【374】 思い出の乗務列車21:紀勢本線924列車(前篇)

921列車で新宮に着いて乗務員宿泊所で一泊したあと、翌朝乗務する924列車は、新宮発時刻が5時50分でした。この列車は921列車と対をなす列車で、天王寺を前夜に出ていました。
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画像は当時の国鉄名古屋鉄道管理局発行の時刻表の一部です。
921列車とは逆に後寄りのB寝台車2両は新宮で切り離しになりましたが、924列車の場合は、基本編成とは別に紀勢本線の起点駅でありながら枝線のようになってしまった和歌山市発のオハフが1両だけ亀山まで連結されていました。(上の時刻表では、そのオハフが亀山止まりであることは表記されていません。)時刻表上にも「難波」駅の欄があることでおわかりのように、当時は南海の難波駅から直通の急行列車が運転されていた時代ですが、この列車に関しては直通ではないものの、南海からの乗継の便宜をはかっていたのでしょうか。

その1両のオハフは先頭の機関車の直後に連結されていました。これは途中の和歌山駅での基本編成との併結作業と亀山駅での切り離し作業の手間を考えてのことでしょうが、その連結位置は我々が乗務するスユニの前にあたりますので、編成は、

DF50(亀)+オハフ++スユニ+オハフ+ナハ+ナハ+ナハフ(最前オハフのみ天カメ、他は天リウ)

と、いうことになっていて、スユニに乗務する私たちは、前後を旅客車に挟まれた格好での乗務でした。貫通扉のガラス窓が摺ガラスでなく透明ガラスの場合はオハフのデッキ部分から乗務員室内が丸見えなので、新宮まで乗務してきた新宮車掌区の乗務員の手によって、目隠しのため貫通扉には新聞紙を貼った状態になっていることがありました。国鉄で日常的に行われていた運転室後側の「遮光幕」の閉鎖と同じことを、幕がないスユニの乗務員室では新聞紙をガムテープなどで貼り付けて目隠しにしていたのです。
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(写真は碓氷峠鉄道文化むらに保存されているオハユニ61の乗務員室ですが、スユニと似たような構造でした。左側の貫通扉は透明ガラスです。前の客車から乗客がのぞきこむ。)
また、スユニの郵便室には往路の921列車同様、松阪~名古屋間だけに鉄道郵便局員が乗務してきましたので、松阪までは無人で、我々が自由に使用していました。

ところで、乗務開始駅の新宮では約40分間も停車していますので、乗務員室に携帯品を置いてから、発車前に駅前通りの商店街へ、朝食の食糧買い出しに出かけるのが常でした。この駅周辺の朝5時過ぎの賑わいは異常なほどで、その様子は以前のブログ記事「【325】思い出の乗務列車10:キニ併結 急行「紀州5号」(4)」で少し触れたとおりです。
924列車乗務の時には、この賑わっていた駅前通りにあった八百屋で、稲荷、巻き寿司とめはり寿司が入ったパックを買うことがほとんどでした。めはり寿司はこの新宮でしか食べられませんでしたし、駅弁として売っているものより格段に安く買えました。ただし「目を張る」ほど大きくはなく、稲荷ともどもかなり小ぶりな寿司でした。商店街を歩いていると、紀州5号で乗務を終えた先輩や同僚に出会うこともありました。彼らは急行列車の便乗で名古屋まで帰るだけでしたので、中には、混んだ急行に便乗するよりも924列車に便乗して松阪まで空室になっている郵便室の細長い机の上で横になって仮眠しながら名古屋へ戻ったほうが楽だと言って、寝台車代わりに松阪までスユニの郵便室に便乗していく人も稀にありました。彼らは松阪で鉄道郵便局員が乗車してくる前には、ガラ空きになった客室に移動して、そのまま名古屋までのんびり乗って行かれました。

画像

(2012年に撮った新しい画像です。)
海が見え隠れする気持ちの良い早朝のさわやかな風景の中を列車は走り…と言いたいところですが、この地方は雨の多い地方です。乗務した日には、曇りや雨降りのことが多かったように思います。
小さな駅からも、時期になるとミカン箱がいくつも積み込まれていきました。

