昭和の鉄道員ブログ

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zoom RSS 【818】 国鉄中央西線で見た回送車両

<<   作成日時 : 2017/07/31 06:30   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 60 / トラックバック 0 / コメント 23

このところ国鉄時代の客車列車についてのエピソードなどを書いてきましたが、それに対して「国鉄時代に乗車した列車に回送車両が連結されていたのを見かけた、または乗車した」というコメントも複数いただいています。そこで、今回は私が国鉄に就職する前に地元中央西線で撮影した3つの回送例の画像をアップします。
ただし、回送されているのはすべて客車(PC)ではありません。

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【事例1】蒸気機関車の無火回送 
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1974年8月20日 木曽福島駅で撮影

旧梅小路蒸気機関車館に動態保存されていた機関車「C61 2」です。長野工場へ入場のため、貨物列車のEF64次位で無火回送されている途中です。
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旧梅小路蒸気機関車館開館当初は、長野工場が保存機の検査担当工場になっていましたので、必要な検査期限が来れば梅小路から長野まで回送されていたのでした。
列車は本務機関車が最前部に連結されて牽引することが一般的ですので、このような無火回送の機関車が回送される場合は本務機関車の次位で回送されました。
ところで、国鉄本社の運転取扱基準規程(以下本社規程と書きます。)では、列車として運転するにあたって、機関車を2両以上連結するときは、これを連続して連結することを原則としています。こういう本社規程を補完する規定を鉄道管理局長等がそれぞれ定めていました。たとえば名古屋鉄道管理局では名古屋鉄道管理局運転保安基準規程なるものがあり、そこには、この例のような「動力のない機関車」は旅客列車又は混合列車には連結してはいけないとか、特殊な事由があるときは、承認を得れば1両だけなら混合列車に連結することができるという意味のことが書かれています。
と、いうわけでこのC612は貨物列車で、本務機関車の次位に連続して連結されたことになります。

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【事例2】蒸気機関車の有火回送
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EF64牽引の客車列車ですが、この列車のいちばん後ろには…
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C12が客車列車の最後部に逆向でぶら下がっています。撮影場所は中央西線美乃坂本→恵那間で、機関区所在地の中津川から恵那まで、明知線(現明知鉄道)の貨物列車を牽くための機関車を回送している場面です。薄煙の向きで最後尾であることがお判りいただけると思います。このケースは旅客列車での回送ですが、「動力のない機関車」ではないので、前述の名古屋鉄道管理局運転保安基準規程の違反とはなりません。
しかし、このケースは本社規程の「機関車を2両以上連結するときは、これを連続して連結」するという原則から外れてしまいそうですが、運転取扱基準規程にはただし書きがあって、
(1) 補助機関車を連結するとき
(2) 橋りょう等の強度の関係で機関車を3両以上連結することのできないとき
(3) 試運転列車を運転するとき
(4) 動力のある機関車を回送するとき
(5) 列車に故障の生じたとき
以上の場合は、「その一部を列車の最後部に連結することができる」ことになっていました。

これにも名古屋鉄道管理局運転保安基準規程で補完される規定があって、たとえば、線区別に機関車を連続(動力のない機関車も含む)させて連結することができる上限を線区別に列挙したりしています。そこでは中央西線の場合は名古屋・中津川間では3重連まで、中津川以北は2重連までということが規定されていました。これは本社規程ただし書きの(2)の「橋りょう等の強度の関係」の補完なのだと思われます。

と、いうわけで、上の事例は機関車が連続しない状態になりますが「動力のある機関車」なので違反にはならないわけです。このときは、まったくのぶら下がり状態でしたが、それ以前に本務機関車がDD51だったころには、加速時にC12も力行していたのを記憶しています。EF64ではパワーがあって、牽引定数にも余裕があってその必要がなかったのでしょうか。

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【事例3】気動車のあと付け回送
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上の画像は中津川駅で、普通客車829列車の最後尾に気動車(キハ52+キハ35)を連結しているところです。画像ではフライキを持った操車担当が、台車のほうをのぞき込んでいますから、制輪子の状態を見つめているのでしょう。このような状況から判断すると、連結直後で、ブレーキ試験中の場面かなと思われます。

