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zoom RSS 【833】 乗り鉄12か月…2002年12月 北関東・みなみ東北

<<   作成日時 : 2017/12/07 07:20   >>

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2002年秋から、コンデジを使い始めた。その時点で国鉄分割民営化から15年もの月日が流れていて、国鉄型車両は減少して、被写体とすべきものが少なくなりつつあった。その少なくなった被写体には人々が集中するようになって、群衆の中で写真撮影をすることがストレスになった。「復活○○」「ありがとう○○」のようなJRの増収を目的としたイベントにも近寄りたくなくなった。そして個人的に乗り鉄中心の旅が増えていたこともあり、いつも撮りたいときにちょっと撮れて持ち歩きに便利で軽いコンデジが自分の使い方にもっとも適していた。
カメラは変わっても、新しいカメラを持つとどこかに行きたくなることに変わりはなく、その年の9月にはさっそく2泊の行程で四国へ渡り、四国島内に残っていた旧国鉄線を完乗し、翌10月には「【829】乗り鉄12か月…2002年10月 広島・山口県下の旧国鉄線」で書いたとおり、山陽方面の未乗線区に乗りに行き、その1週間後には、千葉県のいすみ鉄道(旧木原線)・久留里線へも行っている。11月には乗り鉄こそなかったが、日帰りで毎年恒例にしている長野の善光寺参拝に出かけ、12月には、今回書く烏山線・磐越西線・会津鉄道(旧会津線)・野岩鉄道(国鉄としては未開業となった鉄建公団建設線)・日光線・わたらせ渓谷鉄道(旧国鉄足尾線)に乗りに行って、さらにそのあと、九州にも行っている。
家で子供たちに手がかからない年頃になったことで、自由時間が増え、仕事面でも7年ぶりに、国鉄からの転職直後に8年間続けた職種に戻れて余裕があった年でもあった。
しかし、何度も出かけて旅費は嵩んだから、毎回節約を旨として、12月の旅でも青春18きっぷを購入してJR在来線部分に使用した。
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乗り鉄旅の未乗区間で居眠りしていては何のために来たのかわからないので、この7年前に東北に行ったときに特急日本海に乗ったのを最後に、乗り鉄旅の目的地までの往復に夜行列車に乗ることはしなくなった・・・というより利用できる夜行列車が減っていきつつあった時期でもあった。また「周遊きっぷ」の縮小が始まったのが、この年の秋であった。だんだん乗り鉄旅もやりにくくなってきた時期で、このときも東京までは新幹線で往復し、その切符は金券ショップで自由席回数券のバラ売りを買った。
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高蔵寺5:46―(3600M)―6:12名古屋
名古屋6:34―(ひかり292号)―8:33東京

私は名古屋から東京方面に行くときには、早朝に2本あった名古屋始発の「ひかり号」で確実に座り、帰りは東京で必ず1〜2本列車を見送って次の列車に座ってくるので、一人で新幹線に乗って東京方面に出るときに指定席を利用したことは一度もない。これだけでかなり節約になる。

東京―(山手線)―上野
上野9:06―(549M)―10:50宇都宮
宇都宮11:20―(551M)―11:31宝積寺

まず、烏山線が分岐する宝積寺まで東北本線(宇都宮線)に乗るが、東北地方や北海道に行くときには東北新幹線を使うことが多かったので、在来線に乗る機会は、こういうとき以外にはないから、これはこれでよい。そういえば日中に宇都宮あたりの東北本線に乗ったことは、このほかには1度しかなかったように思う。

宝積寺11:39―(333D)―12:13 烏山
烏山12:41―(336D)―13:22宝積寺
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天気は小雨模様であった。烏山線の1往復はキハ40の2両編成であったが、この線区専用仕様の改造車で、座席はロングシ−トでトイレはない。今はそのキハ40も烏山線からは引退しており、蓄電池駆動電車EV-E301系「ACCUM」に置き換えられている。

宝積寺13:32―(755M)―14:10黒磯
黒磯14:17―(2141M)―15:18郡山

黒磯から先は昔だったら機関車けん引の客車列車だったのにという思いがするのは、あまりにも格差がありすぎる701系電車のせい。客車時代に比べれば相当スピードアップしているのはよいことであるが、せっかく日中に乗っているのに車窓を堪能できないロングシートでは、「乗せられている感」がどうしても強くなる。
ところで今年秋から黒磯駅が完全直流化され、701系は黒磯には顔を出さなくなっている。交直流をまたぐ列車はE531系電車とキハ110系気動車に置き換えられたとのことであるが、気動車が使用されていることには、国鉄時代の北陸本線の米原口を想起させる。

