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zoom RSS 【767】 撮り鉄12か月…1992年2月 「紀勢本線キハ80系」

<<   作成日時 : 2017/02/06 05:40   >>

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毎月1回ずつ、過去その月に撮り鉄に行ったときのことと、乗り鉄に行ったときのことを書いています。先月は3週目のアップになってしまいましたが、今月以降は毎月第1月曜日に、その月に行った撮り鉄の話を、そしてその週の木曜日には、その月に行った乗り鉄の話をアップしていく予定にしています。
今回は、今から25年前の1992年2月21日〜22日に、紀勢本線へキハ82の撮影に行ったときのことを振り返ってみます。

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このときも、誘っていただいたのは、国鉄時代に同じ車掌区で過ごした同僚たちで、移動手段は自動車でした。この年の3月14日ダイヤ改正で、特急南紀号は、国鉄形キハ80系(キハ82系と表記される場合もありますが、ここではキハ80系という表記にさせていただきます。)からJR東海の新車キハ85系に置き換えられることが確定しており、JR東海のキハ80系にとっては、定期運用を務めた最終末期でした。
このころ名古屋〜紀伊勝浦間を直通する列車には、特急南紀4往復と快速みえ1往復とがありました。最初に栃原駅の近くにある鉄橋に立寄りました。
このとき、すでにキハ85系の試運転が始まっていましたが、これが2両編成でした。画像は上り列車で、後方から撮影しています。
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快速「みえ」も2両でした。
この快速「みえ」は下り紀伊勝浦行です。名古屋〜紀伊勝浦間の快速「みえ」は、特急の補完列車だったのでしょう。ちょうどこの時期までの約2年間だけしか運転されていませんでした。

このあとは、三瀬谷の先にある宮川を渡るアンダートラスの鉄橋へ行って本来の目的であるキハ80系の撮影をしました。
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この日は紀伊長島と三野瀬の中間あたりにある古里の民宿で泊まりました。こういう民宿の宿泊客は、夏の海水浴客のほか釣り客が主体だったでしょうから、2月は閑散期だったはずです。ところが、この年は我々のような撮り鉄の客もよくあったらしいです。撮影地にも近く、近くの山に登ればこんな写真も撮れました。
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紀勢本線では、キハ80系のほか、1日1往復あったDD51重連貨物列車を撮り逃すことはできませんでした。
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このあとは、紀伊長島の亀山方へ戻って、荷坂峠の登り口のあたりと、大内山〜梅ヶ谷のカーブといった定番の撮影地を巡りました。
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国鉄に就職した直後2年半の期間は、この紀勢本線のJR東海部分が乗務範囲内でありましたが、三重県は南北に長くて、プライベートではなかなか出かける機会がありませんでした。この撮影行のとき、すでに高山本線の特急「ひだ」はキハ85系に置き換えられていた時期でもあり、お誘いいただいた方々には感謝します。私の場合、遠隔地には一人だと、なかなか乗りにも撮りにも行く気にならず腰が重いのです。



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コメント(12件)

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しなの7号様 こんばんは。
キハ80系特急型気動車。正に特急の女王にふさわしい列車です。
特に、分割併合を考慮した貫通型のキハ82は素晴らしいデザインです。キハ85の貫通型はどこかやっつけ仕事的なデザインで好きにはなれません。(JR東海の関係者の方ごめなさい)

当たり前といえば当たり前なのですが、現在のJR車両は会社は違えど、似たり寄ったりのステンレス車体で、昔のように見ていてワクワクしないのは、あながち歳をとっただけとも言えません。
国鉄の頃は車両にも「国鉄規格」というものがあったらしく、意匠やモーター、エンジン果ては室内灯の蛍光管にまで独自の規格があったと聞いたことがあります。
まあ、今の営利企業であるJRでは民生品を利用しなければ、車両コストは高くつきますからね。クルーズトレインの「四季島」なんかも見えないところでは民生品を使ってたりして。

