乗務員が乗務先で折り返しの乗務列車まで休養する施設です。駅や機関区同様、ターミナル駅には列車が多く集まりますから、そういうところでは、乗泊の規模も大きくなりますし、地方へ行けばごく小規模のものまで、さまざまでした。
私は11年間国鉄の乗務員をやっていた関係で、仕事上で多くの出先で乗泊を利用しました。
東海道本線系では、汐留、品川、東静岡、静岡、浜松、西浜松、豊橋、岡崎、武豊、熱田、名古屋、稲沢、大垣、米原、京都、吹田、大阪
画像は浜松(分割民営化後の撮影)
関西紀勢本線系では、新宮、津、百済、亀山、四日市、富田、笹島
画像は亀山(分割民営化後の撮影)
中央西線系では、神領、多治見、土岐市、瑞浪、釜戸、中津川、松本、長野
画像は長野(分割民営化後の撮影)
と、いったところで、ずいぶんあちこちで泊まったものです。松本と長野では、宿泊を伴わない日帰り折り返し行路でも、折り返し列車まで時間がある場合には乗務員宿泊所を日中に利用し、昼寝ができました。このほかに見習乗務では新潟にも泊まりました。上越新幹線開通後、1年半しか経っていなかったころで、真新しい乗泊は2段ベッドでなくホテルのように思えて、私が泊まった乗泊のなかで、最も豪華でした。
大規模な乗泊は、機関区や車掌区と併設され、食堂があったりしました。そういうところには管理人室があり、管理人が常駐していました。宿帳に名前を書き、部屋番号と列車番号と車掌区名が書かれた札をもらって、部屋の入口に掛けておくと、起床時刻には管理人が起しに来てくれました。規模が小さい乗泊では、起床装置と呼ばれるタイマーで作動する機械(後述)で起されるところが大多数でした。
小規模な乗泊は、駅施設の中に併設されているところがほとんどでしたが、古い官舎を再利用した一戸建ての乗泊(釜戸)や民家の2階を借り切った乗泊(武豊)もありました。こうした小規模の乗泊では自分で起床装置のタイマーをセットして寝る方式でした。
この起床装置とは、布団の下に空気枕をセットしておき、タイマーに接続した送風機が、セットした時刻になると作動(電気掃除機の反対で、空気を吸うのではなく送り込む)して、7秒間隔で空気枕が膨らんだり凹んだりするものです。膨らむと背中が逆エビ固めのように体が弓なりになります。スイッチでその作動を停めるまではそれが繰り返され、嫌でも目が覚める装置でした。上図のタイマー部分は当時は最新式のデジタル式のものです。古いタイマーだとアナログの二針式でしたので5~10分くらいの誤差があり、起床すべき時刻より早く作動すると損をした気分になりました。
基本的にどの乗泊でも相部屋でしたから、1人ずつ乗務列車が違う乗務員の場合、普通の目覚まし時計だと早い時刻に起床する乗務員のベル音で、ほかの乗務員も目が覚めてしまうところから、考案されたものでした。送風機が作動すると掃除機のようにモーター音が断続的にしますので、その音で目は覚めてしまうこともありましたし、ごそごそ起きだして着替えたりしている物音も聞こえるので目覚めてしまうことは常でしたが、目覚まし時計のベルよりはマシではありました。乗泊によっては起床装置の作動停止ボタンが、ベッドから手の届かない壁面に設置されていたりして、二度寝をしない工夫がされていました。
起床すると、その乗泊所在地が、車掌区がある大駅の場合には、そこの車掌区へ出向いて出勤し、車掌区がない場合には、自分が所属する車掌区へ出勤電話を架けることになっていました。
後に、出先での飲酒事故が問題になると、電話による出勤では酒気の確認が不可能であるとの理由で、出勤電話に加えて現地の機関区または駅へ対面の出場確認を行うようになりました。