弁当の立ち売りもいて、いかにも昭和っぽい風景ですが、これが私が子供のころ日常的に見ていた中津川駅の様子です。
この画像はカメラを持ち始めたころに撮影しました。そのころ毎日名古屋発長野行下り829列車(松本から別列車に継走)の最後尾に、中津川から、どこまでかは不明ですが回送気動車が2両連結されていました。中津川では、その連結作業と同時に先頭部分では、ここまで
この列車を牽いてきたEF64とその直後に連結されていた中津川止の客車3両が切り離され、代わりにこのあと非電化区間に入るためにDD51が連結されました。あと付けされた気動車に乗客は乗れず、回送でした。
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落合川〜坂下間で撮影した画像です。回送される気動車は美濃太田機関区所属車で、連結される形式は日々違っていてさまざまでした。エンジンはアイドリング状態で本務機DD51(旅客列車のDL化前はD51)に牽かれていました。運用はよく知りませんが、上り気動車列車の増結用として木曽福島あたりまでこの列車に後付け回送していたのではないかと想像します。

「気動車を客車列車のあと付けとする取扱い」についても本社規程に規定されていました。詳細は省略しますが、要するに気動車は台枠の強度と、連結器は密着式自動連結器(形式によっては簡易連結器)なので強度の関係で、気動車の最前頭の連結器にかかる負荷の上限を、上り勾配の度合いによって連結可能な換算両数と実両数を細かく制限してありました。
ちなみに、この中央西線の例は本社規程による
「最大25‰の勾配・小型密着自動連結器下作用の場合の上限は、換算両数13.5、実両数3」
に、その条件が当てはまるので、問題なさそうです。



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コメント(23件)

内 容 ニックネーム/日時
★懐かしい「言葉」がたくさんでてきました。
出向する前、「規程」で十年、
「めし」を食べました。
★乗り物酔いした元車掌
2017/07/31 08:05
こんにちは。
有火のぶら下がり回送、面白いですね。

回送ではありませんが、花輪線の気動車を東北本線の列車に好摩まで併結した例があり、昭和56年に乗りました。これはR/J誌に紹介されたので有名かもしれません。
時刻表の掲載があり、もちろんも乗車できました。
併結しないといけないほど、スジが入りにくかったのでしょうか。それとも列車キロの件⁇

廃止された私鉄ですが、混合列車にキハ07などが回送でぶら下がっていた、同和鉱業片上鉄道の和気ー片上間もよく知られていますね。


3RT生
2017/07/31 12:51
乗り物酔いした元車掌様
自分にとっては、30年以上前に業務には不必要になった言葉ばかりですが、趣味の世界としては健在で今も通用します。
しなの7号
2017/07/31 13:37
3RT生様 こんにちは。
花輪線の気動車が客扱で連結される東北本線の客車列車は有名ですね。続行運転させるより燃料費の節約にはなりそうですが、併結の理由は知りません。乗ったことはないですが、思い出すのは「最長片道切符の旅」の途中で、車両に興味がない宮脇俊三氏でさえその列車には興味を覚え、ふだんは持ち歩かないカメラ持参でその列車に乗るつもりで出かけたのに、接続列車が遅れて乗車が叶わなかったというくだりです。
同和鉱業片上鉄道にも出向いたことがありませんが、キハがぶら下がる列車は存じています。キハ07以前の気動車ですと、簡易連結器の場合が多いでしょうから、制限はきつかったかと思います。
しなの7号
2017/07/31 13:38
昭和47年頃833か835レのDD51後位にEF58が付いたのを見た記憶があります。旧客で近頃やまぐち号用新車はD51200試運転でUPされていますが中央線の現役時代を彷彿させるものがあります。
中央西線
2017/07/31 20:19
こんばんは。之はこれは、当時の規程まで紹介して頂き、今までで最高の記事です。このC61回送よりずっと前の昭和44年に名古屋第一機関区の赤ナンバーC11 272号機の無火回送を目撃して以来、地元で普段見ることのできない蒸機が回送されるシーンの虜になりました。それからというものの数々の無火回送を撮影しました。名古屋鉄道管理局以外では規程が異なるのかもしれませんが、昭和48年頃に関西本線柘植駅あたりでDF50の無動力回送を目撃しました。機次位ではなく、貨車が数両有ってからDF50、そしてまた貨車という編成でした。多分途中駅で前の貨車を切り離す関係だろうと推測しますが。明知線行きのC12ぶら下がりは、仰るとおりDD51牽引時代は発車時には力行してる様でしたね。その後EF64になってから車内音録音したのですが、全く面白くなかったです。因みに帰りは675貨物列車の後部回送でしたね。ヨンサントオ以前は、D51の後部補機のそのまた次位での回送だった写真を見せてもらいましたが。829列車のDC回送は毎日のように見てはおりましたのに、たいした写真は撮ってない記憶です。ところで無火回送ですと、稲沢第一機関区の9600型19653号が解体送りの回送中、EF64に無理矢理引っ張り回されたので中津川でダウン、機関庫に収納され数日留置されたことがつい昨日のことのように思い出されます。
北恵那デ2
2017/07/31 20:28
中央西線様
その時期、EF58は、多治見までの入線でしたので、あいにく私の地元で見ることができませんでしたが、雑誌の情報によれば、当初EF58は835列車の最後部回送で、後に833列車の先頭(EF58+DD51)に変わったということみたいです。
撮り鉄をやめて長くなりますし、やまぐち号の撮影には、これまでただの一度も行ったことがないのですが、ああいう姿を見ると1度くらいは山口線に行ってみたい気になりますね。
しなの7号
2017/08/01 10:20
北恵那デ2様 こんにちは。
私は昭和45年ころまではカメラも持てませんでしたし、地元の機関車の動向も把握していなかったので、機関車の無火回送の実態はまったく知りませんでした。

