【635】 北恵那鉄道25:車両10「ハフの廃車体」

先週に引き続いて、北恵那鉄道の車両について、私が知っていることを書いていこうと思います。
北恵那鉄道では、廃線を待たずに廃車されたため、私が現役時代を見た記憶がない車両がいくつも存在します。しかし、廃車になった後に車体だけ利用されていた例があり、貨車については先週画像を紹介しました。このほかにも廃車された2軸客車の車体が利用されていた例がありましたので紹介します。

【ハフ50形】
高校1年生の冬のこと、その日の体育の授業は、学校のマラソン大会に備えたロードランニングで、学校から公道へ出ました。私は、授業でも仕事でも、学校や会社から出るのは好きなほうなので、こうして校外に出たり、乗務や出張は性に合っていました。一歩外に出ると先生や上司の目が届かず、ある程度自分の判断を前面に出して行動できるので気持ちが晴々とするのです。逆の立場で部下が出て行くのを見送る管理職や、旅に出ていく乗客を見送る駅員にはなりたくないと思ったものです。どうせどちらにもなれなかったのですから、その心配も必要なかったわけですが。

その日のコースは来たこともない初めての道で、過ぎ去る景色も新鮮で気持ちよく走っていると、不思議なモノを道端で発見してしまったのでした。塗装から察するに、明らかに北恵那鉄道の車体と思われました。ちなみに同級生の北さん(←「北恵那デ2様」を仮にそう呼ばせていただくことにします。)も一緒で、ランニング中に立ち止まるわけにはいきませんでしたから、走りながら2人で目配せしてニンマリとしたのでした。
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車体の色から、北恵那鉄道の車両のボディに違いなく、窓の形状などに北恵那生え抜きのデ2に非常によく似た雰囲気でした。しかしドアが片面に1つしかなく異常に短い全長の車体で、見たこともない形をしていましたが、このとき私たちは、北恵那鉄道で過去に廃車になった車両について詳しく知りませんでした。

その日の放課後、この廃車体の正体を見定めるために、北さんと私は歩いて現場へ再び行ってみました。
そこは道路に接した場所で、市営住宅の建設現場だったか、街から外れたところでした。北恵那鉄道で廃車になった車両の車体だけを、工事現場の詰所として使っているようで、人の気配はなく、いつ移動されてもおかしくないような状況でした。幕板部分が赤く塗られて、すっかり色あせてはいるものの、陽が当らない反対側の側面は意外にきれいで、その赤の部分は廃車後に塗られたのだと思われました。
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車内を覗いてみると、ロングシートで妻面に「52」とナンバーが書き込まれていました。それにしてもずいぶん小型で、このような車両が北恵那に存在したことを知ると、ますます北恵那鉄道の歴史についても知りたくなってくるのでした。

北恵那鉄道の車庫の人に、こんなものを見たのですがと聞くと正体はすぐ判明しました。車庫の詰所には、すでに廃車になった車両の竣工図面が残してあって、それを見せていただくことができました。その中に、ドアが中央に一ヵ所にしかないハフ50形(51・52の2両在籍)というのがあり、私が見たのはこのうちの1両、ハフ52の廃車後の姿に違いありませんでした。この車両、なんと貨車改造という代物でした。どうりで超小型のわけで、元は横荘鉄道の無蓋車で、北恵那の自社工場で改造したといいますから、驚きました。
その図面によると、全長わずか5600㎜で1963年9月30日廃車となっていて、この時点で廃車後約10年が経過していたことになります。この時、車庫では、ほかにも廃車になった車両の竣工図面も見せていただくことができ、このほかにもハフ30形とハフ10形という2軸客車が各2両ずつ在籍したことや、貨車も有蓋貨車ワムとワ・無蓋貨車ト・トムが最低でも6形式延べ28両在籍したことがわかったのは大きな収穫でした。
(「RM LIBRARY 32 北恵那鉄道」に掲載された内容によれば、それ以外にも貨車は多数在籍し、13形式延べ48両もの貨車が在籍したとのこと。)

