【488】 緩急車車内の落書(コキフ50000関連)

またまた貨物列車乗務時の落書シリーズの続きです。これで最終回になります。
私が列車掛をしていたときには、東海道本線と関西本線でコキ50000系で組成された高速貨物列車に乗務する機会が多くありました。空気バネ台車を使用した10000系に比べてコストダウンを図ってコイルばね台車を使用したコキフ50000の揺れはすさまじいものでした。その実態は【189】乗務した車両:コキフ50000で書きました。このコキフ50000形式ならではの内容の落書を集めてみました。
画像
以下、「原文のまま」としてあります。

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1980年8月22日 74列車 コキフ50036 南トメ(稲沢~西浜松間乗務)
列車掛も人間だ、コキフの改造車を! 汐留客貨車区長の乗務を! 東京地区のコキフはすべて51000番台に改造せよ
これも改善要求の落書です。落書本文にあるように、この形式では乗り心地の改善策として、空気バネ台車への振替改造が一部車両で行われました。その改造車は元番号に1000を加えたナンバーに改番され51000番台になったのでした。
この落書があった車両は汐留客貨車区所属なので、区長に乗務させて実態を理解させよという内容です。実際に汐留客貨車区所属車には未改造車が多く、深夜に高速で飛ばす74列車ではよく乗務しました。その74列車については翌週触れることにします。

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1980年10月4日 3069列車 コキフ50127 北スミ(稲沢~笹島間乗務)
イスにワタ入れて スポンジ
これも、コキフ50000の未改造車です。少しでも乗り心地がよくなるよう、せめて椅子にクッションを入れてくれいう趣旨でしょう。ワタのいうのが気になったのか、後にスポンジと書き足してありましたが、落書を見た人が書き足したもののようでした。
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左が問題のコキフ50000.右はコキフ10000.
車掌室の構造は酷似していますが、外観上は台車形式が違うことが目立ちます。車体長もかなり異なります。
コキフ10000.台車TR203(空気ばね)
コキフ50000.台車TR223(コイルばね)
(台車交換改造車51000番台と、コキフ10000そのものからの改造編入車59000番台はTR203(空気ばね))

そしてブレーキの性能と装備は大きく違っていました。
ブレーキ系統は、普通は床下を見ないとわかりませんが、コンテナ車の場合はコンテナが乗っていなければ、上からでもある程度の床下配管や機器が見えます。
画像
画像は模型ですが、コキフ10000では、一般の空気管のほかに、電磁ブレーキ関係の機器と元空気ダメ管の引き通しがあります。車掌室の前(画像の右)あたりに電磁ブレーキ関連機器が表現されており、空気タンクの数も多いのがわかります。なおコキフ10000に乗務する行路は私の所属区にはありませんでしたが、コキフ10000と同じブレーキ構造を採用しているレムフ10000には1度だけ見習乗務したことがありました。
        ↓
【187】乗務した車両:レムフ10000
そのような状態なので、10000系のCLEブレーキについて解説せよと言われても、とてもできませんのでご容赦ください。

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1980年11月14日 1067列車 コキフ51074 南トメ(東静岡~稲沢間乗務)
空気バネ改造車でもよくゆれる 速度おとせ

空気ばね改造車である51000番台の落書きです。やはり空気バネに改造しても所詮は貨車です。時速95㎞で走ると乗り心地が気になったということでしょうか。

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1980年9月11日 3090列車 コキフ50114 札タミ(四日市~稲沢間乗務)
この列車が北海道へ渡ったら釧路の女によろしく伝えてください
分った。
(あほ)

一般の緩急車は本州と九州内をランダムに運用されており、北海道や四国へ入ることはありませんでした。しかしコキフだけは直通の航送運用がありました。それで時には北海道所属の車両にも本州内で乗務する機会がありました。これは北海道の列車掛に宛てたメッセージなのでしょう。落書中の「女」には「ひと」とルビが振ってありました。末尾の、「分った」「(あほ)」は筆跡が異なり、落書を見た者が後で書いたと思われます。
画像
     <<釧路の女にメッセージは届いたのでしょうか?>>

