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zoom RSS 【812】 急行「越前」号の謎(前篇)

<<   作成日時 : 2017/07/10 06:40   >>

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先日、国鉄時代に福井〜上野間に運転されていた急行「越前」の普通車自由席に乗ったことを書きました。今回はその時体験したことを書いてみます。
まず、急行「越前」についてプロフィールを書いておきましょう。
私が乗ったのは1982年7月でした。
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始発の福井でEF70の1000番台が先頭に連結されていた記憶がありますので、おそらく富山でEF81 に交代して、列車の進行方向が変わる直江津から先はEF62 がけん引し、横川〜軽井沢間ではEF63 の補機が連結されたと考えられますが、それらの機関車交代劇について当日確認はしていません。

そのころ首都圏対北陸の夜行列車は、長岡経由の特急「北陸」と急行「能登」(以上2往復は金沢発着)と、長野経由の急行「越前」(福井発着)とがありました。このうち2本の急行「能登」と「越前」はどちらも旧形客車で組成され、AB寝台車とグリーン車、普通車を連結した列車でした。
下は時刻表1982年6月号からの転載画像です。
画像

この3か月半後に上越新幹線が開業した時点で「越前」が廃止され、それまで金沢発着で長岡経由だった「能登」が長野経由に変更されて、その代役を引き受ける形になって、そのときから使用車両が14系客車になりました。

その急行「越前」廃止直前1982年夏の急行「越前」の主な駅の発車時刻(終点は到着時刻)は以下のとおりです。

【下り603列車】
上野20:53⇒高崎22:27⇒長野1:00⇒直江津3:02
 ⇒富山4:50⇒金沢6:01⇒福井7:11

【上り606列車】
福井20:34⇒金沢21:44⇒富山22:50⇒直江津0:46
 ⇒長野2:39⇒高崎5:18⇒上野7:05

次は急行「越前」の編成です。これも時刻表1982年6月号からの転載画像です。
画像


私は上りの上野行に、始発駅の福井から終点まで全区間に乗りました。福井駅ホームに編成が据え付けられたのは、発車時刻までは相当時間がある早い時刻でした。自動扉でもない旧形客車でしたから、真っ先に先頭の9号車(オハフ45)に乗りました。
画像
(画像は当日の撮影ではありません。リニア鉄道館に保存展示してある同系列車両スハ43の画像です。)

まさに一番乗りで、乗った時この車両には他には誰一人といませんでした。これで一夜を明かす場所は確保できたと落ち着いているところへ、専務車掌ともう一人は駅の助役か忘れましたが、とにかく2人が乗ってきて、私たちに、この車両は回送車だから後ろの車両に移動してくれと言うではないですか。このころには他にもわずかでしたが乗客が座っていたように記憶します。そうであれば事前に施錠しておくのが筋だろうと思ったのですが、しかたなく後ろの車両(8号車)に移りました。まだ8号車にも空席はかなりあったので、そのために席にありつけなかったという不利なことにはなりませんでしたが、とにかく先頭の9号車は無人になって、その場で施錠されました。それにしても、乗車できる状態になっていた客車を、わざわざ回送車にするのはなぜなのか説明はありません。そのとき回送にして追い出された理由を私は考えました。その日は金曜日だったので、多客対応のため途中の金沢か富山あたりから乗車してくる乗客の便宜を図る目的で、一部区間を回送扱いとしたのでしょうか?。そう考えたのは、私がそのころ乗務していた武豊線には、混雑する朝の通勤時間帯の列車に、始発の武豊駅から一部車両を、最も乗車人数が多い途中の亀崎駅まで回送扱いにして、亀崎駅から客扱いにするという運用が本当にあったからです。

【571】 思い出の乗務列車49:武豊線927D(前篇)

【573】 思い出の乗務列車50:武豊線927D(中篇)

それともう一つ似た理由で考えたのは、途中駅からの団体乗車の可能性でした。この列車には普通車が5両連結されていましたが、全部自由席で普通車の指定席車がありませんでした。臨時座席指定車、または貸切車として途中駅から団体客に貸切使用させるという推測です。しかし、私の推測は両方ともハズレで、終点の上野まで乗客が乗ってくることはありませんでした。

