【630】 北恵那鉄道23:車両8「デキ500形とモ320形」

先週に引き続いて、北恵那鉄道の車両について、私が知っていることを書いていこうと思います。
北恵那鉄道では、私が小学生のころに見た記憶があるのに、いつのまにか現役引退していた2両の車両がありました。今回はその、デキ500形とモ320形についてです。そのため、この2両についての知識はほとんどありません。

【デキ500形(501)】
小学生のころのことでした。、中央西線の普通列車を待っていた国鉄中津川駅の待合室の改札口から線路の方を見やると、北恵那鉄道の車両が中津町駅から続く連絡線を、貨車を押し上げて国鉄駅の構内へ入ってくることがありました。
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北恵那鉄道との連絡運輸をする貨車のため、非電化時代の中津川駅の構内でも、いちばん奥にある2本の線路だけに、頼りなさそうな細い木の電柱に支えられて架線が張られていました。そこに来るのは、緑と黄色に塗り分けられたデ2か、黒一色の車体に黄色の帯と窓枠が非常に目立つデキ501のいずれかでした。特にデキ501の電動貨車然としたスタイルの車両は国鉄車にはなかったですから、強く印象に残りました。

【モ320形(320)】
北恵那鉄道では1963年(昭和38年)からその翌年にかけて、名鉄資本が入った関係で、在来の小型車両が続々と名鉄から転入した車両に置き換えられました。モ320とデキ501はどちらも1963年(昭和38年)に名鉄から北恵那入りをしています。私の就学前後と重なるこの時期に、両親に連れられて北恵那鉄道沿線の栗本水泳場へ電車に乗って行った記憶があります。この水泳場とは、北恵那鉄道が並行している付知川そのものであって、上下各1時間に1本程度運転されていた北恵那鉄道の列車を河原から眺めることができました。そのときに、いくつも見た列車の中で、他の電車と違ってドアの形に特徴がある電車に気付きました。
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ドアの上端が弧を描いた形で、そのドアの窓は田の字のように見える4枚窓でした。
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その電車が通り過ぎて1時間もすると、折り返して逆のほうから来るので、同じ車両が折り返して戻ってきたのだなとわかりました。その古臭いドアの形状は、いつまでも忘れることがありませんでした。

時は流れ、中学生になってカメラを持つようになってから、私が中津町の駅に行ってみると、電動貨車然とした入換機の姿はなく、凸形のデキ251に置きかえられていました。また、何両か留置されている車両を見ても、栗本で見たドアに特徴がある古臭いドアの電車も見かけませんでした。どちらも廃車解体されたものとばかり思っていたのですが、鉄道ファン誌1971年(昭和46年)12月号のREPORT記事にあった写真を見て、終点の下付知駅構内に放置されている電動貨車然とした姿は一見して中津川駅構内で見たあの車両とわかりましたし、モ320も同じでした。2両の形式もそれまでは知りませんでしたが、見たことがある車両を自分でもう一度見て、写真に撮っておきたい衝動に駆られました。

自動車での移動手段を持たなかった我家にとっては、中津川から20km以上も離れた付知という街は未知の場所でしたので、私が母に、下付知まで行ってくるというと、母も一緒に行くと言い出し、母と2人で出かけることになったのでした。中学生になってから母と2人で出かけたという記憶は、ほかには思い当たりませんから珍しいことでした。それでも下付知という駅名は母もよく知っていました。それは、いつも乗る中央西線の列車が中津川に着くと、駅の放送で、「なかつがぁ~ なかつがぁ~ なかつがぁ~ 北恵那線乗り換え~~~ ○分停車中津川です。北恵那線、苗木・下付知方面 こんどの下付知行は○時○分発まで○分のお待ち合わせ……」という放送で、いつも耳に入ってきた駅名だったからです。どんな所なんだろうという程度の興味は母にもあったのだろうと思います。