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落書きシリーズはこれで

------ 糸冬  了 ------

前段で少し触れましたが、来週は非常によく揺れた梅田発汐留行高速貨74列車のお話です。

この記事へのコメント

  • 北恵那デ2

    おはようございます。確かに模型の構造を見て本物を理解することはありますね。ただコンテナ車の場合は、空車ですとまさに骸骨ですのでデリケートきわまりない。腫物でも触るように模型を扱わなくてはならない。私の場合は、Nゲージではなく16番ですが、こんな軽い骸骨がまともに線路上を走るのかと思ってしまいますが、全然脱線せずに走りますけれども。昔の重かった金属製模型は何だったのだろうと思います。また、コキ50000が異様に長く感じますが、本当に相当長いのですね。模型で学習しました(笑)。乗り心地という点では、機関士さんの裁量によりスピードも決まってしまいますね。機関車の最初の空気ばねはEF66で採用とのことですのが、機関車の方の乗り心地はどうだったのでしょうね。EF65ですと怖くてスピード出せないけれども66ですと楽勝だというようなことも有ったかもしれませんが。そうすると、後ろのコキフの乗り心地は、最悪という訳ですか。
    2014年05月26日 07:53
  • NAO

    しなの7号様
    お早うございます。

    皆さんが落書きせざるを得ないぐらい、コキフ50000という緩急車の乗り心地は凄まじいものだったのですね。フレートライナーの乗務というのはすごくカッコいいイメージがありましたので。
    食事時間帯にかかる行路ですと、そのような環境のなかでお弁当とかも食べられていたのでしょうね。
    2014年05月26日 08:31
  • C58364

    おはようございます。
    コキフは空気バネ車だけと思っていました。コイルばね車もいたのですね。HOの金属製コキとレムを持っていますが、どちらも空気ばねです。コキのプラキットを購入しましたら、おっしゃるように床下機器や配管が見えるのはうれしかったですね。ただ取扱は北恵那デ2様が言われたように要注意です。EF66が東海道本線沼津以東でコキ編成の高速貨物を牽く前面展望ビデオを以前に買いましたが、高運転台で空気ばねのためユラユラ揺れて車酔いしそうですが、乗り心地はよかったようです。
    2014年05月26日 10:08
  • しなの7号

    北恵那デ2様 おはようございます。
    Nゲージ模型の場合さらに軽いし、通常のウエイトを床下に取り付ければ骸骨車両の特徴が表現できませんので、左右の両側梁の裏側と、それを前後で結ぶ横梁下に「ロの字」形をした枠状の金属ウエイトが取り付けられて補重しながら筒抜けの車体をうまく表現しています。

    コキ・コキフ50000は貨車としては長い車体で、オーバーハングも他車より大きいです。そのため実物はカーブ時の連結面の偏倚を考慮し、他車より長いブレーキホースを採用していましたので、一般の貨物列車に連結されている場合にコキ50000のホースが破損しても、最後尾のヨのホースを外してその代用にすることができませんでした。そんな場面には幸い一度もありませんでしたが…。

    機関車の乗り心地については、私が列車掛を卒業した後に緩急車が廃止され、その直後の短期間だけ、列車掛が機関車の後位運転台に乗務している時期がありました。こちらにも来てくださっている方で、その経験者の方はおられるはずですし、本物の機関士もおられるはずなので、そのご教示をお待ちするとしましょうか。
    2014年05月26日 10:09
  • しなの7号

    NAO様 おはようございます。
    深夜にカッ飛ばす今の貨物列車に人間様が乗れば、おそらく似たような乗り心地は体験できると思います。JR貨物には振動測定用のコンテナがあって、測定員が実際に乗車されるようですから、一度乗り心地を尋ねてみたいものです。

