乗り鉄12か月」は、今年1年間の連載記事として、2月以降は毎月第一月曜日に、その月に行った「撮り鉄」、そしてその週の木曜日には、その月に行った「乗り鉄」について書く予定にしております。



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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。
名鉄も乗り鉄されていましたか。軌道線はじめ、幾つもの線区が廃止されたものの、それでも総延長距離はすごいですね。
私が乗っていないのは各務原、広見、竹鼻、小牧、尾西の一宮以北、築港、空港、瀬戸の各線ですが、それら以外は営業もしくは営業エリアからの足延ばしで乗ったところがほとんどで、それらはまた新規開拓エリアを作って訪問しようと思っていたら営業から外れた、といった感じです。
行ったことはありませんが、関乗り入れの際に敷かれた線路、吃驚するような急カーブでしたね。
NAO
2017/01/19 11:45
NAO様 こんにちは。
以前の名鉄には600Vのローカル線がたくさんあって、古いローカル列車は撮り鉄の対象でした。そのため瀬戸線は中学のころ、谷汲線は高校生のころに乗っていますが、乗り鉄目的ではなかったので、部分的な区間乗車にとどまっていました。地元なので、こういう切符があったからこそ全線乗るつもりになっただけです。仕事での出張は自動車ばかり。名鉄線を使うことはまったくなかったので、会社関係のお葬式や通夜に参列するときに、積極的に名鉄の未乗区間に乗っていました。ふつうの人はクルマに行くに決まってます。帰りに「乗せてってやるよ!」と言ってくれる人もありましたが、断る理由に困りますね。
しなの7号
2017/01/19 15:55
しなの7号様、こんばんは。
名鉄ですか…
1997年11月〜2000年12月、この間仕事で中部地方に居ました(主に名古屋)ので、乗車する機会はなんぼでもありましたが、鉄道への感心が薄い時期でもありましたので、数える位しか乗車しておりません。名鉄に限らず、鉄道を避けてクルマ通勤、休日もクルマ利用してましたね…
今思えば、勿体無い、後悔しかありません。鉄道趣味を充実させておけば、比例して仕事もより一層充実してたかも、です。

支線往復を避けて徒歩連絡作戦、いいですね〜(*´∀`)♪往復プランを選択した場合、往路は良いですが復路が消化試合的感覚になりますよね。徒歩連絡している時も、意外な発見があるかも!ドキドキ、ワクワクです。

このような路線バスも利用できるフリーきっぷは魅力的です。普段自家用車で移動されている方に公共交通機関の良さを認知してもらう機会にもなりますね。
はやたま速玉早玉
2017/01/19 20:50
はやたま速玉早玉様 おはようございます。
名古屋周辺の鉄道は、首都圏や近畿圏に比べると未発達で使いにくい、というより自動車が使いやすい環境になっていますね。その結果が愛知県の交通事故死者数全国一だったりするのかもしれません。公共交通機関の運賃も都市圏にしては割高で、駅から目的地まで乗り継ぐべきバスなど交通機関が少なく、時間とコストを考えると、私は今でも日常は自動車が移動手段の主力で、目的に応じて鉄道を選択し楽しみながら利用する人です。だからこそフリーきっぷは魅力的ですが、近距離でも歩くことがきらいで自家用車でという人が多くなってしまった現代人には難しいのかもしれないですね。そういう私は歩くことが好きなので、時間があれば乗り換えを意識されていない関連がなさそうな異なる線区の2駅間を歩くことや、同じ線区の次の駅まで歩いてみることを、よくやります。ふだん歩かない沿道風景は新鮮ですね。お分かりいただけてうれしいです。旅の原点はそんなところにあるのだと思っています。
しなの7号
2017/01/20 07:36
 しなの7号様、こんばんは。
名鉄の閑散線区や軌道線の思い切った廃止には驚かされたものでした。内燃化による保守費削減や軌道線など新車を投入して当分安泰だと思っていたのですが。谷汲線など代替バスすら廃止されてしまいました。今まで交通機関が独立採算でやって来れた日本が世界的には特殊な例でここらで公共交通のあり方を考える時代が来たと思っています。みんながみんな車を運転できるわけでなく、学生や老人今は車に頼り切りの私でもいつまで運転できるのか不安に思う時があります。
 名鉄5500系、電車らしい電車ですね。国鉄153系や京王5000系に通じる昭和30年代の名デザインの一つと思います。パノラマカーを筆頭とするSR車は一大勢力で名鉄と言えば2扉クロスのサービスレベルの高さに好感を持っていたのですが、現在は他社並みのロングシート車が増えたのは残念に思います。
門鉄局
2017/01/21 00:19
門鉄局様 おはようございます。
おっしゃるように、名鉄はローカル線向けの新車投入をしたのに、さほど間を置かず、ローカル線を一気に廃止してしまう展開になって、驚きましたね。
名鉄はバスも分社化したのですね。名鉄本体はかなりスリムになったものと思いますが、蒲郡線など先行きが不透明な線区もあります。
高齢者ドライバーの事故が問題になっていますが、レールどころかバスまでも利用できなくなっては、問題はさらに大きくなっていくでしょう。それが過疎地域でなくて、毎朝渋滞が激しいようなところでも公共交通機関がなかったり、使えない状態になっている現状には首を傾げたくなります。
昭和40年代、国鉄の4人ボックス車両に乗り慣れていた私は、名鉄の2人掛け転換クロスに冷房まである電車に特別料金なしで乗れるサービスは破格に思えました。そのくせ、超旧式の電車がローカル線に現役だったりして、たいへん興味深い鉄道会社でした。甥っ子が名鉄に詳しくて、これは〇〇系などとスマホ画像で教えてくれますが、もう私にはわからないほど、車両も世代交代が進んだようです(*´Д`)
しなの7号
2017/01/21 08:32
しなの7号様こんばんは
名鉄線乗り潰しですね
私も国鉄在籍時に名鉄残存線区を乗り潰ししています
勤務地が刈谷駅でしたので三河線は縁が深いのでいち早く乗っています
三河線は知立から西中金までが通称山線、反対側の吉良吉田までは海線と呼ばれ知立駅を介しての直通運転はありません
乗ったのはまだ西中金まで電化されていた頃でそれほど感慨もなかったですが
終点から未成区間に向けて機回し用の引き上げ線が延びていて未成区間の路盤が一部使われているような感じでした
この後も貨物扱い駅の土橋、猿投、枝下、越戸などを訪問しました
その時、西中金はすでに貨物扱いは無かったですね

一方名鉄美濃町線は新線区間は乗らず終いでした
岐阜市内線の廃止を岐阜市が率先して推進していましたから美濃町線と揖斐線の存続は難しかったと思います
ヒデヨシ
2017/01/22 18:55
ヒデヨシ様 こんばんは。
三河線を含め、国鉄在職中に名鉄を積極的に乗り鉄しなかったので、末端区間がDC化された区間すべてに、電車時代に乗ったことはありません。名鉄エリアは自宅から自動車での行動範囲でしたので、撮り鉄で利用することもありませんでした。

国鉄退職後に豊田市内に勤務したことがあり、土橋、猿投、枝下、越戸の地名に触れると貨車や手小荷物のことを思い出しました。
自動車で岐阜や関方面にたまに行くと、岐阜市内の狭い道路の併用軌道や、美濃町線の道路並行の踏切の通行は、ほんとに怖かったです。
しなの7号
2017/01/22 21:12

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