【241】 中山道宿場巡りで見た鉄道風景(9):徒歩で再訪 塩尻宿~芦田宿

「中山道宿場巡りで見た鉄道風景」の続きを始めます。
【239】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(8):今須宿~三条大橋の続きになります。

中山道の東京日本橋から69次の全宿場を電車とバスで訪問し、京都三条大橋までたどり着きました。
途中の塩尻宿から東海道と合流する草津宿までは、徒歩で中山道を何回かに分けて歩き通しました。
このあとは、中山道のうち、宿場間の移動を交通機関を使ったために歩いていない部分(塩尻以東のほとんど)を、改めて徒歩で歩きながら、宿場町を再訪することにしました。そのときの行程と、鉄道との出会いについて書いてみます。

今回は、塩尻宿から下諏訪宿を経て芦田宿までの行程を書き記しました。いつもは、道中に出会った列車の写真などを紹介しておりますが、特に今回は険しい峠越えが3か所も連続しているだけでなく、ほとんど鉄道が並行していない部分であることから鉄分は少ないです。

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【第30日】
2006年10月8日
下諏訪宿~(樋橋)
下諏訪宿~塩尻峠~塩尻宿

和田峠は中山道の難所の一つです。特に現在の中山道を歩く者にとっては一番の難所になります。かつて峠を越えていた国鉄バスは峠の前後で分断され、その両方の麓にある下諏訪宿と和田宿の2宿を結ぶバス路線はありません。どちらの宿場からも峠の途中までしかバスは運行されておらず、しかもその本数は極端に少ないのです。和田峠をはさんだ下諏訪宿と和田宿の間は24㎞もの距離があって、しかも険しい峠道です。愛知県から列車で下諏訪へ行き、そこから峠を越えて和田宿までを歩き、そのままバスと列車を乗り継いで長野経由で日帰りする方法はないか検討しましたが時間的に困難で、苦肉の策として、下諏訪から町営バス「あざみ号」で、和田峠の途中にある終点停留所「樋橋」(とよはし)まで乗り、折り返し徒歩で下諏訪に戻ってくることしました。さらにそのまま中山道を西へ歩き、塩尻峠を越えて塩尻宿まで行くプランを立てました。樋橋から先の和田峠越えは後日、改めて下諏訪から再びバスで樋橋まで行ってから徒歩で越えるという2回の日帰り旅に落ち着きました。

そこで当日、列車を乗りつぎ下諏訪駅で電車から降り、駅前のバス停に行くと、午前中1本だけの樋橋行バスは出て行ったばかりでした。バスの時刻を間違えていたのです。ネットで検索した町営バスの時刻表は古いものだったのです。検索エンジンで単純に出てきた古い時刻表を、古いものと気付かず確認もしなかったので、自分以外誰も責めるわけにはいきませんでした。これでは予定どおりの行程では歩けません。
その次のバスは午後までなく3時間以上待たねばなりません。現場で考えた結果、その3時間後のバスの折り返し便に乗れる地点まで中山道を和田峠に向かって歩くことにしました。3時間分、峠に向かって歩けるという解釈です。ずっと上り坂が続きましたが、結果的にバスの終点(折り返し点)樋橋まで歩いても、まだ時間に余裕がありました。
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バス停はJRバスと町営バスとがあり、JRバスは朝夕のみの運行で、その空白時間帯となる日中の運行を町営バスで補っているように思えました。
(現在JRバスは完全撤退しています。)
このまま峠を越えて夕方和田宿までたどり着けたとしても、前述のように和田~上田~長野へ出ても最終のしなの号に乗るには時間的にとても無理なので、町営バス「あざみ号」で下諏訪へ折り返すほかありません。秋晴れのたいへんよい日で、途中の自販機で買った缶ビールを飲みながら、バスの時間までバス停近くの脇道の道端で心地よく過ごしましたが、道路には鹿か猪か解りませんが、とにかくそんな足跡が無数にあるようなところでした。
下の地図中央付近が樋橋になります。その先、北東に向かう現中山道(国道142号線)が曲がりくねり和田峠に向かっているのがわかります。

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貴重なバスで下諏訪駅前まで戻り、こんどは直ちに塩尻宿を目指して西へ歩きました。こちらも塩尻峠を越えるわけで、樋橋までずっと上り坂を歩いたあとなので堪えました。午前中に樋橋までのバスの時刻を間違えたために時間のロスができてしまって、野生の王国?でビールなど飲んでいたツケが回ってきて、塩尻宿にたどり着いたのは早い秋の陽が落ちようとする時刻になってしまい、最寄りのみどり湖駅に着いた時にはあたりは真っ暗になってしまっていました。
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これで、和田峠の途中から草津宿までが徒歩でつながったことになります。

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【第31日】
2006年11月2日
(樋橋)~和田峠~和田宿~(大門落合)

