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zoom RSS 【782】 国鉄の遺品、そして分割民営化に揺れたころ

<<   作成日時 : 2017/03/30 06:20   >>

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JRが発足してから30年を迎えようとしています。
前回、今のJRに対して想うことはすでに書いたので、国鉄の「遺品」などもご覧いただき、あのころを偲んでみましょう。

国鉄名古屋鉄道管理局が作成した下敷き。
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「国鉄のリニアモーターカー」をの延長線上にあるリニア新幹線は、30年経った今、JR東海の手によって着工されています。先々週、近くの非常口建設予定地に赴いたところ、重機が動いていました。
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再掲画像ですが、岐阜県内の中央西線沿線にはこのような看板が立っています。
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こういう変化がある一方で、30年も前になくなった国鉄の遺品は、とうの昔に巷から消え去ったかと思うと、意外なところで「国鉄」に出会ったりします。、岐阜県内の中央西線沿線の踏切に近い道路沿いの民家には、今でもこんな看板が軒下にぶら下がっています。↓
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踏切防護協力員とは何でしょうか?私にもわかりませんが、踏切を支障して事故になる危険があるときに列車を停めたり、関係機関に連絡したりするのでしょうか? これは数年前に撮影した画像ですが、つい先週現地を通りかかったところ、まだ看板は健在でした。

下の画像は名古屋市内の某所にあった地図です。
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ちなみにJR八田駅は2002年に0.5q名古屋方に移転して、地下鉄と近鉄とに直結しました。この地図は実態に合っていないわけですが、撮影したのは今月(2017年3月)初旬です。

30年前のその日、つまり3月31日から4月1日の間に、車両にはJRのシンボルマークが貼られ、駅など公共の場の案内表示類も、一夜にして「国鉄」の文字が「JR」と書きかえられ、まるで国鉄という言葉が戦時中の敵性語のような扱いでした。しかし案外な場所で生き残っているものです。

その日が来るまで、国鉄改革は分割民営化しかないとする政府によって、国民を巻き込んでの国鉄解体攻撃のなか、国鉄の分割民営化に反対する勢力は、国民の理解を得ようと訴え続けていました。私もその中の一人でした。
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私は国鉄が好きで入っただけで、別に労働運動に積極的であったわけでもないし、思想的なポリシーもありませんでした。ただ全国ネットの国有鉄道を分割して鉄道を再生することに対して疑問を持っていたことと、政府自らが違法で強引な手法を容認して、それを推し進めようとするやり方が汚いと思っただけのことでした。借金地獄で身動きできない鉄道を再生させたい思いは双方とも同じはずですが、政府には別の目的があったようでした。追い込まれた国鉄幹部にも、民営化やむなしとしても分割は避けたいとの思いはありました。国鉄は1985年(分割民営化の2年前)に全国一社制の独自案を公表していましたが、その独自案は一蹴されました。その直後に田中角栄(分割反対論者)が病に倒れると、待っていたかのような政変が起こりました。半年もしないうちに、当時の国鉄総裁 仁杉巌は辞表を書かされ、中曽根内閣が新たに任命した国鉄総裁は元運輸省官僚の杉浦喬也。副総裁はじめ幹部は分割民営推進派に刷新する人事異動が行われ、のちに本州JR3社の幹部となる改革3人組(松田昌士・井手正敬・葛西敬之)が実権を握るところとなって、国鉄は分割民営に向けて一気に突っ走って解体されたのです。

国鉄の分割民営化に当たって、新会社の社員は国鉄職員から「採用」する方式が採られ、この人選はかなり強引な手法で行われ、後の司法判断の内容に見られるように、現場では明らかに違法な差別や強要がまかり通り、結果的に多くの犠牲を伴いました。
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国鉄幹部の人事が一新された国鉄では、国労からの脱退者が相次ぐようになり、職場の人間関係は荒廃して行きました。一方で国労内部でも、分割民営化が決定的になった以上、雇用を守ることを最優先して、現実路線に転換やむなしとする主流派に対して、法令違反の手法で労働者の分断を図ろうとしている分割民営化に断固として反対する2つの左派勢力(反主流派と非主流派)との対立が激しくなり、ついに両者が分裂状態に陥った結果、国労の執行体制が左派勢力に変わってしまいました。真実を訴えれば雇用が守れず生活基盤を失うことになるし、雇用を守ろうとすれば、労働運動の弱体化を狙う中曽根政権に白旗を掲げて分割会社化を認めるしか道はありませんでした。