郡山15:37―(4243M快速ばんだい13号)―17:04喜多方
喜多方17:20―(4246M快速ばんだい16号)―17:36会津若松
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郡山から磐越西線に乗り換える。
この時点で磐越西線郡山〜新津間176.3q中、未乗区間が郡山〜猪苗代間37.4qと、会津若松〜喜多方間16.6qの2か所に分断した状態で残っていた。
この時から遡って11年前に、磐越西線へは新津から入って猪苗代で引き返して会津若松から只見線経由で帰ったから郡山〜猪苗代間が未乗で残っているのは仕方がないことであったが、会津若松〜喜多方間が歯抜け状態で残ったのは、そのとき大雪で運転見合わせになっていたからで、代行輸送もなく並行する路線バスで移動したからであった。そして今回の行程は会津若松から会津鉄道に入ることになっている。11年前の大雪の影響で今回の会津若松〜喜多方間に寄り道しなければならなくなったことは、実は翌日の行程に大きく影響してしまった。未乗区間に夜間乗ることは極力避けたいのだが、12月の早い夕暮れにかろうじて間に合う時間に喜多方まで来るために逆算すると、本来なら烏山線の前に乗らなければならない未乗の日光線を翌日回しにしなければならなかった。普通の人なら東北新幹線を利用して時間を稼ぐだろうし、そういうために使う新幹線ではあったが、18乞食ゆえにそういう選択肢は考えなかった。
景色の良い磐越西線のはずだが、この日は天候がよくなかった。列車は遅れることなく乗りとおすことができたが、喜多方に着いたときはほとんど暗闇になっていた。
この日は翌日の会津若松の出発時刻が早いこともあって、喜多方到着後は11年前に喜多方駅前で地酒を買った商店がそのままあるのを確認しただけで、折り返し編成の列車で会津若松に戻って泊まった。
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会津若松6:33―(3105D AIZUマウントエクスプレス)―8:01会津高原
会津高原8:02―(野岩鉄道・東武鬼怒川線)―9:10下今市
下今市9:16―(東武日光線)―9:25 東武日光

18乞食の貧乏旅行であることに関係なく、翌朝は早起きしなければならなかった。AIZUマウントエクスプレスに乗るためである。
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このころのAIZUマウントエクスプレスは、元名鉄「北アルプス」用だったキハ8500系が使用されていたが、乗車券以外の特別料金は不要なので乗り得な列車であった。西若松までの3.1kmだけはJR東日本の只見線なので、青春18きっぷでも乗れた。
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西若松でいきなり15分も停車した。ここから先は会津鉄道線なので青春18きっぷが使えないとあって、停車中にいったん下車して会津高原駅(国鉄時代の会津線の終点会津滝ノ原駅で、現在は会津高原尾瀬口に再改称)までの乗車券を別途購入した。会津高原では野岩鉄道の列車にわずか1分連絡というのがきわどい。同じホームで少ない乗客なので問題はなかったが、5分くらいあれば列車の写真を撮影したり駅の周辺を見回したりできるのに、それもできなかった。そのため会津高原駅の印象は何も残っていない。たぶん2度と来ないだろうから、野岩鉄道の列車車内では、日光までの乗車券のほかに、乗車記念に1区間だけの乗車券も買った。
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この野岩鉄道の列車は、東武鉄道に乗り入れて、下今市駅で東武日光発の列車と併結されて浅草まで直通するが、私は前日乗り残した日光線に乗る必要があるので、下今市で降りて乗り換え、東武日光まで行った。東武日光駅からJRの日光線が出る日光駅までは歩けばすぐの距離ではあるが、私が乗ってきた東武の列車が東武日光駅に着いてから、JRの日光駅から乗る列車との乗継時間はわずか3分しかなかった。
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画像は、東武日光に着く直前に東武の車窓から見えたJRの日光駅と、自分が乗るべき列車である。到着後に大急ぎで改札を出て、JRの日光駅へ全力疾走して、日光駅の写真を大急ぎで撮って、JR日光線列車駆け込んだ。そして動き始めた列車の車窓から駅名標を撮影した。私は日光に行ったことがあるかと言われれば、行ったことに偽りはないわけだが、わずか3分の滞在で、そのほぼすべての滞在時間は全力疾走していただけだし、もちろん東照宮のことを聞かれても、行ったことがないからわからない。いずれ行ってみたいとは思っている。

日光線に乗ったあとに乗るべき旧国鉄線は、旧足尾線のわたらせ渓谷鐵道であるが、わたらせ渓谷鐵道も日光からは距離的に近く、日光からバスに40分程度乗れば、終点の間藤駅から乗ることも可能である。前日にで日光線に乗っておけば、2日目に東武日光からそのままバスで効率よくわたらせ渓谷鐵道へ行けたわけだし、全力疾走しなくても済んだわけだが、前述のようなわけで2日目は日光線〜東北本線〜両毛線を乗り継いで桐生まで遠回りをして、わたらせ渓谷鐵道を1往復する行程になった。時間はかかるが、行くべき線区にはもれなく乗れるわけだし、なにより青春18きっぷだから、JR線ならどれだけ遠回りしようと余計な出費はない。