それから、この列車の福井発車前に流れた車内放送で、困りごとが起きていたことを知りました。
その車内放送では、
「1号車から4号車までは寝台とグリーン車指定席です。5号車から8号車までが自由席です。3号車は寝台車故障のため、グリーン車に変更しています。
と告げています。
画像
廃止まであと3か月半の時点で、廃車寸前の旧型客車には、かなりガタがきていたであろうことを想像させる出来事でした。これも、車掌として推測すると、時期的には冷房故障ではないかと思いました。旧形客車の冷房車に乗務したことはありませんでしたが、いつも取り扱っていた急行用気動車では、冷房電源エンジンがうまく起動できるかということは、夏場の一番の関心事であって心配したものです。発電用エンジンから電力を供給する気動車の冷房は、往々にして特別暑いときに故障することが多くありました。外気が高ければ冷房電源エンジンに負荷がかかるわけですから当然のことです。冷房の不具合については、以前に、【506】冷房車(後篇:不具合(-_-;))で、書いています。

この急行「越前」の場合は何が故障したのか、車内放送では触れられませんでしたからわからないままでしたが、わざわざ切り離したということは、修理ができない程度の故障だったのでしょう。そこで、故障車は切り離して、代わりに余っていたグリーン車で代用したということです。ホームに出てみると、確かに3・4号車はグリーン車スロ62(スロフ62だったかもしれません)が連続していました。3号車は寝台車の代わりで、4号車は本来のグリーン車です。

車内放送によれば、故障の3号車の寝台券を持っている乗客にはグリーン車に乗ってもらい、寝台券は払い戻しということのようで、証明をするから降車後に駅の精算所に行くようにということが伝えられましたが、回送車となった「9号車」についての説明は一切なく「5号車から8号車までが自由席です。」で最後まで通していました。

旧形客車で組成された急行越前号は、旧形客車独特の大きなブレーキ緩解音が発車の1分くらい前にあって、すでに近代的な電子音に変わっていた発車ベルが鳴りやむと、EF70のホイッスルが鳴り、続いて自動連結器のガクンという大きな衝撃とともに定刻に上野に向けて発車しました。

EF70の後ろには施錠された回送車のオハフ45、その後ろに普通車が4両。続いてグリーン車が2両でそのうち1両は故障したB寝台車の代用、その後にB寝台車、A寝台車、荷物車が各1両ずつで計10両を機関車が引っ張るという編成です。

9号車のオハフ45が回送車になった理由は、先ほど書いたように途中駅で解錠されて乗客が乗ってくることはありませんでしたから、ほかに理由があるはずでした。もともと普通車自由席であるはずのオハフ45は非冷房の車両ですし、見た目からは接客設備上の故障はなかったと思われます。走行系の故障であれば切り離されるはずですから、いったい何のために回送扱にしたのか疑問のままとなりました。しかし、かなり経ってから、何のきっかけだったのかも忘れてしまったのですが、突然私なりの解答が閃いたのです。

長くなりましたので今回はここで終わり、来週の月曜日を予定している後編に続きますが、小難しい話にお付き合いいただければ幸いです。



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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
しなの7号様、おはようございます。
私は旧客急行が走っている姿はほとんど見たことがなく、朝の山科だったかで12系と混結の大阪行き「きたぐに」通過を見たことしかありません。
お書きになった記事の1年前ですが、高校2年生にあがる前の春休み、夜の富山駅の降り立ち、みどりの窓口を覗くと年配女性と少女が上野までの切符を買っておられるシーンが印象に残っています。自由席なので硬券の都区内行き乗車券と急行券を2枚ずつ求められ、窓口氏に「座れますかね?」「乗ってみないとわからないね」「まだだいぶ時間があるねえ」。

