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zoom RSS 【784】 乗り鉄12か月…1992年4月「山陰」

<<   作成日時 : 2017/04/06 06:20   >>

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乗り鉄旅を始めたのが転職後で、妻子があったので、2泊以上の行程の乗り鉄では一人旅は少なく、どなたかのお誘いによることが多かった。1夜行+1泊の行程だったこの旅でも、当時滋賀県内在住だった元国鉄職員の方との二人旅であった。
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夜行急行「だいせん」に乗ることと、列車本数が限られて乗りにくいローカル線の初乗りを主な目的として、私は仕事を定時で終えたあと、家に帰らずにそのまま名古屋駅から東海道本線の下り列車に乗り、待ち合わせ場所とした大阪駅まで行った。
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名古屋18:50―(快速3139M)―米原20:00
米原20:15―(普833M)―彦根20:21(食糧調達)
彦根20:40―(新快速3657M)―京都21:29

新幹線を含む特急は、必要に応じて使うのが望ましいとかねがね思っている。定時に仕事を終えて名古屋にいる人間が大阪発22時55分の夜行列車に乗るためには新幹線に乗る必要はないので、東海道本線の普通列車を乗り継いで大阪まで行った。新幹線を使えば、夜行列車に乗る前に、同行者と久々の再会と旅の始まりを祝して梅田で乾杯の時間が取れるわけだが、そういうことは夜行列車の車中でできることであって、特急料金と飲み代の二重の無駄遣いとなる。
それに在来線では、このころ毎週末には、京都始発で14系座席車のアコモ改良車による快速「ムーンライト九州」が運転されていたので、京都〜大阪間の短距離ではあったが、試乗することができた。

京都21:32―(快速ムーンライト九州 9231レ)―大阪22:07
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大阪で同行者と合流して急行「だいせん」の入線を待つ。これも私の旅の基本みたいなものだが、始発駅から乗る場合は無駄に指定席券を買ったりはしないで、並んで自由席の過ごしやすい席を確保する。もちろん早めに並ぶ必要があるが、快速ムーンライト九州の大阪着は、急行「だいせん」の発車時刻の48分前であり余裕がある。2人旅だから交代で並べば1人が並んでいる間に、夜食や缶ビールの調達ができるし、同行者は純粋な乗り鉄氏であって、カメラも持参されない方であったから、こちらも気兼ねせず入線する列車の撮影もできる。

(映像は【601】山陰旅行の今と過去4:米子と境線でアップした映像の使いまわし)

大阪22:55―(急行だいせん 705レ)▲―米子5:58
このころの急行「だいせん」は、DD51に14系3段式寝台車3両と12系座席車2両(指定席車と自由席車が各1両)という短い編成であったが、自由席はほどよく埋まった。しかし発車すると車掌から急行券を買う乗客が多く、ホームライナー的な用途として利用されているらしい。三田までで半数ほどの乗客が下車していった。深夜の福知山で21分も停車する。この間にホームでは駅弁が買えた。缶ビールも追加購入し、ほぼ一睡もしないまま米子で下車した。

米子6:04―(633D)―境港6:51
境港7:35―(638D)―米子8:19

米子から境線を1往復する。米子で乗った列車は3両編成で、先頭車は50系客車オハ50の改造車キハ33であったので、ここは初めて見るこの車両にに乗る。大篠津(今は線路付け替えで駅が移転し、米子空港駅となっている。)では、おさかな列車キハ40単行の対向列車と行き違った。
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米子9:30―(特急おき3号 1043D)―松江9:55

境線を一往復した後は、木次線に乗車するため、米子から山陰本線に乗り換えるが、普通列車ではなくて、乗車時間わずか15分だけだがキハ181系3両の特急「おき3号」に乗って松江まで行った。冒頭で書いたように不必要な特急には乗る必要がないわけだが、私たちは周遊券を持っている。自由周遊区間内の特急は自由席であれば特急券を改めて買うことなく乗車できる。勝手なようで、いかにも安い餌に飛びつく貧乏人根性丸出しだが、こういう場合は特急に乗りたい。しかも特急「おき3号」は、小学生のころに特急「しなの」に乗ってからご無沙汰しているキハ181系の列車である。その「しなの」で使用された車両そのものではないかと期待したが、乗車した車両はキハ181−9で、名古屋に籍を置いたことがない車両であった。

