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zoom RSS 【832】 撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」

<<   作成日時 : 2017/12/04 06:40   >>

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毎月1回第1月曜日に、その月に行った撮り鉄の話を、そしてその週の木曜日には、その月に行った乗り鉄の話をアップしています。 今回は今から44年前に山陰本線と北九州に蒸気機関車末期の姿を撮影しに行ったときのことを書いてみます。
1973年の夏休みには友達の誘いもあって、8日間に及ぶ九州の蒸気機関車撮影旅に出かけたばかりでしたが、その年の年末にまた出かけました。

【1日目】
翌日から冬休みという12月25日、学校からいったん家に帰った後、夕方の列車で同級生たちとともに出かけました。その夜は「山陰」という列車名がまだなかったころの山陰本線京都発22:04出雲市行普通列車の座席で一夜を明かしました。牽引機関車は初めて見たDD54でしたが、各駅で発車するときの衝撃がひどく眠れませんでした。それはDD54の性能によるものなのか、機関士の技量によるものかはわかりませんでした。

【2日目】
まだ暗く積雪がある未明の倉吉で列車から降り、すぐ接続していた旧倉吉線(1985年廃止)のC11が牽引する混合列車に乗り換えました。この列車では途中駅で入換作業も行っていました。私どもはこの列車の終点である関金駅で下車し、そのあと倉吉線内で場所を変えながら午後までC11が牽く列車を撮影して過ごしました。倉吉線自体は関金のさらに先にある山守が終着駅でしたが、関金から先は列車が少なく、SLも入線せずDC列車しかありませんでしたので、関金から山守の区間には永久に乗れずじまいになりました。
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このあと、倉吉からDC急行だいせん1号で宿泊地となる浜田へ移動。日が暮れて車窓も見えなくなって、がら空きになった車内で、誰かが読み捨てていった少女漫画雑誌を拾得し、はじめて読んだ少女漫画が妙に新鮮に思え、その旅の間、ずっと持ち歩き、列車の中で読んでいました。
この急行列車の車内放送の一部を録音した音声を【605】山陰旅行の今と過去6:車内放送の中でアップしていますので、よろしければお聞きください。

夏場と違って駅寝はきついし、前日が夜行だったので、この日の宿は出かける前に時刻表巻末の旅館案内のページで、浜田にあった4軒の旅館のうち最高額が一番安いところに宿泊しました。旅行に行く前日、学校からの帰り道に公衆電話の電話機に10円玉をいっぱい積んで「素泊まりで」と言って予約しました。その旅館は駅から距離があり、しかも老舗旅館のような木造の立派な旅館でしたが、そんなことは時刻表の旅館案内ではわかりませんでしたし、ほかに廉価な駅前旅館があるのかどうかということは、旅に出る前に情報が得られない時代でした。

【3日目】
6時台の列車に乗るため、まだ暗い中を汚いリュックを背負い、重いラジカセやカメラを持った我々が旅館を出るとき、玄関先で仲居さんが言った言葉は今も忘れられません。
「あなたたちが泊るところじゃなかったわね」
「…」
浜田からいったん東に位置する江津へ戻り、三江北線の逆向きC56の貨物列車を撮影しました。この旅では山陰周遊券を使いましたから、経路を戻ることが可能でした。三江北線が三江南線とが結ばれて三江線として全通したのは、その翌々年になります。
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そのあと、D51撮影のため山陰本線内を三保三隅、岡見、宇田郷と場所を移動しました。
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冬の日没は早いので、16時過ぎで撮影は終了になります。もう翌朝までやるべきことがなく外は寒いので、山陰周遊券を活用して、上りの普通・急行を乗り継いで再び東へ戻って23:21に大田市までたどり着きました。別に大田市に用があるわけでもなく、ここへ来た目的は、反対方向の大田市発23:52下り客車急行さんべ3号博多行に乗るためで、その自由席がこの日の宿になりました。ボックス席に相席させてもらうと、先客がミカンをくれました。

【4日目】
未明の3:54長門市で急行から降り、上り一番列車で折り返し、玉江でD51の撮影。
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この旅では不覚にも家に望遠レンズを忘れてきたので、たいへん不便な思いをしました。昼過ぎには撤収して長門市に立ち寄った後、DC急行さんべ2号で九州入りしました。九州は山陰周遊券の経路から外れますので別払いになります。この日の宿となる後藤寺に行くため、小倉から初めての日田彦山線のDC列車に乗ったのは夜の通勤時間帯でした。そこそこ混んでいた列車の中で、ドアの近くに立っていた岡崎友紀タイプのオネイサンが気になりました。彼女がどこで降りるのか気にしていましたら途中の石原町で降りていったことは今でも記憶に残っています。そんなことが気になっていたのは、2日前に初めて読んだ少女漫画の影響だったのかもしれません。

