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zoom RSS 【887】 時計代わりになった列車の音

<<   作成日時 : 2018/06/11 06:10   >>

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実家があったところは静かで、遠くの林の中で鳴くウグイス、ときにはカッコウなど鳥の声もよく聞こえた。毎日正午を知らせるサイレンもよく聞こえたし、決まった時刻に聞こえてくる音は時計代わりにもなった。隣の町内に住むKさんが家の前を「原動機付自転車」で通過していくのが平日の毎朝8時であった。「原付」といえば、当時でも「スーパーカブ」などが主流だったが、Kさんのは、ペダルが付いた普通の自転車とあまり変わらない形状の車体後部にエンジンを取り付けた旧型の「原動機付」の「自転車」で、「パタパタパタ」と盛大な音を出したので、音だけで他のバイクとの区別ができた。Tさんが行くと、つまり8時には登校するため私が家を出る時間で、それから学校まで歩く途中でD51に牽かれた木曽福島始発の名古屋行普通列車が駅を発車する汽笛が聞こえ、歩いている場所によっては列車そのものが見えたし、見えないところでも大きな走行音が聞こえた。その列車が通り過ぎるときに自分がどのあたりまで歩いてきたかによって、始業時まで余裕があるのか、慌てなければならないかが判断できた。Tさんの原動機付自転車は、いつも駅前の自転車置き場にあったのを記憶しているから、その名古屋行に乗って通勤していたのかもしれない。

実家のあたりから、中央西線の線路まで最短直線距離で600メートルほど離れていたと思うが、早朝は鉄道の音で時刻がわかった。小学生時代、中津川始発の上り名古屋行一番列車が気動車列車で、美乃坂本駅を発車する「ファ〜ン」というタイフォンがよく聞こえた。古い時刻表を見ると、その気動車列車は昭和30年代末期に登場していて、普通列車のくせに急行を思わせる列車であった。
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早朝に響くキハ55かキハ58のダブルタイフォンの音色は、エコーがかかって聞こえた。駅からは少し距離があってエンジンの加速音は風向きなど条件が良くなければ聞こえないが、列車がいったん掘割区間に入ったあと、そこから見通しの良い築堤区間まで進むと、走行音がよく聞こえ、短い上路式プレートガーター鉄橋で川を渡るときだけゴーッと音が大きくなった。これで朝5時過ぎだなとわかった。

6時前になると、多治見発長野行の下り急行「きそこま」が軽快に通過していく音が聞こえた。複線化が完成して間もない下り線は、上り線のような鉄橋でなくコンクリート橋で川を渡るので通過音が上り列車より静かであったから、通過音をよく聞いていれば上り列車か下り列車かの判断もできたが、5時過ぎの上り一番列車の音と間違えることもあった。けれど、そのあと6時過ぎに上りの二番列車が美乃坂本駅を発車するときの汽笛で、6時を過ぎたことが確実にわかった。その列車は気動車列車ではなくD51が牽く客車列車だったので、気動車の軽快なタイフォンとは違い、野性味のある「ボ〜ォ」という汽笛だったから、間違いようがなかったし音量も大きかった。
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(画像は当該列車ではありません。撮影区間も時期も異なります。)
これを目覚まし代わりに母は起きて食事の支度をはじめた。上りの1番列車とは違い、D51が牽く列車は駅から発車して加速していくブラストが聞こえ、その音は掘割区間でいったん消えてから、築堤区間まで進むと再び勢いよく駆けていく蒸機独特の規則正しいブラストが聞こえた。
電化されてからも、上り一番列車は気動車のままであったが、2番列車は電車になったので発車時の汽笛合図での区別は難しくなり、時刻もスピードアップした分だけ発車時刻が繰り下がった。それでも70系や80系電車のツリカケ駆動音は気動車とは十分に判別可能ではあった。
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中央西線では中津川まで電化された後でも、名古屋から中津川以北へ 直通する普通客車列車が残されていて、その多くは名古屋・中津川をEF64が牽引していたが、一部にはDD51が直通で牽引する客車列車もあったから、ピーというホイッスルでも電車列車や気動車列車との区別が可能であった。

電化されたといっても、一駅先の中津川駅から北にはまだD51が走っていた。蒸機の汽笛の音はほんとうに大きい。静かな朝の6時台に中津川を発車する後補機付の下り貨物列車があって、その発車合図の汽笛2声が、一駅分の距離、約6qを隔てて風に乗って家まで聞こえてくることがあった。

ディーゼル機関車の音も、距離があるのにもかかわらず、家まで聞こえてきたことがある。中学生のころ、主に夏場に、夕方になると決まって恵那の方角からウォ〜ンウォ〜ンと繰り返されるうなり音が家のあたりまで聞こえるので、何の音なのか気になったことがあった。はじめのうちはその音の正体を解明できずにいたが、その音は新大井トンネルを出た後、力行して美乃坂本へ近づいてくる下りのDD51のエンジン音が南風に乗って、途中2つもある丘陵地を越えて2〜3qもの距離を隔てて聞こえてくるのだということが後になってわかった。その繰り返すうなり音が消えて1〜2分するとDD51が牽く833列車が山影から築堤に姿を現し、惰行運転で軽快なジョイント音とともに美乃坂本駅に入っていくから、サミットで惰行運転になってうなり音が消えて、山影から833列車が姿を現すまでの無音時間があったために、「うなり」が鉄道の音だとは気が付かなかったわけだ。
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もちろんほかのEF64牽引の列車では、そんなことはなかった。
音波の「うなり」は学校で習ったが、DD51が2基のエンジンを持っていたから起こった現象だったのだろうと思う。2基のエンジン音のわずかな周波数の違いが、音を周期的に増幅させて遠くまで聞こえてきたのだろう。
こういうことは物理で学習することだと思うが、理系の人間ではないし、そういう鉄道に関すること以外は学校の勉強について何も覚えていない。高校生のころには、お世辞にも勉強をしたとは言えなかったし、大学進学のつもりもなかったので、成績は落ちる一方であった。定期テスト前は一夜漬けというより、いったん寝てしまうと覚えたことを忘れてしまうので、試験の日の前日には早寝して深夜には起きだして、当日の試験科目の教科書やノートを開いて机に向かい、基礎的なことの暗記に徹して、そのまま学校に行った。
家の学習机の前の壁には、父が職場からもらってきてくれた中央西線のダイヤグラムが貼ってあった。
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深夜は静かなので、夜行の急行や貨物列車の走行音がよく聞こえた。勉強…というより無理を承知での暗記をしながら、列車の音が聞こえるとダイヤグラムと時刻を照合して、どの列車の音か確認し、4時半すぎに寝台車を連結した上りの客車急行「きそ5号」の音がするころには、だんだん焦ってきて、努力しなかった自分の行いを棚に上げて、記憶力の悪さを恨んでいた。

高校を卒業してからこの列車に乗務することになろうとは、そのとき考えもしなかった。
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国鉄に入ってからも、貨物列車の車種による独特のジョイント音のリズムで、家にいてもどの列車かわかる例もあったが、国鉄退職後には転職してすぐに愛知県内に転居してしまった。今の家では自動車の音ばかり聞こえていて、列車の音は風向きによって稀に聞こえることがある程度で、ほとんど聞こえない。
それとは別に、たまに帰省したときでも、実家から列車の音が聞こえにくくなったのに気が付いていた。近所に家が建て込んできたとかいうわけでもなく、それはロングレール化されたのが主な原因であった。ジョイント音がしなくなり113系だとMT54の重厚なモーター音がブ〜ンと聞こえてくることはあったが、211系や313系が通過してもまったく気づかない。上り線の鉄橋も河川改修に伴ってコンクリート橋に架け替えられ、静かになった。もちろん駅を発車するときの汽笛合図も国鉄末期から省略されるようになったから、騒音問題が解決されたわけで、喜ばしいことであるが、日々の生活の中にある鉄道の存在感が薄くなってしまったなあとも思う。



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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
しなの7号様 こんばんは。
そして、高台にある高校では181系しなのが昼の合図となったわけですね。
国電区間で育った自分は、通過音による時間感覚などはほとんどなかったですが、幼少時(昭和50年代)唯一あったのは、、吊りかけ音をとどろかせながら深夜の東海道線を西へ走ってゆく単行のクモニでした。自分にとってはそれが寝る合図でしたが、中学に進学してから、尼崎から来た同級生にその話をすると、彼の場合はもう真夜中寝てからだったと言っていました。

追伸
今年の夏は、臨時だいせんのほか、サンライズ93号京都行きが運転されます。285系の方向幕に『特急 京都』『特急 名古屋』『あさかぜ 下関』のコマがありましたが、ようやく使い道がわかりました。
やくも3号
2018/06/11 18:00
ジャストタイム運行やくも3号様 こんばんは。
鉄道車両の種類によって、汽笛や、エンジンやモーターの発する音、線路上を走行するときの音が違って、それを区別することができ時計代わりにできることは、鉄道趣味の実用的な側面だと思います。そういうことができたのも、さまざまな特徴ある車両や列車があったからこそですね。そして、住んでいる地域によって、同じ列車でもまったく違った思いがあるのと同様に、時代や聞く者の年代によってもまったく同じ音を同じ場所で聞いたとしても、その音に対する想いはまた違うものなのでしょう。

サンライズ93号は京都発では?
285系の字幕には『特急 名古屋』もあったのですか。これは上りが長時間遅れたときの運転打ち切り用でしょうか??? それとも一部編成がJR東海所有という事情から、JR東海仕立ての臨時を意識したということでしょうか???謎ですね。 
しなの7号
2018/06/11 20:21
やくも3号様からいただきましたコメント(2つ上)の冒頭にある、
「そして、高台にある高校では181系しなのが昼の合図となったわけですね。」
の部分については、以前の記事に書いたことを言っておられます。
該当記事は
【120】 中央西線を走った車両5 :181系気動車(5)
http://shinano7gou.at.webry.info/201012/article_16.html
ですので、興味がおありの方は、覗いてみてください。
授業中でも、列車の音を気にしているようでは、成績がわるかったのも当然ですねw
管理人しなの7号
2018/06/12 09:17
ごぶさたでした。
汽車の音、良いですね。
生まれたときから大阪市内の最北部に住んでます。
昔々、深夜には吹田操車場でハンプ押上げをするD51の汽笛が聞こえたものでした。現在は新大阪駅の近く、新幹線高架の横に住んでますが、さほど面白くはないですね(笑)
つだ・なおき
2018/06/12 19:34
つだ・なおき様
私は国鉄在職中の一時期、稲沢にある独身寮に住んでいました。一晩中続く入換に従事するDE11のエンジン音、連結の音、操車場をパスして本線を走る貨物列車の音が交錯し、寮にはエアコンなどなかったので、窓を開放する夏場は特にうるさい夜を過ごしました。ある程度線路から離れて子守歌程度の音量がよいようで…
吹田一区のD51はデフなしが有名でしたね。
しなの7号
2018/06/12 20:31
しなの7号さんの記事を読んでいて、家から遠い東武野田線の吊りかけ音が響いてきたのを思い出しました。そんなに遠くないJR東北線の音はなぜか聞こえませんでしたね。貴重な思い出話ありがとうございました。
うさお
2018/06/13 21:38
うさお様 こんにちは。
列車の音って、ただ距離だけの問題でなく、車種とか線路の状態、風向き、音が反射する山とか建物の配置角度など、さまざまな条件によって聞こえ方が違ってくることがわかりますね。今とは違う常識の中にあった子供のころの日常生活と、そこにあった鉄道との関わりを思い出すことによって、鉄分が残る今の自分の原点を再確認できます。
しなの7号
2018/06/15 14:17
しなの7号様、こんばんは。
また山陰線絡みのコメントとなりますが、小学生時代に所有していた山陰線を記した書籍に『通学する子どもたちにとって、列車は時計代わりである』との一文が掲載してありました。私がよく利用していた(今も利用している)馴染みの近鉄、京阪は列車本数が多いのでその意味がピンと来ませんでしたが、子どもながらに熟読してみると、この文章の奥深さがジワジワと伝わってきた気がしました。
日々の生活の中に列車が居るんだなぁ、と、羨ましさすら覚えた記憶があります。

DCのタイフォンの音、それとは異なるSLの汽笛、鉄橋を渡る走行音が、生活の中に根付いている、人間味すら感じますね。記事末尾で述べられていますが、騒音解消と引き換えに鉄道の存在感が失われるのには、寂しさを感じてしまいます。

私も暗記科目は苦手でした。書けば覚えられると言いますが興味の無いものは、なんぼ書いても頭に入りません。でも『スハフ42』と『オハフ33』の違いは書くという作業をするまでもなく、一発で覚えましたね(笑)
はやたま速玉早玉
2018/07/02 01:01
はやたま速玉早玉様 こんにちは。
田舎者にとっては、駅や停留所に行ってから時刻表を眺めて「次は〇〇分のが来る」という感覚で乗れる都会の交通機関の乗り方がが羨ましいと思ったものです。実家ではダイヤ改正があるたびに、新聞折り込みチラシといっしょに、B4くらいの大きさで駅前商店街の広告が入った美乃坂本駅の列車とバスの時刻表が配られました。たぶん今も同じです。それを家の壁に貼って、発車時刻を確認して出かけました。隣町まで出かけるときに日中1時間に1本程度の列車に乗り遅れれば1時間に2本程度の並行路線バスに乗ることになりましたが、運賃は国鉄の2倍以上だったと記憶します。現在は、鉄道とバスの本数が逆転しています。郷愁の感じ方と便利さとは反比例する傾向がありますが、どちらかに偏ってしまうと、その弊害が起こってくるものです。

好きなことは頭に入りますが、逆はダメですね。では自分はどういうことやモノが好きなのかと問われれば、手の届かない憧れ的なものではなくて、身近にあるもののほうに指向していまして、その一つが鉄道であったということでしょう。航空機には興味も湧かないし、鉄道であっても他線区の特急の愛称名などまったく知りませんでしたし、今もそうです。
しなの7号
2018/07/02 10:31
しなの7号様、こんにちは。再コメント失礼致します。
この手の時刻表、八木駅近くの親戚の家の壁にも貼ってありました。 
紺色と赤の2色刷り、基本的には紺色で特記事項(休日運休、吉富・高津通過、など…)は赤が使われていました。また、当時上下1本ずつ停車していた急行丹後は赤で記してあり、見分けが付きやすいようにしてありました。平成の大合併で南丹市の一部となってしまった旧船井郡八木町ですが、八木駅は当時の八木町の中心駅、上下1本でも急行が停車して、ちょっぴり貫禄を示していた感がありました。
はやたま速玉早玉
2018/07/03 10:24
はやたま速玉早玉様 こんばんは。
そう! 2色刷でした。実家が空き家になったあとも、そのまま引き払う直前まで貼ったままにしてありました。最近そういう時刻表を見たのは旅先の旅館のロビーでした。自動車中心の今ですが、存在しているからには、鉄道が利用されている証のような気がしてうれしくもありますが、そう思う当の私自身が自動車で来ているのですから、なんとも説得力がありません。

気動車急行列車が全盛だったころには、決して主要駅とは言えない市町村でも代表駅には急行列車が手分けするように停車する例が多くありましたね。特急化されてもその名残はありますが、今では特急が停車する駅でも閑散とした無人駅であることが少なくないと思います。
しなの7号
2018/07/03 20:51

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