昭和の鉄道員ブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 【871】 「津山まなびの鉄道館」での再会:DE50 1

<<   作成日時 : 2018/04/16 06:40   >>

ナイス ブログ気持玉 15 / トラックバック 0 / コメント 14

4月に入って、残してあった青春18きっぷの1日分を使って、津山にある「津山まなびの鉄道館」に行ってきました。
画像

ご承知のように、そこには国鉄時代に1両だけ試作され量産に至らなかったDE50の1号機が保存されています。私の中学生時代に中央西線で貨物列車を牽いていたそのDE50 1に再会することが今回の一番の目的でした。

「津山まなびの鉄道館」で保存されている車両は、すべて扇形庫に格納され、庫内への立ち入りは禁止されていますので、平時には車両の全景を拝むことはできません。主に土休日に、庫内の車両を転車台に1日1両だけを引き出して展示することがあって、4月7・8日には保存車両の目玉ともいえるDE50 1が転車台上で展示される日なのでした。
画像

名古屋起点ですと津山はずいぶん遠いですが、時刻表を繰れば土休日に東海道本線の名古屋朝一番の始発下り列車に乗れば、大垣(接続3分)・米原(6分)・姫路(12分)・播磨新宮(5分)・佐用(8分)と乗り継いで12時過ぎに津山に着けることがわかりました。
画像

津山では4月前半が「さくらまつり」の期間中にあたりますが、今年の桜は早すぎて見ごろはすっかり過ぎていましたし、そういうところに一人で行ってもしかたがないので、津山滞在時間は1時間少々あればよいとして、帰路は経路を変えて、岡山(接続18分)・播州赤穂(1分)・野洲(1分)・米原(13分)と乗り換えれば20時台には名古屋に戻って来られます。これなら多少列車が遅れて接続列車に乗れなくなっても、終列車までは余裕がありますし、いざとなったら一部区間だけでも新幹線を使えば、その日のうちに帰って来られなくなるリスクは少ないと判断しましたが、乗換時分にはまったく余裕がありません。
この行程は、多くの乗り換え駅でバトル状態になることを覚悟して出かけました。とにかく人込みと競争が嫌いな者にとっては、精神衛生上もよろしくないし、年寄りには体にも負担がかかりますから、さらによくありません。そこは乗換階段の位置とか車内トイレの位置を事前にできるだけ把握しておくなどして、無駄な駆け足をなるべくしないよう心掛けて、1日約800qのコースを、「今回の往復は、旅程を楽しむのではなく津山往復の輸送手段と心得る」という心の準備をしました。いつものように窓側の座席にこだわったり、ロングシートはどうとかいうこだわりをあっさり捨てて、場合によっては座席にありつけなくても構わないという、ふつうの旅行者になるということです。でも、席にありつけなかったのは、往路の姫路駅から乗り換えた姫新線の3駅程度だけで、あとはすべて座席にありつけ、予定どおり行って来られました。

今回の津山までの往路は、27年前の9月に青春18きっぷで姫新線・吉備線・赤穂線の初乗りに行ったときとまったく同じルートで同じ時間帯でした。27年前は、津山から先のルートが異なり、新見〜総社〜吉備線を経由して岡山に出ていまして、そのあと岡山からは赤穂線回りのルートでしたから、帰路の岡山から名古屋までのルートも今回と同じでした。ただし27年前の帰路は今回よりも遅い時間帯で、もっとハードスケジュールだったわけですが、夏休みが終わってからの平日を選んでいたので、列車はおおむね空いていましたし、何よりあのころは若かったですから多少の無理も平気でした。

さて、本来の目的地、津山では、この日DE501が1日じゅう転車台上で展示されていたので、その全身を眺めることができました。
画像
DMP81ZというV型16気筒ディーゼル機関 81400ccという巨大エンジンを内蔵したボンネット。エンジン音を聴いてみたいものです。
画像

後位ボンネットのラジエターの大きさにも圧倒されます。

DE501は、かなり前に岡山機関区で雨ざらしの状態で保管されていたころに列車の中からチラ見したことを除けば、こうして近くで見るのは47年ぶりのことでした。
初めて自分のカメラを持ってから3本目に装填した白黒フィルムに小さく写っていたのが、このDE501です。
画像

1971年4月に実家から近い美乃坂本・恵那間で撮影した画像で、恵那山を背景に稲沢行の上り貨物列車を次位のDD51との重連で牽引しています。当時の中央西線は名古屋・中津川間が電化されていましたので、その区間では一部の木曽方面に直通する客車列車と区間運転の貨物列車を除けば、客車列車と貨物列車はEF64が牽引する列車が大多数でしたが、朝方に中津川を発車するこの列車だけはいつもDE50とDD51の重連でした。たしか休日には運転されず、待ちぼうけになった記憶がありますが、平日は毎日この列車の運用に投入して試用されていたのでしょう。

