昭和の鉄道員ブログ

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zoom RSS 【813】 あいうえき(3)

<<   作成日時 : 2017/07/13 06:40   >>

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駅名を五十音順に「あ」から「わ」まで1駅ずつ、その駅の思い出や、そこに写っている車両などについてのコメントもひと言付け加えてアップしています。すでに廃止された駅や改称された旧駅名も含み、表題部分は「駅名・ひらがな・社名と線名・県名」の順となっています。
今回は「さ」〜「そ」までです。

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「さ」…盛 さかり JR東日本 大船渡線 岩手県
(中・下は 盛 さかり 岩手開発鉄道 岩手県)
画像

すべて1998.11.22撮影
八戸から三陸海岸沿いに鉄道で南下したときの画像です。三陸鉄道の列車から下車すると、数年前に旅客営業を廃止したはずの岩手開発鉄道の気動車がそのまま残されていました。大船渡線への乗り換え時間が30分程度あったので、その岩手開発鉄道の盛駅に行ってみると、使われなくなった旅客用ホームをかすめて貨物列車が走って行きました。
大船渡線は、現在気仙沼〜盛間がBRT化されています。

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「し」…新十津川 しんとつかわ JR北海道 札沼線 北海道
画像

上下とも1997.9.20撮影
札沼線の初乗りで、当時1日3往復しか運転されていなかった終点新十津川駅まで乗車した後に撮影した画像です。北海道の19時前は秋の陽は落ちて真っ暗でした。そこからは石狩川をはさんだ函館本線の滝川駅まで路線バスで移動して、函館本線の列車に乗り換えました。今はさらに列車が減って、この駅に来る列車は1日に午前中の1本だけです。そんな終着駅は、とんでもない山の中にあるのかと思われるかもしれませんが、そうではなくて、滝川駅までは至近距離で、道路で4〜5qです。石狩川を渡る橋が近くにないのでそうなりますが、直線距離ならわずか2.5q程度です。

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「す」…雀田 すずめだ JR西日本 小野田線 山口県
画像

上下とも1997.3.6撮影
宇部線・小野田線を初乗りしたときの画像です。有名だった本山支線のクモハ42ですが、日中の運行がないので、この支線に乗るために宇部市内に宿泊せざるを得ませんでした。国鉄時代は旧形国電の写真を撮るだけでなく録音や乗車もしてきたのですが、このときはひさしぶりの釣掛サウンドを聴くことができましたので、無理して泊まった価値はありました。

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「せ」…瀬戸口 せとぐち 愛知環状鉄道 愛知県
画像

駅名標 2013年1月3日撮影
列車  2005年7月31日撮影
瀬戸口駅は愛知環状鉄道の駅で、以前は私の通勤路線でした。画像の列車は「愛・地球博」が開催された2005年3月〜9月の約半年間、JR東海の名古屋駅と中央本線高蔵寺経由で万博八草との間を直通運転された快速「エキスポシャトル」です。ほとんどの「エキスポシャトル」にはJR東海の211系5000番台が用いられましたが、休日を中心に一部列車にJR東海の113系も入線し、愛知環状鉄道は、これまでになかった活気に満ちた光景が見られたものです。
もとは国鉄岡多・瀬戸線の一部として開業する予定で、建設途中で工事が凍結された後に第三セクター鉄道として開業した区間にある駅です。「愛・地球博」閉幕後も、現在に至るまで、JR東海からの片乗り入れが行われていますが、直通列車の本数や乗り入れ範囲は徐々に縮小され、現在は平日の朝夕だけ、この瀬戸口駅と高蔵寺駅の間だけで乗り入れが継続されています。

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「そ」…添田 そえだ JR九州 日田彦山線 福岡県
画像

2002.12.29撮影
長く乗り残していた日田彦山線の南半分に初乗りしたときの画像。乗車した上り列車が対向の下り列車と行違うために3分ほど停車したので、その間に撮影しただけなので、降りて改札を出たわけではありません。ただここで気になったのは、時刻表2万キロの作者宮脇俊三さんが、改札口を通ってこの駅から出たとたんに犬に吠えられているので、それがどのあたりだったのかということでしたが、ぜんぜんわかりませんでした。ここからは国鉄時代には添田線が分岐していたのですが、やはり車窓から見るではダメで、降りてみて周辺を歩いてみないと何事もわかりません。乗り鉄旅では、あっという間に通過してしまう特急では、そういう車窓の楽しみは半減します。
先週、この付近は豪雨による甚大な被害に見舞われました。日田彦山線も、この記事をアップした時点では、添田以南で被災して不通になっています。この豪雨で被災された皆様には、心からお見舞い申し上げます。

