昭和の鉄道員ブログ

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zoom RSS 【881】 鉄道の絵

<<   作成日時 : 2018/05/21 06:30   >>

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今は小学生全体の3割ほどがスマホを持っているらしい。そういうことなら、その気になりさえすれば小学生でも写真撮影ができるわけだが、昔は見たものを絵で描くか、文字で記録するくらいしかなかった。明治初期の鉄道開通式を記録した錦絵を見て私は思うのだが、描かれた機関車や客車に、どこか不自然さがある。あれは、列車は動くものなので、絵を描いている間じゅう、その場にとどまっていないから、よく観察できず忠実に写し取れなかったのではないかと、後述する子供のころの経験から勝手に思っている。でもプロが描いた錦絵はそういうことではなく、たとえば伝えたい部分を強調した結果なのかもしれない。

私が子供のころ、父はカメラを持っていたが、フィルムは白黒が主流で、カラー写真は「天然色」といわれた時代で、まだ少なかった。子供の絵本でも、実写された画像でなくて、まさに「絵」本であった。
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上の画像は、私が子供に買い与えた昭和末期の絵本であって、私自身が子供のころの絵本ではない。この昭和末期〜平成初期ころに発売されていた絵本は、今も複数手元に残してあるが、このころになると、写真を使った絵本が主流になりつつあるように思える。写真にテレビの子供番組のキャラクター画像を合成したものもみられる。
私の子は辛うじて昭和生まれで、蒸機は保存蒸機しか知らない世代である。そんな彼らが親になる時代になった今、「きしゃ」は今の子供たちに通じる言葉なのだろうかと、ふと思う。「汽車」が歌詞の中に登場する昭和時代の歌謡曲は多い。たいていは旅立ちか別れの場面であって、臨場感を伴って、歌われている主人公の心情が伝わってくるけれど、自動ドアと開閉できない固定窓しかご存じない今の人たちには、たぶん歌詞を理解するのは難しく違和感を持たれるだろうし、現実のものとして捉えることができないだろう。

話が脱線したが、もちろん私もこのような鉄道の絵本も買ってもらっていた。
絵本に描かれていたのは、まだ東海道新幹線の開通前だったから「夢の超特急」、20系「あさかぜ」、20系(→151系)「こだま」だったはずであるが、今はもうそのころの絵本は手元に一冊も残っていない。
その絵本の「あさかぜ」のページには

「あさかぜ あさかぜ あおいきしゃ
 かぜより はやい あさかぜは・・・」

という文章があり、絵本そのものは残っていなくても、母は私が大人になってもそれを暗記していたから、繰り返し読み聞かせてくれたのだろう。
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しかし、田舎に住む子供にとっては、「夢の超特急」だけでなく実際に営業運転されていた20系「あさかぜ」も20系(→151系)「こだま」も「夢の列車」に変わりはなく、国鉄の看板列車をリアルで見る機会はまったくなかった。そうかといって、「きしゃ」は好きなくせに、そういう夢の列車を見に行きたいとか乗せてほしいと思ったことは記憶になく、古くて汚い身近な中央西線の普通列車が見られ乗れれば、それだけで十分に満足していた。

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たぶん小学校1〜2年ごろ書いたと思われるノートの落書き。
人物は鉄腕アトムらしい。機関車はD51であろう。鉄腕アトムを知ることになったのは、学習雑誌とテレビの仕業に違いないが、テレビが家に「来た」のは小学2年生のときだった。一流メーカーの製品ではなかったが月賦で買ったはずだ。家電のほかにも衣料品やインテリアなどさまざまな業種の専門店が国鉄物資部の指定店になっており、給料天引きの割賦販売で買うことができた。出張販売もあって、特定日に物資部の店舗内に出店したり、美乃坂本駅のような小駅にある空き家の官舎などを会場として特定日に商品の展示販売も行われ、田舎に住む職員にも対応していた。私が就職したころには、市中により多くの商品をそろえた大型店ができたことで、物資部そのものが廃れ、指定店が少なくなっていき、自分がこうした指定店の割賦販売を利用したことは一度もない。

テレビが初めて家に来たころ、たぶん再放送なのだと思うが「0戦はやと」というアニメをたしか火曜日の夕方やっていたことを覚えている。ただし、もちろん白黒テレビで、数年後には隣の家の屋根のテレビアンテナが色付きの素子の新しいものに取り換えられ、その家でカラーテレビが導入したことがわかった。カラーアニメだった「巨人の星」を見においでと、そこのおばさんに誘われて、近所の子供たちといっしょに見にいったのは、小学校高学年になってからだった。カラーテレビがわが家に導入されたのはそのあとということになるが、いつだったのか記憶にない。