2017/02/06 22:48
おはようございます。
高度成長期に開発された80系、現役時代のキハ81は見たごとはありませんでしたが、キハ82は非電化線区の優等列車として全国で君臨してきましたね。北国では雪にまみれ、最急勾配ではアブト区間を越え、ダウンして蒸気に引っ張られ、食堂車を2両連結して.....。苦労のなかにも楽しさいっぱいの形式だったようにも思えます。
ずっと前ですが、鉄道フアンの何かの記念号付録で80系の国鉄広報冊子復刻版があったのですが、食堂車のシーンで写っていたモデルさんがナイフフォークで食べるサンプル料理は目玉焼きで、時代の違いを感じました。
最近ではキハ82を見るたびに「乗っていくんやろ」の便乗で釣り銭を勘定される運転台シーンを思い出し、会社で月締め釣り銭を勘定するたびに、「乗って行くんやろ」のキハ82運転台を思い出しています。
NAO
2017/02/07 04:42
天様 こんばんは。
貫通型運転室を持つ車両はデザイン的に制約が大きいわけで、設計部署では前頭部の形状と運転室部分のレイアウトには苦心されたのでしょうね。機能とスタイルの両立という点においては、キハ82形式は傑作と言えましょう。個人的にはJR東海のキハ85系は他社の貫通式特急車よりも好感を持っています。ただし常時取り付けてある貫通幌アダプターが大きくスタイルを損ねていると思います。JR東海では381系ECでも、末期は簡易貫通形のクロ381-0番代車に貫通幌を取り付けたまま運用されるようになり、非常に違和感を覚えたものです。
また、撮り鉄的視点で言えば、おっしゃるようにステンレス車体は、どうしても風景の中に列車が埋没してしまい、引き立ちません。コストとメンテでは格段に進化した日本の鉄道ですが、なにか大切なものをお忘れじゃないですかと問いかけたくなります。
しなの7号
2017/02/07 18:00
NAO様 こんばんは。
まさに国鉄全盛期、全国特急網の主役として大いに貢献したのがキハ80系。北海道から九州まで全国で見られた形式ということもスゴイ系列ですね。
食堂車ファンだと目の付けどころが違いますね。私のレベルですと、時刻表の食堂車のメニューにカツ丼とかラーメンが何で書いてないないのだろうか?という世界でした。ちなみにキシ80は1度だけ「南紀」の前身「くろしお」に乗った時、先輩にカレーライスをごちそうになっています。
キハ82運転台はよい思い出ですが、「南紀」に本務で乗務する機会は一度もなく、紀勢本線の見習も急行紀州のキハ58系でした。退職後キハ80系時代の「南紀」にで乗客として乗ったのはたしか2回。一度は参宮線初乗りに行くときの往路。最後は西国三十三所巡礼旅の往路でした。いずれも車掌は旧知の先輩でした。
しなの7号
2017/02/07 18:01
しなの7号様、こんばんは。
4連ではいささか寂しい感じは否めませんが、キハ80系が走行している風景、絵になりますね。国鉄ファンが求める正しき鉄道風景かと。
国鉄時代から今日までの間、数多くの特急型車両がデビューしておりますが、個人的にはキハ80系が最もカッコいいです。『南紀』の前身『くろしお』のキハ80系時代はグリーン車2両及び食堂車込みの編成であったらしいですが、特急としての貫禄がハンパないですね(*´∀`)今突然目の前に現れたら…風格に圧倒され、卒倒してもおかしくありません。
DD51重連貨物、迫力ありますね。荷坂峠の急勾配対策でしょうか?
はやたま速玉早玉
2017/02/08 00:05
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
おっしゃるとおりで、4両というのは長大編成があった80系気動車にとってはいかにも寂しい編成ですが、国鉄末期からは多くの線区で短編成の特急が当たり前になってしまいました。やはり国鉄らしい鉄道風景と言えば、この80系の全盛期で、蒸機もまだ健在だった昭和40年代ということになりますでしょうか。そのころDD51は嫌われ者でしたが、分割民営化から30年も経て、辛うじて現役なのは大したものです。この貨物列車は下りですが折返しの上りが積車になりますから、片勾配の荷坂峠では重連の必要性があったのでしょうね。
しなの7号
2017/02/08 08:45
しなの7号様こんばんは
紀勢本線のこの区間
非常に好きで
私の数少ない撮り鉄行動で複数回訪れたところです
三瀬谷の上路式トラス橋梁はレトロ感たっぷりですね
絵になります
細かく見ていくと
磐越西線山都の一ノ戸川橋梁は同じ上路式トラスですが前後のデッキガーダーを主構のトラスに横桁を付けてトラス自体で支える構造ですが
この橋は橋梁上に独立したトレッスルを立ててそれで支えられていますね