私は日本の鉄道の方向性が決まった以上、現実的な方針を掲げた主流派を支持しながら、身の振り方を考えることにしました。私の場合は、幸いにして入社時から希望していた専務車掌に手が届いていましたし、そこに手が届く前に、所属区所で担当する長距離列車は姿を消しつつありましたから、この先、自分が乗務を希望するような長距離列車はさらに減るであろうことも想像がつきました。それ以前に新会社に残れたとしても、このまま乗務員を続けられるという保証はまったくありませんでした。私は国鉄から業務を引き継ぐすべての新会社への採用希望を出さず、事前に国鉄職員を対象とした複数の再就職選考試験を受験し、なんとかその切符を入手できました。その結果翌4月からは国鉄清算事業団に所属し、受験先への正規雇用を前提とした派遣職員として再就職することになります。

下は、専務車掌になって5冊目、最後に使用していた乗務手帳の表紙です。
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乗務手帳には乗務に関しての必要な事項を書き留めるのですが、乗務が終了して車掌区に帰区すると、帰着点呼がありましたので、乗務手帳に自ら記入した「次勤務の出勤月日、乗り出しの列車番号と出勤時刻」を助役の前で読み上げることになっていました。助役は交番表と照合して、間違いがないことを確認すると、乗務手帳に確認印を押しました。
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上の画像が最終乗務直前の乗務終了後の帰着点呼で押印された次勤務(最終乗務行路)確認部分です。
そして最終乗務が終わった3月28日、帰着点呼では次勤務確認はなく空欄になりました。↓
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その代わり、4月1日に集合すべき場所と時刻が告げられて、私はそれを乗務手帳にメモしました。それが約11年の乗務員生活で最後の書き込みになりました。
(書き込みは腕章の下に隠れています。)

国鉄清算事業団では、「再就職が必要な職員」に指定され、そのまま再就職できた私は、たいへん恵まれた環境のもとで国鉄を離れることができたわけです。しかし、30年前に国を挙げてのお祭りムードの中で感じていた分割会社化への疑問は、今も拭い去れないままでいます。
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もうあまり話題にもならない国鉄改革ですが、30年前に撮り鉄に出かけ、乗り鉄に出かけ、新しい鉄道への期待を胸に抱いて昭和62年4月1日を祝賀モードで迎えたであろう多くの元鉄道少年だった方々には、国鉄が「公共の福祉を増進することを目的」としていた国民の共有財産であったことと、それを守るため政治との攻防があったことを知っていただきたいと思います。30年を経て、あのころ社会人だった方々でも、その後に経験することになるバブル経済の崩壊のときに生まれた「リストラ」という言葉を重ねていただくと、より身近に思われる方もおられるのではないでしょうか。
いつも政治に利用されてきた歴史を持つ国鉄は、また政治の力によってバラバラに解体されました。国鉄分割民営化は国家挙げて行われた「リストラ」でした。人員整理だけでなく、地域格差を増大させ、国民の借金は未だ残したまま、いいとこどりで、国民の共有財産は売り払われ、一部の者が潤う結果となりました。



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おはようございます。国鉄分割民営化から丁度30年、30年前の当時の国鉄の駅に置かれたパンフレット、掲示されたポスターには、「分割民営化で国鉄は元気になります」「地域密着ダイヤで便利になります」等、前途洋々な宣伝文句が囁かれておりました。現実に30年経過した今日、大都市圏や新幹線は便利になった反面、新幹線開業に伴う並行在来線の3セク化に伴う旅客輸送の全国ネットワークの分断、旅客6社の経営体力の格差の表面化、特にJR北海道の苦境が大きく伝えられています。
先日、久々に18きっぷで大阪から新潟まで往復してきましたが、北陸線の金沢〜直江津間の3セク化に伴い、18きっぷの効力を最大限に活かし、かつ当日中に新潟に到着するには名古屋から中央西線〜篠ノ井線〜しなの鉄道〜飯山線〜上越線〜信越線というルートを選択するしかなく、改めて新幹線開業の負の部分を感じることになりました。
30年前の明日3月31日はTV各局で報道特番が組まれ、謝恩フリーきっぷで各地で輸送混乱発生が伝えられていたのを思い出します。
私の住まい近くの国鉄を感じられるモノは、環状線天満駅近くの国労会館が健在ですが、耐震基準の厳格化でいつまで現存するのか気がかりです。
サンダーバード46号
2017/03/30 09:06
サンダーバード46号様 こんにちは。
30年経って、鉄道に限らずいろんな意味で地域格差が広がったように思います。鉄道はその格差を是正する橋渡し役であってほしいと思いますが、利益が上がる地域での交通は大変便利になり、むしろ地域格差を助長しているように見えます。上場株式会社なのですから、それがあるべき姿…ですかね。