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今回はここまでです。
次週は「た」〜「と」までをアップします。



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コメント(14件)

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しなの7号様こんにちは
この記事で思い出しました。
昭和50年代半ば岩手開発鉄道乗りました。
車両は写真にある大型のキハ07タイプではなく、もっと小型のキハ35を単純化したようなのでした。
宿泊施設を早朝に出ないと乗れなかっやような

札沼線は意外に函館本線と平行して走っているんですね
十津川と言ったら奈良県の方を連想します(駅名ではない)

小野田線は間違いなく乗りましたが記憶に覚えがありません

なぜに瀬戸市でなく瀬戸口w
今の乗り入れ車は高蔵寺で長時間停車後乗り入れるようで
その間浩三初が先発しているので意味がないように感じられます

添田駅、年配の方は発音が難しいのか「そいだ」と言います。
添田線は元々日田彦山線として建設されましたが筑豊の中心駅伊田と後藤寺を通らないので伊田〜香春に短絡線を作りそちらが日田彦山線になりもとの線が添田線となりました。
おばあちゃんが日田彦山線の池尻近くに住んでいて豊前川崎駅とともに身近な地です。
ヒデヨシ
2017/07/13 15:22
ヒデヨシ様 こんばんは。
岩手開発鉄道は、よほど「その気」にならないと乗れない立地でありダイヤでしたね。キハ07タイプの車両が気になっていましたが、予備車だったみたいですね。もう解体されたものと思っていたのですが、ヒデヨシ様が乗られたもう1両のノッペリ小型車ともどもこのときに見れただけでもよかったです。

ご承知かもしれませんが、新十津川は明治時代に奈良県の十津川から災害移住された方々が開拓されたところです。

旧国が全国にあるころでしたら、小野田線は印象が薄かったかもしれませんが、時がたつと日常が非日常の貴重品になるものですね。

平日夜に運転される名古屋発瀬戸口行は、高蔵寺で後部2〜3両の車両締切作業をするので停車時間が長くて、その間に追いつく後続の快速を受けて瀬戸口に向けて発車します。愛環の岡崎方面行の中水野と瀬戸市のホーム長が短いためで、やむをえないみたいです。

添田線にはそういう歴史があるのですね。地図で添田駅を見ると、日田彦山線の上り方面が急カーブしていて、添田線跡の敷地が直線で自然な線形なのが、そういう歴史を伝えているわけですね。
しなの7号
2017/07/13 19:47
しなの7号様、こんにちは。
盛駅の貨物列車牽引している機関車、顔立ちからDD13と思われます。青色だもんで、名古屋臨海鉄道の水色DD13を連想しました。西濃鉄道からの石灰石は、美濃赤坂経由、笠寺から名古屋臨海鉄道で運搬されていますね。

新十津川は訪問しておりませんが、奈良の十津川村は数回訪れています。澄んだ空気に良質な温泉が最高です。一度八木発新宮行きの路線バス乗車しました。地元の方が利用しやすいように旧国道も走行しており、私にとっては楽しく移動できました(バイパス走行ばかりだと面白さが低下)。

