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zoom RSS 【816】 時刻表にない列車

<<   作成日時 : 2017/07/24 07:00   >>

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先々週から国鉄時代の客車列車についてのエピソードなどを書いていますが、その記事に対して、「国鉄時代に乗車した列車に回送車両が連結されていたのを見かけた、または回送車両が連結されている旅客列車に乗車した」というコメントを複数いただきました。私の乗務列車でも回送の例があり、【317】思い出の乗務列車6: 関西本線 223列車(後篇)〜夜行寝台編成?で、実例を書いています。こういう回送車両では客扱はせず、施錠され消灯し日除けカーテンが下ろされているのが普通です。

しかし、回送車両が便宜的に客扱をしていたと思われる内容のコメントもいただきました。その該当部分を勝手ながら引用させていただきます。

「昭和48年頃ですが、西鹿児島からの日豊本線上り普通列車に、全検出場の客車(オハ35?)が付いていたことがありました。
ぶどう色ピカピカの車体に屋根はキラキラ輝いていましたが、ブラインドは全て降ろされていて、小学生の目にも回送にみえます。
ところがサボはちゃんと下がっていて、連結幌も繋がっていましたのでドアを開けてみるとガラガラと開きました。
薄暗い車内は、真新しいモケットとニス、塗料の匂いでうっとり?してしまいました。
他には誰も乗っていません。列車は動き出したのでブラインドを開け、緊張しながらすわっておりましたら、途中駅から他の乗客も加わり、巡回してきた車掌さんから咎められることはありませんでした。
確か、都城で切り離されたように思います。
トンネルでも車内灯が点きませんでしたので、本来は回送車だったものと思いました。」

以上の内容でした。
私の想像の域を出ませんが、本来回送車である車両でも、営業サイドから何らかの必要性があって、工場を全検出場して配置区に回送される車両を便宜的に客扱していたように受け止めました。そう考えたのは、私が国鉄在職中に不思議な列車があったからです。回送列車をまるごと定期旅客列車として運転していたと思われる例でした。大げさに言えば「幽霊列車」で、時刻表には掲載されていませんでした。

時刻表に掲載されない列車はたくさんあって、貨物列車をはじめ、乗客が乗れない列車は掲載されないのはもちろんのことですが、乗客が乗れる列車でも団体列車の類は、特定の乗客だけを対象にしているので時刻表には掲載されません。そのほか、沿線で開催されるイベントのアクセス用に急遽設定する臨時列車も、時刻表の原稿締切に間に合わなかったりして掲載されるべきなのに掲載が物理的にできなかったなどのイレギュラーなケースは多々あると思います。いずれのケースでも回送列車を臨時に客扱とされるケースは多いと思いますが、私が知るのは、毎日運転されていたのに時刻表には掲載されることなく、それでいて一般乗客が乗れる列車でした。

時は1985年3月。国鉄が分割民営化される2年前のことで、その列車は50系客車で運転され、牽引機までは確かめていませんがDD51だったのではないかと思います。運転区間は関西本線の亀山〜柘植間でした。
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このころは、国鉄分割民営化に向けてのお膳立てが整えられつつあった時期で、1984年(昭和59年)2月、1985年(昭和60年)3月、1986年(昭和61年)11月と、毎年全国規模のダイヤ改正が行われました。この間に旧来の長距離汽車型ダイヤから、短距離国電型ダイヤへの移行が推進されていきました。しかしそれは大都市近郊のことであって、乗客の増加が望めない田舎は、在来のまま取り残されました。
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上は1984年(昭和59年)2月号の交通公社版全国時刻表の関西本線亀山付近(下り)を抜粋した転載画像です。2年前の1982年(昭和57年)5月に名古屋〜亀山間の電化が完成してから、この区間の普通列車は電車化されたうえで増発もされていました。その結果、名古屋から亀山を経由して奈良方面に直通する列車は急行2本と快速1本の計3本だけが残され、普通列車は全部亀山乗り換えになっていました。

次に、下の1985年(昭和60年)3月号の交通公社版全国時刻表の該当部分を抜粋した転載画像で比較してみてください。
画像

直通の快速が各駅停車になり、亀山で分離して乗り換えなければならなくなっています。しかもその亀山発19:44(奈良行)が終列車になり、20時台と21時台の2本の普通列車が廃止されています。いくらなんでも19時台が終列車というのは、「やりすぎ感」があります。ちなみに名古屋〜奈良を直通するのは、この時点で急行1往復にまで削減され、関西本線のローカル線化が進んでいることが明らかです。