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【ハフ30形】
授業中に偶然ハフ52を見つけた翌年、高校2年生だった私は原付免許を取得しました。これでずいぶん身軽に行動できるようになり、ただでさえ遅い北恵那鉄道の列車を追い越しながら撮影できるようになったのはたいへん便利なことでしたが、電車は朝晩しか運転されていませんでしたから、撮影できるのは夕暮れの最悪のコンディション下に限られ、慌ててスローシャッターで写しては移動というやりかたでは、まともな写真はぜんぜん撮れませんでした。せめて朝方の時間帯に出向いていれば、走行中の写真もたくさん残せたはずですが、交通量の多い朝の時間帯、未整備の狭い道路を利用しての追っかけ撮影は無理と判断したのか、出かけたことがありませんでした。
しかし、先々週に書いたように、デキ501とモ320の廃車後の状況を確かめる目的で下付知駅に行ったときに、私はまた、別の2軸客車の車体を見つけたのでした。
こちらは竣工図面を見せていただいたときに知ったハフ30形(30)でした。それまで3回も下付知まで来ていたのに、その存在に気付かなかったのは迂闊でしたが、その場所は線路の終端近くにあった北恵那鉄道の自動車整備工場の片隅で、わかりにくい場所でした。
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ハフ30の車体は整備工場の建物に密着して置かれ、ハフのドアの開口部と工場側壁の開口部がスルー状態にされて、詰所として現役使用されていているようでした。意外なことに比較的しっかりしており、座席もそのまま残った状態でした。建物でも、放置されると朽ちていくものですが、使っていれば少々古くても人の手が入りますから、劣化は少ないものです。
このハフ30形は2両(30・31)在籍したとされていますが、ハフ50形よりは少し大きい車体で全長7340㎜と、国鉄のワムとほぼ似た長さでした。こちらは貨車改造ではなかったですが、すごい経歴の持ち主でした。元は旧鉄道省所有の明治生まれの所謂マッチ箱客車で、車体は北恵那の工場で新製して載せ換えた車両でした。それを示す貴重な写真が「北恵那鉄道おわかれ記念乗車券」に使われています。
画像の左が車体載せ替え直後のハフ30・右は車体載せ替え直前のハフ31
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北恵那鉄道ハフ30形、ハフ50形とデ1形は、いずれも車体に関しては北恵那鉄道製ということになるわけで、全体の雰囲気には共通点が見られ、これこそが北恵那鉄道の顔という気がするのでした。私が、デ1形と手をつないで活躍したころのハフの姿を記憶にとどめておくには、もう少し早く生まれる必要がありました。

このほか、北恵那鉄道にはハフ10形という2両の二軸客車がいたということがわかっていますが、これは鶴見臨港鉄道→国鉄→三岐鉄道→北恵那鉄道と渡り歩いた車両でした。もとは電動車だったものを三岐鉄道で客車化改造された車両だったということですが、北恵那で廃車となった後は解体されたらしく、私が見ることはできませんでした。ネット上や書籍でそのスタイルは確認できますが、モ560形には似合いそうな半流の妻面の車体で、同じく旧鶴見臨港鉄道から来たデ8とはまったく容姿が異なります。

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北恵那鉄道の車両をご紹介してまいりました「第2部」は今回で終了です。
これまでの連載中に本文やコメント中で、「改めて紹介します」とお約束した事項がいくつかありますが、しばらくお時間をいただいた後、年明け後に予定している「第3部」で必ずアップします。国鉄ブログを標榜している拙ブログでは、昭和時代の中小私鉄ファンの方々や、地元での元ユーザーの方々のお目には触れる機会は少なかったと思います。けれども検索などでこちらにたどり着いた方で、もしこの鉄道に興味をお持ちになった方が1人でもおられたら、私はうれしく思います。

このところ、月曜日の定期更新が鉄分薄めでしたので、来週以降は木曜日も、しばらく鉄分を含有した形での更新を予定していますので、よろしくお願いします。




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この記事へのコメント

  • 常夜燈

    一足先に廃車になったハフ51のダルマが
    下付知の分かりやすい所に有りました。
    ハフ30形のダルマは気が付きませんでした。
    ハフ10形はモ560形に似ていました。
    2015年10月22日 13:35
  • しなの7号

    常夜燈様 情報提供ありがとうございます。
    下付知のハフ51は見たことがありません。いつごろのことかかわかりませんでしょうか? 昭和46年冬に初めて行った下付知では、私は気が付きませんでした。
    2015年10月22日 14:04
  • 門鉄局

     こんにちは、しなの7号様。
    車両編いよいよ完結ですね。このハフの存在も初めて知りました。小さな鉄道でありながら車体を自社製造したり、単車をボギー化したりかなりの技術力を持った会社だったのですね。確かにデ1とハフ2形式の雰囲気は似ています。よく鉄道趣味の方から言われるのが「もう少し早く生まれていれば」ですが、国鉄にお勤めされ蒸気や北恵那鉄道の現役時代に間に合われたしなの7号様が本当に羨ましいです。
     先日マイナーな車種を豊富に製品化していた「ロコモデル」を思い出し検索すると、お馴染みの黄色と緑の車両が。
    「うわぁ、北恵那も出てたんだ!」書き込みのお名前を拝見すると何と管理人様。北恵那つながりでこれにも驚きました。
    2015年10月22日 16:14
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    昔の地方鉄道は、自給自足的な部分が多かったはずで、木造の小型車体くらいは大工さんが造ってしまえたのでしょう。ハフの現役中には、北恵那鉄道に乗ったことが1度あったはずなのですが、幼少時ゆえに、見たり乗ったりしたのが、どんな車両であったかまったく覚えていません。そのとき父が写した写真にポール装備のデ1が写っています。

    そういえばロコモデル製品のモ560形の画像をアップされているブログがあり、コメントさせていただいたことがありました。高校生時代にペーパーでモ560形を作りかけ、挫折廃棄。デ8は屋根塗装と床下機器取付を残し中断。デ8はまだそのままありますので、いずれ機会があれば恥ずかしながらアップするかも…
    2015年10月22日 16:57
  • 急行おが1号

