昭和の鉄道員ブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 【838】 思い出の乗務列車55:高山本線「ひだ1号」「ひだ4号」

<<   作成日時 : 2017/12/25 06:50   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 8

タイトルを「思い出の乗務列車」シリーズ記事にしましたが、内容は先週アップした「【836】乗務した車両:80系気動車」の続編になります。特急は「しなの」しか乗ったことがなかった最下位組の専務車掌だった私が、予備勤務のとき、急に高山本線の特急「ひだ号」に1往復乗務した時のことを書いています。
画像

(画像はリニア鉄道館で撮影)

乗務した日の編成表です。

1985年12月27日
5001D「ひだ1号」
運転区間・乗務区間とも名古屋〜高山

1 キハ82 94 名ナコ
2 キロ80 44 名ナコ
3 キハ80 102 名ナコ
4 キハ80 133 名ナコ
5 キハ80 136 名ナコ
6 キハ82 84 名ナコ
「名1」 1号車寄りが岐阜方
(岐阜・高山間逆編成)

折り返す5004D「ひだ4号」も同じ編成

画像

画像は1985年10月31日 5003Dひだ3号
(飛騨小坂〜渚 列車の後方から撮影)
先週はキハ80系で取扱う機器操作のことを書きましたが、それとは別に、いつも乗務している線区でない場合は、その路線固有の列車運転上の取扱いを把握しておくことが大切です。

この日1往復する「ひだ」の停車駅の中には、以前の乗務で通過した駅や信号場もあったので、そういった駅の信号機の位置やホームの状態のほか、駅員との連携については、チェックしておかねばなりません。
列車を発車させるには、乗務員室からいったんホームに出て自分の列車に対する信号機の現示を確認し、時刻と乗降終了の確認をして支障がなければ閉扉し、車側表示灯の滅灯を確認の上で、車内のブザーで運転士に出発合図を送るという一連の作業をします。駅によっては出発信号機が車掌のいる位置から見えない場所に建植されていることがよくありますが、そういう場合には車掌から見える位置に出発信号機と連動する出発反応標識が設置されているので、その標識灯が点灯することによって出発信号機が停止現示以外であることを確認する場面もあります。
画像

飛騨金山駅下り本線出発反応標識
(画像は現在のもので乗務していたころの画像ではありません。)

副本線がある駅や折り返し列車がある駅、分岐する本線がある駅などでは、出発信号機や出発反応標識が複数あるので、どれが自分の確認すべき信号機であり標識なのか、そして、どの位置に乗務していればその現示を確認できるのかを覚えておく必要がありました。そういうことを知るための駅ごとの配線図など資料は、車掌区にも常備してありますから、それを見ればわかるのですが、列車によって編成長が異なりますから、例えば6両編成なら確認できるが8両編成だと後ろの乗務員室からは視界に入らない信号機や標識がある駅があったりします。
例えば地平時代の岐阜駅では、よほどの短編成でなければ最後部からだとしゃがまないと高山本線の出発信号機が確認できないホームがあったり、美濃太田駅の上りホームでは、位置によっては出発信号機の停止現示だけがホームから見えるが、それは実は越美南線方面への出発信号機であって、見えない位置に高山本線岐阜方の出発信号機があって、その現示確認はホームの出発反応標識の点灯によって確認できるとかいった類のことでした。これらは細かいことながらも、思い込みや不慣れという原因で列車を遅らせることになったり、大きな責任事故に発展することもあり得ますから大切なことでした。

長距離線区としては比較的早期に近代化が進められた高山本線では、1968〜9年にかけて列車集中制御方式(CTC)が導入されており、主要駅以外では列車の運転業務に携わる駅員が配置されていませんでした。その結果ほとんどの駅で、駅員はいても、列車の運転に関わる駅員は配置されておらず、駅員の確認なしに車掌だけの安全確認で出発合図を運転士に送りましたから、車掌の責任は他線区より重大になります。現在では、それが当たり前の世の中になっていますが、列車無線が装備されるなど設備はさらに改良され、バックアップ体制も当時と比べれば強固になっています。

山間部を走る線区では、地形の関係で本線自体が大きくカーブした駅をよく見かけます。そういう駅では、カーブや障害物で視界を遮られるので、最後部から信号機本体の現示を確認できない場合が多く、高山本線では飛騨金山駅が上下ホームとも要注意駅でした。
画像