大阪〜新潟ルートに飯山線ですか。飯山線でも国鉄時代に信州〜越後を結ぶ急行が運転されていたのですが、三江線とか木次線など通り抜けができる線区がその役割を果たせなくなっていることに、鉄道の衰退を感じます。
最近行ってませんが名古屋国鉄会館もまだあると思います。名古屋駅西なので、あのあたりもリニア中央新幹線の開通に向けて大きく変わっていくのでしょうね。
しなの7号
2017/03/30 14:07
こちらをブックマークして拝見させていただいている東京の44歳の会社員です。
今回の記述を読み終わり、感想を書きたくなりましたので送っております。

最後のくくりに有りますように、30年前のあの日はカメラを片手に始発から東京界隈を走り回り、撮り鉄を友人と行っていた小僧で有りました。
当然ながら、それまで書いていたような中での混乱などは報道で見る上辺だけのもので知る由もなく、民営化によってどれだけ新しい事が始まるのだろうと楽しんでおりました。
東京近郊は、211や205が増え始め民営化の象徴と自分勝手に想像していた事を思い出します。
逆に、その数年前まで機関車などに民営化反対のスローガンが書かれていたのを見て、子供心に何であんな落書きしてるんだろう?と思っていた事も思い出します。
ここ数年でこそ、ITの発達によって当時の様々な背景を情報で見ることで、如何にあの出来事が大変な状況でたどり着いたのだと知らされます。
ましてや、主がその当事者のひとりとしてご自身の事をこうして綴られているのを読むと、その思いも更に強くなりました。
確かに、主様の経過は恵まれた状況だったと思いますが、それはご自身の判断に間違いが無かった答えだと思いました。
私の祖父も山梨で保線員として国鉄を勤め上げたせいもあり、幼い頃から国鉄というものが身近にあった事もこのブログにひかれる一因かもありませんが。幸い祖父は国鉄の名の下に定年を迎えましたが…

長々と駄文を失礼いたしました。今後も楽しく閲覧させていただきたいと思います。
佐藤公一
2017/03/30 20:56
「守ろう、残そう、国鉄」
”Keep The Railways"
見るのが辛いです、今となっては。

私が分割民営化直前に九州乗り鉄に行った際、車内には、
「4月になったら、変わります(ハッキリ覚えていないので中略)国鉄九州」の広告があり、あちこちの駅出改札は改築中で、ようやく現実を目の当たりにした感じでした。

何年か前まで、営業に行っていた大阪駅前のビルで、幾つもあるエスカレーターのうち1箇所で、降りきった或いは上がりきった頭上電照表記に「国鉄 大阪駅」の案内表示が残っていました。今もあるのかはわかりませんが。
NAO
2017/03/31 07:37
佐藤公一様 こんにちは。
感想のご投稿ありがとうございました。
このブログは最初、元国鉄職員の単なる趣味のブログという位置づけで始めました。国鉄改革の背景やそのころの職場のことは趣味の分野に必要がないからと、あまり書きませんでしたが、国鉄に勤めた者が国鉄を語るには切っても切り離せないことと思い、途中からこういうことも書くようになりました。
ただ幼少時から鉄道が好きで国鉄の車掌を職業にした者の立場で書いたものであって、別にみなさんに意見を押し付けたり正当性を主張するつもりはなく、またお判りいただけるように書けるかどうかも自信がありませんでしたが、一回り以上違う世代の方にご覧いただき、お伝えしたいことがご理解いただけたことを、たいへんうれしく思っております。

