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zoom RSS 【836】 乗務した車両: 80系気動車

<<   作成日時 : 2017/12/18 05:00   >>

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特急は「しなの」しか乗務行路上になかった最下位組の専務車掌だった私ですが、予備勤務のときには変わった列車に乗ることもありました。
1985年(昭和60年)の12月のこと、その日は緊急対応の日勤で、どのような列車に乗務してもよい覚悟をきめて、朝8時30分に車掌区に出勤すると、いきなり助役から「“ひだ”に乗ってもらうで、用意しといてな」と言われました。高山本線の特急「ひだ1号」に乗務予定の専務車掌が何かの事情で乗務できなくなったようでした。
画像

(画像は「ひだ3号」1986年5月1日 尾張一宮で)

その行路は
名古屋9:23−(5001Dひだ1号)−高 山12:20
高 山13:24−(5004Dひだ4号)−名古屋16:27

本務2回目の高山本線、そして初めて乗務するキハ80系。高山で折り返して夕方に名古屋まで戻って勤務終了。1日中、車掌区で待機しているよりいいではないですか。まるで一般サラリーマンの定時帰宅みたいな、こんなにいい時間帯の日勤行路など、最下位組の専務車掌には1本もありませんでした。
「ちょっと“しらさぎ”で富山まで行ってよ」と言われれば、仕事がきちんとできる自信が全くないので、たじろぐことになりますが、ローカルな高山本線には、この1か月前に急行「ユーロライナーのりくら」(詳細は「【386】思い出の乗務列車24:臨時急行「ユーロライナーのりくら」(前篇)」で書きました。)で1往復したばかりでした。そのとき停車した駅の信号機や出発反応標識の位置は覚えています。それに予備勤務ならそんなこともあろうかと、こういう日がくることを想定して、急行「のりくら」で行われた線路見習とは別にプライベートで高山まで「ひだ」に乗務する先輩たちの仕事ぶりを拝見するために自主実地訓練?に出かけたこともありました。どのみち「ひだ」は車掌長との2人乗務ですから、わからないことがあってもなんとかなります。

5001D「ひだ1号」の途中停車駅
尾張一宮・岐阜・美濃太田・[福来(信)]・下呂・飛騨萩原・飛騨小坂
5004D「ひだ4号」の途中停車駅
[飛騨一ノ宮]・久々野・下呂・[焼石]・飛騨金山・美濃太田・[坂祝]・岐阜・尾張一宮
※[ ]内の停車場は運転停車(行違い待ちの停車でドアは開かない)

キハ80系の車掌スイッチ(扉を開閉するためのスイッチ)は、他の車両にはない形状でした。他の車両の車掌スイッチには、形式によって押しボタン式と押棒転換式とがありましたが、どちらも下から押し上げればドアが開き、上から押し下げれば閉まるという関係については統一されていて同じでした。
(車掌スイッチについては「【553】車掌スイッチ」をご参照ください。)
キハ80系の場合は押しボタン式に分類されますが、上下ではなく左右に押しボタンが並んでいました。しかもその真ん中に連絡用ブザーがあるので、3つのボタンが水平に並んでいて、慣れないと左右どちらのボタンが「開」なのか「閉」なのか、感覚的にわからないのです。車掌が車掌スイッチを取り扱うときは、当然に列車とホーム上を監視していますから、押しボタンに視線が行きません。
画像


この日、往路の美濃太田到着時にさっそく間違えてしまったようでした。
「停止位置オーライ。」
自分では車掌スイッチの「開」ボタンを押したつもりで、ホームにひょいと降りて、前を見ると乗降が始まりませんし、チーフがキロ80の乗務員室の窓からこちらを振り向きます。車側表示灯が点灯しない。アレ? もう一度車掌スイッチの「開」の字を確認して押しボタンを押すと車側表示灯が点灯して乗降が始まりました。たぶん誤って「閉」のボタンを押してしまったのでしょう。
画像

1984年10月25日 1033Dひだ3号 
(飛騨小坂〜渚。列車後方から撮影)
キハ80系には電気ヒーターによる暖房が採用されており、急行用のキハ58系のようなバルブ開閉で温度調整をする温水暖房とは違っていました。
(急行・普通列車用気動車の暖房については「【541】 国鉄気動車の暖房」をご覧ください。)
では電車と同じかというと、そうでもありませんでした。電車では、各車の暖房回路が、165系などはクロスシートの左右交互に、113系ではロングシート部分とクロスシート部分にそれぞれ1回路ずつ配線されていました。その2回路の暖房回路を、運転室にある暖房制御スイッチを操作することによって、全編成一括で入切できました。しかし、キハ80系の暖房は全編成一括制御ができず、1両ごとに、出入台壁面にある配電盤の中にある6個の暖房スイッチの操作で手動による温度調節をしていたのでした。スイッチは客室の部位別(左右それぞれ前・中・後)に全部で6回路あるというわけで、進行方向による客室の前・中・後部の温度差と、日照や風向による左右の温度差に個別に対応できるということなのでしょうか。窓が開く列車が主流だった時代に、換気扇(これも各車単独制御)と固定窓を装備して窓の開閉による温度調節ができない特急らしい、きめ細かい設計だと思えますが、全編成を一括制御できず1両ごとに、さらに部位ごとに手動で車内温度調節をしなければなりません。こういうところはいかにも1960年代の車両で、当然に停車駅が少なく複数乗務の特急でなければ、車掌がこまめに車内巡回をして車内温度管理をすることが難しくなります。
それでも温水暖房のキハ58系が宮峠を境に力行と惰行運転が逆転することで、車内温度が変わってしまう(【543】キハ58系の暖房調節〜武豊線920D〜925Dの後段で記述)のようなことがなかったのは、電気ヒーターの利点ではありました。
画像

画像は1968年10月のダイヤ改正で「ひだ」が誕生したときの記念券(乗車券類ではありません)ですが、このとき「ひだ」の80系は全車が中古車で、他線区からの転用車両でした。1970年代に誕生し、ひとつ後の世代となる381系電車でしたら、冷暖房と換気ファンの入切は乗務員室から全編成一括制御が可能で、冷暖房の温度調節は各車両にあらかじめ設定された温度に自動で保たれる(サーモスタットで設定温度になれば自動で電源が切れる)ようになっていました。私がひだ号に乗務した時は冬場でしたから、冷房は使用しませんでしたが、冷房でも同じことが言えて、AU12形ユニットクーラー一基ごとに手動で温度調節をしなければなりませんでした。
(AU12冷房装置については、「【504】冷房車(中篇:冷房装置いろいろ)」・「【506】冷房車(後篇:不具合(-_-;))」で少し触れています。)

同じ国鉄特急車でも改良され日進月歩であることを感じます。それでは新型のほうが良いことばかりかと言えば、必ずしもそうとは言えませんでした。例えばトイレがキハ80系気動車には全車に装備されているのに対して、新しい381系電車ではトイレがない車両が、3両に1両の割合で入りますから、接客上たいへんなサービスダウンで、特にトイレ洗面所を占有されがちな振り子式しなの号の乗務では困りました。こういうことは技術面でなくコストを重視した設計思想からくる改悪といえましょう。
画像

1985年10月31日 5004Dひだ4号
(下油井〜鷲原(信)。列車後方から撮影)
「ひだ」乗務前に先輩から聞いたアドバイスによれば、キハ80系の各車に6個ずつある暖房スイッチのうち、車内中央部用の2回路は容量が大きくなっており、車内がよく温まるとのことでした。しかし一般的に考えればむしろ扉近く(車内の前端又は後端付近)のほうが外との気圧差による隙間風で寒いと思われますので、そういう知識を生かしながらも、乗車人数や外気温、進行方向などの条件を勘案して適正温度を終点まで保ち、快適な旅行を提供できるようになるには、長年の経験と勘による職人技を身に着けなければならないのでしょうから、やはりそれを実体験で会得できていない最下位組予備専務車掌は、誰でも扱える自動温度調節の381系電車がお似合いということになるのでしょう。







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気動車の構造は、複雑な電気回路があり電車の比でないと聞いた事があります。
 取り分けキハ80系は、キハ58等、他の気動車と違った電気回路でしたので、当時、機関区検修の方々は特急転換教育を受けたと聞きました。

 キハ80系の冷暖房は細やかな調整ができると言いますか、全てが手動で扱わねばならなず、車掌方は苦労されたと感じます。キハ80系がデビューした頃は、特急の停車駅も少なく
1時間以上無停車の区間もありましたので一つ一つの調整が
出来たのかと素人ながら感じました。
キハ80系は、現場の頂点立つベテランにしか触れない特別な風格がありましたね。

 運転の方も編成によってはキハ58系より劣るキハ80系をダイヤ通り走らす乗務員の苦労もあったそうです。
 そう考えると、加速も良くカーブを難なく走れる381系は、当時の私ども新米運転士にお似合いだったとブログを拝見して改めて感じました。

  
クハ381-111 
2017/12/18 13:23
しなの7号様、こんにちは。
同じ国鉄型車両でも型式の違いで冷暖房の操作もまるっきり変わるのですね。全編成一括制御が不可能な80系気動車の暖房、携わっていた車掌さんは大変な御苦労をされたのでしょう。特に『ひだ』の場合、基本となる美濃太田、下呂以外にも飛騨金山、飛騨小坂などにも停車するパターンがあるため長時間無停車区間が少なく、きめ細かい操作には神経を注がれたに違いないと感じます。

画像のような美しい高山本線の風景には、85系よりも80系の車体色の方が断然映えますね。『南紀』の紀勢本線にも同じ事が言えるかと。

信号所なのに特急が停まる…面白いシーンですね。個人的にツボです。私は停まって対向列車を待ちたい。相手が鈍行とか格下ならなおさら面白いですねぇ。

『ひだ』は何回か乗車しましたが全て85系です。ものすごい馬力でハイペースで飛ばしますが、80系ではキツい区間もあったみたいですね(たとえば分水嶺の宮峠)。
はやたま速玉早玉
2017/12/19 12:07
こんにちは。
特急用とはいえ、この形式も室温調整が難しかったのですね。
複数乗務が当然と考えられた時代に設計されたと思いますが、食堂車不連結になるとキロ80だけでは片側は車掌スイッチが扱えず、一人乗務では困ると80系「おおぞら」列車追跡ルポで乗客専務さんのコメントを読んだ覚えがあります。そのあとキシ80連結の「まつかぜ」「オホーツク」に乗ったことがありますが、2〜3名の車掌乗務で人数的な環境に凄い差があると感じました。
「南紀」の列車追跡も読みましたが、「おおぞら」同様、行程の半分が一人乗務でした。
NAO
2017/12/19 13:59
クハ381-111様 こんにちは。
キハ80系が誕生したころは、気動車や客車のサービス電源回路は電灯関係と放送関係くらいだったでしょうから、保守点検する気動車基地でも未経験の分野が多かったでしょうから、何かと大変だったであろうと想像します。保守するほうも、実際に営業で使うほうも、試行錯誤による経験の積み重ねで、ときには乗客に暑い思いや寒い思いをさせてしまったかもしれませんが、先輩たちは最大限の努力で対応していったのでしょうね。そうした結果が新形式に反映して改良を続けていくことになるのでしょう。
今の車両は誰が取り扱っても、ある程度の結果が出せるよう設計されているように思えますが、それは運転でも同じでクセが出にくく、自分が運転している、思いどおりに操っている、という満足感というか充実感が希薄になったんではないでしょうか。
しなの7号
2017/12/20 15:08
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
停車駅が多い列車ほど忙しいもので、疲れます。浜松から米原までローカルで通すほうが、「しなの」で名古屋から長野まで乗務するほうが、時間的な余裕を持った仕事が客室内でできます。前のほうで何が起こっても数分間隔で停まられたら何もできません。

撮影する立場から言えば、ステンレス無塗装の車両は存在感がなさすぎで、風景の中に溶け込んでしまい、その存在が主張できにくいですね。

美濃太田〜下呂間には行違用の信号場が4か所点在します。キハ85系になってからの「ひだ号」の所要時間を見ると、国鉄時代から比べるとそうとう短縮されていますが、単線である以上は運転停車もやむを得ないですね。最近は行違いの普通列車の車窓から、通過していく「ひだ」を見ると外国人がすごく増えたなあという印象です。
しなの7号
2017/12/20 15:09
NAO様 こんにちは。
特急は固定式の窓だからこそ、室温調節が必要になります。
ちなみに私がこのとき乗務したのは、建前上「改札行路」でしたが、運転(ドア扱い)兼掌という変則的な行路でした。以下は私見ですが、6両なら原則は車掌長1人だが、高山本線は波動性が著しい線区で、増結することも多いので改札行路が定期で加えられ、さらに片側に乗務員室がないキロでの運転業務には支障があるので、改札行路の専務車掌に運転業務を指定したという結果ではないかと考えましたがどうでしょう。
線区・車掌区によって、それぞれ特殊性があり、同じ線区や区間でも時間帯や列車によって事情が異なります。そのときの本社の基準や他の線区や列車の実態について知らない私には、比較してそれを実証することができませんが、鉄道管理局や労組の力関係があってもおかしくないですし、時期的なことを言えば、私が車掌になってから退職までのわずか6年間で最低2回は旅客列車の乗組基準人数を削減する見直しが行われたと記憶しています。
ひだ号は、61.11で基本5両に減車され、その改札行路が全廃されて車掌長の1人乗務になっています。
しなの7号
2017/12/20 15:11
こんばんは。キハ82系、意外と乗ってないんですよ。
「まつかぜ」「くろしお」「北海」だけでした。
乗り心地はともかく、風格があって大好きでした。
「北海」のキシ80で食べた海老フライ定食は美味しかったです。
ちゃんと陶器の皿でしたしね(笑)
「ひだ」に乗ったのはは85系になってからです。
なかなか良いクルマと思いました。
つだ・なおき
2017/12/20 19:29
つだ・なおき様 こんばんは。
名古屋のキハ80系、保全工事で末期には座席が117系電車みたいな焦げ茶色の転換クロスシートになってしまった車両もいましたから、居住性としては格落ちでしたが、外観は特急らしさを保っていましたね。
キハ80系は「くろしお」「南紀」「ひだ」以外には乗ったことがなく、キシ80は「くろしお」でのカレーライス経験だけです。
キハ85系の後継車が発表されていますが、JR他社の特急に比べれば、まだ色褪せない車両だと思っています。
しなの7号
2017/12/20 19:56
★普通班のボクでしたが、
80系は、乗務したことがあります
ナイター列車に使用されていました。
記事にあります通り、
独特の車掌スイッチに、面食らいました。
空調を操作するような乗務では
ありませんでしたので、
ほとんど、覚えてないですわ。
★乗り物酔いした元車掌
2017/12/20 21:07
乗り物酔いした元車掌様
これですね↓
【93】「名古屋港線」〜JRのナイター輸送と国鉄時代の貨物列車
http://shinano7gou.at.webry.info/201011/article_3.html
しなの7号
2017/12/21 08:44

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