昭和の鉄道員ブログ

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zoom RSS 【797】 閑話3-1…名古屋へ集合!〜昭和57年夏

<<   作成日時 : 2017/05/18 06:40   >>

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(内容はフィクションであり、登場人物はすべて架空のものです。3回の連載で完結します。)

時は1982年、まだ国鉄があったころのことです。この年は東北新幹線の大宮〜盛岡間が開業した年に当たります。
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名古屋市内に本社がある会社員の仲良し同期生7人が、何年ぶりかに集まることになりました。この会社に就職して名古屋市内の研修施設で3か月の寮生活をしていたのは10年前のこと。このとき各人は会社でのそれなりの役職に就いて分散配置されていました。この会社には京都支社があって、その7人のなかには京都に転勤して、そのまま関西地方で家庭を持った者がいるかと思えば、家の都合で若くして退職し、長野県南部の実家で家業を継いでいる者もいました。

7人が集まる先は、愛知県海部郡佐屋町(現愛西市)にある富吉永和(とみよし ながかず)さんの家でした。富吉永和さんは、みんなから「えいわくん」と皆に呼ばれていて、「えいわくん・えいわくん・あんたはどうでもえいわくん」などと親しく呼ばれるだけあって、気さくな性分で、この時も「おい!みんなで集まるぞ!うちへ来い」と誘ったのでした。富吉永和さんの家の最寄り下車駅は近鉄名古屋線富吉駅です。

各地から集まる6人は名古屋駅の新幹線南乗換改札口付近に10時に待ち合わせて、一緒に近鉄乗換改札を通って近鉄に乗り換えることにしました。京都から新幹線で参加するのは、小倉さん、北大路さん、二条さんの3人で、京都9時05分発の東京行「ひかり32号」に乗ることにしました。この列車に乗れば名古屋駅には9時53分に着けます。この3人の住まいはバラバラなので、各自が京都から名古屋までの乗車券と特急券を買って、京都駅の集合場所は新幹線上りホーム上ということにしてあります。

小倉さんは宇治市に住んでいるので、近鉄京都線に乗って京都駅まで来ました。そこで、名古屋までの乗車券を買いました。
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名古屋までの運賃は当時2000円(特急券を除く乗車券部分だけの値段)でした。

北大路さんは京都市街地に住んでいるので、1年ほど前に開業したばかりの京都市営地下鉄に乗って京都駅まで来ました。京都駅では、こういう乗車券を買って新幹線ホームに向いました。
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同じ名古屋までの片道乗車券ですが、小倉さんが買った乗車券とは様式が違っていますね。こういう切符は硬券と言われ、厚紙に活字で印刷された昔ながらの乗車券です。複数の窓口があるような駅ですと、切符を買う窓口によって、渡される切符の様式が違うことがあります。印刷発行機の種類が違っていたり、なかったり、オンライン端末装置があったりなかったり、事情はさまざまです。

北大路さんは「名古屋まで」と窓口で申告していますが、券面には「名古屋・新守山・大高間ゆき」と印刷されていました。新守山は中央西線の駅で、名古屋から12.3q先にあります。大高は東海道本線の駅で、名古屋から12.4q先にあります。
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つまり京都駅から名古屋と同じ運賃の複数の駅の範囲を1枚の切符で流用しようというもので、印刷と出札業務を簡素化する意図があったものと思われます。この乗車券の行先が示す範囲内には、印字された3駅以外にも金山・鶴舞・千種・大曽根・熱田・笠寺と6駅(現在は尾頭橋もあるので7駅)もあり、名古屋、新守山、大高を含めると、1種類の切符を印刷しておけば、9駅分の着駅に対応できるスグレモノ?だったのですが、今はこういう様式の切符はあまり見かけません。
似たような例で、発駅や着駅を「○○市内」という表示にした切符がありますが、これは特定都区市内の中心駅から片道の営業キロが200kmを超える場合に発行されるものです。名古屋・京都間は147.6qしかないので、普通乗車券には「○○市内」の表示はされません。