私の祖父も国鉄機関区の助役、そして父は荷扱の車掌長でしたが、3代目の私は中途退職、4代目は鉄分のない仕事に就いています。全国組織の国鉄に直接間接に関係しながらメシを食う国民は多く、これらの人々を敵に回す分割民営論を唱えれば選挙の支持基盤が危うくなるのでは?と思った政治家も多かったはずです。そのためには国鉄悪者キャンペーンが必要だったのでしょうかね。
しなの7号
2017/03/31 16:44
NAO様 こんにちは。
国鉄名古屋鉄道管理局が発行した最後の'87新春ポケット時刻表、表紙には「エキゾチック ジャパン」のロゴマークと「国鉄はかわります。」の文字。裏表紙はフルムーンパスの広告で、一番下に「変わる国鉄・変わらぬフルムーン。62年5月31日まで発売」と朱記。フルムーンパスは「のぞみ」「みずほ」はダメとか制限がたくさんつくようになりながらも今でも健在ですね。
ときどき自動車で通る踏切の手前に架線接触防止用のワイヤーが2本、道路頭上に張られ「高電圧注意」の文字とともにJNRマークが書かれた看板があったのですが、知らないうちになくなってしまいました。
しなの7号
2017/03/31 16:46

 こんばんわ

 私は、30年前の今日、3月31日に最後の乗務を終えました。
国鉄最後の日に、運転した電車は、今、風前の灯となった国鉄最後の遺品、103系電車です。
 あの日の光景は、30年経った今でも記憶に残っています。○○旅客鉄道株式会社と看板か付け替えられ、区長室には新しい区長が居て、新会社の社員に渡す名札がズラリと並べていました。「元気でな」「いつでも顔出しに来いよ」と見送られて電車区を後にしました。120km通勤した最後に思いきって特急のグリーン車で帰りました。
 
 翌日からは、奇しくも所属したかった故郷の機関区の傍らで国鉄清算事業団職員として次の職場からの採用まで職業訓練という名の仕事に就いた訳です。
 あの時、休憩時間に乗務員休憩室を訪れ、運転士仲間と雑談をよくしたりして、もう、ハンドルを握る事はないのかと
後悔の念になったこともあり、その後、部外者ながらJRに乗る度、知り合いの運転士(国鉄は縦割り村社会ですから)と話す事が多くなりました。
 JRになって厳しくなったとか、苦労話をよく聞きました、国鉄職員だった者はJRになって良くなったと感じる人はごく一部の方でしょうね。

 清算事業団でいた仲間は、5年以内に再就職ができて、確かに改革とは言え、職員の待遇は恵まれていたと思います。

 現職場で、退職までの残り年数が少なくなり、近くの私鉄で電車運転士(パート)を募集しているので、応募して、も一度、電車のハンドルを握ってみたいなと、バカな妄想にふけっている今日この頃です。
クハ381-111 
2017/03/31 18:53
クハ381-111様 こんばんは。
あの30年前の今日が人生の転換点となった方が全国に散らばっておられるのだなあと改めて思えるコメントありがとうございました。
私は泊まり勤務に使えない3月31日は、勤務表上では出勤予備の地上日勤になっていました。それは暗に「来ても仕事はないから休め」みたいな状態でしたから、腐るほど余っていた年休を使って休みました。ですからその日の職場の様子は知らず、何が起ころうと彼岸の世界で、家でテレビの特番を複雑な思いで見てから、翌日の新しい職場への出勤に備えて早々に寝ました。以来、車掌区に足を踏み入れることはなく、それでも通勤や乗り鉄などで列車に乗れば、放送の声で誰が乗務しているのか即座にわかりましたので、折返し時間にちょっと乗務員室を覗きに行ったりして、お互いの現状の苦労話や愚痴話などをしたことはありました。しかし時が移り、今では国鉄形車両は廃車され、車掌も知らない人ばかりになりました。

パート運転士! 「カレチ」5巻の武藤運転士と京極検査長を思い起こしました。末期の国鉄でできない仕事を求めて私鉄に転職しようとする話でした。
それと映画RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語。

【20】人生と仕事:RAILWAYSについて思う・・・
http://shinano7gou.at.webry.info/201006/article_6.html

鉄道員は、やっぱり天職かもしれないですね。私は転職(^◇^)
しなの7号
2017/03/31 20:40
しなの7号様こんばんは、春らしくぐずついた天気ですね。
国鉄が分割民営化して30年。今日の朝刊にもJR東日本の広告が出ていました。
良い事尽くめの分割民営化という事でしたが、果たして、昔の「鉄道員魂」とは?
私、何度もコメントしていることですが、「国鉄職員」になりたかったです。何で?と言われても言葉にはできない何かがあったからかも知れません。それは何十年という時間が経ち、「時間」というフィルターで考えがあやふやになっているのは分かっているのですが・・・。
今、公務員になっている私の業種には、祖父、父、本人と三代続けば表彰の対象となります。私は、卑下する訳ではありませんが、息子には自分の好きな職業を選んでもらえれば良いと思っています。
散文で申し訳ありませんでした。今日も飲んでいます。