画像はごく最近、飛騨金山駅に立ち寄ったときのもので、名古屋方から高山方を撮影しています。下りホームは右へカーブしており、列車の後部からは出発信号機はもちろんのこと、列車前方の乗降状態の確認さえもできません。上りホームは問題なさそうに思えますが、長い編成ですと跨線橋の階段が邪魔をして前方の乗降状態は確認できません。この時点で、すでにCTC化されていたわけですが、飛騨金山駅には運転取扱要員がまだ配置されており、駅側が車掌からの死角になる部分の乗降確認をして出発指示合図を車掌に対して行うほか、車掌から死角になって見えない前寄の車両の車側表示灯の滅灯確認も駅側で行い、出発指示合図とは別に滅灯確認の合図を車掌にしてくれました。
先日飛騨金山駅に立ち寄ったときには、駅の出札業務までも簡易委託化されており、この駅にJRの駅員は配置されていないように見えました。しかし安全対策はちゃんと採られているようで、ホームには大きなTVモニターが取り付けられていました。
画像

こういう設備の充実によって、車掌は単独乗務で駅員の配置はなくても、安全に列車を発車させることができ、先週書いたような車内設備の自動化で、運転中に車掌がすべき仕事も軽減されたと思います。そしてそれは、職人車掌は不要になったというと言いすぎかもしれませんが、負う責任は確実に重くなっています。先日の新幹線の台車破損のような事例を見ると、1人の判断の誤りが重大な分かれ道になったわけですから、なおのことそう思います。

現在の「ワイドビューひだ号」は名古屋発時点で、座席は進行方向と反対側を向いています。これは岐阜で進行方向が逆になるため、あらかじめ高山線内で前向きになるようにしているわけですが、国鉄時代は岐阜で車掌長が車内放送を通じて乗客に座席の回転作業を個々にやってもらっていました。ところで、キハ80系の窓枠下部は他の車種より狭く、具体的に言うと缶ジュースの底面直径より狭くて、モノが置きにくい構造でした、その代わりに座席の背面に大きなテーブルが付いていたわけです。岐阜で進行方向が逆になり、座席を回転させてもらうときに、テーブル上の飲み物の缶などを、その狭い窓枠のところに仮置きしてそのままにするケースがよくあったようです。高山本線に入ると単線のため、特に通過駅のポイントを通過するときに大きく横揺れしますので、狭い窓枠に置いてあったものが床に落下する結果となりました。そのため岐阜を出るときに、「窓枠にお飲み物の缶を置かないよう」注意喚起の放送をする車掌長氏もおりました。

この「ひだ号」に乗務したときは年末でしたが、乗車率はそれほど高くありませんでした。自分で発行した車内補充券も十数枚程度。単線の高山本線では、通過駅であっても分岐器(ポイント)の速度制限によって速度を落としたりしますので、車内改札などしているときでも、減速のタイミングで車窓に目を向ければ、どの辺を走っているかわかりますし、そこで足を踏ん張っておけば、分岐器での左右の揺れには対応できました。しなの号のように、高速走行のまま、いきなりフワッと投げ出されるような揺れで攻められまくるのとは大違いでしたが、現在の高山本線では高速分岐機に交換されて、速度をあまり落とすことなく通過しますので、状況はまた変わっているのかもしれませんが、その代りスピードアップしています。
乗っているお客様も「ひだ」ではセカセカした人は少なく、しなの号とは乗客層が違って穏やかに見えたものです。ローカル特急ではビジネス客の比率が小さく、いい気分で旅行する行楽客の比率が多かったからだったのでしょうか。
画像

1986年10月25日 下呂〜禅昌寺 
(5005D ひだ5号だろうと思われる)

高山本線沿線の観光地と言えば下呂です。飛騨川(益田川)によって造られた「中山七里」の渓谷を走っていた列車の車窓は、突然変異のようにホテル群に変化します。
下呂では観光客の乗降が多いわけですが、全体としては高山に向かって乗客は減っていきますので、「しなの」が塩尻・松本で乗客の多くが入れ替わることに比べれば大したことではなく、要するに「ひだ」での仕事の密度は小さいと感じました。
高山へ着いた後は同じ編成で折り返しましたが、その発車時刻まで約1時間あるので、携帯している荷物は高山車掌区に置いて手ぶらになって、昼食のために街中へ出掛けました。
行先はこのときも、その前月に高山に来た時も、定番の焼きソバ屋でした。このお店は今でも営業されているようで、高山では知られているお店のようです。

ほどよい折り返し時間なので、食事の後には車両に戻り、帰りの乗務に就いたわけですが、この日の1往復では、先週書いた美濃太田のドアの件以外には特に変わったこともなく、異状なく乗務を終えることができました。
画像

1984年3月30日 鵜沼〜坂祝(下り列車の後部を撮影)
いつもは数分おきに同じ行動を繰り返すばかりで落ち着かない普通列車に乗り、たまに特急に乗っても、足が速くて揺れるしなの号ばかりだった私にとってみれば、特急とは言っても、高山本線の「ひだ」はなんと落ち着いた列車であることかと思いました。悠々と走るひだ号から見る飛騨の風景はゆっくり流れていて、時間の流れまでもがゆっくりしているようにも思えました。