松江11:00―(547D)―備後落合14:06

松江を出たあとの行程で、宿泊地の三次まで食い物にありつけそうなところがないので、松江で食糧調達をした。松江から乗った列車は、山陰本線を宍道湖に沿って宍道まで走り、そこから木次線に直通する普通列車であった。木次線との分岐駅宍道では対向のキハ53がいた。
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私どもが乗った列車は首都圏色のキハ52で、ご承知のように三段式スイッチバックの出雲坂根が一番の見どころとなる。そのスイッチバックを通って木次線の終点備後落合まで行ける列車は1日4本しかなかった。

備後落合14:08―(448D)―備中神代15:21
備中神代16:00―(449D)―備後落合17:18

備後落合から芸備線で、伯備線との接続駅である備中神代まで1往復する。この区間もこの機会に乗っておかないと、乗り残しそうな区間なので意図的に乗った。備中神代と備後落合は、どちらも他線区との乗り換えを伴う接続駅であるが、駅周辺に市街地らしいところはない。何もない備中神代では折り返し間合い時間に381系やくも号が通過するので撮影したが、折しも雨が降ってきたので陸橋下で雨宿りしながら、後追いで1枚だけ撮影した。
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備後落合17:44―(359D)―三次18:52△

この日乗車した芸備線の列車は3本ともキハ23の単行列車であったが、備後落合を境に車体色が異なっていた。JR西日本では鉄道部によって車体色を変えていたのだ。
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三次に着いてから電話帳で適当なビジネスホテルを調べて、当てずっぽうに電話予約してから、駅の近くにあった飲み屋に立ち寄って、ちょっと一杯飲んでホテルへ行った。クリニックに併設されている不思議なビジネスホテルで、フロントには患者に渡す薬袋が置いてあった。

三次8:28―(446D)―江津11:59

いつも乗り鉄の時は、もっと早起きするのだが、夜行の翌日であったから、しっかり睡眠をとってからの出発になった。
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私たちが乗った三江線列車は由緒正しいキハ40首都圏色の単行列車であった。

この線区も通り抜けが困難である。三次から江津に向けて全線を明るい時間帯に通り抜けるためには、三次発8;28のこの列車が最終で、それ以降の列車では途中で日が暮れてしまう。三江線は江津に向けて、義理堅く江の川に沿って線路が敷かれていて、川の蛇行にあわせて東西南北に向きを変えながら走る。日本海側に向っているのに真南に線路が敷設されている区間もあることがわかっていたので、私は地図と方位磁石を家から持ってきていた。がら空きの車内で2人で方位磁石を見つめて磁針が180°回転して南に向かっていることに納得したり、途中の石見川本での長時間停車中に駅前探訪に出かけたり、たのしい3時間半を過ごした。

江津12:43―(快速3121D〜121D)―益田14:08

江津から乗った快速は国鉄急行色のキハ58系2両編成であった。「しまねライナー」のヘッドマークが付いていたが、浜田から普通列車になった。
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益田14:10―(544D)―津和野14:49

益田の接続時間はわずか2分で、しかも山陰本線の列車が遅れていてやや焦ったが、そのあと山口線の列車は2時間以上もないから、乗換え予定にしていた列車は連絡待ちをしていてくれた。実は山口線に来たのはこの時が初めてであった。国鉄時代から蒸機運転が行われている線であるから、鉄道好きな者にしては意外だと思われるかもしれないが、私は人混みが嫌いなせいで、山口線の蒸機の撮影に行ったことが今日まで一度もない。この日は日曜日であって、普通なら津和野で降りるとSLやまぐち号が見られる時間帯であったが、この日だけはC57が芸備線に出張して臨時運転する日に当たっていて見ることができなかった。それでも、このあとは小郡に出て名古屋にたどり着くには少し余裕があったので、津和野で途中下車して街並みを歩いてきた。

津和野16:04―(546D)―小郡17:51

山口線で乗った列車は2本ともキハ58系であった。この旅で、山陰地方で乗った列車はすべて国鉄形車両だったことになる。

小郡18:19―(ひかり28号)―名古屋21:39

この1ヵ月前に東京〜新大阪間に「のぞみ」が運転開始されたばかりで、まだ山陽新幹線に「のぞみ」はなかった。乗ったひかり号は混んでいて座れなかったので食堂車に避難したが、時刻もほどよいのでしばらく待たされ、ありついた食事のあと岡山到着前を見計らって自由席に戻ると、下車客と入れ替わりに座ることができた。