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下は父が撮影して遺してくれた、私が就学前に描いた絵
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田畑と山が描かれ海がないのは、住んでいた生活環境を映しているように思う。横向きに走る乗用車が笑える。自動車にはこだわりが見られないが、線路のほうには列車の姿はなくても電化路線らしく門型の架線ビームが描かれている。私はこのあと電柱や送電鉄塔の形状に興味を持った時期があって、列車やバスの車窓から見える電柱や送電鉄塔を注意して見ていた。

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黒板にチョークで描いた151系。わざわざ斜め前から描いているし、こんな特急を見たことはないはずだから、絵本を書き写したに違いない。

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これも黒板に書かれたもの。
ナンバーは意味不明、デフなし、化粧煙突(または皿パー付か?)、2コブだからD51とは考えられない。ご丁寧に安全弁が表現されて蒸気が出ている。連結棒でつながっている車輪は前の3軸だけだからC?
それにしては異常に大きな2軸の従輪?は不自然。大正期の蒸機を思わせるキャブには独立した2つの窓。蒸機の形式は??????
このころの私はD51とC12しか見ていないと思うのだが、どちらでもなさそうで、D50あたりに近いか?。このころ中央西線にはD50はいなかったはず。またこれも絵本の書き写しだったのだろうか?

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父が書いた日付と思われる数字から判断すると、小学校入学直前の絵である。
 この蒸機はD51らしい。前照灯のところに給水温め器が付いているが、なぜかデフがない。動輪はボックス動輪が表現されているらしいが、バランスウエイトの位置がバラバラなのは変。回転して位置が変化することを表現したかったと解釈してほしい。直後にワフ?が連結されているので解結貨物列車なのだろう。その後ろにワム90000?・テム300?・トラorトムらしき貨車が続く。線路端の家は、駅に近くにあった転居前の家のはずであり、右上の大きな家は、このころ住んでいた市営住宅のつもりだと思われるが、線路との位置関係は実際とはかなり違っている。

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幼少時から「汽車」が好きだったことはおわかりいただけたと思うが、学校での図画工作〜美術の成績はいつもよくなかった。集中力に欠けるから、提出する作品は最後のほうが必ず手抜きになる。そもそも芸術的センスのかけらもないから、しかたがないのではあるが、鉄道の絵に限ってはけっこう熱心に描くから評価されたことがある。それは題材が自由だった小学校低学年のころの写生大会であって、場所も学校からほど近い美乃坂本駅が指定場所に入っていたことが幸いした。そこで駅と機関車などの絵を描いて3年連続で受賞した。
各クラスから2〜3人の作品が市民展に出品展示されたというだけのことではあったが、それでも私にしては異例のことで、高学年になって作品のテーマが決められるようになってから鉄ネタが使えなくなり、その後に美術で受賞したことなど今日に至るまで一度もない。
そもそも、美乃坂本のような小さな駅では、長時間停車する列車はなかったから、ディテールを画用紙に描く暇もなく発車してしまう車両は写生には適さない。しかるに細かいところまで描き込めたのは、言うまでもなく車両に対する予備知識の賜物であって、実物を見なくても、就学前から絵本の汽車の絵を書き写し、実際に停車中の汽車を幾度も観てきたからであって、つまり「写生」とは言えずインチキだったわけである。





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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
 鉄腕アトムと蒸気の組み合わせが面白いです。
 就学前の絵は,素晴らしいと思います。
 黒板に描いた2枚の作品は,とても丁寧だと思います。
 小学校に入学直前の絵は,夢がある作品だと思います。
 幼児の絵がどういうものかはわかりませんが,下の4枚の絵は,いずれも神童ぶり(?)を発揮している気がします。

 私は,幼稚園の時に新幹線の絵をよく描きましたが,小学校に上がって高学年になった頃は,図工が大嫌いになっていました。
abesan11
2018/05/21 19:33
abesan11様
お褒めの言葉をいただくとは思ってもみませんでした。
どうぞ( ^^) _旦~~
でも夢は、たぶん人より小さく、いつも現実ばかりを描写しようとしていたように思います。夢があればここに夢の新幹線車両を描いて走らせていると思います
黒板は、私のお絵描き専用として父が買ってきたみたいです。このころはおとなしくお絵描きしていたのかもしれませんが、やっぱり学校に行くと絵を描くことに(汽車以外は)嫌気がさすことが多かったですね。それでもプラモは好きでした。好きというだけで仕上がりは言うに及ばずでしたが。。。

