【376】 思い出の乗務列車22:紀勢本線924列車(中篇)

新宮から乗務した924列車の車窓には、ところどころで海も見えたのですが、それも紀伊長島まででした。
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(上の写真は昨年の撮影で、乗務当時のものではありません。)

紀伊長島を出ると次の梅ヶ谷までの区間には、急勾配が連続する荷坂峠越えがあります。そこは「紀伊国」と「伊勢国」の国境にあたり、紀勢本線は内陸部へ入るのです。

この荷坂峠越えは、DD51より非力なDF50にとって一番の難所と言えましょう。ほぼ片勾配の荷坂峠越えは、この紀伊長島~梅ヶ谷の一駅間の所要時分を見るとよくわかります。下り勾配となる往路の921列車では所要時間が10分30秒なのに対し、上り勾配が連続する924列車では19分45秒もの時間を要し、上り勾配を登る列車は下り勾配を下りる列車の2倍近い時間がかかっていたわけです。
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DF50は当時、東海地方では紀勢本線でしか見ることができなかった機関車で、その所属は亀山機関区。スイスのズルツァー社エンジンを搭載した電気式ディーゼル機関車で、ボンボンボンというエンジン音に特徴がありました。
「ボンボンボン」のリズムは、速度が上がるにつれて速くなるのではなく、一定の速度で刻まれていました。そのかわり加速時や登坂で負荷がかかった時には、音が大きくなるとともに、「ポンポンポン」とも「ダンダンダン」とも「パンパンパン」とも表現できるような歯切れよい音に変化しました。
紀伊長島を出た列車は、急坂にかかるので、そのエンジン音は苦しそうに、そして大きくなりました、連続するトンネル内ではその「ポンポンポン」が客車内にも響き渡りました。

私が乗務していたスユニは機関車直後のオハフの次位に連結されていたので、機関車との間隔は1両分約20mありました。列車の速度は遅く、機関車がトンネルに入った瞬間に、スユニの車内ではその音が聞こえなくなるので、やがてトンネルに入るのだなとわかりました。オハフに続いてスユニがトンネルに入ると、こんどは轟音が車内に響き渡り、機関車がトンネルを出ると、トンネル内は静かになり、トンネルの出口が近いことがわかりました。直後にトンネル内が明るくなってゆき、スユニがトンネルを出ると、前方でまた「ポンポンポン」が聞こえ、また聞こえなくなると時間を置いてスユニもトンネルの闇に包まれ「ポンポンポン」の轟音…の繰り返しでした。荷坂峠越えの線路は、ループではないにせよ、相当にカーブが連続し、短いトンネルがたくさんあります。その最後にある長い荷坂トンネルに近づいてきたころ一瞬、下のほうに紀伊長島付近の街が見えるのでした。
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写真は昨年、荷坂峠越えの列車内から撮ったもので、右のほう遠くに見えているのが紀伊長島付近です。この景観はほんの一瞬ですが、この区間は紀勢本線の見どころの一つだと私は思っています。

海から離れた紀勢本線は、のどかな風景の中を走りました。自分が住んでいたのも田舎でありましたが、伊勢地方は温暖多雨な地域らしく、どことなく自分の田舎とは違う雰囲気がありました。
お茶畑が目立つようになり、多気で参宮線が合流すると、少しずつ名古屋に近づいてきたことを実感するのですが、まだ終点までは3時間近くもかかるのでした。ほんとうに新宮は遠いところだということをしみじみ感じたのでした。
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前に特急「紀伊」の写真をお目にかけましたが、その写真を撮った日(1978年10月1日)は紀勢本線の西半分である新宮までの電化開業前日でした。このときのダイヤ改正では、関西方面からの特急くろしお号は、すべて381系電車化されました。
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それまでは、キハ81を先頭にした80系気動車によって、名古屋天王寺間を紀勢本線~関西本線経由(伊勢線開業後は伊勢線経由)で直通する特急くろしお(下り5号と上り2号)が1往復設定されていたのですが、それは新宮電化を機に分断され、ダイヤ改正後、非電化で残された東側には、名古屋~紀伊勝浦間を結ぶキハ82を先頭とした80系気動車による「南紀」に置き換えられたのでした。これを受けて921、924列車は、寝台車連結区間に付されていた「南紀」の愛称が「はやたま」と改称されたものの、相変わらずダイヤ改正後も名古屋~天王寺間を紀勢本線~亀山~関西本線経由で結ぶ長距離鈍行として運転されていました。