キハ80系は遠い過去の車両になってしまいましたが、幸いにも地元名古屋のリニア鉄道館には先頭車キハ82が保存されています。このとき乗務した車両そのものではありませんが、国鉄時代から「ひだ号」に使われていた車両ですから、今でもそのころを偲ぶことができます。
画像


犬山城・日本ライン・飛水峡・中山七里など見どころが沿線に点在する高山本線は、日本の鉄道の中でも指折りの鉄道旅好適路線だと私は思っています。残念に思うのは速すぎる特急とロングシート車も登場した普通列車との狭間を埋める列車がないことです。

<P.S.>
この「ひだ」の乗務は、私には珍しかった日勤の特急行路で、一般の勤め人のように夕方家に帰ることができました。翌日はまた泊まり勤務でしたが臨時特別改札行路で関西本線と東海道本線の普通列車に乗務、名古屋で泊まり、未明の3時半前に起こされて、「【455】臨時列車の乗務(23):165系3両編成 東海道本線9441M」で書いた大垣夜行救済臨のルーツともいうべき岡崎〜名古屋間の臨時普通列車に乗って、この年の仕事納めになりました。今から32年も前の師走のことです。









テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 12
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い
ナイス ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
しなの7号様、こんにちは。
利益確保して会社を成長させるぞ、全てはわが社の為という大義名分の元で行われる人件費削減、そこで発生する人員削減の穴は機械化で埋める。
合理化は作業の軽減というメリットも産み出し、確かに一つの手段に違いありません。しかし、あおりを喰らい独りで安全確認をせねばならない、これは辛いです。最低でもあと一人居れば『複数の目』で確認が可能で、携わる方は互いに安心できるのではないでしょうか。現場スタッフが『精神的に安心して業務遂行できる』、この辺りが合理化により犠牲になってしまったとおもいます。特に乗客の人命を預かる公共交通、その精神的負担の莫大さに私の想像は及びません。

その安全確認が特に要注意とされるホームがカーブした飛騨金山駅ですが…
このような微妙なカーブを描く山間の駅、私は好きですね。旅情がそそられ、下車してスマホを取り出し写真撮影、しばらくホーム上でボーッとしていたいです。

青春18きっぷの旅ですが、先週、先々週と2回実施しました(共に北陸)。年明けに残り3回実施しますが、残念ながら高山本線は予定に組んでいません。速すぎる特急とロングシート普通の狭間に、セミクロスシートの普通が居ればよいのですが、確かキハ75は美濃太田以北に入りませんよね…
あ、その狭間に急行のりくら、急行たかやま復活!
これは100%有り得ません、残念っ!Σ(×_×;)!
はやたま速玉早玉
2017/12/25 12:25
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
昭和の時代に人がやるのが当たり前だったことが、自動的に機械が勝手にやってくれるようになり、人が見過ごすことや誤った判断をするとバックアップしてくれるという点では、ほんとうに素晴らしいことだと思います。それによって人の業務量や質の改善がされれば、業務遂行に有益ですが、往々にして会社は人件費削減を主目的として機械化IT化を導入します。それによって、少ない人数で複数業務を兼務し、広範囲の複雑な業務をする結果となり、かえって業務量が増えて責任まで重大になれば、何のための機械化IT化か!ということになりますね。

飛騨金山はいまでも高山本線の一部特急が停車する駅で、街もそれなりの規模があって、飛騨川を渡った先には造り酒屋さんもあります♪

今シーズン久しぶりに青春18きっぷを買いまして、すでに2人で全部使用してしまいました。高山本線には行きませんでしたが、長時間ロングシートで車窓を眺めていたので、翌日になって首が痛くなりました。普通列車はキハ75が一部列車で下呂まで入っているとのことです。
長距離でも急ぐ人は特急に乗ればいいのでしょうが、そうでない人まで特急に乗せられることはないと思うのですが、今どきは列車の中で車窓に目を向けることなく、ひたすらスマホに向かっている方が大多数ですから、列車の旅を楽しむ人は少ないのだとあきらめています。まあ、国鉄時代でも寝覚ノ床の車窓案内がうるさいからやめてくれという人もあるにはあったのですが。
しなの7号
2017/12/25 14:35
こんにちは。
「ひだ」と「しなの」では乗客層も違うようですね。ですから乗務内容というか濃さも違うのでしょう。
営業をやっていたとき、ショートリリーフのような「スーパーまつかぜ」米子-鳥取間に乗ったことがありますが、2両編成で停車駅は倉吉のみ、乗車率半分にも満たず、車掌さんは一人乗務でも余裕のようでした。
そう言えば私は少しの期間、車内販売のアルバイトをしたことがありますが、列車、行き先、時間帯によって乗客層と忙しさはまちまちで、弁当が売れる列車、コーヒーや
アイスクリームばかり売れ続ける列車、領収書を所望されることが多い
列車など、業務内容に差がありました。