新幹線の絵は、今でも0系に限っては書けますので、うちの子や甥っ子が幼いころには目の前でスラスラ描いて、けっこう受けましたが、今の子に0系を描いてあげても、「何それ?変な電車〜」でしょうね。

鉄腕アトムと蒸気の組み合わせ→オツムの構造が変。線路のゆがみ具合も変。児童心理学に詳しい人に見せるのが恐ろしいです。
しなの7号
2018/05/21 20:45
しなの7号様こんばんは
「はーなー嫁は夜汽車に乗って」とか「動き始めた汽車に一人飛び乗った」などは今でも昭和の名曲とかでテレビで聞くことはありますが、定期の夜汽車(電車)が1本あるのみですね。
私にとっての夜汽車は旧客の頃の「だいせん」、動き始めた汽車はDL牽引ですが、こちらも福知山線の普通列車をイメージしてました。
雷鳥23号
2018/05/22 19:28
雷鳥23号様 こんばんは。
幼少時代、絵本の「あさかぜ」に夜汽車の現実味は理解できませんでした。夜汽車をそれらしく捉えることができた列車と言えば小学生高学年になってから、長野から名古屋に向けて夜明けの時間帯に通過していく「きそ」を見たときでした。すでにDL牽引でしたが、旧客編成で寝台車も連結していました。
動き始めた汽車には、ヒヤヒヤしながら無線機片手に関西本線で乗務してましたが、非常停止させる場面は幸いにしてありませんでした。
しなの7号
2018/05/22 20:43
自分の描くSLはD51でデフと煙突の皿パーは定番でした。記憶に残るSLは瑞浪電化〜中津川電化の間です。
D51200も集煙装置を付ける前は皿パーでした。
中央西線
2018/05/22 22:14
中央西線様
回転式火の粉止めは時期によって、その有無や形状はそれぞれだと思うのですが、そのころには皿パー付の機関車が多かったような気がいたします。
しなの7号
2018/05/22 22:32
おはようございます。
ご多分に漏れず、回転式火の粉止めは、皿のような形状のカバーが付くものとそれの無いものがありました。中央西線では春と秋に取付けるよう、名古屋鉄道管理局から通達があったようですね。検査に入る関係上、それ以外の季節まで取付けたままというのもありましたが。集煙装置が付いてからも上からしか見にくいですが、皿の無い方が付いていることがありました。子どもの頃に絵を描く場合、必ず皿パーが付いたものを描きました。一瞬見たものを想像だけで描くので、ずいぶんでたらめでしたが。
子どもの頃の絵本は、貨物列車が紹介されたものが印象的でした。活魚車(ナ)や家禽車(パ)などを知ったのもその本でした。その影響でしょうか、今に至っても華やかな特急車両にあまり興味がわきません。
北恵那デ2
2018/05/23 07:00
北恵那デ2様 こんにちは。
季節によって着脱する通達があったというのは、以前に北恵那デ2様からお聞きしたとき、空気が乾燥する時期の沿線火災対策ということで納得したのですが、秋から春に取り付けると理屈に合うと思いますが如何でしょう?

北恵那デ2様にはおわかりと思いますが、瑞浪電化直前に二軒屋信号場が恵那〜美乃坂本間に開設されました。そのころ坂本郵便局脇の陸橋付近で上下列車がすれ違う場面がよく見られるようになったので、その陸橋上からD51の回転式火の粉止めの存在を意識して見るようになりました。43.10で電化されましたから、上からD51を見ることがなくなり、集煙装置の中を覗いたことはありません。そのなかに火の粉止めが付いていることがあったとは存じませんでした。