貨物列車の中間位置に連結されたDF50の無動力回送とはまたレアな例を目撃されていますね。名古屋鉄道管理局運転保安基準規程を見ましたら、「動力のない機関車」については、さらに但し書きがあって、「中間停車場で車両の解結をする列車は、入換作業に支障を与えない位置に連結することができる。」と、ありました。天王寺局管内でも、これに類する規定があったことは十分に想像できます。やむを得ない事情があれば、支障がない範囲で実態に合った例外規定が設けられていったということでしょうか。

明知線から中津川に帰区するC12の貨物列車後回送は、自分の初めてのSL被写体になりましたが、枕木製の柵を撮影したのかと思われるようなひどい画像でした。その昔は後補機D51のさらに後ろに連結されたのですね。「懐かしの北恵那鉄道」(吉村毅著)に写真が載っていました。

中津川で解放された9600のお話も貴重ですね。軸焼けしたのでしょうが、日ごろはせいぜい時速20〜30q程度で入換作業をしていたのに、解体間際に制限速度目いっぱいで引っ張りまわされ音を上げたということでしょうかね。
しなの7号
2017/08/01 10:28
昨日hmd様からコメントを頂戴しましたが、削除してしまいました。申し訳ございません。
◆気動車の客車列車後付け回送について、戦後国鉄の大量輸送時代のやりくりの大変な運用を垣間見る感じであること。
◆蒸気機関車の後付け回送は、夕刻うす暗くなった時、真岡鉄道寺内駅で、DE10のエンジン音が遠くから聞こえるや、蒸気機関車と思えない速度で爆速通過、何だか可笑しくて爆笑した。
という内容でした。

決められたダイヤのなかで限られた車両と人をうまく使って生まれた運用は、最も有効な結果となって花開いた成果だと言えるのではないでしょうか。
列車の両端に機関車が付いた列車は、JRになってから増えたように思います。終点駅での機回し作業の省略が目的で、補助機関車と言えない例ですが、真岡の例はまさにそれですね。それにご指摘の列車は客扱営業しながらSL回送する列車のようで、毎日運転ではないものの「機関車牽引の客車列車」に乗車券だけで乗れる貴重な列車だと思います。DE10の音も私にとっては聞きたい音の一つです。
管理人しなの7号
2017/08/01 11:35
こんばんは。他人のブログを利用して出しゃばりのようなことばかり書き申し訳ございません。でも書きます(笑)。名古屋〜多治見間の宮原所属EF58の運用ですが、古い資料を見てみました。中央西線客車列車全面無煙化の昭和46年4月26日改正の資料では、本務機DD51の833列車後部回送で、帰りは832列車本務機になってます。ご多分に漏れず832は中津川までD51重連多治見までEF64重連でしたね。そして翌年、中津川〜落合川間複線化の昭和47年3月15日改正では、833列車牽引の稲沢のDD51が名古屋〜多治見間は次位回送になっており、本務機がEF58ということのようです。そうなりますと835で後部回送というのは、それら改正時より前なのかなと推測します。給炭や給水があるわけでもないし、時間的に833でも835でも832に間に合うようです。明知線から帰りのC12は、昭和47年3月15日改正から後部回送ではなく、単(679)列車になっております。その頃は滅多にありませんでしたが、明知線の朝の貨物列車一往復が運転されたときも後部回送ではなく、単(678)列車で行ったようです。ですから時期によっては行きも帰りも単機回送のこともあったようです。明知線は昭和44年夏頃まで貨物列車が重連のことがありましたが、その場合は旅客列車・貨物列車にC12が重連でぶら下がって行き帰りということもあったのかもしれません。昭和46年6月26日のお座敷列車の時も行き帰りの手法については記憶にも記録にもありませんが。
北恵那デ2
2017/08/01 21:50
訂正お願いします。お座敷列車は、昭和48年6月26日です。申し訳ございません。
北恵那デ2
2017/08/02 08:04
しなの7号様こんにちは
私は珍しい回送など見たこともなく
ましてや気動車が客車にぶら下がった編成も見たことがありません
多少面白い編成は通称和田岬線でDD13のプッシュプル客車編成くらい
刈谷駅では名鉄土橋駅への大阪セメントデキいぶき号の検査で回送があるくらいで
留置ブレーキ用のヨが稲沢から送り込まれていぶきと連結されていました
いつもそのようにしていたかは不明で
本線貨物列車のどの位置に連結されたかも見ていません
ヒデヨシ
2017/08/02 12:40
 こんにちは、しなの7号様。
同僚・後輩にそそのかされてスマホを購入したものの、使い方がわからない。「これでいつでもしなの7号様のブログをチェック書き込みできる!」と喜んでみたものの、字が小さくて老眼オヤジには無理と言うわけでパソコンからの投稿です。
 興味深く拝見しました。梅小路蒸気機関車館の開館以降検査を受け持っていたのは長野工場だったのですが、どうして近隣の鷹取工場で検査を復活させなかったのか不思議です。
1979年のやまぐち号の時にやむなく鷹取担当にしたようですが、工場には資料が残ってなくて苦労したことが当時の鉄道ファン誌に掲載されていました。
「規程」に30年間縛られている身にとって通常時はともかく異常時が気になります。コンプライアンスの名を借りた現場への締め付けがきつくなってきたと思います。
前部DD51後部C12の列車、当時機関車どうし無線もないはずでどうして協調できたのか気になります。汽笛合図しかないでしょうが、電気機関車のノッチ数と蒸気機関車の加減弁締め切り率など当時の機関士さんはみんな職人だったと思わざるを得ません。


門鉄局
2017/08/02 13:19
北恵那デ2様 こんにちは。
名古屋〜多治見間のEF58について資料確認ありがとうございました。
◆昭和46年4月26日改正時点―833レはDD51+PC+EF58
◆昭和47年3月15日改正時点―833レはEF58+DD51+PC
ということですね。
当方で前に書いたコメントは、P誌投稿欄に書かれていたことを要約したものでした。↓
◆P誌 昭和48年5月号TOPIC PHOTOS
  昨年夏835レ後回となっていたEF58は、
その後833レの前位に戻りEF58+DD51となった。
(昭和48年3月4日撮影833レの写真付き)

本日、新たにF誌でも関連する情報を確認しました。
◆F誌 昭和47年11月号REPORT
  835レがEF64+PC+EF58という珍編成になる。
  以前EF58+DD51牽引の833レがあったと言及あり。
(昭和47年6月25日撮影835レの写真付き)
北恵那デ2様の情報と総合すると、昭和46年以降に中央西線に入線していたEF58が付いた下り列車は、
833レでDD51+PC+EF58
833レでEF58+DD51+PC
835レでEF64+PC+EF58
833レでEF58+DD51+PC
という移り変わりだったことになり、昭和47年(48年初頭まで?)一時的に835レの後部回送になっていたと考えられます。
(続きます)
しなの7号
2017/08/02 17:00
(続きです)
多治見までEF64重連だった832レは、中津川から1区間だけ最前客車デッキで録音したことがあります。総括重連でなかったので、中津川インター付近で汽笛合図「―・・」が録れています。

中津川〜恵那間のC12は、最終末期には上下とも単機回送だったのは覚えています。単機の写真も撮りました。昭和48年6月26日に運転されたC12重連のときは、深夜2時台に重単回送を美乃坂本駅付近で見送った記憶です。そのあと貴方のお母様の自動車に乗せていただいて、一緒に阿木まで行きましたよ。
しなの7号
2017/08/02 17:10
ヒデヨシ様 こんにちは。
通称和田岬線、DD13のころに乗車されているのはさすがですね。私は気動車化直前に出かけていますので、DE10の牽引で、しかも休日だったせいか単機牽引でした。自信がなく根拠がない発言をお許しいただければ、大阪セメント「いぶき」は、甲種輸送ではなかったでしょうか。要するに「いぶき」自体が他社の車両であって賃送すべき貨物扱いなので、連結位置などは本文に書いた規定にはあてはまらないような気が? 連結位置は「後増ワフ前レケユソ」などとその都度指定されていたような?
しなの7号
2017/08/02 17:10
門鉄局様 こんにちは。
私もスマホの画面はとても見れませんし、使いこなせませんので、もっぱら書き込みなどはPCからです。