私は技術的なことはわかりませんが、寝台車がス級グリーン車に代わったことで、横軽通過の際に積載、乗車重量を少しでも麓側に片寄せる必要があったから、同区間で最後尾となる1両を締め切り、福井での乗車開始後にそれに気付くいてあとから施錠した? 恐らく違いますね。
NAO
2017/07/10 07:42
初めまして
京都府北部に住む 旧客ファンです。
私も『越前』や『音戸』『山陰』『かいもん』『桜島・高千穂』などに乗車したことあります。
独特のBOXシートには懐かしい想い出がいっぱい詰まっていて、高校の修学旅行も 西鹿児島から姫路まで 夜行でこの車輌だったこと覚えています。
特に最後尾のデッキなど最高ですよね!
セノハチなどでは機関車の走行中の切り離しなど寝ずに見てたいたことも有りましたよ。
後篇も期待しています(^^v
marimo
2017/07/10 16:44
回送車輌については その頃 けっこう見かけましたよ。
営業車の前寄りか後ろ寄りに1両〜2両付けていました。
そういや、、ほとんど表示がされていませんでしたね。
marimo
2017/07/10 16:51
NAO様 こんばんは。
高校生のころ、朝の米原で全部旧形客車の急行銀河1号と続行する12系との混結急行きたぐにの撮影をしました。ともにEF58 けん引でしたが、なんとも対照的な編成の両者、撮り鉄としては銀河のシックな編成にものすごく惹かれましたが、翌年20系に置き換えられ、それが旧客時代の銀河との最初で最後の出会いでした。

長距離列車の自由席に途中駅から乗るには、諦めと期待感が入り混じりますね。自由席の混雑状況など窓口氏に聞いてもわからないでしょけれど、不安からつい聞いてみたくなる気持ちがわかります。自分はA型人間なので、最悪デッキで立つか新聞紙敷いて床に座る覚悟はしています。

私も技術的なことはわかりませんし、横軽の知識は趣味の域を出ませんから客車編成にも電車のような編成順の制限があるかどうかは存じません。しかし編成を見るとたしかに重いマニは麓側ですね。電車編成のような制限があるとすればNAO様のお考えが正しいのかもしれません。目の付けどころは私の推察と類似点がありますが、私の考えについて詳細は来週の記事中で書くことにします。
しなの7号
2017/07/10 19:52
marimo様 こんばんは。
ご覧いただきありがとうございます。
挙げていただいた旧客急行列車のうち、私も「音戸」以外は利用したことがあります。修学旅行は旧形客車に縁はなくて、中学のときは貸切の159系電車、高校の時は往復とも定期列車の混乗で往路が新幹線0系と153系、帰路が583系でした。

子供のころに乗車する気動車や電車は運転室後ろの遮光幕が閉められているのがデフォでしたので、やはり旧客の最後部が好きでした。いまでもワンマン車最後部から後方を見るのが好きで、車掌時代を含めて後ろ向き人生です(*'▽')

もとは撮り鉄でしたので、瀬野八には撮影に行ったことがあります。EF58+AB寝台とグリーン車を含む旧形客車12両+EF59屋久島2号は最高の被写体でした。
当時は旅客列車には回送車両を所定編成に増結する列車がありましたね。私も乗務しました。
【317】思い出の乗務列車6: 関西本線223列車(後篇)〜夜行寝台編成?
http://shinano7gou.at.webry.info/201210/article_1.html
今回のブログ記事の場合は所定編成のうち1両だけがなぜか回送扱になってしまった例です。
しなの7号
2017/07/10 19:52
おはようございます。

最初は、寝台車からグリーン車への変更よる定員減で、あぶれたお客用の席かとも考えましたが、しなの7号さんの記事から次のように推測しました。

オハネフ(オハネ?)からスロに変更になってしまったため換算両数増。
福井駅で、これでは重すぎて碓氷峠を通過できないことが発覚。
協議の結果、1両を回送扱いにして、書面上の換算両数減!
これでめでたく碓氷峠を通過できることに。