さて、新宮を出て最初の主要駅となる熊野市(6時28分着・32分発)では、前夜東京を発ったブルートレイン「紀伊」との出会いがありました。
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「紀伊」はDF50が牽引する珍しい寝台特急でもありました。紀勢本線には、のちにDD51が入線しますが、このころはまだDD51が入線しておらず、すべて機関車はDF50(0番台車)の時代でした。
特急紀伊の機関車には、通常ヘッドマークが取り付けられていませんでした。しかし翌日からのダイヤ改正を控え、私の924列車最後の乗務となった1978年10月1日、私がカメラを持っていたその日に偶然に、ここで特製のヘッドマークを取り付けた姿を見ることができました。
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熊野市を出ると、次の主要駅は尾鷲(8時25分着・49分発)です。ここで後から来る急行紀州1号に途を譲るため24分停車しました。荷扱を早々と済ませたあとの停車時間が朝食タイムで、新宮で買った寿司パックを空室の郵便室で食べました。
中には、新宮の商店街で新鮮なマグロの切り出しの塊を買ってきて、持参のナイフで切ってみんなに振る舞ってくれる方もありました。新宮では新鮮なマグロが安く買えたので、年末に新宮の行路に当たると、わざわざ家へ買っていく人もいましたが、私はせいぜい商店街での買い物はミカンくらいのことでした。粒が小さく酸味がなく甘いミカンは、薄味の小さな稲荷寿司とともに、私の新宮のイメージの一つとして定着しています。

ところで乗務中の食事に関しては、メンバー次第で状況が変わるわけで、中にはまともな朝定食を食べたいという人もいて、いつも尾鷲駅の停車中に、駅前食堂へ行く人もいました。24分の停車時間で、しかも荷物の積卸しが終わってから食べに行くのですから、いくら駅前に食堂があるといっても時間的に忙しいわけです。しかし乗り合わせたメンバーみんなが、じゃあ朝は尾鷲の飯屋にしようと言えば、私も行動を共にしました。食べるのが遅い自分としては、味わう暇もないといったことになりました。
一般にカレチ氏は駅に着けば仕事がないので、一人で駅前食堂へ行く方が多かったようです。荷物車の3人は停車中の作業がありますので、すぐには行けません。全員食堂へ行くということに決まると、カレチ氏には先に行ってもらい、食堂で事前に人数分の朝定食を注文しておいてもらうと、荷扱作業が終わってから食堂へ駆けつけても、待つことなく食事にありつけるといったやりかたでした。カレチ氏は列車が到着すると、ホームの反対の線路側から一人でひょいと降りて、下り線を横断して、跨線橋を通って降りてくる下車客よりも先に改札を通って食堂へ向かいました。

停車時間が長い解結貨物列車の場合は、運転途中の停車時間内に列車を離れて食堂へ行くことはよくありましたが、旅客列車や荷物列車では長時間停車そのものがそれほどあるわけでもないので、尾鷲の慌ただしい朝食は印象に残りました。昨年、尾鷲駅に降り立つ機会があり、そのうら寂れた駅前に今も堂々と営業中の食堂が、昔とあまり変わらない状態で健在であったのは意外でありました。
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(写真は昨年撮った画像です。乗務時から35年経っています。)



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この記事へのコメント

  • C58364

    おはようございます。
    前にも書きましたが小荷物は正月用に親戚から送ってもらうミカンくらいで、駅までバスに乗って受取に行くかバス託送で停留所で受取ました。
    ミカン箱は取扱いやすいと思いますが、当時の小荷物の最大寸法と最大重量はどれだけだったのでしょうか。リンゴの木箱くらいの大きさのものはよく見ましたが、ときには布団が入った大きな包みがあった記憶がありますが。
    それとオハフ61か33か分かりませんが一番前の車両にゆっくり乗りたかったな~。
    DF50のエンジン音も聞きたかったな~。
    2013年05月13日 08:23
  • ★乗物酔いした元車掌

    ★ボクの、乗務中の「朝食」の思い出は、鵜沼かなぁ。
    通勤時間帯の単線区間を、堂々と貨物列車が東進。
    坂祝行きですが、その手前で1時間程度の停車。
    旅客列車に道を譲っていました。

    緩急車の中でパンをかじるくらいでしたが、
    時々運転士さんから無線で、お誘いがあり、
    駅前の喫茶店、て言うこともありました。

    そのほかでは郡上八幡かな。
    終着列車の入換えを済ませた後、
    駅前の民宿のような大衆食堂へ出かけました。
    地元の、独特な味のお味噌汁が印象に残っています。

    名車では、朝食を食べなかったことが多い気がします。
    これから通勤ラッシュですし、
    トイレに行きたくなっても行けない、あるいは
    連結されていないなんてことがありましたので。
    2013年05月13日 08:26
  • OTSUKYON