荷坂峠も何度か訪れましたが
当時はDF50、キハ81、キハ58、キハ17、キハ55ばかりでいずれも非力なエンジンですから坂を登って行く上り列車はほんとノロノロでした
今は強力エンジン車が駆け上がって行ってるんでしょうね
ヒデヨシ
2017/02/08 22:52
ヒデヨシ様 こんにちは。
橋梁とか隧道のような施設も、細部を見ていくと奥が深そうですね。国鉄時代の車両は少なくなっても、鉄道関係の構造物・建築物で、いまだ現役のものは多いですので、国鉄遺産としての位置づけでいろいろ巡ってみたいと思っていますが、なかなか実行できません。昨年は旧逢坂山隧道に立寄ったくらいです。

東海地方とは言っても遠い紀勢本線へ撮影目的で訪問したのはこのときだけです。近年は荷坂峠越えをキハ11で経験しましたが、速度が国鉄時代とは雲泥の差だと思いました。
しなの7号
2017/02/09 09:27
 こんにちは、しなの7号様。
キハ82の正面デザインは秀逸でこれ以上の貫通形車両は以前にもこれからもないと確信しています。色使い・塗り分けを含めたトータルデザインの美しさで、民営化後もう国鉄じゃないアピールで塗り替えられた車両の見すぼらしかったこと、カメラを向ける気にならなかったことを思い出します。
 私が紀勢本線の非電化区間で連想するのはキハ80系くろし
おとDF50牽引の客・貨物列車、キハ58系で統一された美しい急行列車、雑多な気動車編成が楽しい普通列車ですが、昨年3月改正以降特急南紀のキハ85と普通列車のキハ25の2種類だけになってしまったようです。しかもキハ25はオールロングシート車でもうこの線の普通列車に乗りに来ることはないと思います。飲み食いが楽しみな鉄道旅行でロングシートは無しで、それだったらマイカードライブにします。
門鉄局
2017/02/09 15:42
門鉄局様 こんばんは。
キハ82の正面形状の特長は曲面ガラスですね。20系客車のナハネフ22にも曲面ガラスが使用されていますが、初期のナハフ20に採用されていた平面ガラスと比べて、曲面ガラスによって流麗さが強調される効果を感じ取ったものです。ただ、今のようにガラス加工技術が進んでいなかったでしょうから、かなりのコスト高になったものと思われ、今なら費用対効果でボツになったかもしれないですね。
そして151系電車から採用された国鉄特急色とのマッチングもナイスで、JRに残存した80系は、妙な塗装にならずに最後まで活躍できてよかったと思います。
乗るにしても、撮るにしても、様々な種類の車両が行き来するのが、趣味的にも実用としてもうれしいものですが、ロングシートがいやなら必要でなくても特急に誘導されてしまうようになってしまったのはとても残念です。ヲタクからも見放される紀勢本線…私も実は自動車で南紀一周を画策中です。
しなの7号
2017/02/09 20:14
お疲れ様です。「くろしお」に使われていたキハ81は大阪に交通科学博物館があった頃に見る事ができました。欲を言えばキハ82も見たかったです。381系「くろしお」のラストランの日は新宮駅でキハ80系の走る姿をビデオで見せていただき、夜勤明けでここまで来た甲斐があったと涙しました。新宮駅からはJR東海の管轄で運用車両もがらっとかわりますがいつかは紀伊半島を一周したいです。
鉄子おばさん
2017/02/16 21:04
鉄子おばさん様 こんばんは。
国鉄時代、新宮の駅裏に車両基地があり、そこに乗務員宿泊所がありました。特急くろしお用のキハ82編成が夜間滞泊していて、その日の乗務が終わると、その横をすり抜けるように乗務員宿泊所へ歩いて行きました。部屋の窓からは、照明に照らされた優美な姿が眺められ、子守歌はそのエンジンのアイドリング音でした。
リニア鉄道館にもキハ82はおりますが、正面からしか見ることができないのはちょっと残念です。
しなの7号
2017/02/16 21:27

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