しかしこのダイヤ改正では、関西本線名古屋口の荷物輸送についての大きな改正がありました。それまではこの921列車と924列車だけでなく、関西本線名古屋口(名古屋~亀山間)の荷物車はすべて旧型客車にぶら下がるように連結されていましたが、このダイヤ改正から客荷分離が行われ、関西本線は荷物専用列車化されたのでした。これに伴って、921列車と924列車とも、スユニの併結は亀山~天王寺間のみとなり、924列車の場合スユニは亀山で切り離しとなり名古屋~亀山間の関西本線部分は旅客車だけの4両編成として運転されるようになり、スユニだけは別の荷物専用列車に連結され名古屋まで運用されることになりました。
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写真は、そのダイヤ改正後に紀勢本線起点駅の亀山駅近くで撮影した924列車です。和歌山市発のオハフの位置がスユニの後ろに変更され、ナハ、ナハフの姿も見えず、オハとオハフばかりが連なっています。

さらにこの改正時には、921列車と924列車ともに荷扱乗務員は天王寺鉄道管理局の車掌区に移管され、私どもが乗務することはなくなってしまったのでした。
ダイヤ改正前までは、キハ81を先頭にしたくろしお5号と924列車とは阿漕駅で行き違い、スユニからいつもその姿を眺めていました。名古屋直通のくろしお5号も最後、924列車の乗務も最後となったその日も名古屋始発のくろしお5号をこの駅で見送りました。
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その日も、てっきりキハ81がやってくるものと思ってカメラを用意して待っていたら、先頭車は前後ともキハ82で、非常にがっかりしたのでした。ダイヤ改正最終日を待たずにキハ81は引退したのでしょうか。あるいは翌日からのダイヤ改正のために運用が変わっていたのかもしれません。
写真には、左端に少しだけ924列車のDF50の姿も見えています。



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この記事へのコメント

  • 京阪快急3000

    しなの7号様、おはようございます。

    DF50のエンジン音と、当時の紀勢本線の列車の様子がよく分かりました。
    2013年05月20日 06:15
  • くろしお1号

     しなの7号様、おはようございます!
     921・924列車の特集、本当に懐かしく、また私たちにとって未知の世界であった荷物車からの実況中継、とても興味深く拝読させていただきました。
     急行(特急)紀伊号、特急くろしお号、そして921.924列車は、私にとって「国鉄」の存在を知り、生き方にまで影響を与えてくれた、神の存在です。それらの列車に直接間接に携わってこられたしなの7号様は、神主さんです!晴れて私がしなの7号様の後輩になり、分断されてしまったもののくろしお号に直接触れることができ、その車両はしなの7号様と同じ381系であったことにも、改めて不思議なご縁を感じるばかりです。
     また、この特集には非常の多くの方々がコメントを寄せられ、皆様それぞれの視点から921・924列車の思い出を一杯お持ちであることがわかり、とても嬉しく思いました。
     もう30年以上も前なのに、昨日ふらっと乗ったような鮮明な記憶が甦ります!
    2013年05月20日 06:28
  • toseibom

    子供のころに親に買ってもらった鉄道ジャーナルの記事が、「南紀」→「南紀」の旅という題だったのを思い出しました。改正直前の鈍行「南紀」で一夜を過ごし、特急「南紀」で名古屋に帰る企画でした。今回の記事も楽しく読ませていただきました。私は紀勢本線に乗車したことはないのですが、難所の荷坂峠の様子がよくわかりました。
    2013年05月20日 06:30
  • ★乗物酔いした元車掌

    ★紀伊長島には、本体会社にいた最後の数年、
    2~3ヶ月に1回くらいの割合で出張してました。

    写真にある風景は、とても懐かしいです。
    あれが紀伊長島の町だと言うことを知ったのは、
    しばらくたってからでした。

    梅ヶ谷~紀伊長島間は、
    よくもこんなところに線路を敷いた、
    そう、思ったものです。
    2013年05月20日 08:16
  • C58364

    おはようございます。
    DF50のボンボンボンというエンジン音を聞きたかったです。DD51とまったく違いますね。1978.3.31現在の亀山区には4号機~64号機まで計32両がいます。名古屋から至近距離にたくさんいたようですが、子供が生まれ鉄を少し休んでいた時なので知りませんでした。東北で活躍した古参のキハ81も消えていました。
    しなの7号様の乗務当時の資料による貴重な又、正確なレポートには毎回驚かされます。特に普段一般乗客の目にとまりにくい荷物列車や貨物列車については興味深く拝見しております。
    2013年05月20日 08:40
  • しなの7号