小野田線の旧国電も未体験。このような貴重な電車に何故逢いに行かなかったのか?後悔先に立たず、ですね。

愛・地球博は会社の日帰り旅行で行きました。出来れば、愛知環状鉄道乗車、そして名古屋で遊んで帰路に…といった別行動をとりたかったですが、当然無理でした。

添田駅もそうです(行った事ないですが)が、チョット降りてみないと判らない事は沢山ありますね。敢えて事前に下調べせずに行き当たりばったりで散策するのも好きです。が、次に乗る列車の時間だけはきちんと把握しておかなければ…列車本数が少ないとドエライ事に!
はやたま速玉早玉
2017/07/14 14:53
しなの7号様こんばんは
なになに
新十津川は十津川の方々が開墾入植されたんですか
知りませんでした。
なるほど、北海道ならあり得ますね。
北広島もそうでした。
そう言えば
北海道の美幸線と添田線はいつも例の件でワンツーフィニッシュしてました
ヒデヨシ
2017/07/14 20:27
おはようございます。毎度、当ブログ楽しく拝見しております。さ行の駅、やはりどれも行ったことはありません。地元近隣の瀬戸口を除外すると、添田駅は近くまで行ったことにはなりそうです。もちろん高校生の時のSL撮影旅行の話です。貴方と同行動であったか分かりませんが、後藤寺で撮影後に伊田を通って油須原へ行ったと思います。この時9600牽引の旅客列車でした。未だにこの辺りの路線図がさっぱり分かりません。ということで現在の路線図をwikiで見たら、油須原駅が無いですね。この時に添田駅には行ってないと思いますが、余計に分からなくなってきました???
北恵那デ2
2017/07/15 08:45
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
岩手開発鉄道のDLは、国鉄DD13の派生みたいなスペックの機関車ですが、キャブが独特の形状で小さいながらもDD51みたいな外観です。セメントや石灰石は鉄道貨物輸送にとっては有利な分野でしたが、撤退した鉄道会社も多く鉄道輸送の先細りを感じます。ところで春日井貨物はこのところ連日運休が続いています。

国鉄在職中に十津川の温泉には2か所入湯しています。野猿(やえん)にも乗りましたが、路線バスは未乗で、十数年前に乗り放題のワイド3・3・SUNフリーきっぷで踏破を計画しましたが、実行には至りませんでした。

小野田線本山支線は現在1日3往復にまで減便。荷電改造のクモハ123は今でも十分に乗りに行く価値はあると思います。

愛・地球博は、混雑が嫌いな私が行くところではなかったのですが、割当購入する羽目になった入場券を消化するため2度ほど行きました。行き当たりばったりの旅は、家から近いのに降りたことがない途中駅でも可能なので好きです。適当に降りて次駅までの一区間徒歩の旅も好きです。
しなの7号
2017/07/15 11:48
ヒデヨシ様 こんにちは。
地名や駅名も由来を知ることで、見方が変わったりもします。添田線と日田彦山線の関係を知ることも同じで、添田線のそういう事情、美幸線も部分開業区間という事情のもとで、営業係数がどうのと論じられるのが気の毒でかわいそうな運命だと同情してしまいます。。。
しなの7号
2017/07/15 11:48
北恵那デ2様 こんにちは。
いつもご覧いただきありがとうございます。
九州のSL撮影旅行は、たぶん冬休みのことだと思いますが、私はその年の夏に田川線に行ったことがあったので、ご一緒した時は後藤寺の駅前で泊まった翌日、後藤寺線〜筑豊本線(D60)へ行って先に急行阿蘇で帰っていますので、たぶん途中から別行動になっています。当時の筑豊の国鉄線の迷路状態は私も大の苦手で、今でも怪しいです。油須原がある田川線は平成筑豊鉄道に移管され、駅も健在です。田川線と添田線は立体交差していましたが、交差部分に駅はなくて相互間の乗換はできない配線で、私も添田線には乗れないままでした。
しなの7号
2017/07/15 13:40
早速のリアクションありがとうございます。そのとおり冬休みですが、後藤寺の駅前で泊まった?全然記憶がありません(笑)。どこかで泊まって後藤寺で朝から撮影や録音しましたはずですから、そのとおりでしょうけれども。添田線との立体交差は、そう言えばかつてのTMS誌に模型みたいと言うことで写真入りで載っていたような気がします。ならば添田線には乗らなかったのでしょう。ところで当時、伊田から油須原へ向かう途中に廃線跡か未成線のようなのを見かけました。いずれにしろ油須原駅が現存しているようで安心しました。どうせ単行のディーゼルカーが来るだけでしょうから、見に行きたくも無いですが。
北恵那デ2
2017/07/16 08:43
北恵那デ2様 こんにちは。
私は後藤寺で泊まって、早朝は後藤寺線の9600逆向き重連とかを撮影したのですが、北恵那デ2様が朝1本だけあった田川線の9600旅客列車に乗られたとすれば、その日は少なくとも宿を出た直後から別行動ということになりそうです。いちばん自分の行動順序がわかるのは、ネガのコマ順とSLダイヤ情報を照合することで、日付は残した切符で特定するのが、私の怪しい記憶の特定方法です。
ここ→http://shinano7gou.at.webry.info/201607/article_1.htmlに、昭和48年12月28日後藤寺駅発行で、翌29日乗車した急行阿蘇の切符が出てきます。28日宿泊前に買って駅前の宿泊(ほとんど雑魚寝)、翌日撮影して夜、黒崎から帰路についたことが確実ですが、帰路は別行動になって、北恵那デ2様は九州に1〜2日長く滞在された記憶です。