ほかに貨物列車の絵本も持っていますが、そこには豚積車ウが描かれています。SLは出てきませんが牽引機はEF65.入機がDD13、コキ10000系とのすれ違いが表現されていてワクワクします。1〜4才向けとなっていますが、60過ぎのジジイでも楽しめます♪ 
しなの7号
2018/05/23 11:12
今晩は。
「回転式火の粉止め」の局通達の写しが数年前どこかのサイトにアップされておりました。今探しても発見できません。プリントアウトしたような記憶もありますが、それも見付かりません。確か通年装着が大垣電車区のC11などというように書かれており、中津川機関区はD51,C12について、何月何日から何月何日までおよび何月何日から何月何日までというふうに春と秋の日付が入っておりました。機関区によって指定日が異なるのが理解できませんでした。推測ではありますが、大垣電車区では市街区域が多いので通年、中央西線では冬は寒冷で石炭の燃焼効率が悪いので外す、などと思います。因みに集煙装置が無いため装着の確認が容易であったC12については、「この年の春は何号機が皿付きだった」とか記録をメモしておりました。
集煙装置に経年劣化で穴が開いているものもありましたが、火の粉止めにしても思ったほど長く使えるものでも無かったようです。火の粉止めについては特にすすが詰まり易く、手間のかかるものだったようですから。
北恵那デ2
2018/05/23 22:29
北恵那デ2様 こんにちは。
お手間を取らせてしまい申し訳ございませんでした。
機関区ごとに指定日が異なるわけですか。私も推測しますが、きめ細かい規定になった裏側には、積極的に取り付けたくないので、できるだけ対象期間とか対象機関区を絞りたいという意図があったように思えます。寒冷地である中央西線では冬場には霜や残雪によって空気は乾燥していても地表が湿っているので、沿線火災になりにくかったのかなとも思いました。

実際どうなのか知りませんが、最近は鉄道が原因となる沿線火災という話をあまり聞かなくなったように思います。国鉄時代はSLが廃止された後も木枕木や沿線の枯れ草火災はけっこうありました。PC枕木やディスクブレーキが普及し、鋳鉄制輪子を使用した貨物列車が減ったとかハード面での改善効果があるのでしょうけれど、個人的に思うのは乗客のタバコの投げ捨てが、禁煙車と固定窓の普及によってなくなった効果が大きいように思います。そう考えるとSLの火の粉が原因だと言われていた火災でも、実はタバコが原因で、SLはとんだ濡れ衣を着せられたこともあったのかなとも思いました。
しなの7号
2018/05/24 07:55
お疲れ様です。昨日から今日にかけては休みだったのでじっくり素晴らしい作品を見せていただきました。絵の才能がゼロの私はうらやましい限りです。列車の絵で思い出したのですが短大時代は幼児教育科だったので絵画制作と言う授業もあったのですがある日略画を描く授業があって本を見て描くのですが特急列車の絵は結構熱心に描きましたよ。今思うと形式は183系に近かったと思います。381系は裾のしぼりを意識しなければなりませんね。
鉄子おばさん
2018/06/16 05:54
鉄子おばさん様 こんにちは。
じっくりご覧いただくとお恥ずかしいので、ほどほどでお願いします(;^ω^)
自分が描いた0系新幹線の絵は自分の子には通用しましたが、今どきの子供に通用する平成時代の鉄道車両の絵は自分には描けません。鉄道写真をやらなくなっで全体的な造形や細かいディテールをよく観察しなくなったことも原因の一つかもしれません。
しなの7号
2018/06/16 13:20
しなの7号様、こんばんは。
机に向かって勉強しているフリをして、写真を見ながら山陰線をよく描いていました。旧客、夜行鈍行山陰、キハ47、キハ181あさしお等々…
実物ではなく写真を見ながらですから『インチキ』の範疇でしたね。

勉強中と見せかけ、オネイサンの写真が掲載されている本で興奮、親が接近する気配を感じ慌てて机の下に隠した事も(笑)

平成産まれの子に、旧客に飛び乗る、飛び降りる話をしたら『はぁ?』と言われてしまいました。全く通用しません。

山陰線以外に、学校の先生の似顔絵をよく描いていましたが、下手くそでしたので、デフォルメした絵になっていました。美術の成績は5段階中の3、良くもなく悪くもなく普通の成績でした。言い訳ですが興味の無い題材では気合いが入りません、山陰線の絵を提出できれば、もっと上の成績を狙えたかも…?
はやたま速玉早玉
2018/06/22 01:41
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
やってきたことは大同小異、身に覚えがあることですね。
思い入れがある題材に向き合ってこそ作品の製作に力が入るわけで、勉強にしても将来の目標がなければ、どうにも力が入らず、オネイサンのほうに心が向いてしまうのはお互い様です(;^ω^)
学校や会社の成績は良いにこしたことがないですが、それが全てではないので、自分自身の中での達成感が得られる勉強や仕事ができればそれでいいと思っています。

子供のころから親やさらに年上の世代の方と話をすると、感覚的なズレを感じることが多かったですが、ここにきて立場が逆になったと思いますね。
しなの7号
2018/06/22 09:31

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