日光9:28―(836M)―10:08宇都宮
宇都宮10:10―(3526M快速ラビット)―10:36小山
小山10:42―(446M)―11:41桐生
桐生11:57―(723D)―13:31間藤
間藤13:43―(728D)―15:20桐生

はじめてのわたらせ渓谷鐵道は私好みの鉄道であった。間藤まで1往復しただけで、どこにも途中下車もしない変な客ではあるが、少ない乗客の列車で渓谷を走る列車の車窓を見ているだけで、その客は十分に楽しんでいるんだから心配には及ばない。かつてC12の重連が走った線であり、「時刻表二万キロ」で作者が国鉄線を完乗した線かと思うだけでも感慨深い。
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上の画像は終点の間藤駅。この先(撮影者の背後のほう)も、赤錆びた線路は貨物駅であった旧足尾本山駅跡まで続いている。
ここのように特定地方交通線を引き受けた第三セクター鉄道では、JR線のローカル線よりも旧国鉄の施設がそのまま残されていることが多いので、車両を除けば昭和の国鉄臭を味わうことができる。下の画像は沢入駅。
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桐生15:33―(458M )―16:05前橋
前橋16:16―(3936M快速アーバン)―18:05上野
上野―(山手線)―東京
東京18:30―(ひかり235号)―20:22名古屋
名古屋20:34―(3177M)―21:01高蔵寺

この旅で乗車済となった未乗区間
烏山線 宝積寺〜烏山20.4q
日光線 宇都宮〜日光40.5q
磐越西線 郡山〜猪苗代37.4q
磐越西線 会津若松〜喜多方16.6q
会津鉄道会津線 西若松〜会津高原57.4q
野岩鉄道会津鬼怒川線 会津高原〜新藤原30.7q
わたらせ渓谷鉄道わたらせ渓谷線 桐生〜間藤44.1q
(野岩鉄道は旧国鉄線ではないが、国鉄線として開業することを前提とした鉄建公団建設線となっていた線区なので、乗車すべき線区とした。)

この旅で、この時点で旅客営業していたJR東日本とその営業エリア内にある特定地方交通線転換路線が一気に完乗に近づいた。このあと首都圏とその周辺に残した一部の歯抜け未乗区間と、過去に乗ったかどうか怪しい区間や、過去に乗ったのは確実だが乗車日が特定できない区間といった印象が薄い味気ない区間への訪問が主となった。


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今年1月から毎月1回ずつ続けてきた「撮り鉄12か月」と「乗り鉄12か月」は今回で完結です。過去の記録と画像を見ながら、どの旅のことを書こうか考え、なるべく中学・高校時代、国鉄在職中、国鉄退職後までと、時代を幅広く掲載するような方針で連載してまいりました。ご覧いただきありがとうございました。

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なお、今月から記事更新を毎週月曜日と木曜日に戻しますので、来週以降もよろしくお願い申し上げます。



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コメント(6件)

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おはようございます。
私が烏山線ワンマン仕様キハ40上りに乗ったとき、宝積寺到着前に運転士さんが受話器型のマイクで、東北本線乗り換え案内(宇都宮直通列車だったのですが接続する先発普通電車もありました)、ここからは車掌が乗務する等、ハンドルを握りながらのかつてのカレチさん顔負けの放送をされたのにはびっくりしました。
野岩鉄道、会津鉄道はおろか、東武鉄道も北千住-堀切の2駅間しか乗ったことがなく、わたらせ渓谷鐵道しかりです。宮脇氏はまさかこんなところで国鉄を完乗するとは思っていなかったと書かれていましたが、今は国鉄臭(笑)の漂う路線、当時はどうだったのでしょうね。タクシーの運転手との国道122号線日足トンネルの話しが出てきましたが、今は日光市営バスが足尾-日光間を6往復しているのですね。もっと早くに野岩鉄道が出来ていたら犬に吠えれれなくて済んだのに、なんて思われたのでしょうか。
元名鉄キハ8500も乗ったことはありませんでしたが、第二の人生をまた別の観光路線で送っていたのは嬉しかったです。名鉄時代は富山地鉄乗り入れは叶いませんでしたが、会津鉄道に移ってから直通運用になっていたのですね。