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<2020年8月13日追記>
楽天経由での起床装置の販売は終了したようですので、上の画像をクリックしてもご購入いただけませんが、他のサイトでは購入できるようです。(「定刻起床装置 個人簡易型 」で検索すると引っ掛かりますが、価格は変更されています。)
この記事へのコメント
NAO
東静岡、西浜松、熱田、富田、土岐市、瑞浪なんてずいぶんとこまめな駅に乗泊があるのですね。
新潟の乗泊で思い出すのは、白鳥乗務の坂本衛氏が出勤されるとき、幾ら探しても同僚の方のネクタイが見つからず、浴衣のJNR柄の帯紐で代用したらビシッときまったというお話しです。出張の多かった私も一度マネして見ようと思ったのですが、最近のビジホは帯紐のない浴衣かパジャマになっていてまだ再現出来ていません。もっとも帯紐を持って帰る訳にはゆきませんが。
中央西線
天鉄竜機
ヒデヨシ
乗務員宿泊所や起床装置などは同じ国鉄と言ってもまったくの別世界です。
意外に大規模な宿泊設備なのですね。
起床装置は話には聞いていましたが・・・
駅では深夜や早朝に仮眠から起きる人を起こす通称起こし番がいました。
もちろん起こす為にいるわけではなく、早寝の人を遅寝の人が起こすだけ。
なかには返事をしてもまったく起きてくれない人もいて困ります。
そういう人に限って起こされた記憶がなかったり。
責任問題ですから起きてくるのを待つだけです。
急行 陸中
中央線の釜戸と、関西線の富田今考えてもこの駅で
「乗泊」があったとは。
田端車掌区レカ
が居たのは武蔵野・新小岩・田端くらいだったかも。新小岩の乗泊は夏は冷房がキンキンに冷えていて起床後表に出たら
蒸し暑くクラつきました。冬は上段に寝ると暖気が上に集まり各乗泊とも寝苦しかったです。起床装置の確認ボタンは一度起きて押すようになっていますが、押した後、あと少しと思いまたベッドに入ってしまい2分が20分位経過していてあわてて飛び起きたこともありました。また乗泊からすぐ列車に乗務できればいいのですが、構内を徒歩で発車線まで歩き、そこから始発検査を兼ねて通知書を受け取り、1枚を機関士に渡しまた最後部まで歩き、ブレーキテスト。1時、2時、3時ころの一番眠い時に胴乱担いで歩く、雨、雪、台風の時は泣きたくなりました。
しなの7号
東静岡、西浜松、富田は貨物列車
熱田は荷物列車
土岐市、瑞浪は中央ローカルでした。
私が泊まった乗泊の浴衣は、たいていどこでも「工」の字模様で、寝台車でご用済みになったものの再利用だったと思われます。帯紐ネクタイは、新潟でしたか。私はまったく忘れておりましたので、さきほど坂本氏の著書を確認して納得しました。毎度のことですが記憶力には自信がありません(^_^)v
しなの7号
実は、その番組見ていないのですよ。
買うにはちょっと高額ですが、自分の部屋を乗泊風にアレンジするなら必需品です。
しなの7号
いや、その番組見ていないのですよ。さきほどNHKのHPで確認したら、先週やったんですね。「再放送予定なし」と書いてありました(T_T)
本文に列挙したなかで、車掌が機関区や電車区など運転職場が管理する?乗泊を利用していたのは、浜松、豊橋、新宮、亀山、神領、多治見といったところだったと思います。どこも規模は大きいし、いかにもOBっぽい人が起こしてくれるところが多く、設備もよく静かでした。動労の力か?
