【356】 思い出の乗務列車18:上り大垣夜行340M ~車掌のサイン~

私が340M東京行に乗務していたのは、国鉄最末期1986年12~1987年3月までの短期間でした。
国鉄が分割民営化の時期が迫ってきたことと、それに伴って全国でローカル線の廃止が相次いだ時期だったこと、さらに1980年から始まった「いい旅チャレンジ20,000km」という国鉄線の完乗を目指すキャンペーン期間中でもあったので、「青春18きっぷ」で効率よく利用できる340Mは鉄道好きな人たちの人気列車でした。
下の写真は、この340Mと共通運用を組んでいた急行東海号です。
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私も、たとえば武豊線乗務中に入場券集めのお手伝い(詳細は拙ブログ記事 【49】入場券集めのお手伝いをご参照ください)をしたりしたものですし、鉄道が好きな方々の気持ちは、よくわかっているつもりです。

そのころ青春18きっぷで乗りつぶしをやっている若い方々で、小型のノートを持参して乗車した列車の車掌のサインを集めているという人に何人か出くわしたことがありました。当時そういう趣味が流行っていたのでしょうか。
【注】現在の乗務員は仕事の密度も濃くなっており、こういう行為は、執務中のご迷惑となりますので私はおすすめできません。ご遠慮ください。
彼らからは、「日付、列車番号、乗務区間、職名 所属車掌区、氏名、押印」を求められました。正直忙しいときは困りますが、仕事に余裕があるときなどは、なかなか面白いなと思って、それまでに記入された列車や車掌の名前を見せてもらったりしたこともありました。

この340Mに乗務すると、そういうお客さんが最後部乗務員室に来られることがありました。
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その中の一人にノートを差し出され、「これから東京へ帰るのですが、これまでの旅でノートがほとんど埋まりました。サインと一緒に最後に余った1ページに何でもいいから書いてください。」と言われたことがありました。豊橋までは各駅停車でしたし、もう一人の専務車掌は車内巡回をしています。私はドア扱いをしているだけで、業務に支障がなかったので、「じゃあ、時間があるときに何か書いておくから、豊橋を出たらノートを取りに来て」と言って、そのノートを預かりました。
折しも、私はすでに退職が決まっていた身でしたので、「自分も鉄道が好きで国鉄に入ったこと。民営化によって退職し、まったく鉄道に関係のない仕事に就くこと。国鉄がなくなっても好きな鉄道は残るのだから、自分はずっと鉄道が好きでいると思う。あなたもずっと鉄道を好きでいてください」といった内容のことを、そのノートの最終ページに揺れる車内で下手糞な字で書いて、豊橋を出てから彼に渡したのでした。
浜松で乗務を終え、次の車掌に列車を引き継いでホームを歩いていたら、先ほどの彼が中ほどの車両のデッキへわざわざ出てきて、「ありがとうございました~。これからも頑張ってください」と言ってくれました。鉄道好きな乗客が多い340Mならではの出会いでした。自分としても、最後の乗務がいつになるのかわからないままに毎日の乗務をしていた時期でしたし、340Mに乗務したのは、たったの4回だったこともあって、なんでもないことながら今でも、つい先日のことのように覚えているのです。

この列車は1996年春のダイヤ改正で指定席を連結したJR東海373系「ムーンライトながら」に置き換えられ、165系での運転は消滅しましたが、人気列車でしたので、その後も青春18きっぷの使用期間には乗り切れない乗客のために臨時列車が運転されました。下の写真がその下り臨時列車で、このときは神領区の165系でした。
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ほんとうに鉄道好きな方の多くが、きっと思い出が詰まっているであろう大垣夜行。その列車に退職間際に思いがけず乗務できたのは国鉄時代のよき思い出の一コマです。
そしてノートを差し出してきた彼は、今でも私同様に鉄道が好きでいてくれるのでしょうか?
                         
             <<340Mの連載はこれで終わりです>>

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この記事へのコメント

  • トシ@グッズマニア

    おはようございます。
    私も『大垣夜行』を何度か利用しましたが、いずれもJR化後で列車番号も375/372Mになってからのことでした。
    パンタの故障で本来運転停車駅だった熱海で372M前途運転打ち切りというトラブルに遭遇したこともあります。
    でもこの列車は345/340Mの方がしっくりします。
    2013年03月11日 07:48
  • しなの7号

    トシ@グッズマニア様
    大垣夜行は当初は143M/144Mという時代があったはずですが、列車番号が300番台にからでも名古屋では特別な列車との印象が強いです。自分は国鉄退職後に、残業で急遽その翌日に東京出張が入ったときに乗客として乗ったことがありました。
    2013年03月11日 20:23
  • toseibom

    こんばんは。
    大垣夜行は自分の子供のころの時刻表で旅する列車でした。私は修学旅行の時、165系で京都夜発車で一晩をあの座席で過ごした経験があり、急行座席で一夜を過ごす大変さを身にしみて感じました。あの状態でみんな大垣まで行くのかと思いながら時刻表を眺めてみたことのない景色を想像していました。さて、古い国鉄時代の車内放送を集めたサイトを見つけました。もうご存知かもしれませんが大垣夜行(下から4番目)や赤倉などがあったので、ご興味があれば聴いてみてください。http://www50.tok2.com/home2/railwaysound/ec.htm
    2013年04月03日 21:16
  • しなの7号

    toseibom様 こんばんは。
    ご紹介していただいたサイトは存じておりましたが、しばらく見ていないうちにずいぶん新作が増えていてビックリです。こうした車内放送を聞いているだけで旅に出た気分になってしまいますが、赤倉や大垣夜行の場合は、自分にとっては身近な存在でしたから、車窓風景が頭の中に甦ります。
    私の初めての長距離夜行経験は名古屋から折尾までの「桜島・高千穂」に乗った高校時代でした。4人ボックスのナハフで満席。夏なのに冷房なしで堪えました。
    2013年04月03日 22:24
  • おき2号

    しなの7号様、おひさしぶりです。

    ムーンライトながら号が運転終了となってしまいましたね。そろそろかなという感じでしたが、きちんとアナウンスされたのがなんだか意外でした。
    私は一度だけ大垣→東京に乗ったことがあります。ブルトレと同様、これから乗れなかった人が増えていき、歴史上の存在とのなるのでしょうか。

    PS
    1月1、2日にDD51 1043牽引の津和野稲成号に乗ってきました。DLは力強いですね。SLよりも乗り心地も良いですし、面白い体験にはなりました。DD51もあとどのくらい走るのでしょうね。
    2021年01月23日 11:30
  • しなの7号

    おき2号様 こんばんは。
    定期列車は臨時化されると、そのあと鉄道会社から何のアナウンスもなく自然消滅ということが多かったようですので、私としても今回のムーンライトながらの廃止がこのタイミングで、しかもテレビニュースや新聞記事でもけっこう大きく扱われたことも含め意外に思いました。それだけ大垣夜行時代から一般にも知られた列車だったということでしょう。
    DD51の1043号機は、亀山機関区に配置されていたころに、自分が乗務した列車を牽いてもらったことがある機関車でした。最後の最後まで生き残れて幸運な機関車、末永く活躍してほしいと思っています。
    2021年01月23日 20:58

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