後藤寺では、夏休みに泊まった同じ駅前旅館に泊まりました。ここはSL撮影者の常宿みたいなところで、こういうところこそが私どもが泊るべき旅館で、雑魚寝に近いような宿でした。

【5日目】
九州の冬の日の出は遅いです。朝方は後藤寺線の貨物列車の撮影。
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そのあと旧室木線(1985年廃止)の始発駅、遠賀川へ。
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室木線の蒸気列車の発着と鹿児島本線を快走する列車群を撮影し、室木線自体には乗ることはなく、この線区も未乗のまま残る結果となりました。そのあとは筑豊本線の二島に移動しました。
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ここへ来た最大の目的はD60の撮影でした。D60は、.このころ国鉄で最後に残った2両が若松区に配置されていましたので、この列車に合わせてここに来る必要があったのでした。
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この列車を撮影したところでこの旅での撮影は終了し、帰路につきました。黒崎へ行き、そこから名古屋まで夜行客車急行「阿蘇」に乗って帰りました。高校生の分際で贅沢だと思いましたが、初めてB寝台を利用したのがこのときでした。

【6日目】
急行阿蘇号で午前中に名古屋に着きました。
このときの阿蘇号のことは、【701】【名古屋】旧客編成・急行阿蘇【熊本】で書きました。車内放送の音声を、その記事内でアップしていますのでよろしければご覧ください。

高校時代の長い鉄旅は、これが最後で、あとは日帰りか1泊程度になりました。そして夜行明けの日は旅先では充実していたとは言えなかった現実をこの年の夏休みに味わったことで、体力的な限界を知り、充実した状態で旅することには限界があると悟ったのも事実でした。名古屋発の山陰周遊券は9日間有効でしたから有効期間にはまだ余裕がありました。このとき一緒に行ったメンバーには、もう一日九州で撮影を続けて大晦日に帰ってきた人もありました。私は体力的なことや資金的なこともありましたが、遊んでばかりいて勉強をしないだけでなく、家の手伝いもしないことを母にとがめられていたのに出かけたという事情がありました。昭和の時代、それも戦前生まれの母に言わせれば、年末は大掃除や食糧の買い出しなどを家族総出でやって、家族全員で年越しをするものであって、年末に遊びに行くなんてもってのほかという考えだったようでした。「猫の手も借りたいほど忙しいときに一人で遊びまわってる者がいるもんか! 〇〇君を見てみよ! 親の片腕になって家のことをしているのに云々」と言われていたのでした。そう言った母も今年米寿を迎えましたが、50年前の常識は今でも変わっていないようです。そして私の常識もまた、国鉄があった30年前から抜けきっておらず、もう今どきの常識にはついていけなくなっていることを感じ取ることが多くなっています。


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
しなの7号様、こんばんは。
初めに、お乗りになった急行だいせんですが、号数の付く列車で1号が終着到着の頃は夕刻というのも当時の国鉄長距離列車の威厳を感じます。
苦労された撮影スケジュール、お写真はどれも力作ですね。私なんかただ乗るだけで、列車の走る景色と言えば複線区間で上下線が離れて敷かれている区間でたまたますれ違った列車を車窓のなかで見てきただけですので。
私も今度書きますが、宿泊施設の情報があまり得られなかった時代、高校生の私は電話で予約する勇気がなく、旅行会社で北陸周遊券と同時に宿泊クーポンを購入したのですが、さすがにホテルのフロントでは言われませんでしたが、あなたが泊まるようなホテルではありませでしたね、と思われていたのでしょう。社会人になってからの乗り鉄での宿泊施設の方が廉価でしたから。
NAO
2017/12/04 21:51
NAO様 こんにちは。
このとき乗った京都発の夜行は出雲市行に短縮されていましたが、当時の時刻表によれば、京都発の朝一番列車(5:20)は浜田行で、浜田着時刻は21:24。これは終列車の1本前の列車にあたります。長距離列車の宝庫だった山陰本線も、新幹線との乗り継ぎコースが定着してからは、線路はつながっていても列車の運行形態から言えば別線に分断されていますね。このころ山陽新幹線は岡山まで開通していました。

私は宿の手配のために旅行会社に出向いたことはめったにありません。この年の夏の九州では「安いとこで!」を強調して現地の駅で宿を紹介してもらったり、宮崎ではタクシーの運転手に紹介してもらいました。今はネットでバーゲン宿泊プラン。
しなの7号
2017/12/05 09:42
しなの7号様、こんにちは。
倉吉線の混合列車、C11と客車の間に貨車が挟まった編成、暖房が使用できないのではないですか?まさかのストーブ客車?
『はやたま』の和歌山市→和歌山の4924列車はSG非搭載のDD13、運転区間が短いので暖房無しでもオッケイの判断だったそうですが。

公衆電話に10円玉をいっぱい積んで…私も子供時代はやった事ありますが…若い方には通じませんね(苦笑)