車掌区や駅に間借りしたような小規模の乗泊は、設備もよくないし起床装置を自分でセットしなければなりませんから、起こしてもらえるところのほうが安眠できました。休日ウヤとかで深夜に乗務が終わる場合は、乗泊にベッドが用意してありましたから、寮まで歩いて5分でしたが、夏に限っては寮へ帰らず、冷房がある乗泊で朝まで寝ました。
しなの7号
乗泊として画像をアップしましたが、建物が総合庁舎的になっている場合も多いです。でもそういうところだと、食堂のほか、泳げるくらい広い大浴場があったり、理容室があったりします。
自分でセットする起床装置ほど心配なものはありません。人に起こしてもらうのが一番安心です。起きられなくて遅れたりしても人の責任ですから。
しなの7号
釜戸の現況は駐車場になっていますが、富田は先日覗いたらそのままありました。ベッドが見えましたから、どのような形かわかりませんが、使用されているようにも思えました。今でも三岐鉄道からの貨物列車はありますから機関士が利用しているのかもしれないです。
しなの7号
やはり、そういう思い出ありましたか。
シーツは1週間に1度くらいしか代えなかったし、浴衣も2~3日おき。一時期、車掌区で疥癬が流行して、そのときだけ毎日浴衣を交換した。浴衣も乗泊によって、ノリでパリパリのところと、ヨレヨレのところがあった。
大きな乗泊では冬でも暖かいから蚊がいました。
品川乗泊で、夜寝て、朝起きてみたら、シーツにシミと乾燥したご飯粒!
前日に寝た奴がゲロ吐いたらしい(--〆)
駅まで一番遠かったのは大垣で、独身寮の建物に併設されていました。冬の大垣は寒くて名古屋が晴れでも雪だし、4時過ぎに起こされる一番列車のときは起きるのはもちろん嫌で、起きてから駅まで誰もいない真っ暗闇の雪道を伊吹颪の寒風に向かって10分くらい歩くのが、またミジメでした。
ヒデヨシ
感覚的には大駅なのでありそうですが
国鉄時代は今より岐阜行きと言うのは少なかったのでなかったのか?
高山本線系の記述が無いので高山本線の乗務員宿泊所はちゃんとあったのでしょうね。
当然折り返し運用がおおいですし。
しなの7号
荷扱・列車掛・普通車掌時代には、所属していた区に高山本線エリアの行路はありませんでした。岐阜終着の列車の担当もありませんでしたので、岐阜の乗泊に泊まることはありませんでした。専務車掌でも、高山本線や北陸本線の行路はそれほど多くはなく、ほとんどすべてが出先ですぐ折り返す行路でした。中距離の優等列車の場合は、乗務効率を考慮して、できるだけ日帰り行路にして自区帰区させ、自区で泊まり翌日早い列車でもう一往復させるように行路を組んでいたように思います。そうしないと片道3時間か4時間のことで2日間かかっていたら勤務時間が足りません。楽でいいですけど。
そんなわけで岐阜を含め高山本線エリアにいくつかあった乗泊に宿泊する機会は一度もなかったということです。
こがね しろがね
自動起床装置について、国鉄叩きが酷いころは税金の無駄使いと報道されていた記憶があります。民営化後に一般向けで売り出されたら、それを持ち上げるものを目にし、何を今さらと思いました。個室での睡眠ができない職場環境も知らずに、そのような記事を書く新聞も、民営化後の広告主の機嫌をとるのは上手なようです。
とある事情で私も『乗泊』施設にお世話になったことがあり、起床装置も試してみたことがありました。その時感じたことは、人命を預かる仕事をするということは、休息も睡眠も食事も仕事の一部なのだということです。場所により設備の良し悪しもあるでしょうし、設備の改善も、国鉄本体の考えなのか、組合の要求の実現なのかはわかりませんが、きちんとしていると感心しました。
こうなると気になるのが、食事をどうされてみえたのかという点です。坂本さんの著書にもあるように、コンビニのない時代の年末年始は食堂が休みで困ったようですし、今ではその数を減らした駅蕎麦も職員利用が多かったと聞きます。レチ弁については以前に読ませていただきましたが、宿泊先での食事についても気になります。
しなの7号
