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zoom RSS 【790】 安全の願いと殉職者慰霊碑

<<   作成日時 : 2017/04/27 06:30   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 53 / トラックバック 0 / コメント 18

先日は名古屋車両区へ行く機会を得て、その敷地内にある大金輪神社と成田不動尊にお参りしてきました。輸送業務にたずさわる現場にこういう場所があるのは、多数の乗客の安全を守らなければならないという使命感と、公務災害を失くしたいと思う心、そして過去の過ちへの反省とがあるからなのでしょう。
それほど国鉄の現場は、一つ間違うと命を落とすような危険な職場でありました。私が国鉄に就職が決まったとき、うちの父親は単に喜んでくれるのではなく「カッポレでなければいいがなあ…」という心配をしていました。「カッポレ」とは構内掛のことで、その昔は連結手と言われていました。「Coupler」が語源だと思われますが、正式名称ではなく蔑称ともいうべき言葉で、今風に言えば差別用語でした。ターミナル駅では分割併合に機関車の連結がありましたし、中間駅でも旅客営業のほかに貨物営業も取り扱う駅は多かったですから、危険な貨車の連結解放作業を経験しなければなりませんでした。
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それも規模が大きい駅になれば、それが専業になり、明けても暮れても、暑くても寒くても雨でも雪でも、連結、解放。突放された貨車に飛び乗って、ブレーキをかけて飛び降りることが仕事になりました。
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今は突放作業は見られず、機関車で押し込む人にやさしい仕事に変わっていますが、そんなやり方では貨物列車が全国ネットで走っていたころには、限られた列車の停車時間内に作業が終われませんし、操車場では次々と到着してくる列車を捌けません。運動神経がよく、そういう作業が得意な者はともかく、一刻も早く車掌の試験を受けて、劣悪な労働条件の職場から抜け出そうとする者がいたのは事実です。
走行してくる貨車の小さなステップに飛び乗り、側ブレーキを巧みに操る一連の動作は、私のように構内係未経験者には一朝一夕でできない職人仕事を見る思いでした。
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上の画像はワム80000の側ブレーキ緩解状態(上)と緊締状態(下)の様子を表しています。
走ってくる貨車の小さなステップに飛び乗ろうとしたとき、足を滑らせたとしたら、手はしっかり手すりを握っていますから、足元をすくわれるように、自然と下半身が貨車の床下に吸い込まれるように潜る状態になって、その結果として足が轢断されることになります。車掌や運転掛操車担当の場合は、実際に連結に従事する構内係の行動を把握していなければなりませんし、自分も機関車や貨車に合図しながら添乗することも多々ありますから自分だけのことに気を付けていればいいわけではありません。

添乗するとき、機関車のスカートにあるステップはホーム側でもなんとかなりますが、上の貨車のような側面のステップではホーム側に添乗すれば、ホームと車両に挟まれてしまいますから添乗厳禁です。
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このようにフライキ(手旗のこと「flag」に由来?)による誘導だと、必ず機関士席側で機関士の視界内で合図する必要がありますから、添乗する場所が制限されてきます。
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無線機による誘導は、必ずしも機関士の視界内で合図する必要がありませんので、状況によっては地上で誘導できる場面が増えて、飛び乗りや飛び降りをする場面は少なくなってきます。私は貨物列車に関しては100%無線機による誘導で仕事ができました。下の画像で、右端で機関車に添乗して後方を確認している人物は管理人本人です。画像ではわかりませんが無線機を持っています。確認のため身を乗り出し過ぎれば、中央付近の電柱に衝撃して転落しそうです('Д')
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実際の突放の作業については。失敗談とともに、【652】275列車 南四日市駅の入換で、書いていますが、これは単に1回突放するだけの例なので、誘導する列車掛自身は飛び降りしますが、構内係の飛び乗り飛び降りはありません。2回3回と連続して突放する場合には、構内係が突放するたびに貨車に飛び乗り、または飛び降りるケースが出てきます。
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旅客列車はその逆で100%フライキを使用しての誘導しかやりませんでしたが、突放入換はありませんでしたから、飛び乗りや飛び降りをする場面は少なくなりました。

このほか、音もなく流れてくる貨車に触車するとか、連結または解放作業中に車両が移動したり、添乗中に電柱や信号機など地上の障害物に衝撃したり、衣服が車両や地上の突起物に引っ掛かり転倒するなど不意を突かれる事故の種はそこらじゅうにありました。「線路は刃物」「貨車を馬鹿にするな。無言で近づいてくるぞ」と言われ、触車による死亡事故が断トツの1位でした。この例のほか、触車による死亡事故が多いのは施設関係の職場でした。
私がまだ列車掛になるまえ、内部で配布された資料によれば、私が国鉄に入社した昭和51年度中の国鉄内の業務上傷害事故による死亡者数は21名、うち触車によるもの14名とされていました。就職後2年で列車掛科の受験資格ができましたが、構内掛のように危険な職場の者は、必死に勉強して最短の2年で受験し合格する者が多かったように思います。ちなみに私は就職3年めの受験で、そのときの列車掛同期生25人のうち最短の2年で合格した者は23人。そのうち約半数の11人が構内掛出身者でした。