    おはようございます。
    大変興味深く、楽しく読ませて頂きました(納得
    当時の乗車時の思い出を、細部まで記憶されている事に驚きました。
    読みながら、当時のことが浮かんできそうです。
    ありがとうございました。
    2013年05月13日 09:10
  • MVK

    もと国鉄職員の方のプログにお目にかかったのは初めてです。かくいう小生も、短い期間でしたが国鉄職員だったことがあります。それは、戦後、引き揚げ者ということで朝鮮鉄道の前歴を認めていただき、仙台鉄道管理局の野蒜駅の駅務掛で採用になりました。4年ばかりつとめた後、上京して地方公務員として勤務、定年を迎えた老人です。
    やはり鉄道のことは、一生忘れられないと思います。
    2013年05月13日 11:27
  • しなの7号

    C58364様 こんにちは
    手小荷物の規格は三辺の合計が2m、重量は30㎏以内でした。
    客車の車掌室の通路を挟んで反対側にある大きなブレーキハンドルがあるスペースは、子供のころから好きでしたね。これが最後部に逆向きで連結されていると興醒めorzでした。
    2013年05月13日 13:02
  • しなの7号

    乗物酔いした元車掌様 こんにちは。
    国鉄末期のキツイ行路だと食事する時間さえなかったですね。
    乗務中に117系の隅っこの死角で菓子パンを齧ったりしてましたなあ。
    2013年05月13日 13:02
  • しなの7号

    OTSUKYON様 こんにちは
    35年も前の記憶はあいまいです。当時の写真、時刻表、使った資料ほかを駆使して、掘り起こしています(^_^;)
    たとえば、特急紀伊とすれ違ったのは記憶では尾鷲でしたが、時刻表他で記憶間違いを発見し熊野市らしいことがわかり、後に撮った熊野市駅での写真と見比べてそれを特定したといった具合です。
    2013年05月13日 13:03
  • しなの7号

    MVK様 こんにちは。
    大先輩に当たる方からのコメントありがとうございます。もしかして「あじあ」号の世界でしょうか
    私は分割民営化後26年間は普通の勤め人でしたが、国鉄の11年間はそれ以上に忘れることができない時間になっています。
    野蒜駅、さすがに最初は読めませんでしたし、どこにあるのか知りませんでしたが、荷物車に乗務していると、そういうことには強くなります。
    大震災の被災でその名が全国に知られる結果になってしまいましたが、勤務された駅の被災は、痛恨の極みとお察しいたします。
    2013年05月13日 13:03
  • ★乗物酔いした元車掌

    ★同じ記事に何度も申し訳ありません。

    「キツイ行路」で思い出したことがありまして、
    10時乗り出しの中央線行路で、22時まで、
    同じ編成にお付き合いでした。信じられます?
    お昼は釜戸駅で60分くらい、何にもありませんから、
    駅弁を購入して乗務。
    夕食はもっと悲惨で、たしか40分弱、
    立ち食いのきしめんで済ませた記憶があります。
    2013年05月13日 13:29
  • TOKYO WEST

    昭和53年7月に「南紀」のB寝台に乗りましたが、天王寺発車後すぐ眠ってしまい、新宮到着直前に目覚めたため、車内の様子はほとんど覚えていません。新宮からは南近畿ワイド周遊券を使用していたこともあり、急行紀州1号に乗ってしまい、924列車に乗り続けなかったことが今では後悔しています。
    真夏の暑い朝でしたが、寝ぼけながら新宮駅で食べたうどんが懐かしいです。
    2013年05月13日 20:02
  • しなの7号

    乗物酔いした元車掌様
    そのころの釜戸折り返し編成はトイレのない103系の時代でしょうか?
    同じ編成で折り返しを繰り返したり長時間乗りっぱなしですと、食事は117系乗務員室の死角で取るにしても、トイレはそう簡単にはいかないですから、人を人と見た行路にしてほしいと思ったものです。
    2013年05月14日 07:18
  • しなの7号

    TOKYO WEST様
    ワイド周遊券が鉄道旅行の定番だったころだと、新宮で急行紀州に乗換というのが普通でしょうね。青春18きっぷが存在していれば、旅行形態も変わったことでしょう。