**************************

急行「だいせん」がない今は無理な行程だが、現行の時刻表をめくってみると列車ダイヤがかなり変わっていて似たような行程は組めない。それどころか、三江線が廃止まであと約1年という余命宣告がされている。

<この旅で初乗りできた線区>
福知山線 尼崎〜福知山 106.5q
境線 米子〜境港 17.9q
木次線 宍道〜備後落合 81.9q
芸備線のうち備中神代〜三次 90.3q
三江線 三次〜江津 108.1q
山口線 小郡〜益田 93.9q


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コメント(15件)

内 容 ニックネーム/日時
 こんにちは、しなの7号様。
たまたま私もこの年の秋に夜行「だいせん」を利用して一つ年下の従弟と山陰旅行をしました。写真や資料が見当たらず記憶もあいまいになっていますが、一畑電鉄に乗り出雲大社に参拝、境線まで足を延ばしその夜は宍道湖畔の「ホテル一畑」泊、翌日は木次線から芸備線に乗り新見から「やくも」岡山で「ひかり」に乗り継ぎ帰宅というルートだったと思います。管理人様撮影の当時の気動車の写真を見ていると記憶が甦ってくるようです。「脱国鉄」アピールからか各鉄道部カラーが盛んだった時代ですが、センスを疑うような奇抜なデザインや配色はすぐに汚れてみすぼらしくなり改めて国鉄色の良さを感じたものでした。車齢の若さからほとんどがJRに継承されたキハ23系ですが、ローカル線がワンマン化の時代になると逆に都市近郊向けの車体構造があだになった気がします。ワンマン化後運転室からドア間が長すぎて乗務員からも乗客も不評だったのは決して車両の責任ではなく、登場時予想もしなかった急速な時代の変化によるものです。反対にキハ40の2000番台は当初キハ23と同様の配置になるはずが諸般の事情で現在の姿になり結果的にはワンマン化に対応しやすくなったのは運命の皮肉です。
門鉄局
2017/04/07 17:12
しなの7号様、おはようございます。
キハ33というのは初めて知りました。この頃の車両は様々な構造、塗色があったので、文章に書かれていなければ画像を素通り状態で見させていただいたかもしれません。
備中神代折り返しと三次のビジネスホテルはこのご旅行でしたか。公私でいろんなビジホに泊まりましたが、パチンコ景品交換所みたいな小窓の受付、全国チェーンなのに窓のない部屋、頭を低くしないと入れない低ドアの部屋、部屋に電話がなくてフロントに御用の方は携帯で、というホテル.....。
そんなところも思い出しました。(違うジャンルのホテルではなく、あくまでもビジホで探した施設です)。
ところで以前、津山から広島まで姫新、芸備線経由で乗ったことがあるのですが、姫新線は津山以西普通くずれの急行「みまさか」、芸備線のは備後落合以東普通から出世の急行「たいしゃく」で、新見−備中神代の1区間だけ115系電車をはさみ、大阪から広島まで気動車で行ける時期があったのですね。昭和60年3月の山陰踏破旅行でした。
115系はしっかり専務車掌さんが乗務されていました。
NAO
2017/04/08 06:50
お疲れ様です。岡山県生まれの岡山県育ちでありながら山陰が大好きでふるさと感覚で行く私の事楽しく懐かしく読ませていただきました。三江線は来年の3月いっぱいで廃止になるので最終日には乗車して労を労います。381系やくもの国鉄カラーいいですね〜父fビューした時は私はセーラー服の少女だったのにやくもが頑張ってくれたおかげ?で50のおばさんになりました。今日は祖父のお墓に参ってからの遅い出発となりましたが今特急スーパーはくとで倉吉に向かっています。帰りはやくも乗車の予定です。デビューから丸35年の7月1日に60回目の乗車となるよう調整です。
鉄子おばさん
2017/04/08 13:53
門鉄局様 こんにちは。
実はこの年の1か月前、つまり3月にも別メンバーで山陰を訪れていまして、一畑電鉄と伯備線にはそのとき乗りました。このころのJR西日本の鉄道部カラーを見て「国鉄色の良さを感じた」のは同感です。そしてJR西日本では、こんどは単色化され、気動車に首都圏色が採用されたのも意外な展開でした。この記事にアップしたキハ53を見た宍道駅に一昨年立ち寄りましたら、国鉄とは関係ないキハ120が首都圏色になっていて、これはこれで別の違和感を感じました。
キハ40の姉妹車とも言えるキハ47のワンマン改造車も各地で見かけますが、キハ23同様にワンマンには使いにくい構造ですね。もしもワンマン化を考えていたのならキハ37のようなドア配置にするとよかったかも。
しなの7号
2017/04/08 15:37
NAO様 こんにちは。
本文で「乗った列車はすべて国鉄形車両だった」と書きましたが、キハ33は国鉄形客車をJR西日本で気動車化した改造新形式ですので、厳密にいえば誤りかもしれないですね。キハ33は2両(1001・1002)改造され、現在は1001号が「津山まなびの鉄道館」で保存されていますので今も見られます。
このころ、急行「たいしゃく」は健在で、三江線に乗る直前に三次駅で見ましたが、すでに備後落合発着に短縮されていました。姫新線と、このときの芸備線は、キハ単行による各駅停車で乗り鉄しましたが、中国自動車道が並行する区間が多く、案外?開けていて中央西線東濃地方にも通じる車窓が展開されていると感じると同時に、あまりにも鉄道だけが時代に置いてきぼりなっているように思えてなりませんでした。
しなの7号
2017/04/08 15:38
鉄子おばさん様 こんにちは。
行動力には脱帽です(゚д゚)!
私の場合は50代に入る前に乗り鉄はあまりしなくなっていまして、中山道歩きなどに方向が変わりました。鉄道ができる前の旅のスタイルを体験しつつ、今の鉄道に乗るという新しい付き合い方で、そこで鉄道があることのありがたさも実感できました。これからおそらく失われていく鉄道は増えるでしょうが、失くしてから気付くありがたさを肌で感じることによって、失われゆく鉄道への接し方もまた変わってきたことを感じています。
しなの7号
2017/04/08 15:42
こんばんは。
この行程を現在の時刻で旅したらどうなるか考えてみました。