ここで出てくるのが幽霊列車です。
実は時刻表上の終列車が出た後、亀山発20:56(柘植行)が存在したのです。

下の画像は、私が乗務したことがある名古屋発亀山行255M乗務用の抜すいカード(←乗務中に携帯して時刻をはじめ乗務に必要な事項を抜粋したもので、呼び方は車掌区や地方によって、また時代によっても異なります。)の一部分です。
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255Mは亀山に20時45分30秒に着く電車列車で、この先の接続列車として、「3番線から20時56分発柘植行に11分待ちで接続」という意味のことが書かれています。そして、そのあと「回2723(客扱特認)」と記載があり、つまりこれは回送2723列車で客扱を特認するといった意味だと思われます。
この画像にはありませんが、旅客案内上必要ですから得ていた情報として、この客扱特認回送2723列車は柘植まで各駅に停車して柘植着は21時27分となっていました。そういうことであれば、この列車は上の1985年(昭和60年)3月号時刻表にある柘植始発の21時29分発の関西本線下り普通列車(奈良行終列車)に2分で接続し、草津線の21時34分(草津行終列車)にも7分で接続します。単なる区間列車としての使命以外に、中京から近畿圏を結ぶ終列車という意外と重要な列車でもあったと考えられました。
このような列車が公に全国時刻表に掲載されることなく、まるで裏技のように回送列車の客扱特認などという運転形態にしたのか、その理由を私はあいにく知りません。

この時代には、先ほど書いたように、都市圏では国電型ダイヤへの移行が促進され、同時に地方によっては試行的な増発列車が運転されました。その増発列車は時刻表にも載っており「α(アルファ)」を□で囲った記号が付されて、欄外に「ご利用の状況によっては、来年の春以降運転を取りやめることがある列車です。」と注釈が付いていました。
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こういう増発列車は天王寺鉄道管理局管内にも奈良線や桜井線などにありました。この場合は列車番号は7000番台になっており、定期列車の番号とは区別されていたようです。
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それに倣えば回送2723列車も正式な普通列車にして、時刻表に掲載されてもよさそうなものではないでしょうか?
ちなみにこの回送2723列車は50系客車であったということは、電車に混じって草津線に2往復(下りは柘植始発で早朝に出る京都行2本)だけ残っていた客車列車用として亀山客貨車区に配属されていた50系客車を使用したとみてよいと思われます。1985年3月31日現在の国鉄車両配置表を見ますと亀山客貨車区には50系客車が配置されています。
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亀山〜柘植間は2本とも回送列車ですが、終列車として使用する必要性から、回送列車のうち1本を夜間のこの時間に合わせたダイヤを引いて客扱特認として、車両を柘植駐泊にしただけという想像ができます。ですから、たぶん客扱をするために人件費や燃料費など余計な経費は多くはないか、全くないように思えますが、言えない事情?があるのかもしれません。
これより前に耳にしたことですが、各鉄道管理局には決められた走行キロを超えて列車を設定することを国鉄本社が認めず、かといって都市部での列車増発は喫緊の課題。やむを得ず利用者数の少ない時間帯のローカル線の列車本数を削って、そこで生じた走行キロを都市部の増発に充てて、帳尻を合わせたという事例です。素人が考えても、ただでさえ赤字の国鉄で列車キロ数を増やすには、それによって増収になることが絶対条件でしょうし、国鉄本社にしても監査委員会に説明できない列車キロ数の増加は「無駄遣い」と指摘される立場だと思われます。それが当たっているかどうかはわかりませんが、天王寺鉄道管理局で旅客列車の走行キロ数を増やしたくないなんらかの事情があって、このような幽霊列車が走ったのかもしれません。この列車、名古屋鉄道管理局発行のポケット時刻表にも掲載がありませんでしたが、お膝元の天王寺鉄道鉄道管理局発行のローカル時刻表があったとするなら、掲載されていたのかどうか?…国鉄本社には認知されず道内時刻表にしか掲載されなかった臨時乗降場があったことも、これに類したことのように思えます。

巷ではバブル経済に向かって好景気が続いていたころで、消費は美徳みたいな風潮さえあった中で、国鉄は赤字の責任を取らされる形で、経費節減が厳しく言われていました。日中の車内照明の消灯や冷房を最小限にして窓開け慫慂の車内放送をするよう厳しく言われていた時期でもありましたので、そう考えましたが実際のからくりは如何に?。