2017/03/31 23:05
天様 こんにちは。
30年という「時間のフィルター」を通してみると、たいていの物事は都合のいいように浄化され、時にはすべて美化されるほど長いです。その間に世代交代が進み、鉄道も親離れして一人前になり年寄りが言うことを聞きはしない。それでも、時代遅れの年寄りの言うことにも三分の理くらいはあるものじゃないでしょうか。昔の「鉄道員魂」を伝えるのは今の旧国鉄出身のJR社員です。株主あっての株式会社。その枠組みの中での伝承は難しいでしょうけれど、伝えてほしいものです。いちばんそれを思ったのは北海道の保線管理を原因とする事故でした。

昨夜はいつものように少しだけ飲みましたが、当家では土休日運休となっていますので、今日明日は飲めません。実は先週は土曜日に復活運転してしまいましたので、老化した肉体のメンテをしとかないとJR北海道のように脱線事故を招きそうで(^^;)
しなの7号
2017/04/01 09:22
 こんにちは、しなの7号様。
あれから30年ですか、極めて政治的な理由で無残にも解体されてしまった国鉄を思うと今でも無念でなりません。国鉄債務は解消されず会社間の格差は拡大するばかりで問題はむしろ深刻さを増しているように思います。新幹線の開通の陰で
在来線の切り捨て3セク化、10年・20年後どうなっているのでしょうか?世界的には日本は特殊な例で交通産業が曲がりなりにも独立採算でやって来れましたが、少子高齢化の進む今後はそうは行かないと思います。21日発売の各鉄道雑誌、特に鉄道の未来を考えるを標榜していたジャーナル誌がこの30年を振り返る記事を載せなかったのも遺憾です。今のJRの陰に多くの職員の方々の犠牲があったことをいつまでも忘れることなく記録に残して欲しいと願っています。
門鉄局
2017/04/01 15:18
門鉄局様 こんにちは。
30年前の政府に、国鉄の債務処理問題を片付けて日本の鉄道を再生させる純粋な気持ちがあったなら、また違った改革方法があったように思えてなりません。ほんとに50周年を迎えるころの日本の鉄道はどうなっているのでしょう。日本の鉄道技術は新幹線の輸出など世界のリーダー的存在と言えるほど優秀なのに対して、地方の日常生活を支えるための総合的な交通インフラとしての鉄道の活用の仕方については未熟なのではないでしょうか。
鉄道の将来を考える専門情報誌を標榜していたRJ誌には、いまのJRの問題洗い出しと、今後の日本の鉄道に活力を与えるための前向きな提言をお願いしたいものです。そのためには過去の反省すべき点も、こういう節目には「今だから言える」的な逸話なども扱ってほしかったと思います。でもトランプ大統領がCNNテレビを非難し取材拒否だと言ったように、JRから(ry
しなの7号
2017/04/01 16:52
こんばんは
国鉄名古屋鉄道管理局、懐かしい響きです。
中学生の頃だったか、夏休みの自由研究のために
果敢にも(?)名古屋鉄道管理局へ電話をかけてアポをとり
取材(!?)に行ったことがありました。
約束の時間に行くと、なにやら応接室のような部屋に通されて、
国鉄名古屋鉄道管理局管内の資料をいただき、説明をして
もらうことができました。
デザインは違いますが、下敷きとかももらった記憶があります。エキゾチックジャパンの文字入りポケットティッシュとか。
ほどなくして国鉄はJRとなりました。

分割民営化反対といえば、TVCMも流れていましたね。
「国鉄分割民営化。それは警報の鳴らない危険信号」という
ナレーションと踏切の警報機の映像が記憶に残ってます。
中学生だった僕には政治的な背景は分からなかったものの、
国鉄というブランドが強大な力によってつぶされるような
イメージしかなく、鉄道好きだったこともあってか、分割
民営化は否定的イメージでとらえていました。
なので、国鉄最終日の記憶はあっても、JR初日の記憶は
まったくなかったりします。
とうかいしれい
2017/04/01 18:32
とうかいしれい様 こんばんは。
昭和の時代は、写真撮影にしても資料の提供にしても一般人に便宜を図ってくれましたね。国鉄に限らず社会全体がそんな雰囲気でした。ただ国鉄職員に限っては、一般的にぶっきらぼうで愛想はなかったですが。
私も高校生時代に、今は廃止になった北恵那鉄道で似たような経験があります。
【612】 北恵那鉄道15:北恵那鉄道の想い出
http://shinano7gou.at.webry.info/201508/article_4.html