梅小路蒸気機関車館の開館当時、鷹取工場ではSL検修業務は廃止されていたものと思われます。その後長野工場で電車の検修を開始することになり、SLの検修が廃止されることになって、動態保存に危機に訪れます。その結果、「やまぐち」を含む保存機だけのために鷹取でのSL検修を復活させたという経緯ではなかったでしょうか。ネット上の情報を集合させて、そんな読み取り方をしました。

マニュアル通りに動く今の窮屈な世の中。たしかにマニュアルは仕事に必要な部分を具体的に要約したようなもので便利ですが、その基になった憲法から始まる規定類を知らないでいると、マニュアル至上主義になってしまって、生まれる結果がおかしな方向を向いてしまい、本質的に大切な部分がないがしろにされてしまうこともあるなあと思っています。

コメント欄で出てきたDD51後付けのC12は、回送なのでDD51の負担にならない程度の、自身の重量分だけ力行すればよいわけですが、異形式の機関車のみならず異動力の機関車による補助機関車による運転となれば、加速と引張力の特性はそうとう違うはずですから、機関士による職人技のひとつと言えるのでしょうね
しなの7号
2017/08/02 17:30
しなの7号様、こんばんは。
蒸気機関車が牽引機関車の次位について回送される写真は見た事ありますが、『有火』『無火』については初めて知りました。詳細な規定もあったのですね。
『有火』の場合は、単にぶら下がっているだけ…?だとすれば素人目では石炭燃料の無駄遣いな気がしますが…

小学生の頃、山陰本線を取り上げた書籍に、旧客の最後尾にキハ40がくっついている写真が掲載されているのを見ました。『このキハ40は回送なんやなぁ』とピンと来ましたが、今回の記事を拝見させて頂き確信を得ました。模型で再現するのもアリですね。

旧客に駅弁の立ち売り、古き良き昭和の鉄道風景、良い意味で鳥肌が立ちます。
はやたま速玉早玉
2017/08/02 23:05
こんばんは。
ぶら下がり回送、あんまり見たことがありません。
下り特急「まつかぜ」食堂車で昼食をとっていると、来待駅だったか、上り旧客普通列車が退避している脇を通過したのですが、後部に181系DC2両が繋がっていて、茶色のあとに特急色がちらっと現れ、何人かの乗客の視線が大慌てで右側に.....。テツの乗客まるわかり、私もそうでしたが。後藤工場への回送?
あと、博多で下り夜行急行「かいもん」を待っていると、本日は回送車両の寝台車を1両連結していますがご乗車出来ません、と当然となる内容でアナウンスが。確か銀帯オハネフ25が連結回送されていました。列車自体は満員で立ち客も出る状況、オハネフも開放してあげればいいのに、と思いました。
NAO
2017/08/03 00:21
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
蒸気機関車現役時代をリアルでご覧になっていない世代の方には、当然の疑問かと思いますが、有火であれば石炭と水も消費し乗務員も必要ですから無駄なようですが、蒸機機関車の火を消してしまうと、再び点火して走行できるようになるためには、何時間もの時間と人の手を要しますので、運用中に無火状態にすることはありません。運用がない深夜の機関区でも必ず点火番がいて、最小限の石炭とボイラ水を絶やさないよう補充して翌日の運用に備えていたものです。休車中や検査のときは無火状態にしますが、そういう状態での回送には、この例のような工場への入出場、他区への転属や貸出といった例がありました。

山陰本線の客車列車に気動車がぶら下がる回送は、雑誌でもよく紹介されていたので知っています。別の方のコメントにもあるように後藤工場への入出場回送だったのでしょう。
中津川の弁当売り。駅弁を売る人、お茶を売る人、ワゴンを押して飲料を売る人、それぞれ担当が決まっていて、今でも顔はもちろん、売るときの口上も全部記憶に残っています。
しなの7号
2017/08/03 09:36
NAO様 こんにちは。
一昨年に山陰に行ったときには、米子駅で本線上を1両だけで走るキハ187を見ました。やはり後藤からの出場からの回送だったのでしょう。特急車のぶら下がりといえば、雷鳥にぶらさがったアルコン似の「ゆぅトピア和倉」のキロ65を思い出しますが、短命でした。
急行「かいもん」は、客扱いにしたら定数オーバーしたのでしょうかね???
しなの7号
2017/08/03 09:44
遅ればせながら探したらありました。
833レでEF58が前だったんですね。
http://manoeriwagner.seesaa.net/article/387075805.html
中央西線
2017/08/03 19:59
中央西線様
昭和47年3月15日改正以後の833レでは、EF58+DD51+PCということですね。
しなの7号
2017/08/03 20:40

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