いかがでしょう?
通りがかり
2017/07/11 07:04
通りがかり様
私と同じ推測です。車種変更と切り離して考えていたので当日はまったく気が付きませんでした。次週(月曜日)に自分なりの解答の裏付けには至らないまでも、調べてみた内容を書きますので、見てやってください。
しなの7号
2017/07/11 08:02
しなの7号様、こんにちは。
実物を見た事ありませんが、越前の荷物車は青色のマニ37、下り列車の場合は新聞輸送で大活躍、しかし上り列車ではほとんど空車状態だったのでしょうか?新聞輸送は効率が悪かったみたいですね。

マニ、AB寝台、スロ、そして旧客の重厚な編成、特急の華やかさはありませんが、醸し出す夜汽車の雰囲気がたまりません。

4月の志賀高原温泉旅の帰路、湯田中駅から夜行バス利用、京都翌朝5時すぎ到着、そのまま職場に直行しました。@現地滞在時間が長くとれる、A出費を抑えられる、B旅行の勢い保ちながらハイテンションで朝イチから仕事に取りかかれる。以上のメリットありますが、夜汽車の持つ風情には勝てませんね。

『俺は横になって寝たいから寝台券買うとんねん、グリーン車言うても椅子やないか、横になれるよおにせえや!』と言ったややこしい客対策として、9号車をゴロ寝スペースとして準備した。

当然不正解ですね(笑)
珍解答、失礼いたしましたm(_ _)m

はやたま速玉早玉
2017/07/11 12:42
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
来週の記事で書きますが、当時の福井客貨車区にマニ37が配置されていたようで、たぶんそれが「越前」用だったものと思われます。他の荷物車と違って新聞用パレット輸送の荷物車でしたから、おっしゃるように下りでは大活躍だったと思います。荷物輸送方を調べたわけではないのでなんとも言えませんが、上りも時間的に見て新潟・長野県域の地方紙輸送にも使えそう? あったとしても量は少なかったでしょうね。自由席からA寝台まで取りそろえ、客層も幅広く、いちばん「夜汽車」というのにふさわしい列車に思えます。カッコよさというものではなく、それはどこか社会の縮図的な生活感が漂う魅力と言ったらよいのかも。

私の場合は夜行明けでハイテンションのまま仕事ができるほどの体力気力がなくて、もう夜行は無理です(*´ω`)

社会の縮図的な列車だからこそ、ややこしい客も多い列車だったのかもしれませんので、そんな対策も必要かもしれませんが、このときは夏休み中で9号車は非冷房ですから、ややこしい乗客はさらにややこしいことを言い出すかも…
それにしてもグリーン車のリクライニングシートで仰向けに寝るより4人ボックス占領が可能ならL字型で横向きに眠るのが最高だと思います。荷物は盗難対策も兼ねて枕代わり、タオルをハチマキ状にしてアイマスク代わりにしました。若いころにいろいろ試した結論ですが、昔の夜行列車を知らない世代に言わせれば、行儀が悪いとかマナー違反とか言われそうです。しかし今はそんな夜行列車はないですから、しようと思ってもできません。そういうのは165系の大垣夜行の時代までで、シーズンオフの上り東京行では、貸切に近い状態で、そういうこともできました。
しなの7号
2017/07/11 14:48
しなの7号さま。こんばんは。この頃の急行列車編成は、耐用年数ギリギリの旧型客車と比較的新しい軽量客車の混結が見られ、面白かったですね。夜行鈍行列車にも、寝台車があったのを若い鉄道ファンに話すと、信じられないようです(笑)謎の回送は、五能線で経験したことがあり、定期列車の3両編成の最後尾の1両が回送でした。車掌氏に言われ、したかなく移動したのですが、理由は話してくれず、わかりませんでした。仰る通りに団体扱いだったのかもしれません。ps 東能代から五所川原前の乗車予定でしたが、前の2両はすでに満席で、立ち席の通し乗車は辛いと判断しました。数駅先で下車し、東能代に引き返して、次発に乗車しました。
hmd
2017/07/11 19:48
hmd様 こんばんは。
機関車牽引の客車列車、夜行列車、寝台車などはリアルに見る機会がごく限られてしまって、お若い方々には現実的な乗り物としては理解できないのですね。時代は移り、こちらがジジイになったと感じることが増えて困ります(*_*;