    そういえば内部ではフレートライナーなんて品のいい呼び方をしたことがなかったですね。この手の列車は、足が速いので乗務時間が短い列車が多かったですし、あれだけ揺れる車内で、わざわざ食事はしたくなかったですね
    2014年05月26日 10:10
  • しなの7号

    C58364様 おはようございます。
    コキフとレムフはたぶんエンドウ製の青い10000系ですね。エンドウの製品ではコキフ5500という怪しい?のがありまして、そいつはコイルばね(TR63)でした。プラキットはホビーモデル製ではないでしょうか。リアルで乗務しているころに、私もそのプラキットのコキフ50000を買ったのですが、作ることもなく永年放置の後に手放しました。
    2014年05月26日 10:27
  • 門ハイ

    こんばんは。春斗貫徹!、合理化粉砕 等のペイント以上に、身近すぎる内容で、当時の現場の実態がわかるような気がします。この落書きは立派な昭和史ですね。
    2014年05月26日 20:20
  • ★乗り物酔いした元車掌

    ★「3090」!懐かしい。
    稲沢で「90」と列車番号を変えて隅田川行き。
    全16両で、こいつの入換えは、気を使いました。
    有効長の関係です。
    当時、コンテナオンリーの貨物列車は、
    このほか「1253列車」、「2251列車」がありましたが、
    「3090列車」だけ、高速貨Bでした。
    最高速度95km/h
    でも、けん引機は、DE10の重連。
    こいつの最高速度は確か85km/h
    不思議に思っていた記憶があります。
    2014年05月26日 21:08
  • しなの7号

    門ハイ様 こんばんは。
    昭和史と認めていただきうれしく思います。
    車両外部へのペイントと違って、中の者にしかわからないアピールが緩急車の落書ですね。
    2014年05月26日 21:16
  • しなの7号

    乗り物酔いした元車掌様
    「【189】乗務した車両:コキフ50000」で3090列車の編成を書いていますが、この列車は空気バネ改造車に当たる確率が多い方の列車でした。おっしゃるように高速貨BのくせにDE10又はDE11(このころは重連ではありませんでした。)でしたから、機関車の方は貨車の高速性能を下回りますね。速度が出ないので関西本線内は耐えられました。そのまま90列車に乗務で、牽引はEF65ですから、そこからが高速貨Bの本領発揮でした。
    2014年05月26日 21:47
  • 北恵那デ2

    おはようございます。模型で学習することも有ると書きましたが、間違ったことも学習してしまいます。私は詳しくないので分かりませんが、模型にあるコキフ5500というものは無かったということでしょうか?台車もTR63となると幹線を高速では走るのには向かないでしょうから、ローカル線でコンテナ専用列車というものがあったのかどうか疑問ではありますが。コンテナ列車専用を目論んでいたのかは分かりませんが、ヨ9000というのが試作されてますね。かなり変わった台車ではありますが、所詮2軸車ですので無理だったでしょうね。ヨ5000のように草色にならずになぜか黒色だったようですが。ところで絵本で見たコンテナ特急たから号は、後尾がヨ5000だったような気がしますし、機関車はEH10でしたっけ。ELの10から49は最高速度が低いはずだから何とかなったのかな。
    2014年05月27日 07:51
  • しなの7号

    北恵那デ2様 おはようございます。
    コキフ5500は、模型の世界での形式ですね。コキ50000が登場する前のコンテナ車はコキ5500が主流で、国鉄時代の最高時速85㎞でしたから、コンテナ専用列車でも時速85㎞に対応しているヨ5000・6000・8000で用が足りるわけですね。貨物列車の85㎞運転対応のための緩急車の調達は、最高時速75㎞だったヨ3500を2段リンク化してヨ5000に編入することで、対応しています。
    また、EL形式の10から49は最高速度は時速85㎞以下を意味し、EH10の最高速度は時速85㎞でしたから、ヨ5000ともども速度に関しては無問題ですね。当初たから号に使用されたチキ5000も最高時速85㎞で、最終的には改造によってコキ5500へ編入されています。