下諏訪駅に前回より早い列車で向かい、あの町営バス「あざみ号」で樋橋へ向かいました。
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ここからは和田峠越えの続きです。もう並行バス路線がありませんので、長野からの最終しなの号に乗るために時間を逆算すると、何が何でも和田宿までたどり着いて、夕方上和田を出る長久保行のバスに乗る必要がありました。そのバスに乗らないとその日のうちに帰ることが不可能なのです。途中登山道と何ら変わらないような心細い道をたどると和田峠頂上で、ここからはひたすら下り道でした。バスの時刻には間に合い、さらに時間があったので、和田宿を抜け、そのまま中山道を歩いて、途中の「大門落合」停留所で自分にとっては終バスとなる上和田始発のJRバスに乗りました。このあとは上田から新幹線で長野へ出て最終しなの号に乗ることができました。
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この先は晩秋にはいり、そろそろ山では雪の便りも聞かれそうなので、この年の中山道歩きは終了となりました。

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【第32日】
2007年3月2日
(大門落合)~長久保宿~笠取峠~芦田宿

難関の和田峠を越えることができてホッとしたのですが、この先は長久保宿の先に笠取峠があります。この峠を越えれば芦田宿で、芦田宿から小田井宿の先にある、しなの鉄道御代田駅付近までは、少ないバスしかなく交通不便という理由で以前に歩き通しています。
(【208】 中山道宿場巡りで見た鉄道風景(3):小田井宿~和田宿)でアップしました)
その区間は改めて歩く必要はありません。笠取峠を歩いてしまえば、あと1日あれば御代田駅から信州の終端軽井沢宿までは歩けそうです。そこまで行ければ、長野県は終盤となり碓氷峠からは群馬県に入れるのです。その先には交通不便なところはないのです。
雪解けを待ちわびるように、3月に入ってすぐ、しなの号に乗って篠ノ井下車、しなの鉄道で上田、その後バスを乗り継いで「大門落合」バス停までやってきました。
直ちに歩き始め、長久保宿から峠道にかかると残雪が少しありましたが大したこともなく、峠を越えると浅間山も姿を見せてくれていて、歴史のある松並木を通って芦田宿にたどり着きました。帰路は東新観光バスの「路線バス」で大屋、しなの鉄道で上田、長野新幹線で長野~しなの号と乗り継いで帰りました。
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こんなわけで、最も交通不便な区間を徒歩でクリアできました。今回は鉄道との関わりの薄い区間でしたので、鉄分はほとんどなくすみません。
なんとか歩ききりました。

※この記録は2006年~2007年のものです。現在の公共交通の状況は大きく変わっていると思われ、同じ行程での旅ができるとは限りませんのでご承知願います。

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この記事へのコメント

  • 京阪快急3000

    こんばんは。
    中山道宿場巡りのレポート、お疲れ様でした。
    過去にこういう体験をしたというのもすごいですが、その「記憶」をブログ上でアップしたこともすごい事だと、拍手を送りたい気持ちです。
    自分では、とてもマネができません。
    2012年01月19日 20:45
  • しなの7号

    京阪快急3000様
    いつもありがとうございます。
    鉄分の少ない、つまらない話をご覧いただき恐縮です。
    鉄分があるとすれば、時刻表とにらめっこしながら、日帰りできるスケジュールを検討するという意味で、この区間の踏破は、「時刻表鉄」の世界かと思われます。
    2012年01月19日 20:53
  • くろしお1号

     しなの7号様、こんばんは!ハードルを更に高く「完全踏破」にされ、お仕事の傍ら計画的にこつこつと歩まれたことに、心より敬服いたします。
     街道中の宿場を駅と捉えると、それらの駅を一つひとつ停車しながら遥か先にある終着駅を目指す…そのお姿は、まるで古き佳き時代の長距離鈍行列車の車掌さんそのものです。また、それは決して行き当たりばったりでなく、「中山道号」の正確なダイヤを作成、そして乗務される。そのテイストはまさに「鉄」です!
     現役でお仕事をされながら、こんな壮大なプランを計画、達成されたバイタリティーを、少しでも見習いたいと思うばかりです。
     拝読していたら、晴れて自由の身となる日がやってきた暁には、もし気力や体力が残っていたら、江戸からお伊勢さん参りをやってみたいな…と思えてきました。
    2012年01月21日 22:08
  • しなの7号

    くろしお1号様 おはようございます。

    駄文にお付き合いいただき、コメントまで頂戴し、ありがとうございます。
    「仕事そのものは忙しくないけれど、仕事の内容そのものに対してストレスを感じている」という時期には、けっこう頻繁に出かけていたように思います。
    もともと中山道の旅は時刻に縛られることなく自由に、と思っていましたが、長野県中央部の踏破では、そういうわけにはとても参らず、時刻優先となりました。乗り鉄のなかでも効率重視の乗りつぶし派?の世界になってしまいました(^^ゞ
    江戸時代のお伊勢参り再現、いい企画ではないですか?ぜひ実現してみてください。私は名古屋は宮の宿から少しずつ長野善光寺へ向かって歩いていますが、完歩はいつのことやら判りません(^_^;)
    2012年01月22日 07:27

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