そんなわけで中津町から2人で乗った電車は1形式1両の大型車デ8でした。下付知駅に着く直前に、構内のはずれに留置されているデキ501の姿が、雑誌に掲載されていた写真そのままに現れたときには感動のようなものを感じ、駅に着くと私は自分が乗って来た電車と、お目当ての留置されていた車両たちの写真を撮り、それらが雑誌に掲載された同じ状態であったことが確認できて、なにか有名スポットに来たような充実感を持ちました。
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一方、母のほうはといえば、終点の駅なのだから、にぎやかな商店街でもあるのではないかかと期待していたようでしたが、下付知駅から付知の中心街まではまだまだ遠く、駅周辺には、とりたてて見るべきものはありませんでした。その日、母が行ったところは駅のトイレだけで、2人は行くべきところもなく折り返しの電車で帰ってきてしまいました。その時が私の北恵那鉄道全線踏破の日になりましたが、私が全線を通して北恵那鉄道に乗ったことはそのあと1回しかありません。そのころの鉄道趣味活動が撮影中心であったことにもよるのですが、このしばらく後に、北恵那鉄道では昼間の運行が休止となって、乗りにくいダイヤになったことも大きな要因で、乗りにくさに追い打ちをかけたのは運賃でした。そのときに乗った中津川~下付知間は片道180円(同時期の国鉄での同じキロ程の運賃100円)であったのが、廃止時には驚くべきことに560円(同時期の国鉄では190円)となっており、数年のあいだに3倍以上に跳ね上がっています。これは並行する自社バス運賃との整合性を持たせた結果だったのかもしれません。
電車に乗らずとも、高校生になると私の行動範囲は広がってきましたから、家から片道25kmほどの道のりを、同級生といっしょに自転車に乗って下付知のデキ501とモ320のその後の様子を見に行ったことが1度ありました。北恵那鉄道に並行する国道257号線は、今のようなセンターラインがある広い道路に改良されていたのは一部だけでしたから、ダンプカーなどの大型車とすれ違う時は怖いし、アップダウンが続くきつい行程でした。それでも、たどりついた下付知駅では、ガラスが割れるなど朽ちてはいたものの、まだ健在だった2両を見て、写真も撮れて、私には満足するサイクリングとなりました。
その翌年、私の交通手段は原動機付自転車(50㏄)に変わりました。しかし、そのとき下付知駅に行ってみると、そこにあったのはモ320とわかる残骸だけで、デキ501は残骸すら見当たりませんでした。画像の車両はク551で、その手前の残骸がモ320のものです。
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この記事へのコメント

  • 急行 陸中

    おはようございます。
    私にも、小学生のころに自分の宝物のような場所が
    近くにありました。
    自分の鉄道に対する原風景のような場所が。
    たしか、北恵那鉄道廃止になったのは高校生位で
    友達は足げに中津川通っていました。
    今思えば乗っておけばよかった、見ておけばよかった、
    場所のひとつです。
    2015年10月08日 07:38
  • NAO

    私は一人子で、母はバイクの運転を禁じていまして、社会人になって車を運転するまで自分の運転での遠出はありませんでした。車でローカル線の入場券集めをしたとき、一度ついてくるとこれは見ていて面白いと言いだし、よく同行してくるようになりました。何が面白いのか訊きますと、帰宅するサラリーマンや生徒、それを迎えに来る家族、駅ではさまざまな世間を目の当たりにすると言っていました。
    でも北恵那鉄道のようなディープ?な鉄道の風景には接することは出来ませんでした。
    2015年10月08日 08:11
  • 北恵那デ2

    こんばんは。本文にあります自転車で同級生と下付知駅まで行った話は、どなたとなのかは分かりません。私も自転車で行ってパンタの外された「デキ501」と「モ320」を撮影しましたので、その同行されたというのは私なのかもしれません。私はその2両とも動いているのを見た記憶はありません。ただ製紙工場のプラットホームの側に「デキ501」が置いてあるのは見たこともありますし写真もあります。そこで下らないことを一つ言いますと、「デキ501」の絵はパンタの位置から言ってこれで合っていると思います。ただ「モ320」の向きはこの絵と逆だと思います(笑)。(下付知駅留置の写真参照願います)「モ320」は「ク」を制御するジャンパ管がありましたので逆向きで使用はできないと思います。って下らない話で申し訳ありませんでした。まあ御幼少の頃の絵にクレームを付けるつもりではございませんので悪しからず。
    2015年10月08日 17:47
  • しなの7号