私が所属した車掌区にも臨時列車の時刻を定期的に調べに来る高校生がありました。
分割民営化反対のTVCMがあったのは覚えていますが、内容は記憶の彼方(^^) 
30年前の3月31日の夜は早々に寝ましたので、TV特番は録画しておいて後で見ました。日付が変わるときに旧汐留駅でC56160が汽笛を鳴らすシーンがありましたが、汐留は国鉄に就職したころ乗務で1週間に1回くらいの割合で来ていたところだっただけに、何とも言えない思いがしました。
しなの7号
2017/04/01 20:50
お疲れ様です。国鉄分割民営化に揺れていた頃職員さん達の心も揺れていた事は言うまでもありませんね。私はその時短大生だったのですが、夕方のニュースで職員さん達へのインタビューもよくあった事は覚えております。ある運転士さんは新会社に残れたとしてもどこに配属になるかわからない事を懸念しておられたようで「私は長男で田んぼも継がなければいけませんし…」と話しておられた事を忘れておりません。
鉄子おばさん
2017/04/23 12:29
鉄子おばさん様 こんにちは。
鉄道は勤務明けの日に家で農業ができるからという理由で就職する者は、地方へ行くほど多かったです。たぶん私の父もそうだったと思います。今はどこの企業でも単身赴任は当たり前で、もちろんそれがご本人の希望ならいいですが、ボロ雑巾ように使うだけ使われてポイと会社に捨てられる。いくらカネもらえても、ソレってほんとに人間らしい生活ですか? 仕事が生き甲斐という方は、そうも思わないか…。
しなの7号
2017/04/23 15:39
しなの7号様

しなの号の元車掌さんの発信する情報ということで,参考になることが多く,楽しく拝見しております。私は,あずさ,しなのといった中央線の模型を集めて,運転会をやっているので,KatoとTomixの381系の比較は大いに参考になりました。

国鉄分割民営化から30年。私が模型や実際の鉄道に興味を持ち始めたのはちょうどこの頃で,中3〜高校生だった私は,就職先としてJRを望んでいたものでした。しかし,以後数年は限られた人数の総合職のみの募集で,現業職はほぼ募集がなかった時期となりました。団塊ジュニア,バブル崩壊後の不況というめぐりあわせもあって,JRへの就職は趙ハイレベルの争いで,異次元の話になった思い出があります。
くろよん・ちくま82号
2017/04/25 17:38
くろよん・ちくま82号様
ご覧いただきまして、ありがとうございます。
うちにもNゲージの183系「あずさ」が1編成配置されています。そして私が中学生の頃の「あずさ」は181系の末期で、カメラを持ったばかりの私は、松本まで撮影に行きました。そのころに第一次オイルショックがあって、就職事情は昭和50年代に入ってから次第に厳しくなりつつあったころでしたが、国鉄の募集はありました。人生は、自らの意志や努力では如何ともできないことのほうが多いものですね。
しなの7号
2017/04/25 20:07
お返事いただきありがとうございました。人生は、自らの意志や努力では如何ともできないことのほうが多いという一文に,重みを感じます。

181系あずさの実物を写真に収める機会をお持ちなのは羨ましいです。28年前,まだばら売りされていたKatoの181系旧製品を集め始めて,クハ181とモロ180・181を買ったその日に。Katoの183系1000番台がリリースされ,181系4両は「とき」が好きな方に譲ってしまいました。あずさ号のNゲージは,183系9連3本(国鉄色,初代GU色,信州色),189系11連2本(国鉄色,信州色),E351系12連1本,E257系11連2本を保有しています。初代あずさの181系だけがありません。本日,Kato24系はやぶさを購入してしまったので,現行のKato181系「とき・あずさ」仕様を買うかどうか,迷っているところです。


くろよん・ちくま82号
2017/04/26 19:10
くろよん・ちくま82号様
中学生の駅撮りで、なんともならない画像ですが、そのころボンネット特急の実車を見たいという思いは強くありました。見た「あずさ」は1本だけでしたが、下り方には帯なしクハ181が写っています。
模型は183系1000の1編成しか持っていませんが、それと別に、とき旧製品の帯付きクハ181を1両だけ処分せずに残してあります。
しなの7号
2017/04/26 20:35

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