    自分でもこれまで気が付いていませんでしたが、青春18きっぷの前身である「青春18のびのびきっぷ」の発売(1982年3月)直後に921列車と924列車が亀山折り返しに短縮(1982年5月)されています。わずかな期間だけでしたが名古屋~天王寺間を青春18のびのびきっぷで乗り通すことができたことになります。この切符ができたことで、意識して乗られた方は少なからずあるんでしょうね。
    2013年05月14日 07:22
  • C58364

    オハユニ61の写真を見ていて、昔オハフ61に乗っていた時に乗客が車掌室前のブレーキハンドルを回してブレーキがかかってしまい発車が遅れたことがあったのを思いだしました。
    乗客が勝手にブレーキハンドルを回せないようにロックは無かったのでしょうか。
    車掌さんは機関士さんに叱られたのでしょうかね。
    2013年05月14日 16:03
  • 北恵那デ2

    私は学生時代だと思いますが、中央西線103系でトイレが無いため苦しんだ経験があります。また、最近では太多線でJR東海キハ11で家内が同じ目に合い、可児で飛び降り大切な用事に遅れてしまいました。私が岐阜行きは太多線が安いよと勧めたためですが、大目玉をくらいました。列車にトイレは必要です(笑)。
    2013年05月14日 18:06
  • しなの7号

    C58364様
    客車の手ブレーキは車掌室の反対側の、割合開放的な場所にありましたが、回らないようにロックするようなことはなかったと思います。手ブレーキは緊急時にいつでもかけられる状態であるべきだと思います。
    乗客がいたずらで車掌弁を引いて急停車というのも、時にはありましたね。
    2013年05月14日 21:32
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    いまでも211系だと瑞浪以南でトイレがない列車が運転されていますのでご注意を!
    余談ですし、ご承知かもしれませんが岐阜へ行く場合ICカードで乗車すると、「最も低廉となる運賃計算経路により運賃計算をする」ことと規定されています。すなわち多治見~岐阜間は美濃太田経由でも名古屋経由でも安いほうの美濃太田経由の運賃でOKです。
    普通乗車券の場合はダメです。
    2013年05月14日 21:45
  • 北恵那デ2

    蒲郡のD51 201を見学しましたが、後ろにオハフ33が連結されております。タイムリーなことに手ブレーキを回してきました。さて、ICカードにはそういう規定があるのですか。おじさん?は新しい物事に対応できませんですわ(笑)。
    2013年05月15日 07:45
  • しなの7号

    蒲郡のD51201は、たぶん15年位前に行ったきりですが、客車が連結されていて中に入れるのがいいですね。手ブレーキの感触が体験?できるのもいい。
    2013年05月15日 08:26
  • C58364

    岐阜~美濃太田~多治見を直通運転しているトイレ無しキハ11は反則と思います。ほとんどの列車がキハ11ですので我慢できなくなって途中で降りてもトイレ無し駅が多いですし、列車間隔は離れているし困りますよ。仕事で乗るときは「水分控えめ」にし、「水なしで飲める下痢止め」をポケットに準備して注意してました。
    車両にトイレが無いためやむを得ずトイレのある無人駅で下車する場合、国鉄時代の乗車券の扱いはどうだったのでしょうか?
    2013年05月15日 20:53
  • しなの7号

    C58364様
    営利目的の民間企業にどこまでサービスとしてトイレ設置を求めるのか、法的設置義務やその基準を規定したものの有無を私は知りませんが、法的根拠なしに民間鉄道事業者だけに負担させるのは難しいのが現実だと思います。トイレがないと困るのは確かですので、改善はしてほしいという「希望」は私も常に持っています。 JRに要望すれば「岐阜~美濃太田~多治見の直通列車はほとんどの場合美濃太田で停車時間を多く取っているので、その停車時間に駅のトイレをご利用ください」という回答になるのでしょうね。

    国鉄時代の「トイレのための途中下車」という規定は聞いたことがありません。私なら申告があれば乗車券所持のまま下車していただくと思います。
    2013年05月16日 08:28
  • C58364

    ありがとうございました。
    確かに国鉄を利用していない時に駅のトイレを拝借したことがあります。周囲に店もなく本当に助かりました。
    鉄道事業者だけに押し付けるのも?ですか。
    美濃太田の停車時間内には難しい気がします。
    国鉄時代の車掌さんは怖かった(笑)ので今あえてお聞きしました。またまた長くなりました。すみません。
    2013年05月16日 09:24
  • しなの7号