1973年夏は私は1歳、物心ついた時には蒸気が引退、だからかも知れませんが、逆向きの蒸気機関車の写真にはすごく違和感があります。本間にこれで走れるの…みたいな。

年末大掃除は嫌いです。昔の考えに逆行してますが、無理に年末に必死こいて行う必要は無いのでは。寒くて体が動かず能率悪いし、拭き掃除にお湯(オユ?)を使うとガス代がもったいない。
私は、5月や10月に大掃除する派です。ゴールデンウィークの人混みには出かけたくない、こんな期間こそ自宅でお掃除(*≧∇≦)ノ






はやたま速玉早玉
2017/12/05 13:41
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
このとき、暖房についてまったく考えなかったのですが、のちになって得た知識として、混合列車に使用された客車にはウェバスト式という軽油燃料の温気暖房が用いられていたそうなので、倉吉線もその方式だったのではないでしょうか。暖房なしではとても耐えられそうもありません(*_*;

先日、余っていたテレホンカード消化のため、公衆電話からお寺に電話して、後日お寺で住職に会った時、ナンバーディスプレイに「公衆電話」と出ていたのでいたずら電話かと思ったとのこと。公衆電話からは電話しにくいなあと思うようになりました。時代は変わるものです。

逆向きの蒸機は絵としてはかっこよくないですが、線区によってはごく日常のことでした。運転するほうも大変だったと思います。速度制限があったりしました。

昔の人は数え年を使っていましたから、正月は全員にとって誕生日のような日だったと思いますので、今以上に特別な日だったと思います。私は正月も仕事をする乗務員でしたので、今も昔も休みでなくてもそれほど気になりません。大掃除は何かきっかけがないとやらないものですから、年越しというきっかけは必要でしょうが、皆が出かけて混雑するときにこそやるべきですね。うちはいつも思い付きで陽気のいい時期にやってます。
しなの7号
2017/12/05 14:27
しなの7号様 こんにちは。
「あなたたちが泊るところじゃなかったわね」はどちらの意味だったのでしょうか。
@てめーらみたいなケツの青いガ〇のくるところじゃねぇ
A大事なお小遣いを使って泊まってくれたのでしょうね。うちは高価くてごめんね。でも大人になったらまた来てね。

20代のときでしたが、イタリア製の某スポーツカー(中古)が欲しくて、清水の舞台から飛び降りる気持ちで全財産をもって、名古屋の自動車屋に行ったことがありました。一緒に行った友人も貧乏そうな風貌で、一緒にボロいカローラに乗っていきましたが、店主には「上記@」を吐き捨てられ、ショール―ㇺにさえも入れてもらえませんでした。
以来、名古屋に行くときはいつもそのことを思い出して凹んでしまうので、なるべくお気に入りの列車に乗って、矢場とんと山本屋うどんをハシゴして、ごきげんをたもつようにしています。笑

P.S.
近年、その友人が新車を買うというので、国産ディーラーについていきました。たまたま、ぼくの方は例のスポーツカーに乗っていったのですが、「ご同行のご友人様(=ぼく)、ぜひとももう一台、ご通勤用に新型GT-Rはいかがでしょうか」という素晴らしいセールストークとともに積極営業をかけられてしまいました。
もちろんそのようなお金はございませんので、丁重にお断り申し上げました。
やくも3号
2017/12/06 15:55
やくも3号様 こんにちは。
@でしょう(*_*;
あきらかに場違いでした。本文にも書いたように素泊まりでしたが時刻表に書いてあった最低料金(一泊二食)は他所より安い設定でした。それは駅から遠いという立地のためだったのでしょうか。おそらく素泊まりならもっと安い駅前旅館などがあったのだろうと思われます。この旅館、ググっても出てきませんし、今の時刻表には載ってません。2005年に山陰に行った折、浜田で1時間ほど乗継時間があったので、どうなっているか興味があったのですが、駅構内や駅前にその旅館の看板はありませんでした。駅から旅館への往復はどちらも暗かったですから所在地や道順は全く記憶にありませんでした。ビジホになったか廃業か?…、消息はつかめませんでした。

名古屋人はそれだから嫌われるんだと、先日コメントをいただいたアンチ名古屋らしき某氏もおっしゃるでしょうね(;^ω^) 
先月、やくも3号様ではない関西方面からお越しの方に同行し、彼のご要望で「矢場とん」本店に行きました。駐車場には他県ナンバーの車ばかりが… その方は帰りに山本屋うどんを買ってお帰りになりました。

私も乗っているクルマで似たような体験をしたことがあります。マンション購入時の説明会のときでした。マンションはまだ工事中で、お客様駐車場にボロいスプリンターワゴン(一応5ナンバー)で入ろうとすると、分譲会社の誘導案内係が「業者の駐車場はあっちあっち!」
(別に高級マンションではありません)
しなの7号
2017/12/06 17:19

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