    急行 陸中 様
    北恵那鉄道だけでなく、あのころは多くの中小私鉄が廃止されていきました。それぞれの鉄道に、特徴ある車両が配置されていましたが、乗ることができないまま廃止の報を聞くことが多々あったのは私も同じです。
    東濃鉄道駄知線や笠原線などは旅客営業していたのが、私が中学生のころまででした。乗りに行こうと思えば行ける距離にあったのに乗れずじまいになりましたから、後悔しています。
    2015年10月08日 17:48
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    お母様が入場券集めに同行したいとおっしゃるとは、我が家では信じがたいことですね。うちの母は自動車は大嫌いでしたから、好んで同乗しませんでした。両親は最後まで自動車の運転免許を取得しませんでしたから、実家は20世帯強の町内の中で、最後は唯一自動車の所有がない世帯になりました。父は長年原付バイクを常用していましたので、私が高校生のときには父とバイクを2台連ねて、坂川鉄道廃線跡の探訪に行ったことがありました。私が自動車の免許を取ってからは、私が運転する自動車で、北恵那鉄道の電車と並走して8㎜映写機を父が撮るという作業分担で動画撮影を試みましたが、カメラワークの稚拙さと旧道路面の凸凹(運転技術の未熟さもあった?)で、見るに堪えない作品が出来上がりました。
    2015年10月08日 17:50
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんばんは。
    ご指摘ありがとうございます。
    たしかに、モ320の絵が栗本で見た風景という設定であれば、パンタグラフが逆にならないとおかしいですね。
    いままで気にしたことがなかったのは迂闊でしたが、デキ501だけは他の名鉄から流れてきた電車たちとはパンタの向きが逆だったわけですね。デキ501を見た記憶は、国鉄中津川駅の方ばかりでしたし、画像も下付知で解体待ちのものしかありません。小学生のころの私は国鉄車のほうに目が向いていたと思うので、わざわざ中津町駅へ出向くことはなかったのでしょうか?
    ちなみにこの絵は先日一生懸命書きました(^^)v
    下付知へ自転車で一緒に行った人が特定できないのに、行った翌日、その人は発熱して学校を欠席され、「あんな遠いところまで行ったから疲れたのだろう。誘って悪いことをしたなあ」と思った記憶がありますから、学校を欠席した記憶があれば、同行者は貴殿ということになります。
    2015年10月08日 20:53
  • 北恵那デ2

    そんなことにいちいち反応していたらきりがありませんが、高校生の頃に次の日に熱を出して学校を欠席した?・・・私には全くそういった記憶はありません(笑)。確かに22kmほどを自転車で往復した時はかなり堪えましたが。それにしてもこの絵は先日お描きになられた・・・走行中の写真が無いから苦肉の策ですか(笑)。デキ501がデ2のようにターンテーブルを借りて向きを変えた経緯があったかどうか分かりませんが、少なくとも晩年は他の車輌とパンタ位置が逆の向きでした。当時の車庫のおじさんのお話で記憶のありますのは、デキ501は片側の運転台から逆側が見通せないので入換え作業に使うには不便だったということでしたが。
    2015年10月08日 21:35
  • しなの7号

    北恵那デ2様 おはようございます。
    自転車で下付知へ行ったときは、家から出て帰るまでの途中主要駅を含む発着予定時刻表を作り運行?しました。家が離れている貴殿とは並松駅あたりで分割併合ダイヤになるはずですが、そうなった記憶がないですから、家が近い非鉄の友達を誘ったのだと思います。

    デキ501がデ2のようにターンテーブルを借りて向きを変えた可能性は否定できませんが、比較的短期間の活躍であったことを考えると、その可能性は低いように考えられますね。
    自動車の運転でも、凸型は取り回しがいいですが、トラックなど後ろが見通せない状態で後退するのはイヤです。

    絵は、そのとおり苦肉の策です。写真に撮って現物はゴミとなりました。
    2015年10月09日 07:43
  • 常夜灯

    モ320は北恵那への入線にあたり名鉄新川工場の
    奥の本線よりの屋外で木造車体に鉄板を張る作業を
    していて車窓からも見えました。大丈夫かなあと
    思っていました。性能的には平坦線での高速化を
    目指した車両なので北恵那の勾配線に向いて
    いるのか危惧していました。使用実績は
    どうだったのでしょうか?チョット飛びますが
    モ560形の室内蛍光灯照明ですが当時瀬戸線の
    架線電圧は安定していたので良かったのですが
    揖斐・谷汲線は不安定で電圧降下すると消えると
    噂されていました。モ565が白熱球でしたので
    本当かも。北恵那ではどうでしたか?
    不安定で
    2015年10月09日 08:07
  • しなの7号