    C58364様
    普通列車に長距離乗るときは、トイレはないものと思って自己防衛する時代ですね。
    国鉄の車掌って怖かったですか?
    まあ、怖い人もいなくはなかったですけど…
    2013年05月16日 20:25
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様
    921列車のページに続き、コメントさせていただきます。
    924列車の新宮松阪間のスユニ郵便室が空室になっていたそうで、921列車同様に自由に使えたとのことですが、紀州5号荷物車乗務の方が便乗した際に細長い机に横になったとあります。それはおそらく、区分棚の前の台で、未処理や処理済みの郵便物を置く台のことと思われます。乗務したからわかりますが、おそらく10系ハネの52cmよりも幅が狭く、片側は支えるものがないのですが、列車の横揺れがあっても床に落ちなかったようですね。護送便に乗務したとき、郵袋の積み上げ後は次駅まで休憩できたので、扱い便車両を使用した列車で、ここで仮眠しようと試みましたが、落ちるのが怖くて安心できず、小包を仕分ける網棚で横になったことがあります。特殊な設備を寝台代わりにできるのは乗務員の役得でしょうか。
    2020年07月09日 13:52
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    たしかに区分棚の前は狭いですね。そういう自分も1度だけ紀州5号の帰りに924列車の郵便室で仮眠したことがあります。腕のやり場には困りますが、そんなに怖い思いはしませんでした。そもそも一般に車内で横になるときは、上を向いてしまうとどうしても肩幅と両腕が支障しますから、私は少し体を斜めにして座面と壁面(背もたれ)とに体重を分散させて2面で体を支えるようにしていました。
    2020年07月09日 20:36
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様も区分棚寝台(?)を体験されたとは…設備がお役に立ち何よりです。壁面とはつまり区分棚本体ですが、自分の感覚では二段目の出っ張りに背中が当たって違和感があった記憶です。各段の水平板は郵便物が落ちにくいように、手前がやや出っ張っているんですね。それでもうまく体を据えれば仮眠は十分できたかもしれません。私が躊躇したのは、寝相が悪いのでB寝台に乗るとベルトに体をたびたび当てるもので、区分台から転落しそうで不安だったからです。丸いすに当たればさらに大けがですし。「この台にもうちょっと幅があったらなぁ」という声が出ましたが、そうすると区分作業のときに前のめりの姿勢で郵便物を入れるため、逆に腰痛になりそうです(笑) もっとも、設計する側にすれば、仮眠など想定外ですから、この幅で仕方なかったのですけど…。
    2020年07月09日 22:46
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    貨物列車や荷物列車の乗務員は、深夜勤務が中心になりがちですし、乗務員は毎日が違う時間帯の違う列車での勤務となれば、本来の仕事が終わったあとの便乗列車ではどっと眠気がでて、どのような環境の中であれ眠れるものです。
    紀州5号の帰りには好んで924列車で帰るニレチがごく少数でしたがおられました。便乗ではありますがニレチの指揮下にあるので、行動を共にして924列車で帰ったことが1回あったのですが、そのニレチは夜勤もきつくなってくる50歳くらいだったと思います。急行の便乗は気を遣うから嫌だとなれば、冬場には暖房があり足を伸ばせるだけでなく人目につかない郵便車がお気に入りだったのでしょう。
    2020年07月10日 20:00
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様 
    郵便車では夜行列車の深夜作業で朝の到着地では必ず事務室で仮眠後に帰り便に乗務するもので、紀州5号のように折り返し長距離便乗する行路など、名古屋に戻る車中は仮眠しないと体がもちませんね。
    郵便車で仮眠できたのはほんの短時間ですが、いかに楽に過ごすかをこだわり、浮き輪を携行して膨らませたことがありますが大して役に立ちませんでした。
    それ以上にこだわったのが頭をどちらにするかです。区分台では583系やA寝台のように進行方向と体の向きが同じになりますが、私個人は頭が進行方向でないと落ち着かないのです。実際の寝台車のベッドメークはそれを意識して枕が置かれていたか?は不明です。私など乗車時の枕の位置にかかわらず進む方向に頭を位置するように寝ました。924列車なら頭を松阪向きにするのが、別の意味でもいいはずです。頭を新宮向きにすると、紀伊長島からの急勾配で頭に血が昇るかもしれない…などと考えたりします(笑)
    2020年07月11日 00:09
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    「紀州5号」のところで触れていますが、行路上は新宮で休養後に急行で便乗してくることになっていましたから、924列車の利用は公に認められたものではありませんでした。しかし寝入ったころに起こされるような所定行路では、かえって辛かったりしますから、人の体は数字合わせでの管理はできません。早く帰って家で寝るのがいちばん体に負担がかからなかったりします。
    スユニの最大の利点は区分スペースに窓がなく室内灯を消灯すれば暗くなることですから、寝るなら暗い中央トイレ方向(亀山方)が頭になります。
    2020年07月11日 20:16
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様 
    郵便車でも3時間仮眠の折り返しや宿泊なしのトンボ帰りが健康には良くないとは思っており、限られた人数で乗務全体を回すしわ寄せと感じました。
    亀山方に向けて寝たのは勾配云々でなく、暗い方向に頭を向けたとは理にかなっていますね。
    勾配と言えば、コメントにありました荷坂峠C11推進?の件で、鉄道郵便側の記録では「列車の前後にC11を連結して勾配を上がった」とあります。もう少し強力なカマでもよさそうなものですが、軸重の関係でしょうか。
    郵便輸送でも紀勢線は輸送の隘路で「鉄道全通までの最後は尾鷲熊野間が未開通で、当区間は国鉄バス託送又は船舶に頼っていた」とも記述されています。