田川線からご覧になったのは未成線の油須原線でしょう。今は赤村トロッコが運行されているらしいです。
http://www.akatoro.com//index.html
しなの7号
2017/07/16 14:15
しなの7号様、こんばんは。再コメント失礼致します。
この時期に春日井貨物は運休ですか。以前ご教示頂いた際『製紙工場のお盆休みに期間に運休するんだろう』と勝手に解釈したもんで、意表を突かれました。

野猿、私も乗車(?)しました。昔は対岸へ渡るための重要な交通手段であったとか。空中散歩を楽しみました…が、腕が筋肉痛に❗普段の運動不足を痛感、旅館到着後、温泉で筋肉をほぐしまくる始末でしたっ(*´▽`*)ゞ

クモハ123は荷電改造なのですね。国鉄の、しかも荷電というディープな世界を肌で体感できる貴重な車両、おっしゃる通り小野田線訪問する価値は大いにありますね。
改造されているので『荷電を体感』という表現はオカシイかしら…

はやたま速玉早玉
2017/07/16 21:43
こんばんは。
岩手開発鉄道は宮脇氏が上有住からタクシーで移動してお乗りになった線でしたね。どうも氏は同和鉱業片上や一円電車のように車で終端側から攻められるパターンがしばしばあったような。
道内時刻表を持たずに新十津川で降り立ったとき、滝川までの国鉄バス乗り場探しが心配でしたが、同業さんたちも結構居られて心配には及びませんでした。
本山支線は宇部新川まで夜行バスで行って踏破しました。サボが宇部新川と雀田二段表記なのは特に問題無いのでしょうかねえ。
愛・地球博は同業他社さんたちとの研修旅行で行きましたが、バスツアーで鉄とは無縁、営業員のときに新規開拓名目で愛知環状鉄道周辺へセールスに行こうと思ったまま行けず仕舞い、未乗の鉄道です。
九州の災害も胸が痛みます。日田駅の鮎姿寿司を快速「日田」車内で食べ終わったのが添田あたりでした。滅多に買わない寿司駅弁とかつての筑豊石炭路線の食と鉄の「味」を同時に感じたのを思い出しました。
NAO
2017/07/17 03:41
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
春日井貨物は、工場の煙突から煙が出ていない日が続くと運休も続く傾向があります。定期的な工場プラントの定期検査かな?
野猿に動力を付けるとトロッコ風ロープウェイですが、私が小学生のころには、そういう交通機関で木曽川を渡って通学していた子がいました。ゴンドラと呼ばれ、こういう通学は珍しく新聞にも載りましたが、橋が架かり昭和40年代前半頃に廃止されました。
クモハ123は荷電の面影がありませんが、1両で運行できる特殊性から生き残れたのでしょう。知らなければただの古い電車ですが、本来の製造目的で使用されたのはごくわずかの期間で、そういうことを思うと、何が幸いするかわかりませんし、人の一生と重なって、乗ってみると感慨深いものがあると思います。
しなの7号
2017/07/17 10:43
NAO様 こんにちは。
時刻表を愛玩された宮脇俊三氏なればこそ、単純なダイヤのローカル私鉄に乗車するにあたって意外性と変化が作品の味付けに寄与していますね。
私の場合は新十津川のバス乗り場は同行者の方がちゃんとご存知でしたので安心でした。
クモハ42のサボのように、この列車はどこに行くのか特定しかねるサボにはローカル線ではよく出会いました。
愛環鉄道はミニ武蔵野線みたいにも思えます。城北線とともにJR線だったら中京圏の環状区間が増えて、フリー切符で乗るにはいいルートになるのですが。
前にコメント欄に書きましたが、私が鮎寿司と言えば岐阜駅です。1度だけ買って食べたことがありますが、姿寿司でした。
しなの7号
2017/07/17 10:44

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