回送にはそれぞれ理由があってのことなのでしょうが、営業列車に併結するときは、何のための回送なのか説明がないと乗客としては納得しがたいですね。
五能線で次発の列車にすると、予定が大きく狂ってしまうと思うのですが、そういう臨機応変な対応もできるような旅をしたいものだと思っています。
しなの7号
2017/07/11 21:09
初めまして。

国鉄時代のお話など、いつも楽しく懐かしいなかに、新鮮な勉強になる記事をありがとうございます。

今回の客車列車の話題に、思い出したことをコメントさせていただきます。

昭和48年頃ですが、西鹿児島からの日豊本線上り普通列車に、全検出場の客車(オハ35?)が付いていたことがありました。
ぶどう色ピカピカの車体に屋根はキラキラ輝いていましたが、ブラインドは全て降ろされていて、小学生の目にも回送にみえます。
ところがサボはちゃんと下がっていて、連結幌も繋がっていましたのでドアを開けてみるとガラガラと開きました。

薄暗い車内は、真新しいモケットとニス、塗料の匂いでうっとり?してしまいました。
他には誰も乗っていません。列車は動き出したのでブラインドを開け、緊張しながらすわっておりましたら、途中駅から他の乗客も加わり、巡回してきた車掌さんから咎められることはありませんでした。

確か、都城で切り離されたように思います。

トンネルでも車内灯が点きませんでしたので、本来は回送車だったものと思いました。

続きの記事も楽しみにしております。
今後ともよろしくお願いします。


3RT生
2017/07/12 00:32
3RT生様 こんにちは。
ご覧いただきまして、ありがとうございます。
全検上がりの車両のニスのにおいや、木床にひいた油のにおいは、もう体験できない嗅覚遺産?ですね。
日豊本線のご体験、私の勝手な想像をさせていただきますが、ブラインドが下げてあったのと電灯が点かなかったということから、建前上回送だったことは間違いなさそうですね。定期運用される編成は、電灯制御スイッチで全車一斉に電源投入が可能ですが、電灯が点かないのはそのツナギがされていなかったように思われ、列車を組成する運転サイドではあくまでも回送(本線試運転を兼ねる場合もあります。その場合は工場担当者が添乗)の取り扱いで、営業サイドだけで何らかの必要性があって、工場を全検出場して配置区都城に回送される車両を便宜的に客扱いしていたように受け取れます。事例として面白いので、後日この事例を引用させていただきたく思いますので、よろしくお願いいたします。