二条さんは、新幹線の回数券を自分であらかじめ持っていました。名古屋本社との間を出張でよく行き来していたので、その都度会社から回数券の現物支給を受けていました。こちらの会社では、本社と支社の間を文書や物品を運搬するために、週に1度本社と支社と各営業所を巡回しているトラック便がありました。二条さんは少し前にそのトラックに便乗して名古屋から京都に戻ったことがあり、そのとき使わなかった回数券が1枚手元に残っていたのです。本当なら回数券は総務課に返納すべきものですが、昭和の時代のことですし、そのへんのことにうるさい会社ではありませんでした。
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新幹線回数券の場合は、普通乗車券とは違って、特定都区市内の中心駅から片道の営業キロが200kmを超えていない場合でも、市内適用されるケースが多々あって、この場合も「名古屋市内⇔京都市内」と表示されていました。それぞれの市内に所在する全部の駅を1つの駅として捉えるという考え方であって、こうした例は今でもありますし、他の特別企画乗車券にもよく見られます。二条さんは、家から近い山陰本線の二条駅から、この回数券で乗りました。二条駅は京都市内の駅なので、別に京都駅までの乗車券を買うことなく山陰本線の列車に乗って京都まで行って、直接新幹線のホームに行ったのでした。
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京都駅に集合した3人は予定どおり新幹線のホームでおち合い、名古屋へ向かいました。

あとのメンバーは、亀島さん、今池さん、南木曽さんの3人です。
亀島さんは名古屋駅の近くに住んでいました。わざわざ地下鉄やバスに乗るまでもないところだったので、10時の集合時刻に間に合うように名古屋駅まで歩いて行きました。他のメンバーが全員国鉄を利用して名古屋まで来て、そのまま近鉄乗換改札口を通って近鉄名古屋線に乗り換える関係で、集合場所が新幹線南乗換改札口付近になってしまいました。あの頃は携帯電話もなく、いったん家を出てしまえば通信手段がありませんから、指定された場所に行かないわけにはいきません。しかたなく入場券を買って改札内に入っておく必要がありますが、自分だけが名古屋駅に徒歩で出向けることですし、入場券(当時120円)くらいの出費はやむを得ません。
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これも硬券です。新幹線の見送り客が多かったこともあり、新幹線の出札窓口には常備されていました。

今池さんは、名古屋市内在住でしたが、名古屋駅からはちょっと遠くて地下鉄に乗らなければなりません。しかし国鉄千種駅までは歩いて行けました。ただ地下鉄は日中4〜8分間隔で運転されていたのに対し、当時の国鉄中央西線は列車本数が少なく、朝の9時台でも名古屋行は5本しかなく、中央西線の名古屋市内相互駅間の需要は少なかったのです。今池さんも、新幹線に乗るならともかく、近鉄に乗るために名古屋駅に行くのに国鉄中央西線を利用しようなどとは考えもしていませんでした。しかしこのときは、事前に南木曽さんから電話があったので、国鉄千種駅から、中央西線の列車に乗ることになったのです。

家の都合で、若くして退職し、このとき長野県南部にある奥さんの実家で家業を継いでいたのが南木曽さんでした。「おい、今池! “えいわくん”から名古屋駅の新幹線南乗換改札口へ10時に来いって言ってきたけど、名古屋駅なんかめったに行かへんで、集合場所がわからんわ。俺が乗る電車に千種で乗ってくれんか。千種を9時22分のやつだ。」
「え〜っ! 10時なら、もうちょっと遅い電車にしやあ。」
「ばか、俺は家を7時に出て南木曽駅を7時24分の電車に乗って、中津川で乗り換えていくと、その時間しかないの! 南木曽を次の電車にしちゃうと1時間遅刻で11時になっちゃうわ! 京都から乗る奴らは京都駅に9時に集合らしいけど、こっちは距離が近いのに時間はかかるし電車もない。こんどは集合時間は俺に合わせろって、“えいわくん”に文句言ったるわ!」
「わかった、中央線に付き合ったる。千種を9時22分のやつに乗るでよう。」
と、こんな話になって、2人は中央西線の同じ列車で名古屋駅に向かうことになりました。
南木曽さんの切符はこういうのでした。
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これも硬券です。運賃は1260円で、北大路さんの硬券と同じように「千種・金山・名古屋間ゆき」と複数の駅名が書いてあります。
千種から乗る今池さんは、自動券売機で名古屋まで(140円)切符を買ったところ、金額式のこんな乗車券が出てきました。
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これは金額式と言われる切符で、着駅が特定されていません。

いちばん早く国鉄名古屋駅に着いたのは、中央西線の普通列車でやってきた南木曽さんと今池さんで、9時34分着でした。10時の集合時刻まで時間がありますが、久しぶりの再会なので改札から出ずに、集合場所の新幹線南乗換改札口の在来線側の改札内で、立ち話をして時間をつぶしました。
「おい三留野!」
「いいかげん、旧姓で呼ぶのやめれよ。南木曽やって!」
「すまんすまん。寮で相部屋だった時の癖が抜けんもんやで…」
南木曽さんの旧姓は三留野でした。同郷の女性と結婚して養子に入ったところが、奥さんの父親が急に亡くなったので、そこの家業を継ぐことになり、会社を退職したという経緯なのでした。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*