この翌年、1986年(昭和61年)11月に国鉄最後のダイヤ改正があり、このダイヤがJR発足時のダイヤになりました。そのダイヤ改正では、下の画像のように改善されていました。
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抜すいカードの接続列車も、ちゃんとまともな列車番号の気動車列車になっています。このダイヤ改正では、まだ草津線の朝の2本の50系客車列車は存続していますが、車両は向日町運転所に移管されたものと思われます。
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このダイヤ改正では鉄道管理局の境界なども変更されて、国鉄は分割民営化後の実態に合った組織に再編成されましたから、列車運行もJR体制になっていたのでした。すなわちJR西日本の列車として、走行距離の縛りもなくなったということだったのでしょうか? そうであれば、借金だらけの国鉄なればこその苦しみがにじみ出た列車だと思います。広い日本に張り巡らされた国鉄線上では、様々な事情があったでしょうから、このような列車がほかにもあったようにも思います。分割民営化されてそういう問題もなくなったかと思えば、某JR鉄道会社には時刻表に載らない学校登校日限定運転の列車が最近まであったそうですが、そこにどんな理由があったかは知りません。




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コメント(18件)

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おはようございます。
特認列車は恐らく他に存在したのでしょうね。
亀山-柘植間回送転じて裏営業列車、両端が他列車と接続しているのに隠すのは勿体ないですね。それほど需要がなかったかもしれませんが、時刻表上、亀山-柘植間が欠落して泣く泣く夜の関西本線乗り継ぎを諦めた人も居られたかもしれません。
草津線から京都直通の客車列車、懐かしいです。東海道外側列車線走行の客車列車に乗りたいのと、亀山車掌区の入鋏式車補が欲しくて大津まで乗りに行ったのを思い出しました。
回送扱いなのか事情はわかりませんが、夏の山陰本線58系DC普通列車に乗ったとき、後部連結の非冷房車にしか座れず、保津峡近辺のトンネルに入っても照明は点かないまま、でも文句を言う人は居ませんでした。あとで通路扱いのキロ28を通り抜けたら車掌さんは中間乗務員室の窓枠に両肘を載せ、ゆっくり景色を眺めておられました。専務車掌室も暑かったのでしょうね。
NAO
2017/07/24 09:08
NAO様 こんにちは。
この列車が時刻表に掲載されていれば関西本線で帰る京阪神在住の旅行者は少なからずおられたでしょう。
亀山車掌区の乗務範囲に草津線や奈良以西の電車が入っていたのは、亀山から直通列車があったころの名残みたいなものでしょう。中央西線でも木曽のローカルが分離されたあとも中津川〜名古屋間のローカル列車に松本車掌区が乗務していたりしました。

山陰本線は夏場でオーバーヒートしてエンジンカットで室内灯消灯だったかも?
集中冷房装置のキハ66・67以降は乗務員室も冷房が効くのかもしれませんが、それ以外の国鉄気動車ではキロも含め乗務員室で冷房が効くような車両はないと思います。夏場、気動車の乗務が終われば鼻の穴や髪、顔、半そでの腕、汗に交じって真っ黒でした。発がん性もあると言われた排気、煤やブレーキの鉄粉が目に入りますし、冷房は壊れる。それでもSL時代よりは環境面では格段に良くなっで、乗泊や乗継詰所にもエアコンが入るようになった時代でした。
しなの7号
2017/07/24 11:10
こんにちは。

本社からの列車キロ割り当ての話は、聞いたことがあります。
ご紹介の「客扱特認」回送列車、板挟みになった担当各部署の苦労が偲ばれます。
「毎日運転」の9000番台の臨時列車もそのころ見かけました。

さて、全検出場車のエピソード、小生の子どもの頃のおぼろげな記憶ですが、ご参考?になりましたのでしょうか、恐縮いたしております。
あの時、手洗いの水が使えたのか、見ておけば良かったですね。
この時は夏でしたが、もし暖房使用期間であっても暖房管は繋がっていなかったのでしょうか(寒くて乗らなかったとは思いますが・・・)。
どうも記憶がはっきりしませんが、上りの始発(門司港行530列車)で、途中駅からの乗車と思います。
時間帯からみて、都城口の通勤通学客の便宜を図るため、普段から利用回送状態だったのか、施錠し忘れた回送車に潜り込んだ小学生につられて乗ってしまった一般客を黙認しただけなのか?謎ではあります。

3RT生
2017/07/24 17:06
コメントの訂正ですが、機関車次位ですから、回送でも暖房管はつなぎますよね。回送なら暖房止弁は開けていなかったのでしょうか?
たびたび失礼しました。
3RT生
2017/07/24 19:09
★快速「みえ」も、
一部区間、臨時列車としていたのは、
同様の理由があった旨、聞いたことがありますね。
★乗り物酔いした元車掌
2017/07/24 19:35
3RT生様 こんばんは。
今回の記事に、勝手ながらいただいたコメントを引用させていただきました。このコメントから、この幽霊列車の存在を思い出した次第です。

ご経験された増結回送車、冬場なら連結位置にかかわらず暖房管は繋がれると思いますが、ブラインドを下ろし、室内灯も消灯するなど回送の体裁を律義にしているので、便洗面所や暖房止弁はどうだったでしょう。わかりませんね。 

そういえば9000番台の列車番号の列車で、休日以外毎日運転の列車のことも以前書きました。やはり同じ1985年3月のダイヤ改正直後に設定された臨時(延長運転)でした。
【283】臨時列車の乗務(12):117系臨時回送列車
http://shinano7gou.at.webry.info/201206/article_3.html
この列車は時刻表にも掲載されていました。
しなの7号
2017/07/24 20:25
乗り物酔いした元車掌様
快速「みえ」は国鉄時代にはありませんでした。
しなの7号
2017/07/24 20:25
こちらの記事と趣は違いますが、JR北海道で2016年3月まで、時刻表(JR、JTB)および、道内時刻表にも載っていない列車がありました。

「8325D」で検索をかけると少しですが、引っ掛かります。
たかはし
2017/07/25 18:02
たかはし様
本文最後に書いたのは、まさにその列車のことです(^ω^)
しなの7号
2017/07/25 18:17
しなの7号さま、こんばんは。関西本亀山口に謎の幽霊列車とは、驚きました。地元の要請・便宜や国鉄末期の混乱期だったためと感じます。走行キロの制限も、ある意味では、お役場的な建前が必要だったのかもしれませんね。うちの様な長距離鈍行乗り鉄から見ると、時刻表に無い列車があるのは、旅程に大きく影響しますが、地元でないので、こうなると見当もつきません(笑)乗務員であったしなの7号さまにも、詳細を知らされていなかったそうで、なかなか、興味深いです。本当の謎列車ですね。
hmd
2017/07/25 22:13
hmd様 こんにちは。
枝線の末端区間ではないだけに、時刻表に載せないとせっかくの存在意義が薄れますから、事実上地元限定で設定ということでしょうか。名古屋鉄道管理局発行のポケット時刻表にも掲載がありませんでした。筋を通すことで、かえって不都合なしわ寄せができたということの辻褄合わせみたいな列車だったのでしょうか。
しなの7号
2017/07/26 05:43
しなの7号様こんばんは
列車キロ制限なんてあったんですね
そのために時刻表にも載らずとかひどすぎます
駅の時刻表はどうなっていたんでしょうね?

他の例としては違いますが
蒸気機関車時代の日豊本線
南延岡発佐伯行き普通貨物4592列車
直川〜直見だけ混合4592レになり客車1両の連結、もしくは初めから連結してある?
通学生だけしか利用できず
途中の客扱いも無しだそうです
ヒデヨシ
2017/07/26 20:14
しなの7号様、こんばんは。幽霊列車、こんなのがあったんですね。

今回は、2つの視点でコメントさせて頂こうとおもいます。

@現在45歳のオッサン早玉が、1985年3月ダイヤ改正後にタイムスリップしてしまいました。温泉旅の帰路、亀山1944発の最終列車を利用する。といった設定。
『何で最終がこんな早すぎやねん。ゆっくり風呂入れへんかったやないか』とブツブツ言いつつ早玉は1944発の列車に乗り込もうとするが…風呂上がりに食べたアイスクリームが災い、急にお腹に激痛『アカン、ヤバい、便所行かな』
駅の便所に猛ダッシュ。用を足すものの、お腹の激痛が止まりません。『マヂでヤバい便所から出れへん、乗り遅れるわ、アカンアカン』
便所から早く出て、列車に向かわなければ、しかし出てしまえばホーム上でウンを撒き散らす羽目になってしまい一大事。結局1944発に乗り遅れてしまいました。
奈良方面のホーム上で呆然と立ち尽くす早玉。そこに50系客車がやって来るではありませんか。聞けば回送だが乗車出来るとの事。
『助かったぁ〜』ホッとすると同時に、
『乗れるんやったら、ちゃんと時刻表に載せとかんかい、国鉄何しとんねん』と文句を垂れつつ、50系のボックス席を占領してお酒を一杯、帰路についた早玉でした。
はやたま速玉早玉
2017/07/27 01:23
A当時12歳の早玉少年、半年前に電化した奈良線に対し『のんびりした雰囲気が薄れたなぁ』と残念な気持ちを抱いていました。ある時ふと時刻表の奈良線のページのαマークを発見、注意書を見て『折角増発したのに減らすん?こんなんでは京阪、近鉄に勝てへんで』とおもいました。
確かに今思っても、客が少ないから廃止するというのは消極的発想で、本気で京阪&近鉄の牙城を崩す気があったのか、とも解釈できます。
しかし、先ほどの幽霊列車の例を絡めて考慮すれば、当時の国鉄の苦悩がうかがえます。費用対効果の問題、さらには走行キロ数上限の問題が。ライバル会社への対抗以前に、それを妨げる要因があったのですね。
赤字を出すことは当然あってはならない事ですが、公共交通機関に関しては少し別な気がします。ドル箱路線でがっちり稼いだ分で赤字をカバーしたらそれでええやん、と。
はやたま速玉早玉
2017/07/27 01:36
ヒデヨシ様 こんにちは。
確認はしていませんが、駅の時刻表にはその回2723列車は掲載されていると思います。天王寺局発行の管内時刻表があるのなら、どうなっているか興味があります。

手許にある1972〜1974年あたりの交通公社版時刻表には日豊本線の4592列車(直川〜直見)の掲載がありました。それを見るとわずか1区間、16時少し前に直川を出て直見まで1区間だけで、明らかに児童生徒の下校用列車だったのでしょうね。
時刻表に載らなかったことで知られている?旅客列車としては、宇品線の通勤通学列車があります。廃止前の数年間は貨物輸送と定期旅客輸送だけを行っていたそうですが、その旅客列車は時刻表には掲載がありませんでした。たしか雑誌「蒸気機関車」に写真と記事が載っていた記憶です。
しなの7号
2017/07/27 16:42
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
面白いお話ありがとうございました(*^▽^*)

私は昨日、南草津駅近くのスーパー銭湯でくつろいできましたが、名古屋に帰るのに草津線〜関西本線ルートはちょっとした雨量規制などで抑止になりそうでコワイので、素直に米原ルートで帰りました。

終列車を隠しているようなやりかた、「もう関西本線は利用しないで。どうしても関西方面にその日のうちに行きたいのなら、津まで行って近鉄に乗ってね」と国鉄が言っているのも同然ですね。
その次のダイヤ改正で、定期列車として復活したこの終列車と同じように、全国のアルファ列車は、ほとんど運転を取りやめることなく存続されたそうです。つまり列車本数を試行的に増やした結果、乗客数も増加し、さらに発展していったということかと思われます。
民営化するための変革とともに旧来の経営形態が同居した時期だったと言っていいのではないでしょうか。
しなの7号
2017/07/27 16:44
初めまして。いつも興味深い内容のブログを楽しませていただいております。初めてコメントさせていただきます。時刻表にない列車、30数年来の謎が解けました!当時乗り鉄をしていた時に亀山のホーム時刻表に発見致しました。全国版時刻表に載っていないのに狐につままれたような感じでした。その時は正規の?最終で帰る予定で、謎の列車に興味が湧いたのですが、もし全国版時刻表が本当であれば家に帰れず確認出来なかったのです。50系とはいえ客車大好きな私としては謎が解けてスッキリしたと同時に後悔の念も感じております。長々とすみませんでした。また宜しくお願い致します。
オハフ33
2017/07/27 23:39
オハフ33様 貴重な証言コメントありがとうございました。
やはり、普通の定期列車を装った状態?で現地の時刻表には掲載されていたわけですね。関西本線の亀山以西に運転されていた客車列車は、57.11ダイヤ改正時刻で亀山始発の草津線直通列車が設定されていますが、59.2ダイヤ改正で廃止されています。60.3ダイヤ改正で復活した客車列車は、最後の加太越をする知られざる一般客扱客車列車であったと言え、乗れていれば貴重な体験になったと思います。
しなの7号
2017/07/28 15:10

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