    2020年07月12日 00:49
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    荷坂峠区間の開通は戦前ですし、当時は枝線の末端区間という状況を考えれば、個人的には、C11は最新鋭で最適な機関車であったのではないかと考えます。
    紀勢本線で昭和30年代に開通した区間はトンネルが多く、各駅とも鉄道が開通するまでは海上交通が現実的で、閉ざされた街だっただろうことが列車の車窓からも伝わってきます。鉄道の開通が街の生活を大きく変えたと思われ、その時期までが鉄道が道路交通より優位に立っていたといえるのではないでしょうか。
    2020年07月12日 20:18
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様
    勾配線区の蒸機はD51などのイメージが強く、紀勢東線は後にDF50が投入されていることもあって、C11で挑んだと読んで意外に感じました。しかし当時は枝線だったのは確かですし、輸送量、列車重量を考慮しても最適な機種だったのでしょう。
    これまで見ようともしませんでしたが、道路地図で、伊勢道の多気から分岐した高速道路、高規格道路が熊野市まで伸びていると知りました。名古屋熊野市で比較すると、ワイドビュー南紀と特急バスが10分ほどしか違わないのは衝撃的で、924列車は別世界の乗り物とも思えます。
    鉄道の開通など都市交通整備が遅れ、細道の山越えや船舶が担っていたことは、この区間で見た車窓からも十分感じましたし、ここを開通させて紀伊半島の経済、産業、観光を発展させた先人には畏敬の念すらあります。
    さて、本文に「新宮で新鮮なマグロが安く買えたので新宮の行路に当たるとわざわざ家へ買っていく人もいました」とあります。荷物車に限らず、乗務先の各地で特産品の購入と持ち帰りがどれくらいできたのか興味深いですが、郵便車でも同様の話が語り継がれており、「買い物乗務」と呼んでいました。私は越前ガニなどの高額品には手がでませんでしたが、尾道や敦賀で和菓子を探して持ち帰ったことがあります。
    2020年07月12日 22:51
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    紀勢本線の昭和30年代に開通した区間にある各駅へ通じる新しい道路が開通していますね。時代は常に動き、気が付くと常識が一変することばかりです。
    出先での過ごし方や買い物については、このシリーズ内のそれぞれの該当列車の記事で書いたつもりですので、この先の記事に出てくると思います。荷物列車の行路では長野でリンゴ、亀山ではお茶、汐留や品川泊のときはアキバの電気製品、新宿カメラ店のカメラ用品とフィルム類などでした。
    2020年07月13日 20:02
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様 
    乗務先の過ごし方は、今後も他のページを読み進めます。
    亀山でみやげ物探しをしましたが、お茶には気づきませんでした。何しろ、三重県の生産量は県別全国3位で亀山茶というブランドもあります。鈴鹿山麓の水沢茶がかつては京都や静岡に送られ、そこのお茶として出荷されるのを見かねた郵便局が「ふるさと小包」で発送し知名度を高めた話を聞いています。
    新宮など紀州のマグロも今後注目したいですね。
    あらためて後編のページでコメントさせていただきます。
    2020年07月13日 23:52
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    亀山のお茶のことを書いたのは、この先の記事ではなく、以前の記事で
    【211】荷物列車とお茶菓子
    https://shinano7gou.at.webry.info/201110/article_5.html
    の末尾でした。
    2020年07月14日 20:23

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