    一方で100㎞対応の緩急車の必要性から試作されたのがヨ9000でした。塗色は黒→青と変化していますが、量産には至らず、最後は北九州の限定運用で時速65㎞の制限付きとなり、青に黄線入り塗色になりました。現役時代にお目にかかったことはありません。1両が平成筑豊鉄道田川線沿線にある「源じいの森」に保存展示されています。平成筑豊鉄道乗車の際に、その姿をチラ見したことがあります。 
    2014年05月27日 10:03
  • 113

    恐らく深夜の運転でしょう、東海道名古屋口では見かけた事はありませんでした。乗り心地と言っていいのか、まさしくコンテナその物にに乗っているのと同じでしょうか。そんな過酷な列車(笑)に良くぞ乗っておられましたね。今となっては、それも良き思い出でしょう。
    2014年05月27日 10:25
  • しなの7号

    113様
    名古屋というのは、首都圏と京阪神の中間にあるという立地から、例えば「スーパーレールカーゴ」のような特色ある貨物列車は深夜の運転が主になりますね。国鉄時代も同じで、列車掛時代は自ずと深夜中心の乗務になりました。それでも、たとえば首都圏発の福岡貨物ターミナル行の高速貨物列車のように、名古屋圏を日中に通過するEF66牽引のコキフ50000乗務列車も設定されておりました。日中の東海道本線は列車本数も多く、遅い普通列車にアタリますから、深夜のカッ飛ばし方に比べれば、それほどでもありませんでした。
    2014年05月27日 12:28
  • 北恵那デ2

    こんにちは。車内の落書きの話題からずいぶん離れて申し訳ありませんでしたが、丁寧なリアクションありがとうございました。やはり、コキフ5500というものは実在しなかったのですね。道理でネット検索しても出て来ない訳ですね。ヨ9000は静態保存もされているのですね。ところで東海道本線ですと次から次へとコンテナ列車が来ます。現在はコキフもありませんから、当然貨車に乗ってお仕事している人もおられません。もしコキフが現役でしたら職場環境の改善はされていたのかもしれませんが、劇的な改善は無理な気もしますね。とにかく昔は過酷な業務に耐えていた方々がおられたということですね。
    2014年05月27日 18:00
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんばんは。
    いえいえ、一般に朝出て帰るフツーの職場では判らないであろう職種の環境のひどさ(3K)に対する職員のメッセージが続々と落書されるようなコキフについて、その実態をご理解いただき、有り難く思っております。
    「過酷な業務」とおっしゃいますが、普通の解結貨物列車と異なり、入換作業もないし、増解結も最小限で毎日基本的に編成両数が決められていたために、有効長の計算もする必要もなく、「乗っているだけ」の高速貨物列車は、仕事的には何も考えることがなくて楽だったんですよ。ひたすら振動に耐えることが仕事のようなものです。深夜だけど、コキフが「居眠りするな~」と振動で眠らせないようにしていたのかもしれないです。
    2014年05月27日 19:17
  • 貨車区一貧乏

    こんばんは
    私はコキフ5000の乗務はありましたが、東海道下り本線を使用した行路がありませんので高速貨Bでも85㎞以下でトロトロ走ってくれたので助かりました。
    列車掛同期に聞くと丹那トンネル内が一番ひどかったそうで脱線するんじゃないか?と心配したそうです。

    機関車、緩急車の乗り心地は、EF66>EF65・60>ヨ8000>ヨ6000>ヨ5000>コキフ10000>コキフ50000>ワフの順でいかがでしょう?ただしコキフ10000には乗務したことがないので想像ですし、50000も最高速度を体験したことがないのでイメージとしてください(^^) 残念ながらEF64などは後部乗務できませんでした
    EF66も所詮機関車です。車に例えるなら、ダンプやトレーラーのヘッドが機関車。電車、客車が観光バスといったところでしょうか?