    皆様、多くのコメントありがとうございました。

    >>京阪快急3000様
    DF50はDD51の前世代の機関車です。実物は大阪の交通科学博物館で見ることができます。

    >> くろしお1号様
    関西本線での「東京行」の紀伊。「天王寺行」のくろしお。
    いずれも実物はもちろんのこと時刻表上でも、別格の趣がありましたね。
    おっしゃるように多くの方からコメントをいただきまして、長距離客車列車に対する思いが伝わってまいりました。
    ちなみに、私は荷物車の世界を経験した後、列車掛を経て車掌になった時にも、この列車は名古屋~天王寺間の普通列車として残っていましたが、専務車掌(客扱)が乗務していたので、普通車掌が乗務する機会はありませんでした。私が専務車掌になる2年ほど前に列車が亀山止りとなってしまったことで、乗務チャンスはなくなってしまいました。

    >>toseibom様
    そのころは鉄道ジャーナル誌を購読していませんでした…ということは、自分が乗務した1日後の921列車の取材ということになりましょうか。
    信州とか山国には険しい峠がいくつもありますが、こんな海に近く標高の低いところで、これだけの急こう配が続く峠があることは意外でした。

    >>乗物酔いした元車掌様
    荷坂峠はカーブ続きですので、多くのループ線のように下の線路が見えないものかと目を凝らしてみたことがありましたが、どの辺をどう線路が通っているのかが車窓からはわからず、そのような場所を発見できませんでした。国道からはトンネルが連続する線路がよく見えますね。

    >>C58364様
    私は、子供が生まれたあとに国鉄を退職しています。転職と、そのあと2人目の子供ができ、その期間は生活が一変した時期になります。さすがに鉄活動はできず、その少し前に定期購読していた鉄道雑誌の購読も中止しています。
    2013年05月20日 15:48
  • C58364

    私も子供が生まれる頃にしなの7号様と同じような体験をしているので再コメさせていただきました。
    国鉄民営化の10年くらい前に、勤め先の企業から全社員に対して合理化による転退職を求められたのです。退職するわけにいかず転職を選びましたが、新しい仕事が複雑で分からないことや、新人でも年齢相応の責任が求められ毎日必死でしたね。私も生活の激変により鉄道誌の定期購読や鉄は中止しました。その後に買い損ねた時代の地元東海地方に関する古本を探していますが、在庫あっても高価で手が出せません。ですが貴重な資料と正確な体験情報を発信されているしなの7号様のブログにより少しずつブランクが埋まりつつあります。これからもよろしくお願いします、しなの7号の車掌さん。
    思い出の乗務列車が大好きで~す。
    2013年05月20日 19:57
  • しなの7号

    C58364様
    大先輩からの体験談、拝読しました。
    なにも国鉄ばかりでなく、転職退職で苦労することはどこでもあるものですね。私も国鉄分割民営化特集の雑誌は必要に応じてずいぶん後になってから古書店で買い求めました。
    子供に手のかかる時期の転職は、今から思うと綱渡り的なところもあったと思うのですが、そのときはその時なりに、今は今なりに、それぞれきわどい道程に困難なことが立ちはだかっていますが、乗り越えながら進ななくてはなりませんね。
    そして自分への心の栄養は鉄道です。
    ありがとうございます。
    2013年05月20日 20:24
  • OTSUKYON

    こんばんは。
    今回も大変楽しく読ませていただきました、、素晴しい。
    1978年といえば、私が26歳、ちょうど結婚したころ、ボンネット型のくろしお、現物は見た事がありませんが、大変興味深い車両ですね。
    やっぱり国鉄色の特急はいいですね。
    全部Nゲージで残しておきたい心境に駆られます。
    いいものを見せて頂きました(笑顔
    2013年05月21日 21:40
  • 北恵那デ2

    DF50のエンジン音を文章で表現するとまさにその通りでしたね。DD51に比べてDF50が旧式な機関車であった訳ですが、こういう線区にDF50を使い、片や加太越えに1エンジンのキハ35を使うということが理解できませんね。もっとも紀伊長島あたりが開通したころは、ディーゼル機関車にはDD50やDF50くらいしかなかったのかもしれませんね。もしも蒸機だったらいくつかのトンネルの連続だから、撮影は無理でしょうが最高のサウンドってところですか。
    2013年05月22日 08:06
  • しなの7号