●金曜日出発
名古屋18:50→米原20:05
 (快速2547F)

米原20:18→大阪21:42
 (新快速3535M)

大阪21:54→福知山00:03
 (丹波路快速2779M)

福知山泊



●土曜日
福知山08:54→豊岡10:09
 (427M)

豊岡10:11→浜坂11:18
 (167D)

浜坂12:01→鳥取12:46
 (531D)

鳥取14:02→米子15:46
 (快速とっとりライナー3425K)

米子16:30→境港17:12
 (1651K)

境港17:21→米子18:07
 (1654K)

米子18:28→宍道19:17
 (289M)

宍道20:10→木次20:45
 (1461D)

木次泊



●日曜日
木次11:53→備後落合14:33
 (1449D)

備後落合14:37→備中神代15:51
 (444D)

備中神代16:25→東城16:50
 (453D)

東城泊



●月曜日
東城05:46→備後落合06:34
 (快速441D)

備後落合06:43→三次08:08
 (351D)

三次10:02→石見川本12:18
 (424D)

石見川本13:45→江津14:54
 (426D)

江津15:08→益田16:48
 (快速アクアライナー3455D)

益田18:55→山口20:44
 (2556D)

山口20:47→新山口21:09
 (688D)

新山口泊



●火曜日
新山口から新幹線
やくも3号
2017/04/08 19:10
もし、益田から特急スーパーおき5号(3005D)を利用すれば、新山口で最終の名古屋行き新幹線に間に合い、なんとか月曜日に帰宅可能ですが、日曜日はなんとも生産性のない行程の一日ですね。
やくも3号
2017/04/08 19:11
やくも3号様 こんばんは
これは、乗りたくないプランですね(;´Д`)
まあ、今は仕事もないので何泊してもいいわけですが、宿泊費を無駄遣いする余裕がないし。
1992年だと2人の幼児と妻をほったらかして、しかも月・火と仕事を休むにはそれなりの覚悟がいったでしょう。
それにしても、ご提案?のプランでは宿泊地でほんとに泊まれるのかが不安ですが、Google Mapとか見たら木次とか東城にもいちおう宿泊施設はありそうです。
ちなみに福知山線の初乗りをあきらめれば、名古屋を18:50より遅く出ても、「のぞみ〜やくも」の乗り継ぎでその日のうちに米子に着けてしまって、翌日の境線の一番列車に乗れてしまいますね。こういうのはすごいですが、もはや山陰本線は時刻表が細切れ掲載になっていても不便がないくらいに直通列車の必要性がなくなってしまったとすれば、なんともさみしいです。
しなの7号
2017/04/08 22:20
ありがとうございます。一応、宿泊施設のことは念頭に置きました。駅周辺になにもない備後落合と備中神代で夜を明かして、熊の餌食になることだけは避けるように組むと、こうなりました。
ま、私の場合は備中神代を通過して、新見の祖母のところに泊まればいいわけですが。笑