ブログ通常ダイヤ再会、楽しみにしておりました。今後も面白いネタを期待しております。
NAO
2017/12/07 09:55
NAO様 こんにちは。
JRになってからは、車掌から運転士になる関係で、ワンマン運転士氏による到着時の懇切丁寧な乗換案内肉声放送に出くわすことがありますね。
最近では「【508】中央西線の代行バス」
(http://shinano7gou.at.webry.info/201408/article_1.html)
で、書いた日の帰路、松本発「野尻」行普通列車で、塩尻〜野尻間がワンマンで運転されており、通常ではありえない野尻行では自動放送が使用できないようで、全駅の発車時と到着時に運転士氏がマイクを握り運転しておられました。携帯電話使用等に係る交通事故が問題になっているのに、異常時とは言ってもそれをやらなければならない運転士氏、ご苦労様と思いました。

宮脇氏の作品に書かれている箇所は列車に乗っていると気になるものですね。このあたりでバスから降りたな、犬が吠えたのはどの辺かな?などと。そりゃあ、あんなところを見知らぬ人が歩いていれば不審人物!と思いました。 聖地間藤には例の赤いマジックペンで乗車線区を塗った武揚堂の白地図コピーなどが展示されていました。

私が乗った会津鉄道キハ8500は3社直通運転(JR東/会津/野岩)でしたが、東武にも乗り入れて4社を股にかけて走っていたのですね。もともとそういう血筋というべきなのでしょうか。その後も保存期間を経てマレーシアに渡った車両もあって波乱万丈です。私が乗った車両は国内残留組です。
しなの7号
2017/12/07 11:34
しなの7号様、こんにちは。
本日私は午後から金券ショップで青春18きっぷを購入してそのままパチンコ屋に行く段取りです。冬季期間中に日帰り旅を5回(内4回は北陸本線絡み)行うのですが…
昔に比べて鉄道旅も『スパイス』が無くなりましたね。急行列車が無くなり、周遊券も廃止され、並行在来線問題で青春18が通用しない区間も出現。さらには車両、駅舎も国鉄らしさが失せ、代わりに投入されたのがロングシートではねぇ( >д<)
乗るだけなら味気なくなりがちですから、可能な限り温泉、地酒、ウォーキングと旅の『スパイス』をプランにねじ込み自分自身で旅を盛り上げています。

わたらせ渓谷鐵道の国鉄らしさ、こういう心温もるモノは大切に残して頂きたいです。

名鉄キハ8500系北アルプスは乗れず、見れずでした。その昔8000系時代の名鉄、国鉄、富山地方鉄道の3社乗り入れなんて心シビれる運行形態でした。
はやたま速玉早玉
2017/12/08 11:07
はやたま速玉早玉様 こんばんは。
私も今シーズンはひさしぶりに青春18きっぷを買う予定にしています。昨シーズン以降は冬用タイヤを持たない生活になりましたので、この時期には自動車での移動を制限されるようになりました。つまり移動のための18きっぷ購入ということです。おっしゃるように鉄道旅のスパイスは格段に減ってしまいましたから、昔のようなワクワク感はそれほどありません
どうせ行くなら国鉄らしさ、昭和の面影が残るところへ行きたいものです。

名鉄キハ8000系の中部地方横断3社直通も、キハ8500系のJRキハ85系との併結運転も魅力でしたが、名鉄自体もずいぶんとスリムになってしまいました。かつての鉄道趣味にあった面白さが確実に消えていきつつあることを感じます。もっとも別の意味では、鉄道の魅力がたぶん新たに生まれていきつつあるのだろうと思いますが、昔人間にはそういうことが魅力として捉えられなくなってしまっているのかもしれません。

しなの7号
2017/12/08 20:10
しなの7号様こんばんは
私はこの関連する線路は野岩線を除いて国鉄在籍時に踏破しています。
ただ車両はなんだったかと言えば当時はありふれていたキハ20や115系電車であったろうから全く記憶に無いものばかりです。
超有名な国鉄日光駅駅舎の裏側というのは殆ど撮影されることもないので興味深いです。
駅本屋とホーム屋根の繋がりかた。
まるで西枇杷島駅のような端部の狭いホーム。
終着駅なのにホームが二面もあるのは忘れていました。
ヒデヨシ
2017/12/10 22:52
ヒデヨシ様 こんにちは。
私は国鉄時代には仕事で列車に乗るばかりで、わざわざ乗りに行った国鉄線は限られますが、そのころの国鉄ローカル線はどこに行っても同じ系列の車両が同じ塗装、同じ内装で走っていて、線区ごとの列車に特徴が少なかったですね。今同じような経路で乗り歩いても、自分が行ったころとはまた違った印象になるでしょう。それほど時がたったということでしょう。
言われてみれば、掲載した日光駅の画像は、東海道本線の車窓から見た名鉄西枇杷島駅に通じるものがあります。
しなの7号
2017/12/11 10:41

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