列車掛の面接試験ではぜったい「ハインリッヒの法則」について聞かれるよなどと言われていました。「ハインリッヒの法則」とは、ウィキペディアから引用すると
【労働災害における経験則の一つである。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。「ハインリッヒの災害トライアングル定理」または「傷害四角錐」とも呼ばれる。】
というもので、ことあるたびに安全教育で教えられたことです。
この法則に従うならば、私が就職した年度に殉職された21人の陰には、その29倍の600人程度の重軽傷事故があり、6000件以上のヒヤリ・ハット体験があることになります。国鉄で殉職に至らずとも業務上傷害事故による重傷者や軽傷者はかなりの数に上るであろうことが想像できます。公傷で乗務ができなくなって内勤仕事に変わって転勤する者や、鉄道病院で長期入院のまま退院のあてもなく療養生活を送った方々もありました。生活の糧としたはずの鉄道によって人生を狂わせてしまった人々は歴史にも残らないながらも、その数は計り知れないほど多いです。
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大垣駅構内にある殉職者慰霊碑です。1961年(昭和36年)の建立で、碑文は当時の十河国鉄総裁によるもので、大垣駅開駅後に殉職した27人の慰霊のため、駅員の積立金で建てられたものだそうです。ターミナル駅であるとは言っても、昭和36年の時点でこれだけの殉職者があったことにも驚きますが、それを無駄にすることがないよう殉職者慰霊碑はひっそりと新しい鉄道に生きる人々を見守っています。下りの1番ホームに沿って東京方にありますので、ホームから見ることができます。鉄道に働く方のみならず、趣味として鉄道を愛してやまない方々も、大垣駅で乗り換えられる機会がありましたら、お参りしてみてください。
合掌


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コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
しなの7号様 こんにちは。
そういえば、つボイノリオさんが深夜番組で『外で身を粉にして働いておられる方の苦労は計り知れないですが、私なんかは冷房の効いた部屋でマイクに向かって思い思いのことをしゃべってるだけですから、保険の掛け金なんかは安いもんです。』といっておられたのを思い出しました。

連結解放作業の労働環境はなかなか改善が難しかったでしょうね。『現行通り対処されたい』の繰り返しだったのでしょうか。
自分の場合は、実車のメーカーの設計部門にいた時によく工場や試作車現場へ確認に行きましたが、『必ず帽子や安全靴を着用する』とか『絶対に回転する物の前後には立たない』などやかましく言われていましたが、模型メーカーから転職したばかりの自分には危機感がまるでなく、平気でリフト上で高速回転するテスト車のタイヤに近づいて、上司に注意を受けたことがありました。

殉職者慰霊碑が目立つ場所に大きく作られているのは、亡くなられた方々を弔う目的のほか、毎日自分たちの目に入ることで気を引き締めて職務に向かうための喚起のためでもあったでしょうね
やくも3号(危機感なし)
2017/04/27 15:53
やくも3号様 こんにちは。
構内掛の方の生命保険は、どこかのスーパーカーの車両保険みたいに嫌がられるかもしれないなあと思いました。
現場仕事は、どんな職種でも今は安全教育が徹底しているのでしょうけれど、現実に事故現場を見ないと恐ろしさが理解できないことはあるでしょうね。鉄道の現場では人身事故の現場をよく見ますので身に染みている人が多いと思います。
構内の仕事は、危険を知っている先輩からはきつく叱られるし、雪と伊吹颪の吹く深夜、なんでこんな仕事しとるんや…と貨車の影で泣いたぞという話を聞いたことがあるかと思えば。駅によってはそうでもなくて楽しくやっておられたような話も聞きます。人によって違うのでしょうが、危険な仕事に対してはそれなりの待遇は必要ですね。

こうした鉄道碑は記念碑も含めて各地にあるようですので、元鉄道員としてはせめて東海地方くらいは訪ねたいと思っています。
しなの7号
2017/04/27 17:45
しなの7号様こんばんは。ご無沙汰です。
「鉄道はまず安全でなくてはならない。」これは乗客を安全に輸送するためのみならず、そこで働く職員に対しても向けられた言葉だと思いましたが、しなの7号様はいかがでしょうか?
「カッポレ」の意味、よく分かりました。確かに何トンもある貨車を手ブレーキだけで操車するのは、ある意味職人技ですよね。でも、冬のみぞれが降る日や、夏の夕立ちの最中にする入れ替え作業は正に3K職場そのものですが、こういう方達の職務があってこそ人々の生活が成り立っているわけです。
鈍臭い私だったら、憧れの国鉄職員になれたとしても、この職種ではもうこの世に居ないか、緑の手帳を交付されていたでしょう。確か鉄道従事者は線路を横断する際は、必ず線路に対して直角の最短距離で横断しなければならないと聞いた事があるのですが、本当ですか?