    電磁ブレーキは、私の所属の庫では保守点検がなかったので、「従来の自動空気ブレーキに電磁ブレーキを併用して機関車の指令によって客貨車側でもBP管の増減圧を行いブレーキに同期性をもたせタイムラグを無くし高速運転、つまり制動力をアップさせた」くらいしかわかりません。┐(~ー~;)┌
    2014年06月09日 01:13
  • しなの7号

    貨車区一貧乏様 こんにちは。 この少し前のコメントにもありますが、関西本線の高速貨Bでは速度が出ませんから振動の問題は気にするほどでもなく、高速で飛ばし続ける深夜の東海道本線が動揺が一番ひどかったです。東海道でも日中の列車は、普通列車の続行になったりして、速度が落ちたりしましたから、連続でないだけマシでした。 丹那トンネル内ですか…コキフでは通りませんでしたが、ボロのマニでは通っていました。私の場合は三島~沼津~原 あたりの振動が印象に残っています。
    深夜ですと、
    音がうるさい→丹那トンネル
    揺れる→沼津
    臭い→富士
    音がうるさい→富士川鉄橋
    という順でした。

    機関車後部運転台に乗務した時代が私にはありませんでしたが、ヨ8000より機関車が上ですか。ヨ8000は最高時速85kmだし、機関車は、EF60であってもそれ以上の高速走行性能があるわけですから、そういう理屈でいいわけですね。そう考えると、コキフ10000はもっと乗り心地がよいと思うのですが、あいにく高速貨Aにはレムフ10000に1回、それも見習いで乗っただけですから判りかねます。
    2014年06月09日 15:04
  • 貨車区一貧乏

    こんばんは
    再コメ失礼します。
    乗り心地の件ですが、本音を言いますと低速時NO1はヨ8000です。当時の機関車は、椅子が硬く機関士は皆クッションや座布団を持って乗務していましたよね
    自分も小さな座布団を胴乱の中に忍ばせながら乗務していました。
    カマの中は、電圧降下の心配もなく暖房はレバーひとつで温かくなり快適でしたが、居住性は緩急車に軍配が上がります。
    2014年06月10日 00:18
  • しなの7号

    貨車区一貧乏様
    乗り心地という言い方も曖昧ですが、お説のとおりでよろしいのではないかと。
    振動という点だけでなく、空間の広さとか座席の構造、暖房、トイレ、いろいろ居住性についての判断基準がありますので、総合評価はといえば、BESTはヨ8000に行きつくでしょうね。唯一嫌われる理由は、ロングシートがなく横になって寝られない???ということだけでした。
    座布団を持った機関士氏というのは絵になるというか、いかにも国鉄の機関士って気がします。
    2014年06月10日 09:02
  • 田端車掌区レカ

    上野車掌区松戸支区で常磐緩行、快速線の電車(103系、営団5000系、6000系)から転換で列車掛として田端へ異動。二軸車、特にコキフ50000の乗り心地の悪さを実感、動き出してすぐに始まるびびり振動、あの振動をこう言うそうです。山手貨物線経由だと75キロ位なのでさほどでもなかったのですが、隅田川駅から黒磯まで本線乗務の時は最悪、田端(操)を出ると宇都宮、黒磯(交代)のみ停車、常磐線は遠くいわき貨物の往復、50000のエアサスが組成されていたら天国でした。水戸でED75~EF80にカマ交換、常磐線の都内着は隅田川、新小岩(小名木川)、でも当時を懐かしく思います。
    2015年02月24日 23:33
  • しなの7号

    田端車掌区レカ様 
    私は列車掛を経験してから職群4のまま車掌でしたので、逆ですね。
    私は東海道と関西本線でコキフ50000に乗務しました。関西本線では低速のため、まあいいのですが、東海道本線に入って高速運転になると狂ったように跳ねました。
    北スミのコキフ50000にはよく乗務する機会がありましたので、たぶん田端車掌区レカ様と同じ車両に乗務しているのでしょうね。
        編成例↓
    【189】 乗務した車両:コキフ50000
    http://shinano7gou.at.webry.info/201108/article_1.html
    2015年02月25日 17:01
  • 田端車掌区レカ

    しなの7号さんのところのお邪魔してしまいますね。荷2641のようにご縁を大切にしたいと思います。田端で唯一持っていた10000型式で組成された列車は3051レ隅田川~東札幌があり下りのみ黒磯まで乗務受け持ち、始発の時はむせんの通話テスト、ブレーキ試験(電磁ブレーキと貫通ブレーキ)をそれぞれ行っていました。機関士との電話機もありましたが
    これは使用していませんでした。ストーブは石油ストーブでしたがこれが危ない、中が未掃除でススだらけだったり、高速では逆流し蓋が飛ぶ、燃焼がよすぎて本体が赤熱したりでした。車掌車のダルマストーブの時はまっかっかにして楽しんだり?しました。事故、欠場、坂が上れず救援列車、上尾事件、踏切事故、便乗した貨物列車の脱線転覆、乗務列車が入換えで殉職事故、お召列車の先行列車になった、などこれからも書かせてください。
    2015年02月25日 20:32
  • しなの7号

    田端車掌区レカ様 
    10000形式は見習だけで終わりでした。結果的にそれだけのためにずいぶん勉強させられました。緩急車のストーブにも同じ思い出を持っています。私はたかだか10年ちょっとしか国鉄に在籍していませんでしたので、上尾のときは高校生。救援を迎えたり、脱線の当該列車になったり、殉職に遭遇したことはないです。思い出したくもない失敗事例は、これまで一部アップしましたが、今後もアップすることがあろうかと思います。その際には先輩乗務員からの経験談よろしくお願いいたします。
    2015年02月26日 06:17
  • 山鉄

    たまたま昭和の鉄道員ブログを拝見しました。
    私の思い出です。
    1980年代だったと思いますが、鹿児島本線の八代か水俣あたりの単線区間で、交換でたまたまコキフの車掌室と隣合わせのところに停まりました。何気なく室内をのぞいたら「○○子は俺のものだ!誰にも渡さないぞ!」という黒マジックで落書きがありました。落書きは良くありませんが、夜間に一人で対向列車の時間待ちをしている時などこんな気持ちになることはわからないではないと思いました。
    2015年06月28日 13:14
  • しなの7号

    山鉄様
    コキフ50000のように揺れまくる緩急車では、ご想像のように深夜乗務の「停車中」に書かれたもののように思えます。
    想像するとキリがないですが、深夜の乗務中、「○○子は今頃何してんだろ? あの男と一緒にいるんじゃないのか。ああ、今すぐにも帰りたいけど、この列車は俺の意志と関係なく鹿児島に向かっていて、○○子と離れていく……○○子は俺のものだ!誰にも渡さないぞ!」
    2015年06月28日 14:07
  • 風旅記

    こんにちは。
    楽しく拝見させて頂きました。
    ローカル線で旅していますと、ステンレスの窓枠に落書きがあるのに気付いたりします。相合傘だったり、いかにも学生、若い人が書いたものが多いのかと思います。
    今は立派な社会人になられているのでしょうね。
    乗務員室にも落書きがあるとは面白いものです。走り始めてしまえば長い時間止まることもないでしょうし、書いてしまいたくなる気分になることもあるのでしょうね。
    風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
    2019年01月26日 17:56
  • しなの7号

    風旅記様 こんばんは。
    ローカル線の車両に落書きが多いのは、学生専用車みたいなものだからでしょうね。国鉄時代は車両の配置転換が全国にわたりましたから、えらく遠隔地の学校名が落書き(〇〇高校3年A組ののXX君大好きの類)されていて、その車両の前任地が想像できたりしました。若い頃に落書きした人が、旅先や転居先の列車で自分の落書きを見つけたら驚くでしょうね。
    乗務員室の落書きは、同業者向けにツイッターでつぶやくような感覚だったのでしょうか?
    2019年01月26日 21:16

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