木次線〜芸備線が全然機能していません。

やくも3号
2017/04/08 22:53
しなの7号様、こんばんは。
民営化した翌年、山陰線のキハ47、当然首都圏色が来るものと何の疑いもなく待っていましたが、やって来たのは黄緑色、言葉を失い愕然、当時高校生の早玉君は失恋の如く大ショックを受けてしまいました。以降、雨後のタケノコの如く新塗装が登場しまくり、鉄道ファンの熱も冷めたものでした。
急行だいせんがまだ客車列車で健在、臨時でもムーンライトが活躍していた時代でしたね。ムーンライトは夜汽車の風情はありません(やはり旧客でなければ)が、青春18で利用した事もあり、重宝しました。もしも今日、このような夜行列車が残っていたら…仕事終わりに即旅に出て、就寝前は『呑み鉄』翌日は朝イチからフルに活動できてとても便利なのですが。
はやたま速玉早玉
2017/04/08 23:57
やくも3号様 こんにちは。
宿泊地も吟味していただきありがとうございました。
刺激されて、似たような条件で古い時刻表をめくって、国鉄時代ならどのようなプランができるか検討したいと思います(^^)/
しなの7号
2017/04/09 09:12
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
この旅をした一か月前にも青春18きっぷで山陰に出かけていますが、そのときには黄緑色のキハ47に乗りました。余部鉄橋で写真も撮りましたが、覚悟していたとは言っても、失恋した気持ちというのはわかるなあ。「オマエ趣味悪うなったなあ…どこのどいつの趣味なんや? タラコ色のダサい制服もそれなりにオマエらしくてよかったのに…」

私は夜型人間ではないので、それほど積極的に夜行列車を利用したわけではないですが、仕事を終わってその足で駅に行って、車内で酒飲んで適当に寝て翌朝に列車の中から白みゆく夜明けを迎え車掌のおはよう放送を聞くという旅の初日の行程そのものには魅力を感じてきました。
しなの7号
2017/04/09 11:23
しなの7号様こんばんは
私も94年に就職して.初めての旅行で鳥取まで旅行しました。目的はジャーナル誌で見た因美線の腕木式信号機と通票閉塞の様子を見たかったからです。子供の頃から乗りたかったブルートレインに乗るという目的を兼ねた3泊4日の日程でした。
簡単に行程を説明しますと
1日目  静岡県富士市の富士駅から普通列車で東京へ行き
東京見物の後 博多あさかぜに乗り博多へ。
2日目博多泊 
3日目 博多から新幹線で岡山まで行き.津山線 因美線
経由で美作加茂まで行き.美作加茂駅で通票閉塞器と腕木信号の操作を見物して急行【砂丘】で鳥取へ 運転席の後ろで
通票の通過授受を見物しました。 その日は鳥取泊
4日目 鳥取から急行【砂丘】のグリーン車で岡山まで.
岡山から新富士まで新幹線と今で言う乗り鉄といった感じの
旅行でした。
岳鉄沿線
2017/04/19 23:40
岳鉄沿線様 こんにちは。
私も、その前年1993年に因美線には撮影目的で訪問しています。行った先は美作河井駅で、キハ58系に新塗色が出始めたころでした。往路は岡山から津山まで冷房エンジンの騒音と振動が酷いキロハ28のハ室のほうに乗り、往復新幹線を使った日帰りの慌ただしい行程でしたが、行っただけの価値は十分すぎるほどでした。「博多あさかぜ」のほうは、国鉄就職後まもなく20系が24系25形に置き換えられる前に、東京から博多まで通しで乗りに行かないか誘われたことがありましたが行かず、ついに「あさかぜ」には一度も乗車する機会がないままとなりました。
しなの7号
2017/04/20 07:43

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