ところで、近年JR九州の特急列車に乗車すると空席は全部ブラインドが下がっていることがあり、始発駅では回送車のように全車のブラインドを下げた状態で入線したりします。必要に応じて乗客自身で上げてくださいという感覚は、自分にとっては違和感がありましたが、オフィシャルサイトによれば、「一部車両においては、ブラインドやカーテンを活用することで冷房負荷を抑制するとともに、お客さまに快適な車内温度を提供する取り組みを実施しています。」とのこと。時代が変わると考え方も変わるのだなと思いました。
余計なコメント失礼いたしました。
しなの7号
2017/07/12 08:52
こんばんは。
不思議な回送といえば、昭和55年までB寝台車連結の普通列車「からまつ」http://www.karamatsu-train.co.jp/kiroku/kiroku.htm を思い出します。(乗ったことはありませんが・・・) 運転区間は小樽・釧路間なのに、B寝台車の1両は池田までで、切り離されるわけでもなく池田・釧路間が回送扱いで、理由がよくわからないものでした。
TOKYO WEST
2017/07/12 22:23
TOKYO WEST様 こんにちは。
普通列車「からまつ」にも一部区間に回送車両がありましたか。なにしろ私は国鉄時代に北海道へ渡ったことがない軟弱者ですので、もちろん乗ったことはなく、そういう実態も存じませんでした。 これにも深い訳がありそうですね。牽引定数の問題ならば、むしろその手前の狩勝峠のほうがよほど問題だと思われますし、今のところ私も理由が特定できないです。
時間帯から帯広・池田あたりの需要が多そうな列車にも思えますが、釧路発着の乗客に占領されないようマルスから1両分外すための措置? 途中で切り離してもリネン交換整備できないので釧路まで車両を回送? ただの思い付きです!(^^)! 
しなの7号
2017/07/13 11:33
「からまつ」の続きですが、帯広・池田あたりの需要が多く、池田で寝台車を解放・連結すべきものという前提に立って他に理由を考えると、寝台車は郵便荷物車と普通車に挟まれていて途中解放は難しそうな位置に連結されているようですし、北海道という酷寒冷地で年間暖房が必要な列車であれば、夜間〜未明に解放・連結作業のためSGを一時的に止めることになりますが、車内温度維持に問題がないか? 積雪時に凍結した連結装置、貫通幌、暖房ホースの解放連結作業上で問題はないか? といったところです。まったく的外れのようにも感じ、自信がありません。 
しなの7号
2017/07/13 15:15
しなの7号様こんばんは
越前ではないですが国鉄在職中能登のグリーン車に乗りました。
どうしても客車のグリーン車に乗りたかったためです。
関係ないですが金星のグリーン車もよく乗りました。
一般の人だと寝台の方が安いのですが職員では逆転します。
私が中学の頃、帰省列車は名古屋〜小倉で頻繁に乗りました
新大阪始発の西海2号で乗る予定のハネが冷房故障でグリーン車に変更、ビックリしたけいけんがあります。
車両はスロ62かオロ11のどちらかでしょう・・覚えがありませんが

今回の謎は判りませんが
他の方の推理で納得しました
でも実際連結されて上野まで行っているのが謎です
一番大所帯のスハネ16だったら問題ないのですが
そう言えば越前には少数派のオハネフ13も連結ありました。
ヒデヨシ
2017/07/14 20:52
ヒデヨシ様 こんにちは。
旧客のグリーン車利用は急行「かいもん3号」のオロ11だけで、そのときも父親のマル職利用でした。以前にその時のグリーン券をアップしました。金星も乗ったことがなく、サロ581の乗車経験は新婚旅行の「はつかり」だけです。
挙げていただいた西海2号も冷房故障を理由とする車種変更でしたか。やはりあのころは冷房故障が多かったといっていいのかもしれませんね。自家用車でも、昔は寒い日にエンジンがかからなかったり、温まるまでエンジンの回転が安定せずエンストしたり、夏場はオーバーヒートしたり… 今どきはエンストなんて言葉はあまり聞かれなくなりました。
この日の越前号では、オハネフとスロの組み換えと同時にオハを1両解放しておけば何の問題もなかったのに、ホームに据え付けてから乗客の追い出しや鎖錠するあたりに、何か行き違いや失策があったものと考えます。越前号の10両編成ははポピュラーなスハネ16では成り立たなかったため、金フイにオ級のハネばかり配置した結果、少数派のオハネフ13が混入したものと思います。次回本文に続きを書きます。
しなの7号
2017/07/15 11:45
しなの7号様こんばんは
越前の事情は定かではありませんが
西海2号のおそらく冷房故障だと思いますが帰省列車増発の時期でしたので全く予備が無かったものと思われます
そもそも西海2が臨時列車であったようで
青、茶取り混ぜた寝台編成だったのを覚えています

越前の謎後編を楽しみにしています
ヒデヨシ
2017/07/17 01:07
ヒデヨシ様 こんにちは。
さきほど後編をアップしました。編成から言って寝台車は緩急車オハネフにする必要性がなさそうで、スハネかオハネで用が足りそうなのに、あえて金フイにオハネフを集結させたのは、単に「オ」級に統一したかっただけと思いました。時期的にナ級の普通車が廃車された結果とも取れましたがどうでしょう? 
多客期に車両が総動員されると、配置区所では綱渡りのような状態だったでしょうね。
しなの7号
2017/07/17 07:52

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【812】 急行「越前」号の謎(前篇) 昭和の鉄道員ブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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