この続きは次回とします。
今回、例示した乗車券見本は必ずしもその時期に発行されたものではないので、金額が違っていたりしました。そのため発行日付も含めて修正や書き込みをしています。すべて名古屋駅まで有効な乗車券ですが、いろんな様式があるのだということがお伝えできればよいという趣旨ですのでご了承ください。

車掌をやっているときには、ほんとうにいろんな乗車券に出会いました。その種類によって取扱が違ったりします。試験を受けて、車掌になる前3か月間は、旅客営業に関する規則をはじめ貨物や運転法規や実務全般について教育を受けましたが、日頃の乗務列車の経験がものをいいます。「田舎の学問より京の昼寝」という諺がありますが、大ターミナル地に所在する車掌区に配属されると仕事量は多く、当然レアケースも多く経験して焦ったりする機会が多く、自然と覚わることも多かったものです。反対に地方線区の車掌区に配属されれば逆で、仕事量と得られる知識量は比例するものだろうと思います。その代わりに、地方へ行けば職場内や乗務員同士の結びつきは固く、駅員や乗客とも結びつきがあって、仕事以外での潤いの度合とは反比例の関係だったのだろうとも思います。
ここに登場する同期生たちは、仲良しという設定です。たとえば友人たちを踏み台にして昇進していく者にはわからない連帯感がそこにあります。社内の地位に差が付けば、こういう友人関係は薄まっていくようにも感じます。彼らは、たぶん35年経った今、早く退職した南木曽さん以外は、会社では皆、可もなく不可もなく、たいしたポストに至らなかった代わりに、こだわりを持った仕事を続けて定年を迎えたのだろうと思います。そしてきっと今も同じようにみんなで集まっているのじゃないかなあとも思うのです。




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コメント(12件)

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懐かしい様式ですね。自分も京都発の同じ様式のを持ってます。56年に八条口で入手しました。勝川からの利用で安土まで買って乗り越し清算してましたが試しに京都まで買ったら
京都ゆきで途中下車の思惑が外れました。
中央西線
2017/05/18 16:59

 こんばんわ

 1982年は、国鉄民営化が、新聞報道された年でしたね。
まさか、5年後にJRが誕生するなんて思ってもいませんでした。

 運転士の仕事は、ブレーキ操作の頻繁な国電が難しく、停車駅の少ない特急は、比較的楽でした。(個人の考えです)
 しかし、車掌の方は、国電では、ラッシュ時におけるドアの開閉や優等列車は、乗り継ぎ、この様な乗車券の種類の多さ等、乗客対応に苦労されたかと思います。

 取扱基準規定、規則とか頭に叩き込まれ、状況によっては
最善の道を考えなければならず、乗務員はその場での判断に
迫られた事もありました。(列車指令なんてない時代でしたから)
「今日は、何事もなく終わりますように」と祈りつつ乗務をしていた自分を思い浮かべました。

 同期とはいいものですね。地位、立場の違いはあれ
30年以上経ても気軽に話会えるのが何よりです。
クハ381-111 
2017/05/18 19:43
中央西線様
私は切符を集める趣味はあまりないのですが、自分が使用したものは極力手元に残るようにしていました。先の駅まで買って途中下車という手はよくやりました。中山道歩きをしていた時、くだらない思い付きで、「名古屋〜野洲」を買えば用が足りるのに、駅名が似ていて面白いからと、余分な出費になるのを承知で「新守山〜守山」を買って、野洲で途中下車したこともありました。しかしそういうことは例外であって、自分の旅行記録という点が重要なので、デジカメが普及してからは、よほど変わった切符を買ったとき以外は、買った切符を画像に残したり、発行された領収書に行先など必要事項を書き込んで保存し、切符は普通に回収していただくようになりました。
しなの7号
2017/05/18 20:15
しなの7号様こんばんは
いきなり富吉へぇ〜近鉄の富吉みたいw
なになに永和・・・おやおや
で京都の雅なお名前が出て
あっ!ネタや
このお話楽しいです

3年くらい前新守山で4ヶ月程暮らしましたが
名古屋まで240円と破格
大曽根からなら200円です
私も昔なら地下鉄だったで国鉄を使わなかったです
今は本数も多いので名古屋から大曽根で降りる人は本当に多いです

硬券良いですね
刈谷はハサミの形が□でした
名古屋はお城のマークと教えられました
硬券に入鋏するとすぐ切れ味が悪くなり
名鉄の軟券が切れなくなります
刈谷は名古屋市内から当時百数十円でした
東京から新幹線ひかりなどで名古屋駅まで乗り折り返すとその金額が必要
同じ切符で豊橋や三河安城駅で降りて在来線で刈谷駅まで来た場合はまだ前途があるので特に料金は要りません
申告なので集札で手持ちの切符と乗り越し料金を準備されている方がほとんどですが
切符だけ出されたかたには名古屋から来たかどうかをお尋ねしなければなりません
実際改札補助をしていて
豊橋駅で新幹線を降りて来られた方は
たくさんいるようでほぼいなかったです
なかには見たこともない切符を出されたことも多いです
ヒデヨシ
2017/05/18 20:17
クハ381-111様 こんばんは。
今思うと、わずか5年の間に、国鉄が急激に変化していったことを改めて感じますね。運転士同様に、車掌でも特急は停車駅の間隔が長いので、車内改札や難しい乗車変更などに遭遇してもある程度落ち着いて仕事できる利点はあります。かたや武豊線や美濃赤坂線、競艇開催日の岡多線などは時間との戦いになる割に、切符の単価が安いので手間の割に売り上げが少なくて疲れだけが残りますわ。その意味では名古屋圏では中央西線のローカルは気が楽でした。乗務範囲の無人駅が少ないのに加え、地元民が多く難しい切符に出会うことが一番少なく、車内補充券の発行件数自体が少なかったですから。
列車掛になる前に、中部鉄道学園で4か月半の寮生活を送りましたが、そのときの同期生の方で、個人的な付き合いをしていただいている方は、退職して30年も経つのに複数人あります。「同じ釜の飯を食う」という日勤サラリーマンにはあまりない鉄道員ならではの連帯感があったように思います。
しなの7号
2017/05/18 21:30
ヒデヨシ様 こんばんは。
そういうことです。くだらんことを書いて申し訳ありません(*^^)v
中央西線の名古屋市内相互間の需要は、国鉄時代とは大違いですね。運転本数の増加もさることながら、名駅地区の発展と金山の総合駅化というのも影響しているのでしょう。ナゴヤドームの存在もありますね。
硬券入鋏時のパチンという音は気持ちいいですね。名古屋は城の形か、なるほど!
東京都区内から刈谷へ行くとすると、実態としてはひかり号で名古屋経由の方が圧倒的に多いと思いますね。東京都区内発名古屋市内着の原券で「別途片道・大高〜刈谷」の車補はよく書きました。車掌になった1981年のときには150円でしたが、ほぼ毎年運賃改定があり、その運賃に慣れたころに変わることの繰り返しでした。
しなの7号
2017/05/18 21:37
おはようございます。
旅行会社で乗車券を購入されたお仲間は居られなかったのでしょうか。
キヨウト

ナゴヤ
タイプ打ち表記の大きめの切符になったかもしれません。もしくは片道補充券?
無札で入場してしまったお仲間が途中駅改札内で申告されたら、
「係員が大変面倒臭そうに窓口へやって来た、カーボンを挟んでの手書きだった」なんて出札もしくは改札補充券を見せられたかも。
南木曽からの切符には検札鋏痕が入っていますね。私はB型乗車券で検札の鋏を入れられた記憶がありません。鋏を使用せず鉛筆もしくは赤鉛筆でピシッとチェックを入れらたときはちょっとガッカリでした。
京都駅オープンカウンターみどりの窓口では、この頃まで新幹線駅までの切符専用窓口があり、旧型マルスが残っていました。お仲間がそこで指定券を買われたら、あの、ハンコ屋のように活字棒を積み上げた窓口だったと回想されたかもしれません。もっとも自由席なら硬券2枚が出てきたでしょうけれども。
NAO
2017/05/19 04:23
NAO様 こんにちは。
このころの京都駅で名古屋まで片道でと申告したら、ここに掲げた2種と、カタカナ印字の横長の券がいちばんポピュラーだったのではないかと思いました。その頃の京都では印刷発行機発券の乗車券には、着駅3駅表示の様式もあったと思いますし、印刷発行機によっては指紋が付いて汚くなるような切符もあって、発券される切符の様式は窓口や条件によってさまざまだったでしょう。
私はそのころの地元名古屋駅でさえ、どの窓口でどんな様式の乗車券が発券されていたのかも興味がありません(自分が使うのなら気にしたかもしれませんが、買わないから)でしたから、当時の京都駅の窓口の実態を全く知りません。地下鉄と近鉄で来た人なら別々の窓口で乗車券を買うのだろうという程度での設定でした。高槻さんとか殿田さんなど登場人物を多くしてもよかったですが、このあとの話が面倒でわかりにくくなりますので、京都から新幹線に乗車された登場人物は、着駅単駅表示の普通乗車券・3駅共通表示の普通乗車券・新幹線回数券と3種類の乗車券を所持して登場人物3人が名古屋まで行くという設定とさせていただき、画像は、代表的な様式と思われる切符を当時の金額に変えたり無理やり作りましたので、ご了承ください。この話は次回に続きます。
しなの7号
2017/05/19 15:46
しなの7号様、こんばんは。
小倉さんのご自宅最寄り駅から2駅目(1979年3月迄は隣駅でした)…
この駅を自宅最寄り駅(注)として幼い頃から現在まで利用、しかも現在通勤にも利用している温泉野郎早玉。小倉さんが早玉に出会った事がある可能性、大いにありますねぇ。
『あのヌボーッとした奴、昔っからよく近鉄の車内でみかけるなぁ』と小倉さんが言ったかどうか…???

(注)厳密には、京阪の駅の方が自宅に近いです。

硬券、手にした時の何とも言えん『どっしり感』が凄く良かったです。自動改札対応の磁気乗車券はペラペラですからね…

次回の展開が楽しみです。皆自宅が遠くバラバラになっても『よし会おう』と言って集まれる人間関係って、良いですね。仕事上で共に苦しみ、喜びも分かち合ったからこそ出来る事だとおもいます。
出世の為に友人を蹴落とす奴、『〜長』の役職が付いて勘違いして急に威張り出す奴、私は複数人見てきましたが、仕事するのに人間性を捨てる必要ないでしょうと、おもいます。変貌後の横暴な態度がコイツの本性だったのか?なんておもうと悲しくなったものです。

指宿枕崎線篇は見てなかったもんで、本日は15時から呑み鉄再放送見ました。保育園のお子さんと六角さんが手を振るシーンがほのぼのして『早玉ベストシーン』でした。ここ数年は日本酒、地ビール、梅酒を主として呑んでおりましたが、番組を見ていると無性に芋焼酎が欲しくなり、自宅に眠っていた芋焼酎を引っ張り出して久しぶりに呑みました。
はやたま速玉早玉
2017/05/19 23:01
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
小倉さんの家から至近でしたか。小倉さんは、もともと名古屋人で、転勤でそちらに行かれた方です。あまり地理には詳しくなくて、渡月橋と観月橋を混同されて嵐山はこんなところかと思ったそうな。

IC乗車券が主流になって、切符を手にすることさえ少なくなったこの頃。切符収集の趣味がなくても、硬券が窓口から出てくると記念に持ち帰りたくなりますね。

実際には、なかなか7人もの仲良しグループは長続きしにくいと思います。2階級特進して久しぶりに会った方が「友だちが減った…」とこぼしていたことがありますが、仕事上の立場が変わると共有するものがなくなってくるようにも思います。会社内でそれなりの地位を得れば社会的、経済的には恵まれるわけですが、より大切なものを代わりに捨てなければならないこともあるように思います。どういう道を選択するかは人それぞれですね。

飲み鉄の再放送がありましたか。普通の旅番組だと「特急 指宿のたまて箱」に乗っちゃうんですけど、それがないのがいい。旅の本来あるべき姿に徹していて好感が持てます。
しなの7号
2017/05/20 10:00
しなの7号様 こんばんは。
冒頭、いきなり実家の住所が出て来て、どんな話なのかとビックリしました(笑)なるほど、切符のお話ですね。過去にも書いたことが有りますが、父の実家は原野ですから、帰りに切符を買うと、南木曽さんのような様式の切符を手にしたような記憶が有ります。今では金山が便利になったので帰路は金山乗り換えが当たり前になりましたが、当時でも名古屋の混雑を避けて、金山から金山橋まで歩いた事も有りました。また懐かしい時代を思い出すブログありがとうございました。
しげぞう@
2017/06/01 03:01
しげぞう@様
南木曽駅を起点駅に設定した理由は、名古屋までギリギリ100q未満で、一駅でも乗り越すと240円も高くなる駅だからでした。ちなみに須原〜名古屋間は100qを超えていて(114.4q)当時1500円。永和まで乗り越す場合は、京都から乗った人たちと同じ計算方法になります。
金山駅は総合駅になる前は鶴舞とともに停車駅通過要注意駅と言ってもいいくらいでしたが、駅周辺も含めて国鉄時代とはまったく変わりましたね。
しなの7号
2017/06/01 10:23

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