2017/04/27 19:35
天様 こんばんは。
1 安全は、輸送業務の最大の使命である。
2 安全の確保は、規定の遵守及び執務の厳正から始まり、不断の修練によって築きあげられる。
3 確認の励行と連絡の徹底は、安全の確保に最も大切である。
4 安全の確保のためには、職責をこえて一致協力しなければならない。
5 疑わしいときは、手落ちなく考えて、最も安全と認められるみちを採らなければならない。

以上が国鉄の「安全綱領」でした。
鉄道に限らず、そのとおり。人はどうしてもそのとおりに行動できないのも然り。交通法規を国民全員が守れたなら交通事故は理論上は起こりませんものね。

ハインリッヒの法則のほか、面接試験で聞かれる初歩的な知識として「5R運動」がありました。「R」はレールを指します。
1 レールの中を歩かない。
2 レールに腰をかけない。
3 レールに足をかけない。
4 レールに接近して歩かない。
5 レールは直角に横断する。

おっしゃるのは、その「5」ですね。
しなの7号
2017/04/27 20:03
しなの7号様、おはようございます。
昔の物流は本当に大変な作業で支えられてきたのですね。
だいぶ前ですが、鉄道J誌だったかでユーロライナー臨時列車取材で、白服盛夏服のカレチさんが妙高高原?での折り返しでEF64機関車の機回し添乗されていた写真を思い出しました。
「さくら」の画像は下関でしょうか。私は滅多に機関車交換を見ないのですが、下関では二度見たことがあります。
関門EF81が接近して来ると、添乗の入れ替え掛の人がホームに差し掛かったとき、機関車ステップからヒョイとホームに飛び移られたので、カッコいいなあなんて思いましたが、これも危険極まりない作業だったのでしょうね。
NAO
2017/04/28 07:45
NAO様 こんにちは。
JR旅客会社では機関車牽引列車が減って危険な作業は減ったといえますね。妙高高原の機回しに当たったことは一度もないですが、何といっても冬場が地獄。足場は雪の壁でステップは凍っているし危険極まりなかったようです。
下りの下関では3回くらい機関車の付け替えを見ましたが、最初はEF30で、このときEF81 300ローピンに変わってました。
しなの7号
2017/04/28 09:09
しなの7号様、こんばんは。
突放作業、運動オンチの私なら確実に足を滑らせてます。もちろん野球の試合と違い、雨天中止、とはいかないですからね。『どんな条件下であれ物流を止める訳にはいかない!』と携わって来られた方々の熱意、頭が下がります。
昭和51年は年間21名もの国鉄職員の方々が亡くなられたのですね。正直驚きの数字です。いや、殉職された方がおられた事自体がショックです。
大垣駅はよく利用します(乗り換え目的ですが)。今後利用する際には慰霊碑お参りを欠かさず行います。

ところで1枚目の画像はスイッチャーがコキを牽引していますね。最近、貨物列車への興味が高まりつつあり『スイッチャー』なる言葉も覚えてしまいました。先日春日井駅を通過した際、王子製紙さんのネピアスイッチャーが目に入り『オオー』となりました。
はやたま速玉早玉
2017/04/28 20:55

こんばんわ

「安全は輸送業務の最大の使命である。」
退職して30年、今でも安全綱領はスラスラと言える程
頭に残っています。

 カッポレも懐かしい言葉ですね、運転士の先輩でヤード出身方が居てその言葉を知りました。当時、営業畑から運転畑の乗務員になるのは容易ではなく苦労されたそうです。
それと運動神経が抜群に良かった方でした。

 私もヤードではありませんが、合理化で機関助士がいらなくなり機関区の操車担当の構内運転係で、画像の方と同じく2本の旗とヘルメット姿で誘導、入換をしました。飛び乗り、飛び降りには、危険が伴い、線路は刃物と教わりました。