    OTSUKYON様
    ありがとうございます。
    特急色だけでなく国鉄色はいずれもよく考えられた塗り分けだと思います。お若い方の感覚とは異なるかもわかりませんが、今でも第一線で通用すると思います。
    無塗装の車両が多いですが、写真にしても模型の世界でも国鉄色は存在感がありますね。
    国鉄退職後、しばらくしてからNゲージで国鉄時代の乗務車両を収集するようになりました。その模型たちをOTSUKYON様が製作されたような立派なレイアウトを走らせてやりたいですが、あいにく段ボール箱の中で眠っています。古い時代の国鉄車両が現在でも多数製品化されていることに、国鉄車両の人気の高さを思い知らされますね。
    2013年05月22日 08:10
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    どう考えても不合理な事柄というものは、車種に限らず会社の人事とかでもあるものですが、内部の諸事情があったりするは常ですね。
    ところで、全通前の紀勢東線時代のSLはC11だったと思いますが、この荷坂峠をどんな感じで登って行ったのでしょう。最後の荷坂トンネルは長いですから乗客は悲惨な目に遭っていたのでしょうね。この場合機関車は逆向きかな。
    2013年05月22日 09:14
  • hicky

    しなの7号様、いつもありがとうございます。
    楽しく読ませていただいております。

    この荷坂峠を越える区間は、DF50後のDD51機関車の乗務を、亀山機関区と紀伊長島運転支区が担当し、気動車列車を伊勢運転区、新宮運転区の乗務員が担当していましたが、上り列車はエンジンガがオーバーヒートしないようノッチ扱いに注意し、下り列車はブレーキ扱い、特に大泊行きのセメント積車や熊野地行きの材木列車は気を使っての乗務だったそうです。

    紀伊長島の海抜が0m、二つ亀山寄りの大内山が175mです。この距離11.5m。加太越えで有名な亀山~柘植間は20kmで、亀山の海抜53m、柘植が273mですから、この荷坂峠の方が急勾配だったわけです。
    この区間を運転するには竜華や和歌山などで乗務経験のある人が見習いをする、と聞いたことがあります。

    この付近は国道も急カーブと坂道があり交通事故も多く、国道の番号を変えてほしいといったこともありました。

    さて紀勢線が紀勢東線と呼ばれた時代は、紀伊長島機関区のC11形を逆向きで推進運転で坂を上り、大内山で機関車を付け替え、多気に向かったそうです。
    2013年05月22日 19:34
  • しなの7号

    hicky様 こんばんは。
    ご教示ありがとうございます。
    標高差とキロ程の数字による解説は説得力がありますね。
    並みの運転技術では越えられないどころか降りられない険しい鉄路だということですね。

    国道42号線の方は自分も運転したことがありますが、線路が気になってわき見運転になってしまいます(^_^;)

    C11は逆向き推進でしたか。そのような特殊な運転方法であったことは私も存じませんでしたが、これはもっと広く知られてもいいことかと思います。
    推進運転の先頭車両では、車掌が推進運転合図を出していたのかもしれません。

    熊野地は新宮から分岐した貨物駅でしたね。荷物車では貨物の送り状などの事業用書状も取り扱っていました。「熊野市」とはまったく別の駅なんだと荷物車に乗って初めて知ったことでした。
    2013年05月22日 20:45
  • 北恵那デ2

    紀勢中線は、バッファー付きリンク連結器で重見式給水温め器のC11ということは分かっていましたが、紀勢東線もC11ですか?と思っていましたら、hicky様からの情報によりなるほど。逆向きはタンク機関車だからともかくも、推進運転とはかつての西濃鉄道みたいにってことですね。
    2013年05月22日 22:20
  • ベアホワイト

    こんにちは。
    いつも楽しく、またたいへん興味深く拝読しております。
    DC特急くろしお最終日、上りの"くろしお2号"も先頭車はキハ82でした。
    今は臨時を除いて優等列車の発着がなくなった天王寺駅阪和線ホームに撮影しに行ったのを思い出します。

    ※前編に関するコメントになりますが、もちろん乗客としてですが、この924列車の後身ともいうべき165系時代の新宮夜行で、紀伊田辺での車両切り離しのための長時間停車中に改札を出て、駅から少し行ったところにあるカウンター形式のお店で夜食を食べたのを思い出します。
    2013年05月23日 05:47
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    ああ、西濃鉄道昼飯線もそうでしたね。
    自分は最後尾に機関車が連結されて押し上げるという点で、碓氷峠でのEF63付きの電車を思い浮かべました。
    2013年05月23日 06:08
  • しなの7号

    ベアホワイト様
    優等列車が発車する行き止り式ホームは独特の風情がありますね。私が住んでいる中京地区では近鉄名古屋駅が該当しますが、一時期通勤で使ったことがあります。自分が乗るのは普通列車でしたが特急が出ていくさまを、これこそ「ターミナル」だなと思いながら見送ったものです。

    JR東海の紀勢本線には今でも普通列車に長時間停車するものがありますね。昔の鈍行旅のように買い物や食事をしてから、また同じ列車に揺られて旅を続けるといったことが可能ですね。
    2013年05月23日 06:28
  • くりぽん

    国鉄民営化前年、訳あってしばらく亀山機関区でこの区間を乗務しました。
    当時はすでにDD51であったのですが、初めて上り列車で梅ヶ谷を出ての下り勾配、はるか下に見える紀伊長島を見てあそこまで下るのかと驚いたものです。
    機関車列車ですので、電車の抑速ブレーキや最近の気動車のように機関ブレーキのようなものはなく、自動ブレーキのみで下って行くので、それは神経を遣います。

    下り貨物では乗務交代する紀伊長島では荷坂峠に備えて停車時間が長く、重連の後機に乗り込んでラジエーターに撒水しっぱなしにしてから発車して行ったものです。
    DLといえど夏の隧道の上り勾配はきつく、前機の排熱を後機が吸い込み、どうしても後機の冷却水温が上がりがちになります。
    『水温注意』が点灯すると注意しないと『水温高』が点灯すると機関はアイドルに落ちるので途中停車せざるを得なくなるので、ひやひやしたものです。

    梅ヶ谷に到着して行き違い列車を待つ間、エンジンを止めると夜の梅ヶ谷の駅が静寂に包まれてホッとしたのも懐かしく、そんな思い出もすでに30年以上昔の話になってしまいました。

    2018年01月01日 10:44
  • しなの7号

    くりぽん様
    ご投稿ありがとうございました。荷坂峠でのDL運転のご苦労が伝わってきました。あれだけの勾配が続くと上下列車ともに、対策と心構えが必要ということですね。
    以前にNHKで「こんなステキなにっぽんが」という番組で、 石北本線の後補機付きDD51での峠越えが紹介されました。あたりまえのように正確に走る鉄道を支える現場のドキュメンタリー番組でしたが、それに通じる思いで拝読しました。Youtubeで「石北貨物 DD51 過酷な乗務」で検索すると、その番組の一部が見ることができるようです。(著作権問題はないのかな?)
    2018年01月01日 15:05
  • ウミヤマ

    はじめまして。急なコメントをお許しください。
    私は小学校の低学年の時に紀伊長島町の親戚に大阪から会いに行くたび、近鉄特急松阪駅で紀勢本線に乗り換えて、この荷坂峠を登り、下りする列車に乗ることが夏休みの1番の楽しみでした。当時はあまり裕福ではなかったため、キハ81のくろしお号に乗車したことはありませんでした。いつもあの丸いおでこの特急に乗りたい気持ちでいっぱいでしたが、近鉄は特急に乗れたからいいか、と諦めていましたね。また、2年に一度程度、急行紀州号に乗車できた覚えがあります。普通席でしたのでいつも満員で立ちっぱなしでしたが。
    ほとんどがDF50に引かれた普通列車でしたので松阪から紀伊長島までは2時間以上かかったように思います。
    そこで記事にされていた分水領の荷坂峠の写真です。最後の急カーブ、トンネルを抜けた瞬間、紀伊長島の真っ青な海が視界に一瞬入ってくるのです。都会では見れない青さ。子供ながらに胸が昂りました。懐かしい思い出蘇るお写真と、記事を拝読させていただき感謝申し上げます。ありがとうございました。
    2020年08月03日 21:58
  • しなの7号

    ウミヤマ様
    コメント投稿ありがとうございます。
    あの時代、子供にとって、特急は乗れるものではなく見るもので、それゆえに速さやスタイルには憧れみたいなものがありました、そして山育ちである私は、今でも変わることなく海には惹かれるものがあります。荷坂峠ではるか下のほうに見える海は心に残る車窓風景ですが、ほんの一瞬のことなので速度が遅い列車なればこそだったかと思います。大人になると、長距離を走る特急は少しずつ廃止されていったことに加えて価値観も変わっていき、空いた各駅停車での旅を好むようになりました。ところが紀勢本線の普通列車もJR東海のキハ25ロングシート仕様車の登場以来、近年は出かけることが減ってしまいました。
    2020年08月04日 20:09

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