    モ320の北恵那転入前のお話をお伺いできるとは思っていませんでした。ありがとうございます。
    名鉄時代の写真を見たことがありますが、窓枠上端も扉と同じくR付で中央に桟が入り田の字形ドアと統一されたデザインだったようですね。鋼板を貼って体裁を整えたものの、結果は10年と持たなかったわけですし、北恵那の使用条件には必ずしも向いていなかったのでしょうか。
    下付知に近付くと電圧降下する話は聞いていまして、ノッチONで車内が暗くなる事実はあっても、消灯したかどうか利用していた同級生からは聞いたことがありません。遅れて入線したモ565だけが蛍光灯改造されていないのは、改造経費面以外にそんな理由があったのでしょうか。
    こういうことは、実際に現場におられた方に尋ねたいものですが、いつも話をお聞きしていた方の名前はお聞きしていませんし、廃線後はバスの整備部門におられたのは知っていますが、その後の消息を知りません。もし健在であられたにしてもかなりの御高齢のはずです。
    2015年10月09日 15:20
  • ヒデヨシ

    しなの7号様おはようございます
    デキ501良いですね
    デキと言いつつデハあたりの窓埋め改造車に見えます(実際は知りません)
    北恵那の貨物列車は多くても5両も無さそうなので事足りるんでしょうね
    塗装が黒に黄色いラインと言うのもツボです
    北恵那鉄道は現役時を知りませんが高校時代に中津川に行ったとき北恵那の構内に留置されているのを見ただけです
    その頃はまったくだったのに後からローカル私鉄に興味が出て北恵那や多治見からの東濃鉄道線とか廃線跡を辿ったりしました
    2015年10月11日 09:11
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 おはようございます。
    ローカル私鉄ファンなら、この手の車両は魅力的ですねえ。
    もともと旧尾西鉄道の電動貨車だったということです。
    私もヒデヨシ様が乗られたような非電化私鉄に、もっとこまめに乗っておけばよかったと思うわけですが、国鉄在職中は乗ることに積極的ではなく、次々と廃止されてしまいました。
    2015年10月11日 10:33
  • 門鉄局

     こんばんはしなの7号様。
    北恵那鉄道は私が小学4年の時に廃止されてしまって、乗ることはもとより見ることもできませんでしたが、廃止を伝える鉄道雑誌の草ぼうぼうの線路の写真に衝撃を受けました。
    当時の鉄道知識は主にケイブンシャの大百科や小学館コロタン文庫などの少年向け鉄道本からでしたが、今思い返しても地方私鉄も網羅していてしっかりした内容だったと思います。就職で一人暮らしをする時に処分してしまったのが残念です。
     ただこの鉄道の車両に関しての資料が手元に少なく、永年に亘って「幻の鉄道」でした。明らかに名鉄払い下げのモ560+謎のトレーラーの2連か中津町入換用デ2の写真ばかりで管理人様の記事でようやく全容が解明された気分です。
    電動貨車改のデキ501や扉上部のカーブのおしゃれなモ320、今の車両にない味わい深さですね。
    2015年10月11日 18:56
  • しなの7号

    門鉄局様 こんばんは。
    北恵那鉄道の末期は車両・施設とも保守が不十分で、廃線は時間の問題だと思わせる雰囲気が漂っていました。廃止に至る背景や廃止前後の様子は、この車両シリーズを第二部(第一部は廃線跡探訪シリーズでした。)として、あと2回でいったん終了した後、来年第三部としてシリーズ記事を再開する予定です。その間に、これまでの記事を検索などで新規にご覧いただく方々に北恵那鉄道に興味を持っていただけたらありがたいです。

    私もデキ500形とモ320形の現役時代以前をよく知りませんし、発表されている画像や資料も少ないのが実情です。それは魅力ある車両が活躍する中小私鉄が、当時の日本にはいたるところにあったから、地味な北恵那鉄道の記録が少ないのではないでしょうか。

    昔、私は手軽な鉄道図書として、文庫サイズの保育社のカラーブックスを愛用しました。でも北恵那鉄道関係はなかったと思います。
    2015年10月11日 20:14
  • 門鉄局

     こんばんは、連続投稿で失礼します。
    北恵那鉄道の関連記事をあらためて読ませていただきました。第一部二部に続き第三部まで予定されているということに感激しています。
     国鉄バッシングとしか言いようのないあの時代、偏った報道をするマスコミに腹を立てたものでした。当時現場にいらした方が何を思い感じていたのかが知りたくてたどり着いたのがしなの7号様のブログなのですが、あまりに毎回興味深くて毎日チェックしています。特に荷物や貨物列車の勤務状況は鉄道雑誌でも記述がほとんどなく「国鉄車掌物語」と「北恵那鉄道」はそれぞれ単行本で出版していただきたいです。
     保育社のカラーブックスシリーズは私も所有していますが、私鉄関連が活発になるのは50年代中盤以降で北恵那鉄道廃止後かなり経ってからと思います。
    2015年10月12日 23:40
  • しなの7号