 最後に余談ですが、381系電車が走り始めた頃、施設、保線の方は、「あの電車は怖い、鬼門だ」と口を揃えて言っていました。
クハ381-111 
2017/04/29 00:01
しなの7号様こんばんは。
入社後約3年広大な操車場で構内作業に従事し、側ブレーキを足だけで跳ね上げる、時速40Kmの貨車から飛び降りる、自連のピンを足で蹴り落とすなどなど一般社会では何の役にも立たない特技が身に付きました。まだ大らかな国鉄が残っていた頃で5人組のチームでの入換作業や職場環境は楽しかった思い出が多いです。しかしながら本部の奥に大きな殉職碑があり、闇の中坂埠を音もなく下ってくる貨車や蹴り分け(複数の突放)時に機走線を走る機関車にはねられそうになってその意味を実感したことを思い出します。貨物ターミナルになった今もあるとは思うのですが。車掌区に配属になってからもホームからの転落客を救助しようとして殉職された大先輩の殉職碑が須磨駅近くにありました。列車が走っている以上現業従事者はいつも危険と背中合わせということを乗務員になってからも再認識しました。
PS:関西では少し訛って「カッポリ」と言っていましたが実は今まで語源を知りませんでした・・・・
雷鳥23号
2017/04/29 01:52
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
実は「昭和51年は年間21名」の殉職者というのは、設備の充実や教育の努力の結果ここまで減った数字といってよく、昭和18年鉄道省時代に連結手として採用された方が書かれた本を読むと、大阪鉄道局(当時の範囲は私は知りませんが)管内だけで年間の殉職者は200人とされていますから、当時の鉄道は信じられないの労働環境に置かれていたものと思います。
今回使用した画像のうち、1〜3枚目は春日井駅での撮影です。車窓からネピア号がご覧になれたなら、しなの5号にご乗車でしたかな。
しなの7号
2017/04/29 08:26
クハ381-111様 こんにちは。
国鉄では運転職場と営業職場との人事交流が少なかったですが、私が在職中にも名鉄局で営業職場から機関助士の養成課程の募集が1度だけありました。私は視力の点で資格要件が満たされませんでしたので受験しませんでした。機関車の誘導はステップがDE10が一番広くて乗りやすかったです。
施設関係の方にとっては見通しの悪いカーブを高速で音もなく近づいてくる振り子車両は恐ろしい存在でしょうね。高速化によって危険が増したことになりますが、危険な作業はことごとく民間委託化されていきましたね。
しなの7号
2017/04/29 08:27
雷鳥23号様 こんにちは。
列車掛養成課程で、連結や解放手順の実習をやりましたが、構内経験者の方たちが基本動作のほかに、「これは悪い例」としていろんな「技」を披露してくれました。素人にはホース切りさえうまくいきませんでした。どんなに技術が発達しても、最後は人の手による作業がある以上は、この業界から痛ましい事故は0にはなりません。費用対効果を問われ、安全設備への投資がされた効果として人員減という繰り返しが行われてきましたが、こういう単純な公式による計算だけでは正解は出ないんじゃないでしょうか。
しなの7号
2017/04/29 08:29
しなの7号様、こんばんは。
はい。しなの5号でした(≧∇≦)
3号が春日井通過する時間には、まだ工場内に居る。
7号では既にJR貨物列車から貨車を受け取り、工場に戻った後。
なのですか…?

はやたま速玉早玉
2017/04/29 23:22
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
5号が通過するころに工場から出荷する貨車を牽引してきて、そのあといったん単機で工場に戻ってしまいます。JRの貨物列車が7号通過直前に到着しますので、その貨車を受け取りに工場から再び出て来るのが、7号と9号が通過する間だったと記憶しますので、そう推理しましたが当たりでしたね(^^)v
しなの7号
2017/04/30 07:08
ネピア号の活動時間も把握されているとは…
恐れ入りましたm(__)m↓↓
はやたま速玉早玉
2017/05/01 00:26
はやたま速玉早玉様
いや、地元ですから…
風向きによってはけっこう遠くまで入換時の汽笛が聞こえてきます。
しなの7号
2017/05/01 08:06
こんばんは。この短編映画 https://www.youtube.com/watch?v=XAVTbP7bRm8 のなかにも、「カッポレ」という言葉や、大曽根駅構内作業掛が両手を貨車に轢かれたという傷害事故警報の掲示が映っています。存命ならば70代半ばでしょうが、癒えない傷を負った悲惨さを感じざるにはいられません。
TOKYO WEST
2017/05/03 00:31
TOKYO WEST様 こんにちは。
ああ、こういうのがありましたか。映像にあるもの一つ一つに在りし日の国鉄を感じますが、表面に出てきにくい鉄道の舞台裏を記録した貴重な記録映画ですね。ご教示ありがとうございました。大曽根駅にも空襲から乗客を守り殉職された方々の殉職者慰霊碑があります。多くの犠牲のもとに今の鉄道があることを忘れてはいけないと思いますね。
しなの7号
2017/05/03 08:46

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