「津山まなびの鉄道館」では、その日一番の目的は果たせました。ここには、ほかにも久しぶりの再会になった車両たちもありました。その話は来週にします。


    取り寄せ商品↑


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 15
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
面白い
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。
DE50の中央西線現役時代は初めて見ました。貴重な写真、ありがとうございます。

残念ながら小生は無煙化直後の伯備線には訪れることがなかったので、DE50のエンジン音を知りません。この時期やはり岡山で試運転していたキヤ391の音も聞き逃しています(今のような情報もありませんでしたし、小学生には無理な話ですね)。
DE50はJR化まで岡山機関区に留置され、運転室内を見学したことがありました。ダイナミックブレーキの操作をマスコンハンドルを押下して行うなど、キハ181と似た設計思想に感動しました。
まなびの鉄道館では車両に近づけないのが残念ですね。ただ扇型庫の一部は現役で使われていて、現場の雰囲気がありますね。


3RT生
2018/04/16 11:35
3RT生様 こんにちは。
ちょうど昼時に、転車台回しのイベントが終わった直後に入館したので見学者も少なくて、かつてSLがたむろした機関区を覗きに行ったときを思い出させ、おっしゃるように現場の匂いがする場所だと感じました。

なるほど、キハ181と同じ時期に開発された機関車ですから、設計思想も似ているわけですね。走行中にダイナミックブレーキをが作動させると、AT自動車でシフトダウンしたときの感触だったんでしょうか。中央西線でも武並〜中津川間にアップダウンがありますので、そんな試験もしていたのかなとも想像します。
しなの7号
2018/04/16 12:10
しなの7号様、こんばんは。
この形式は僅かに1両のみの存在だったのですね。聞いたことあったような、無いような、そんな形式です。
扇形庫、中に入れないのは少し残念ですが、こういった施設が見学出来ること自体、嬉しいですね。
山陽本線は相生までが日帰り営業区域でしたが、座れなかったことはほとんどありませんでした。でも旅行者風の乗客が多いときは乗り換え駅到着のたびにハラハラしていました。
NAO
2018/04/16 22:04
自分はこの春わけあおう18きっぷで2回分を購入し1回目は防府→小倉、新大阪→勝川、2回めは春日井姫路往復。1回目の
小倉→新大阪は日本旅行のバリ得こだま6680円でワープ。
途中何度ものぞみに抜かれましたが500系の元グリーン車は快適でした。やまぐち号の帰りだったんですがリクルートカード作成時のポイントで防府で泊まり翌日小倉まで行った訳です。往路は流石に金券屋で名古屋→新山口の回数券でした。
中央西線
2018/04/16 22:09
昨年、津山で見てきましたがDE50の運転室は当然目線的にも見れずでしたが、斬新なものだったのですね。私は別館のタブレット閉塞機体験で遊んでおりました・・・・。金属ボタンを押すとちゃんとチンチン、ボンボンと音も出るんですよ。
うさお
2018/04/16 23:30
NAO様 こんにちは。
扇形庫の中には入れないですが、外から覗くと煤煙で真っ黒に煤けた天井にはSL時代にあった煙突跡の穴がそのままで、味わい深いです。
京阪神区間で新快速に乗車する場合、私はほぼ確実に座れません。今回はすべて始発駅乗車でしたから新快速への乗継はいいとしても、その逆が問題で、末端に行くほど列車本数・編成両数ともに少なくなるにつれて、自分のような18乞食らしい乗客ばかりが目立ってきて、ちょうど北海道の鉄道旅行みたいに、乗り換えるたびに乗客の顔触れが同じだったりしました。
当日は佐用〜津山間の列車がさくらまつり対応?で、たぶん通常は単行ワンマンの列車が、車掌乗務2両になっていた(放送でそれらしいことを言ってました)のですが、そうでなかったら、約1時間立ちっぱなしになるところでした。
しなの7号
2018/04/17 17:18
中央西線様
18きっぷと別途購入の企画切符や旅行商品を併用して新幹線や特急でワープする手は、けっこう有効で楽しめますね。以前書きましたが今シーズン2人で行った飯山線への経路、塩尻〜長野間では信州往復きっぷ+信州特急料金回数券(4枚つづり)を併用しました。
「こだま」のグリーン車は長く乗っていられる分お得感がありますね。待避回数の多さを考えても在来線に比べれば断然速達性は優位になりますから、「ぷらっとこだま」で東京までグリーン車を利用したことはあります。
しなの7号
2018/04/17 17:18
うさお様
DE50のように長いボンネットだと前方視界はどうなんでしょうね。
閉そく器は見てきましたが、触りませんでした。高野駅にあったものみたいでしたが、ちゃんと作動するんですね。どこかの博物館で遊んだことがあります。
交通科学博物館〜京都鉄博へ行くと必ず遊んでくるのは101系モックアップの車掌スイッチです。
(セルフ車掌ゴッコはやりません(*’▽’))
しなの7号
2018/04/17 17:20
しなの7号様 こんばんは。
DE50のエンジンの巨大さがよくわかるお写真ですが、これでも軸重はDD13やDD51と同じ14tとのことですからすごいですね。自動車の場合は運動性能(旋回性能)の面で前後の重量配分が50:50になるよう工夫しますが、機関車のほうは軸重で設計者の方は頭を悩ませるのですね。