NAO
2017/12/25 14:41
NAO様 こんにちは。
ご経験から感じられるように、同じ系統の列車であっても列車ごとに特色があって、「しなの」でもそれはありました。名古屋始発時がいちばん混むかと思えば、朝の1号は松本から長野までがいちばん混みました。「ひだ」も「しなの」も季節波動が著しい列車ですが「ひだ」でも時間帯や季節の違う列車に何度も乗れば、また違った感想になったかもしれません。でも「しなの」とは比較にならないと思います。
しなの7号
2017/12/25 15:35
しなの7号様こんばんは
乗務員の方でなければ判らない、体験できないお話が貴重です。
キハ80系はまだ国鉄で特急の地位が高かった頃に製造された車両ですから
特急とはかくあるべきという設計が見られますよね。
お話にあった各車両ごとの温度調節はそれなりの数の乗務員が乗っていなければいけないことですし
回線の通しからグリーン車組み込みは必須条件など
末期に北海道などでモノクラス編成が可能なように改造されて車両もありましたが
出力はキハ58と同じで重量は重い
山岳線の高山本線ではさぞ厳しかったことでしょう。
ひだは最初に投入された一往復も中古だったんですね。
ヒデヨシ
2018/01/03 23:31
ヒデヨシ様 こんにちは。
80系気動車に限った話ではないですが、車両のいろんな部位から製造当時の背景が読み取れるものですね。時代おくれと思うこともあれば、新製当時の運用形態からすっかり逸脱したことによって使い勝手が悪くなったことや、おっしゃるような部分的な改造をせざるをえなくなったりしますね。当時、冷暖房では117系電車がいちばん気に掛けることがなくて安心でした。
「ひだ」と「しなの」の特急化は、どちらも43.10で、「しなの」が181系でデビューしたことからわかるように、すでに特急型DCは次の世代に入っていたことになります。この年にはキハ81をはじめとする1次型80系が「はつかり」から撤退していますので、その車両を80系内でやりくりしたうえで「ひだ」用車両を調達したものと思われます。当時は金サワだったのですね。
しなの7号
2018/01/04 09:27
しなの7号様 こんばんは。
子供のころに怖かったものは、
自動車関連では
・ヨコハマタイヤの顔マーク
(【436】中山道歩きで見たモノいろいろ(21):自動車関連の看板)
・日本石油のこうもりマーク
が代表格でした。
そして、鉄道関連では
・キハ82のヒゲ
・485系ボンネットの眉毛
・上の画像にあります特急マーク
がありました。

485系ボンネットの眉毛は今でもものすごく怖いです。また気がふれて寝込みそうです。181系ボンネットのなんとやさしいことでしょう。人間ならば眉毛がないほうが怖いですが、これは逆です。

特急マークの方は、きっかけになったのは、気動車やくもに乗って車内の通路を歩いている時でした。編成中間に先頭車が組み込まれ、貫通ドアのヘッドマークと特急マークがこちらを睨んでいて、幼児からするとその大きさに恐怖感を覚えたからでした。
ただし、こちらの方は今ではお姉ちゃんのビキニパンツの形にしか見えないですけれど 笑
やくも3号(小心者)
2018/01/13 23:57
やくも3号様 こんばんは。
おもしろいものがコワイのですね(*’▽’)
私が子供のころに怖いものと感じたのは、中央西線の神領付近に今でもある高圧送電線の鉄塔群でした。今は住宅地になりましたが、昔は一面の田んぼで、何基もの鉄塔が一直線にずっと遠くまで並んで、まるで巨大なロボットが行進しながら近づいてくるように見えて威圧感があり、その鉄塔を私は「ダングダン」と名付け、名古屋に出るときはいつも気にしていました。そのころは中央西線に特急はなく、国鉄特急の実車を見たことがなかったので、特急マークや眉毛やヒゲに怖さを感じる機会はなく、キハ58の顔を不機嫌なヤツだと思っていました。特に貫通ホロが付いていると、怒っているように思えました。
しなの用だったクハ381の0番代など貫通型特急電車は、貫通扉を開けると、お姉ちゃんのビキニパンツが真ん中で真っ二つに裂けてしまうことになりますが…小心者の私には結果を見るのがコワイです(*'▽')
しなの7号
2018/01/14 20:44

コメントする help

ニックネーム
本 文
【838】 思い出の乗務列車55:高山本線「ひだ1号」「ひだ4号」 昭和の鉄道員ブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる