【242】 乗務した車両:165系電車(1)

165系は153系を基本にした、勾配線区用及び耐寒耐雪装備の寒冷地用急行形電車です。
事実上、153系の後継車種と言ってもよく、平坦かつ温暖な線区にも投入され、国鉄時代には直流電化区間の多くで見ることができました。

私が車掌として乗務するようになった昭和56年ごろの中京地区では、165系電車は、大垣と神領の両電車区に配置されていました。
下の写真は神領電車区配置車両による中央西線の急行つがいけ号です。
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はじめに大垣電車区所属の車両のことからお話しましょう。
大垣電車区所属の車両は、153系に混じり8両編成を組んで、主に東海道本線で快速運用を中心に活躍していました。朝夕には中央西線でも運用されていましたし、担当する車掌区が異なっていたので乗務はしませんでしたが、急行「比叡」がその運用に含まれていました。

昭和57年3月17日
東海道本線527M
運転区間 豊橋~米原
乗務区間 名古屋7:47~米原9:20

1  クハ165-186 名カキ
2  モハ152- 50 名カキ
3  モハ153- 50 名カキ
4  クハ165-177 名カキ
5  クハ153-556 名カキ
6  モハ152- 65 名カキ
7  モハ153- 65 名カキ
8  クハ165-163 名カキ
(垣105▼運用変更)
乗務区間:名古屋~米原

このような8両編成のほか、グリーン車を2両連結した編成も存在し、これはいわゆる「大垣夜行」として東京まで運用され、急行「東海」にも使用されていました。
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「大垣夜行」は東京車掌区の受持ちでしたので、当初私どもがこのグリーン車付きの編成に乗務することはありませんでした。ところが、昭和61年11月の国鉄最後のダイヤ改正時から、私が所属する車掌区では、大垣夜行のうち浜松~大垣間のみ乗務することとなりました。分割民営化前提で、乗務員も通し乗務から細切れ乗務への移行することになったのです。大垣夜行に関しては、いずれ機会を改めて、その様子をご紹介したいと思っていますので、今回は触れません。

そのほかにも、飯田線の急行「伊那」と身延線の急行「富士川」も、当時は大垣電車区が担当していましたので、かなりの広域運用であったわけです。

当時、大垣電車区の165系には異端車が存在しました。
153系初期車のような低運転台にオレンジ色を一色塗り正面のクハ164という形式です。
その外観からわかるように、クハ164はクハ153の改造車でした。制御装置を165系と同じ形に取り換えて、153系では使用できない勾配抑速ブレーキが使えるようにした車両でした。この車両は少数派でしたが、珍しくも編成の両端がクハ164という編成に乗務したことがありました。

昭和57年2月20日
中央本線681M
運転区間 名古屋~高蔵寺
乗務区間 名古屋20:55~高蔵寺21:27

8  クハ164-  5 名カキ
7  モハ153- 63 名カキ
6  モハ152- 63 名カキ
5  クハ155- 20 名カキ
4  クハ153-537 名カキ
3  モハ153- 99 名カキ
2  モハ152- 99 名カキ
1  クハ164-  8 名カキ
(垣105)

中間には155系のクハ155まで挟まっていて、おもしろいですが、モハユニットは全部153系の編成です。この編成は681M~回882Mで神領電車区で夜を明かし、翌朝に再び中央西線の普通列車に使用されたあと急行比叡号になる間合運用でした。
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上の写真は神領電車区時代、中央西線の急行に使用中のクハ164です。

昭和57年に117系が東海道本線の快速用として投入されると、153系と155系は順次廃車されていき、165系オンリーで編成が組まれるようになりました。快速運用の主体は117系に譲ったので、165系の運用数は減りました。

それでも、東海道本線から飯田線の急行「伊那」になる直通列車が165系の運用として残りました。しかし急行伊那も昭和58年に廃止され、快速化されるとともに直通運用は無くなってしまいましたが、車両送り込みを兼ねたとも思われる運用がその後も存続し、基本の8両と合わせて12両編成になる東海道本線の普通列車がありました。

昭和58年8月16日
東海道本線554M
運転区間 大垣~豊橋
乗務区間 大垣17:21~名古屋18:05

クモハ165-139 名カキ
モ ハ164-862 名カキ
ク ハ165- 11 名カキ
ク ハ165-  8 名カキ
ク ハ165-179 名カキ
クモハ165- 60 名カキ
モ ハ164-808 名カキ
ク ハ165-132 名カキ
ク ハ165-  2 名カキ
モ ハ165-  2 名カキ
モ ハ164-802 名カキ
ク ハ165-205 名カキ
《垣201(8両)+垣562(4両)》

大垣電車区では身延線運用もあることから、高さの低いトンネルに対応するためモハ164は800番台の低屋根車になっています。
それにしても、この時期に大垣に残った165系にはクハが非常に多く存在していました。この編成中にも6両ものクハが連結されています。ちなみに、その中の1両(5両目クハ165-179)は、以前のブログ記事「【155】 臨時列車の乗務(3):165系回送電車」で記しましたように、翌年クハ455に改造されるために郡山工場へ回送され、新製以来住みなれた大垣電車区を後にすることになります。