    門鉄局様 おはようございます。
    北恵那鉄道は高校生時代の思い出の鉄道です。これまで本文中に、「機会を改めて書く」とお約束している宿題がけっこうありますので、これだけで必然的に第三部ができてしまいます(^_^;) 来年には必ずやることをお約束します。

    本題の、国鉄職員ストーリー?は、当初今年中には完結させようという気がありましたが、まだ少し書くべきことがありますので来年に持越し確定です。ひととおり書き終わったら、なにか別の手段でまとめておくべきだとお勧めいただいた方がほかにもいらっしゃいましたが、今のところ未知数です。特に荷物列車は、その存在自体が貨物列車と混同されるくらい知られていないですし、貨物列車にしても、解結を繰り返すヤード系列車の現場は、知られていませんので、あまりにローカルな話題になった北恵那第二部終了後は、元どおり月曜日には国鉄関係の記事に戻して、一般的ではない貨物列車の記事をしばらく続ける予定です。そのかわり木曜日は、なるべくとっつきやすい記事を持っていくよう考えていますので、よろしくお願いします<(_ _)>

    カラーブックスの私鉄シリーズは、おっしゃるようにかなり後ですね。一番最初に買ったカラーブックスは1971年に買った№152「蒸気機関車」で、今でも手許にあります。
    2015年10月13日 09:31
  • 88414

    北恵那電車の資料を見るために、何度かこっそり訪問させていたが来ました。
    おかげ様で北恵那電車のペーパークラフトの作成にとても参考になり、よりよいものを作ることが出来ました。
    資料探しは、当時の写真が少なく、特に車体の写真はもちろん、車内の写真は数が限られており、あっても白黒で配色が分からず苦労しながらの作成となりました。
    「デ2型」
    「モ556」
    「デ8」
    「デキ251・ワム301・ト107」
    「ク81」
    「ク551」と順調に完成し、今回ついに
    「モ320」
    の完成に至りました。
    次回は、
    「モ501」「ハフ11」「ハフ31」「ハフ51」
    と作る予定ですが、まずは感謝を込めてお礼申し上げます。

    完成品は、ブログ(https://h88414.blog.fc2.com/blog-entry-4.html)でも紹介しておりますが、中津川市苗木にある「トーマスイングリッシュ」(住所: 〒508-0111岐阜県中津川市瀬戸1250-6 電話: 0573-65-5353)というカフェで作品を展示させていただいておりますのでよろしかったら見に来ていただければ幸いです。
    長々書いてしまいましたが、これからも北恵那鉄道の記事期待しております。
    ご活躍ください。
    2020年05月20日 11:35
  • しなの7号

    8414様 
    ペーパークラフト、知らない間に増備されていたのですね。
    窓を開け、内装、果ては地元高校生の制服まで再現されると作品が生き生きと感じられ、いたく感動しました。

    少ない在籍車両なのに1両ずつに個性があった北恵那鉄道の全車模型化を高校生のころ考えたことがありましたが、デ8だけ手がけて挫折しました。そのときペーパーに窓を開けると強度が落ちるだけでなく、そり曲がったりして狂いが出てしまうことに苦労しました。補強のため割り箸を切った柱や梁を作ったものですが、素材がペーパーだけということにこだわると、そうもいかないでしょうから難しいと思います。紙の質にも左右されると思われ、私はケント紙を使用していました。
    また、正面のオデコ部分から弧を描く屋根のカーブなどはペーパーでの再現が大変難しいところでしょう。

    ブログの毎日更新を始めてしまったものですから、時間に余裕がなく今は模型いじりやペーパークラフトにも手を出せずにいます。中津川に出向く機会もなかなかないのですが、心に留めておきます。
    北恵那鉄道を知る世代が少なくなりつつある今、ペーパークラフトで、地元にあった鉄道の存在を知って後世に伝えていただき、さらに廃線跡を観光資源としてアピールしていただけるきっかけとなりますようエールを送らせていただきます。
    2020年05月20日 20:37
  • 88414

    「デキ501」のペーパークラフトが完成しました。
    ご確認していただければ幸いです。
    2020年06月27日 19:47
  • しなの7号

    88414様
    全体のバランスがよくなり、特徴を押さえられてリアル感が増しているように思います。細かいパーツや表記類の造り込みも素晴らしいです✨
    2020年06月28日 20:57

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