自分自身、他人の仕事のことなどわかるはずもなく、むしろ自分の仕事より楽なことばかり目につきがちなものです。
少なくともデスクワーク(ばかりではないですが)の日勤仕事に転職してから、自分の乗務員時代の仕事を振りかえれば、いかにも特殊な環境の中で仕事をしてきたことだけでなく、生活そのものが特殊だったことを感じました。
その実態など、世間にはなかなか伝わらないことですから、せめてマスコミくらいは、背景をきちんと伝えてほしいものですが、そういうことは期待できないと、よくわかりました。あのころの国鉄叩きは国家的キャンペーンでしたから、しかたがありません。国会では今、憲法について論じられているわけですが、正しい判断とは何かを国民が下せるような報道をマスコミには望みたいところです。
乗務員の食事は、普通列車や貨物列車の場合は折り返し時間での食事が主で、宿泊先イコール食事先ではないことのほうが多いです。乗泊は寝るだけ。(場合によって寝酒タイム?がある程度)
貨物や長距離列車の場合は、車中で食事することや、宿泊先で食事をすることがありますので、それは個々の記事で、たとえば
【123】年末年始と乗務員
http://shinano7gou.at.webry.info/201101/article_2.html
【429】荷41列車/大阪到着後の過ごし方(後篇)
http://shinano7gou.at.webry.info/201311/article_3.html
【446】品川乗務員宿泊所
http://shinano7gou.at.webry.info/201401/article_2.html
などで、少しずつ食事事情に触れています。
貨車区一貧乏
懐かしいですね自動起床装置。アナログとデジタルがありましたね。
民営化以降、ある車掌区では一括制御方式で管理しており当直カウンター近くに全ての部屋のタイマーが配置されて、到着点呼終了後各自セットして就寝というスタイルになっておりました。
最悪だったのは、駅舎の中に間借りしている乗泊で、しかも本線の真上、もうひとつオマケに6人部屋。
初電担当は、最終電車が到着するまで電車の音と、他5名の車掌の着替えやパイプベッドのきしみ、イビキ、睡眠時無呼吸などまともな条件で眠れなかったです。
組合に改善要求を出してもらってもいつものコメントしか返ってきませんでした。
現在では、完全個室でシャワー室も完備だそうです。
「疥癬」私たちの所属でも流行りました・・・(;一_一)
平成生まれの方にはご存知ない方が普通と思います。
戦前生まれの亡き父に驚かれたことを思い出しました。
しなの7号
今どきの宿泊事情を全く知りませんが、女性乗務員が誕生した時点から大きく変わったのだろうと想像がつきます。
あんな環境では乗務員をやりたいと思う女性は誰もいないですよね。
昭和50年代、大きい乗泊では管理人が起こしに来てくれたのですが、長野乗泊は管理人室での一括管理式の起床装置でした。管理人室の壁面にずらりと並んだタイマー。個別に自分でセットしてから部屋へ行きました。
最悪だったのは、新幹線高架下車掌区休養室での泊まりで、30畳くらいの和室大部屋にフトンがずらっと敷いてある。ここが疥癬伝染元だったと思います。2段パイプベッドの乗泊が多かったですが、汐留車掌支区の8人部屋のパイプベッドはきしむわ、揺れるわ、廊下の足音や国電がうるさいわ(+_+)
EF1623
しなの7号
華やかな舞台裏にある楽屋のようにお客さんから見えない部分は、どのような世界であっても興味の対象になり得ますね。
利用した施設の一部には、まだ残っているところがあるようですが、建物内部はリニューアルされ快適空間になっているところがほとんどだろうと思います。
安全正確な列車運行のため、出先で熟睡するのも乗務員の仕事のうちですから、快適な環境で休んでもらいたいものです。
出先では乗務員は看板背負って(制服着て)いますので、無茶苦茶なことはできません。
二郎
しなの7号
あいにく、本文に書いたこと以外には存じませんのでお答えできかねます。
悪しからずご了承くださいませ。