この記事へのコメント

  • 中央西線

    名シンの165系がきそ、つがいけの廃止で名カキに転属になった時、暫定運用できその編成がそのまま比叡に使用されたことがありました。朝の間合いで勝川駅にて目撃。このとき比叡のサロ165がどのような扱いだったか気になっています。
    2012年01月23日 07:07
  • しなの7号

    中央西線様
    ダイヤ改正の移り変わりには、変わった運用が見られますね。本文中の昭和57年3月17日東海道本線527Mも変運用なのですが、乗務員には点呼で知らされるだけなので、どこがどう変更されたのかという内容は不明です。
    2012年01月23日 21:31
  • 中央西線

    私が初めて165系に乗ったのは1975年のきそ3号でした。
    サハ165-9でした。名シンには他に-5が配置されてました。名シンの特徴はサハ153を組んだ編成と165系では少数派のモハ165の中間ユニット編成でした。サハ165と
    モハ165-18~21とモハ164-81~84は改良型座席でした。
    2012年01月23日 22:07
  • しなの7号

    中央西線様
    当時の165系神領車はおっしゃるように中間にサハ153が入りましたし、モハ165も見られました。来週の更新で編成の具体例をアップしてみたいと思います。
    2012年01月24日 07:17
  • TOKYO WEST

    こんばんは。
    名カキの165系で思い出に残っているのは、昭和48年8月に上り大垣夜行で乗ったサロ165-125ですね。亡母と一緒に大阪からの帰途だったのですが、当時は81km以上大人300円、小児150円だったグリーン券を車内で購入し、冷房がギンギンに効いた車内で東京まで爆睡していました。この頃の大垣夜行は、前身の東京・大阪間運転の普通列車を受け持っていた米原車掌区担当でした。
    2012年01月25日 01:48
  • しなの7号

    TOKYO WEST様
    大垣夜行の思い出は多くの方がお持ちかと思います。「親子で大垣夜行に乗る」というのが、もはや遠い過去の光景に思えます。こういう乗客があたりまえのように乗っていることこそが本来の夜行列車なのでしょうが、客層も徐々に変わっていくものですね。大阪夜行当時の「マル救列車」の列車追跡記事をRJ誌で読んだのを思い出しました。私は国鉄就職直前の昭和51年に乗ったのが最初でしたが、このときの車内放送の内容は録音して、駅名駅順を覚えるのに何度聞きなおしたかわかりません。
    2012年01月25日 06:33
  • 突放職人

    こんばんは。最近旅客ネタが多くちょっと寂しく思っています(笑)でも165系乗りました!新宮夜行?大垣夜行で乗ったと思います。学生時代は馬鹿で日本全部の夜行列車制覇なんて目標があったので。普通ならJR全線制覇とかならわかりますが・・ネクラナ趣味ですね。模型をやるにあたり実車のアップは非常に面白いので続けて下さい
    2012年01月26日 22:14
  • しなの7号

    突放職人様 おはようございます。
    もうしわけないですなあ。定期列車の「乗務した車両」シリーズはこの165系で終了し、そのあとも臨時列車のシリーズの続きをアップしますが、いまのところ、そのシリーズには貨物や荷物の話題の予定がないんです。ただ、意外と貨物や荷物関係のアクセス数が多いようなので、貨物列車の編成記録やエピソードは、ただいま新シリーズ?としてその先に予定している「乗務した列車」シリーズのなかで取り上げたいと思っています。まだ先の話ですので、あしからずご了承ください。

    全夜行列車制覇っておもしろいではないですか!それやると、自然とJR全線制覇にかぎりなく近づきますね。
    仕事以外では165系の夜行は大垣夜行のほか、高校生のとき急行佐渡に乗ったことがあります。相席のおじさんが缶コーラを買ってくれました。
    2012年01月27日 06:09
  • toseibom

    遅いレスで失礼します。
    ご無沙汰しています。この記事も記憶をたどるとふと思い出したことがありました。南木曽に行く時だったか帰るときか忘れましたが、旧塩尻駅で低窓の急行編成を目撃しました。しかも中間でクハ165と向き合って連結されていて、生まれて初めて低窓を見た自分は「かっこ悪いなぁ」と口に出した覚えがあります。形式も見ているはずなのですが、それがクハ164と書かれていたかどうかは覚えていません。
    ただ、クハ165と向き合っていたので窓とライトの低さは歴然でした。ARC資料室を見ても、クハ164を混入した西線の急行編成は出ていないので、今思うのは、編成表を作っておくべきだったということです。
     おりしもKatoからクハ153低窓の単品発売が発表されたのでしなの7号さんの記事に触発され、2両ほど購入してクハ164にしてしまおうかと思っています。
    2012年02月13日 17:36
  • しなの7号

    toseibom様
    こんばんは。153系や165系の混結が多かった大垣電車区の編成はよく見る機会がありましたので、中間の低窓高窓の対比は何度か見ましたが、高窓を見慣れていると、低窓車は違和感がありますね。信州では153系がなくクハ164だけになりますから珍しい光景で、模型で再現したくなりますね。私もKATOの153系は持っていますが、大垣車で乗務した車両のナンバーが再現されているようなので、手を出してしまいそうです(^_^;)
    2012年02月13日 21:03

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