新見に帰省する際に、自動車で津山を通過することは何度もありますが、残念ながら未だに津山まな鉄には行けていません。
巨大ディーゼル機もさることながら、稲沢にいた黒い機関車も気になりますね。
やくも3号(セルフ車掌はぜひスクール水着...
2018/04/17 20:52
やくも3号様 こんにちは
メカのことはわからない素人ですが、鉄道車両でも軸重の重量配分は、こういう前後非対称の車両など特に設計上難しかっただろうと思います。鉄道車両は鉄道の顔みたいなものですが、鉄道という輸送システムの中の1パーツに過ぎないので、軸重なども制限を受け、自動車も公道を走るためには法令による規制を受け、両者ともに設計者としては頭は痛く、同時に思い切ったこともできず不本意な仕事が多かったのかなと思ったりします。DE50が試作で終わったのも国鉄の方針転換だあったからでしょうし、そこには財政難が背後にあったと思われます。自動車メーカーでも、その時々の経済状況とか会社の方針に翻弄されて、市販車に反映されず日の目を見なかった技術もたくさんあったのだろうと想像します。

黒い機関車については来週触れますが、あの機関車が現役で走行しているところを見た記憶がありません。私が生まれる前には中津川や多治見に籍を置いていたようです。
セルフ車掌スクール水着とも趣味でないしな...
2018/04/18 10:00
しなの7号様、DE50 1が列車を牽引して、中央西線を走っている大変貴重な写真を載せていただき、ありがとうございました。
私は小学生の時、図鑑でDE50形ディーゼル機関車がある事を知って以来、ずっと、DE50 1に興味をもっています。1970年(昭和45年)7月に完成し、稲沢第一機関区に配置されていたのは、翌年の1971年(昭和46年)11月までだそうです。鉄道誌と他のサイトによると、その間に、性能試験で二度、国鉄長野工場に来た事もあって、その際のスナップ写真も残されています。動いていたのは、1971年(昭和46年)の7月までだったというので、本当に貴重な写真です。この頃、DE50 1が使われていたのは、写真の貨物列車が走っていた「中津川ー稲沢」の他の区間もあったのでしょうか? もし、ご存知でしたら、教えていただければ幸いです。
できることなら、組み立てキットでない、DE50 1のNゲージの完成品を発売してほしいです。
イノシシ
2018/04/20 05:02
イノシシ様
DE50は謎が多い機関車ですね。
当時の中央西線のダイヤグラムと私の記憶(7時台で、撮影後に家に帰ってから登校できた)とを総合すると、この貨物列車は上り第666列車ではないかと推定します。名古屋から先のダイヤがないので正確にはわからないですが、その列車は稲沢には正午前後に着いたものと思われます。その第666列車は中津川以北から直通してくる列車でしたから、DE50が塩尻から直通していた可能性も否定はできません。(一般的には当時の貨物列車は中津川で機関車が変わり、上りはD51からEF64に交代していました。しかし客車列車にはDD51の通し運用があったのを知っていますから特定できません。ちなみに第666列車はダイヤ上、中津川で30分程度停車時間が設けられていました。)
DE50使用の下り列車は、時間帯も含め存じません。
稲沢第一時代のDE50が関西本線で試運転した事実まではネット上で辿れますが、区間や列車の特定は私にはできませんでした。

意外な車種をリリースされるメーカーさんがありますので、そのうちにDE50が量産プラ完成品として出る可能性はあると思いますよ。現車が残っているのは売る側買う側双方にとって大きな強みです。
しなの7号
2018/04/20 13:41
しなの7号様、ご返信いただき、ありがとうございました。
DE50 1は塩尻まで来ていた可能性もあるのですね…。もし、そうならば、名実共に、「木曽路を走った機関車」になりますね。(仮に来ていなかったとしても、試験のために長野工場まで来ているので、「よし」としましょう。) 願わくば、このDE50 1が更に整備されて、エンジンが始動し、大出力のエンジン音を響かせて、自力走行する姿を見たいですね。それよりも、DE50 1を解体せずに、保存してくれたJR西日本様には深く感謝したいです。
イノシシ
2018/04/20 16:48
イノシシ様
私個人としては何の根拠もないのですが、DE50は中津川折り返しだった可能性のほうが高いように思います。アップダウンコースがありダイナミックブレーキが試せそうですし、所属からの距離も程よいように思いますし。
おっしゃるように、多くの希少な形式の国鉄車両が解体されていったなかで、こうして保存されたことには感謝ですね。
しなの7号
2018/04/20 20:22

コメントする help

ニックネーム
本 文
【871】 「津山まなびの鉄道館」での再会:DE50 1 昭和の鉄道員ブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる