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zoom RSS 【811】 乗り鉄12か月…1982年7月 北陸・信越

<<   作成日時 : 2017/07/06 06:30   >>

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私が全国の旧国鉄の未乗線区に乗り始めたのは、国鉄退職後だが例外もあって、人に誘われて日帰りか1泊程度で出かけたことなら少しはある。1982年、普通車掌をやっていたころのこと。にわかに宮脇俊三著「時刻表2万キロ」を読んでその気になったらしいY君と2人で、国鉄未乗線区に乗りに行くことにした。主な行先は越美北線と小海線であったが、その時の2つの線区のことは、ほとんど記憶に残ってなくて、むしろこの時の旅で乗った信越本線の急行列車のことのほうが印象に残っている。「チャレンジ2万キロ」のキャンペーンが始まって2年ほど経ったころであった。
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名古屋11:15―(5Mしらさぎ5号)―13:30福井 

Y君とは名古屋で待ち合わせた。Y君はたぶん勤務明けだったからこんな遅い出発になったのだと思う。その日の米原の駅弁「鱒寿し」の箱があるから、たぶん車内で買って食べたものと思うが、まったく記憶にない。
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地平にあった福井駅。雷鳥が発車していった。
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福井14:28―(131D)―15:32越前大野

越美北線の終点駅九頭竜湖まで通す列車は今も昔も少ない。次の九頭竜湖行列車までは時間があるので、その前の越前大野行の区間列車に乗って、とりあえず越前大野まで行った。途中の美山で反対列車と行き違った。
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越前大野では、駅前にこんな蕎麦屋があった。
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あいにく食事時ではないし、店には入らなかったが、「国鉄そば」とは、いかなる蕎麦なのか非常に気になった。
ところでそれから14年後、私は国鉄を退職していて、出張で石川、福井県下を巡ったことがあった。県外に出張することなどめったにないことだったので、ついでに越前大野駅に立寄って、国鉄分割民営化後に、この店の蕎麦が、頑なに「国鉄そば」を守っているか、はたまた軟弱に?「JRそば」になったのか、確かめた。

現地に行くと建物はあったが、すでに廃業されたらしく、看板はなくなっていた。
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つい最近もここを自動車で通ったが、まったく気付かずに通り過ぎてしまった。また気になったので家に帰ってからGoogle Earthで確認したら、どうやら建物自体がなくなっているようだった。

越前大野16:47―(133D)―17:25九頭竜湖

幸いにも夏場だったので、夕方であったが九頭竜湖行の列車が終点に着くまで日が落ちることはなかったが、山岳部に入るので長大トンネルが連続して、夜みたいなものであった。
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九頭竜湖17:30―(136D)―18:59福井

終点の九頭竜湖では、慌ただしく5分で福井まで折り返し、この日は夜行列車を宿として利用した。このときは精勤乗車証(国鉄職員に一定の基準で精勤乗車証が交付されていた。)を利用していたので、夜行急行列車の自由席普通車で一夜を明かせば追加運賃料金は必要なく宿泊費が節約できた。

福井20:34―(3604レ 急行「越前」)▲―7:05上野

急行「越前」は福井始発の長野経由上野行であった。
AB寝台車にグリーン車、普通車と荷物車を連ねた旧形客車で機関車は途中のどこか、たぶん富山まではEF70が牽引していた。このころ北陸対首都圏の夜行列車は長野経由の急行「越前」のほかに、金沢着発の長岡経由特急「北陸」と急行「能登」があった。編成から列車としての格付けをすれば「北陸」>「能登」>「越前」と思われた。このときは始発駅から確実に座っていきたいという思いで「越前」を利用したが、軽井沢〜横川を含む信越本線の篠ノ井〜高崎間が自動的に初乗りになることも好都合であった。深夜にもかかわらず、駅弁に掛けられていた紙紐を、垂直であるべき窓枠に沿って垂らし、窓枠とズレているのを見て傾き具合に納得したりして遊びながら寝不足のまま上野に着いた。意外なことに高崎を出てから短距離利用客が続々と乗り込んできて、空いていた座席が埋まった。
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上野7:53―(1301M「「妙高3号・志賀1号」)―10:53小諸

上野まで夜明かしする場所として夜行列車を利用したが、次の目的地は小海線なので、また今来た線路を小諸まで戻ることになる。
夏休みの月末、土曜日の朝だから上野駅は混雑していた。乗った列車は169系11両編成の急行「妙高3号・志賀1号」で、このうち3両が途中の屋代で長野電鉄線に乗り入れて湯田中まで行く「志賀1号」で、本体の「妙高3号」は妙高高原行である。
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自由席の並び位置には長い行列ができていたから、立客が出そうな状況であった。いくら自由席だと言っても、我々国鉄職員が一般のお客様を立たせておいて座席を確保したところで肩身が狭く居心地も悪いから、座ろうなどとは考えず、その代わりに最後部の乗務員室に出向いて、専務車掌氏に我々が職員であることを明かしたうえで、最後部の指定席車のデッキに立っていてよいか確認して了承を得た。ちなみに指定席車というものは、座席に座らずデッキに立っていても指定席料金が要るものである。このように自由席が混雑して乗り切れない場合で、やむを得ず指定席に自由席の乗客が侵入せざるを得ない場合だけは黙認されるだけのことで、混雑の度合が大したことでなければ自由席車両に追いやられる。一般客ならそういうことは知らなくてもよいが、国鉄職員で、それも現役の車掌が知りませんでしたでは済まないから、事前に了解を取っておくほうがよかろうということだ。この日の混雑状況から考えれば、自由席で通路を占領するより、最後部の誰もいないデッキならお客様にも迷惑をかけないし、こちらもラクである。備え付けのくずもの入れの上に座って上野で買った駅弁を食べたりして小諸までの3時間を過ごしたから、仕事で他区持ちの列車に便乗させてもらっているようなものであった。
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おかげで将来の急行乗務にあたって他所の車掌区の仕事ぶりを見学もできたし、横川と軽井沢ではEF63の連結解放も間近に見ることができた。

小諸11:54―(236D)―14:33小淵沢

小諸では小海線の列車まで1時間ほどの待ち時間があったから、大急ぎで懐古園へ行った。
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そして小海線の普通列車には座ることができたが、夜行翌日の午後であったから、小淵沢までの全区間のほとんどを寝て過ごしてしまい初めての小海線も最高地点を確認したくらいのことで、なにも記憶に残っていない。もちろん、この釜飯を買ったことも記憶に残っていないが、製造年月日がこの時買ったことを教えてくれている。
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小淵沢15:05―(431M)―17:05塩尻

この時点で私は中央東線の辰野以東が未乗だったので、初乗りになった。なお塩嶺ルートの新線(みどり湖経由)が完成したのは、この1年後であった。小野〜塩尻間にあったスイッチバック式の東塩尻信号場もまだあった頃だが、乗った列車は通過だったので、スイッチバックすることはなかった。

塩尻17:20―(806M急行つがいけ)―19:07中津川

塩尻まで来ると、荷扱時代の乗務範囲なので、地元に戻った感じがして旅も終わったような気になる。ここからは、あえて特急でなく急行「つがいけ」に乗る。その9分後に特急「しなの14号」があって、急行を追い抜いて名古屋着時点では30分以上差がつくが、相棒のY君も私も、わざわざ特急券(精勤乗車証では特急券は別途購入しなければならなかった)にカネをつぎ込むような性格ではないことはお互いわかっている。土曜日夜の上り列車は概して空いているものだが、「つがいけ」も例外ではなかった。名古屋まで行くY君とは中津川で別れた。

この「つがいけ」の車内放送は、この旅のなかではいちばん聞き取りやすくて最高レベルだと思えた。Y君と私は当時普通車掌で、その声の主は雲の上の存在であったが同じ車掌区の車掌長氏であった。そういう大先輩が活躍する同じ車掌区に所属しているというだけで誇らしいと思えた。そして今、某鉄道会社でY君は後進の指導に当たっていて、その技量には定評があるというし、彼の乗務した列車には過去に何度も乗ったが、いつ車内放送を聞いてもY君であることは最初の一声でわかったものである。国鉄を経験したJR社員は、近いうちにいなくなるだろう。そのあとも国鉄の「よい伝統」は絶えることなく受け継がれていってほしいものだと思う。

この旅で乗車済となった未乗区間
越美北線 越前花堂(南福井)〜九頭竜湖 52.5q
北陸本線 富山〜直江津 117.8q
信越本線 戸倉〜高崎 96.3q
小海線 小諸〜小淵沢 78.9q
中央本線 小淵沢〜辰野 46.2q




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コメント(6件)

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しなの7号さま、こんにちは。変形タイプの北陸信州一周旅行ですね。チェレンジ二万キロも懐かしいです。乗りつぶしは興味がありませんでしたが、当時のトクトクきっぷ(今や死語)の特製バッグを国鉄から貰ったことがあります。委託されたヤクルトのおばさんが自宅まで届けてくれ、驚きました。確かに、夜行急行や鈍行を宿代わりに使うと、翌日が辛いのがこたえるのですが、今思うと懐かしいです。上諏訪駅のホーム温泉とか、重宝されたのも。国鉄そばも、名古屋鉄道の構内売店的な感じで面白く、駅そばは究極の日本のファストフードですね。提供と食うスピードならマクドナルドの比でないかと(笑)
hmd
2017/07/06 15:00
hmd様 こんにちは。
私はそのころ乗り鉄という分野には足を踏み入れてはいませんでしたから、誘われなかったら行かなかった未乗線区巡りでした。Y君ほかの同僚には他所にも誘われましたが、私は参加しなかったので、清水港線には乗れないままになってしまいました。

ヤクルトおばさんの登場とは、国鉄→ヤクルトスワローズの関係なんでしょうかね( ◠‿◠ )

夜行は、高校生の頃に撮り鉄旅で集中的に乗りましたが、その後はあまり使っていません。「国鉄そば」は駅前にあったので、やはり駅そばタイプのファストフードだったのでしょうか。まさか国鉄OBの頑固な店主が打つこだわりの蕎麦…ではなさそうですね。駅そばは、まさに日本のファストフードですが、私は猫舌なので食べるのに普通の人の2倍くらいの時間がかかります( ^ω^ )
乗り鉄旅では車内飲食がしにくそうな場面で「駅そば」にはよくお世話になりました。
しなの7号
2017/07/06 15:41
しなの7号様、こんにちは。
前回の【810】撮り鉄12か月に引き続き、移動に急行が大活躍してますね。私も10〜15早く産まれていたら…急行活用しまくり、昭和の鉄道を大満喫できたかも。当然、巡りあってきた人間関係もほぼ全て変わってきて、今とは異なる職に就き、結果、全く違う人生を送っていた事でしょう。
越前…私も感じていましたが、能登より『格下』ですね(´д`||)
@愛称名の響き、A経由路線(信越本線)、B能登と比較しての格下感、以上を理由として、越前の方が親近感がありました。乗車する事はできませんでしたが/(´д`、)
何故だか急行白兎よりも丹後、みたいに格下感が漂う列車の方が昔から親しみを感じてました。これも何故かよくわかりませんが、急行丹後、急行越前、さらには急行きのくに、急行紀州って、声に出して言いたくなる時がよくあります。

急行志賀の湯田中行きも面白い列車ですね。4月に志賀高原、熊の湯温泉訪問した際に長野電鉄利用しただけに、より一層興味深く感じるのかもしれませんが。遅咲きの桜と風光明媚な車窓、何とも言えない信州の美しさを体感しましたが、昔は何とここに165系がやって来た!言葉になりません…
はやたま速玉早玉
2017/07/07 11:09
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
時は上越新幹線の開通直前。このあと急行は次々と廃止になり、同時に枝線や私鉄へ直通する列車もなくなっていくことになります。今では急行か特急かの選択も、経路を異にする列車の選択もできなくなりました。新たな新幹線ができ、高速道路網が充実し、交通体系が変わったことで移動手段は格段に進化し便利になったのですからよいのですが、鉄道趣味の領域で言えば、なんとも面白味がなくなったことになりますね。私たちが趣味として楽しんでいるのは、不便さの中にこそあるように思えます。その時々の技術を結集して試行錯誤で新型車を開発し、スイッチバックを作り、ループ線を作り、アプト式を採用し、乗り換えの手間を省くための分割併合、私鉄乗り入れなどなど、知恵を絞り費用と手間暇をかけて走る鉄道に惹かれ、それに乗ってそれを撮って感動を得ているのですから。
私も偉そうに走っていく特急よりも急行のほうに親しみを感じる人種です。このときは行程上金沢始発の「能登」に乗るには福井から特急を使わないと間に合いませんでしたから、事実上「越前」しか選択肢はありませんでした。自由席が能登より多かったのもありがたかったです。
しなの7号
2017/07/07 13:46
しなの7号様、こんにちは。
ボンネット雷鳥、凛々しくて地平の福井駅に似合っていると思います。私が越美北線からの帰りにボンネット雷鳥に乗り換えたのはJR化後で、そのときは凛々しさはというと.....?です。
専務車掌氏にデッキ立ちの了承依頼ですか。国鉄職員同士のやりとりってどんなのだったのでしょうか、すごく気になります。急行志賀は小学校2年の冬休み、善行寺から野沢温泉まで戻る長電普通電車が信州中野に着いたときに湯田中行きの志賀が追いついてきて、それこそ地方の私鉄駅で見る国鉄急行型電車の威厳さを感じたものでした。ちなみに急行型車両一端の戸袋部分には2人掛けS席がありましたが、指定席車ではどのように運用されていたのでしょうか。
私は小海線には小淵沢側から乗ったのですが、単行の確かキハ52の車内はカップルや女の子ばかり、辛うじて座れた一人のテツ(私)は肩身が小さく、これほど乗るのが辛い列車はありませんでした。

NAO
2017/07/09 11:23
NAO様 こんにちは。
私が昭和60年に「みどり」で乗ったクハ481は、国鉄時代だったのに、くたびれ方はそうとうなものでした。
妙高号のカレチ氏は「クソ忙しいのに! ハァ?職員? お客に目立たんところで立っとれ」という感じが伝わりました。S席はこういう混雑時には増収用に活躍していたのだと思います。〇バッジか□バッジかでも対応は変わるのでは?

他社乗入れ列車は少なくなりましたが、先週は木曽あずさ、今週は諏訪しなのが運転されており中央東西線の直通をしていますね。今や長野電鉄屋代線は線路そのものがなくなりましたが、廃止前に長野電鉄屋代線へ乗りに行ったときにはヘロヘロ感が漂い、169系急行志賀が入っていたのがはるか遠い昔だったことを感じました。

観光地の鉄道は、おひとり様向きではないので一人で行く度胸がありません。小海線も数回行ったはずですが1人で乗ったことが一度もなく、黒部峡谷鉄道など未乗のままです。平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線に乗ったときは連れ合いがなく、あいにく1人でしたが、なるべく遅い時刻の列車を選んで乗ったので正解!(^^)!でした。
諏訪しなの7号(本日臨時運転中)
2017/07/09 14:02

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