    こんばんは。
    娘が写真のハフ50形を見て「プラレールの電車みたいで可愛い」と言っていました。
    私もカラーの写真を見て「電池を入れた走り出しそうだ」と馬鹿なことを思ってしまいました。

    種車が貨車というのも珍しいのではないでしょうか。
    地方の中小私鉄だからこそ産まれた車両なのでしょうね。
    2015年10月22日 18:02
  • しなの7号

    急行おが1号様 こんばんは。
    私も2軸客車はかわいいと思いました。現役のころの画像を見ますと、プラレールみたいに見えるのは、車長が長いハフ30形の方で、さらに小型のハフ50形の方は畳3枚分より少し長いくらいの長さで不自然なほど短く、小型バスで最近よく見る日野ポンチョより短いです。小型貨車の車台に無理やり客車ボディを架装した結果のように思えます。よく戦中戦後に貨車に客を乗せた例を耳にしますが、この車両も昭和23年改造ですから、そういう混乱期の対応用に生まれたのでしょうか。
    2015年10月22日 19:45
  • 北恵那デ2

    こんばんは。こういうお話が出てきますと若かりし頃を思い出しますね。ところでロコモデル製のモ560型は、縮尺が1/80よりもずいぶん大きいです。2両購入し車体を組み立て塗装まで完了しまして、台車にだるまや製のブリル77を使い下回りを作りました。こちらはスケールなのかどうかが分かりませんがえらく小さくアンバランスです。それから数十年経ち、スタジオHOというメーカーのデ8を作りました。こちらは1/80のようでまともです。なお現在、YAMA模型からモ560型が出ております。今度はそれを・・・という意欲が無い年齢になって来ました。
    2015年10月22日 21:20
  • 常夜燈

    ハフ51の撮影は昭和46年(1971年)8月と
    思います。場所は駅を出て左(付知方面)へ
    行った製材所の中でした。拙作HP「ローカル駅の
    坪庭」にUPしてありますので御笑覧下さい。
    2015年10月23日 07:53
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    あのころ、地元の鉄道情報なんて、趣味誌にもめったに載りませんでしたから、実地調査と偶然の目撃とか自分の足と耳に頼るしかなかったですね。
    私の場合は16番から早々に離れてしまったので、高校卒業後作りかけの車体は放置で、新規購入もしていません。しかしNゲージでは、北恵那色の怪しいウソ電をでっちあげたりキット購入をしましたが、今はそちらも手を付ける気がまったくしていません。中途半端な模型の実態を、いずれ北恵那鉄道番外編としてご紹介したいと思っています。
    2015年10月23日 09:56
  • しなの7号

    常夜燈様
    貴サイト拝見しました。ハフ51の車体は状態もよく煙突まで付いて、本格的に使用されていたようですね。撮影されたのは私が下付知に行く前であったのは明らかなようですが、私は駅構内だけしか見てきませんでしたので、気が付かなかっただけかもしれません。
    ほかにもハフ10形など私が記憶にも残っていない2軸客車現役時代の画像や、カメラを持つことができなかったころのデキ501やモ320の現役時代の画像を多数拝見させていただきました。ありがとうございました。
    2015年10月23日 10:01
  • 北恵那デ2

    こんばんは。ハフ51の車体が設置されていたのには全く気づきませんでしたね。もしかすると残りのハフ31やハフ10型もどこかにダルマ状態で残っていたかもしれませんが。常夜燈様のサイトはそう言えば以前に拝見したことがあります。北恵那鉄道以外の興味深いお写真も多数あり、「お気に入り」に入れてありますから。
    2015年10月23日 17:42
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんばんは。
    近くに住んでいながら、お互いハフ51に気付かなかったというのは、情けないことですね。しかし、あの日体育の授業がなければ、北恵那と関係もない「あんな場所」にハフ52の車体を見ることはなかったわけですから偶然に感謝し、よしとしましょう。
    ハフ10形は下付知で解体中の写真が「北恵那鉄道 (RM LIBRARY)」に掲載されていますので、廃車解体されたものと思いますが、ハフ31はどこか北恵那と関係ないとことで人知れず生きていた可能性もありますね。
    常夜燈様には、貴重な事実をご教示いただき、改めてお礼申し上げます。
    2015年10月23日 20:36
  • NAO

    しなの7号様、おはようございます。国鉄乗り鉄ついでにローカル私鉄探訪をし始めたときは、もう地方私鉄はかなり厳しい状況下でした。
    訪問したのは別府鉄道、加悦鉄道、三菱大夕張鉄道ぐらいでしょうか。行ったことはありませんが、記事を拝見し、北恵那鉄道はさらにローカルムード漂う地方私鉄のようで、しなの7号様の思い入れが伝わってきます。
    ちなみにかつての路面電車カラーに塗られた日野ポンチョ使用の観光地路線ループバスが自宅近所を走るようになったのですが、有名景勝地と繁華街を結んでいるので積み残しもあり、大型バスでも捌ききれないこれからのシーズンが心配です。
    2015年10月24日 07:30
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    私は非電化私鉄の車両にはかなり興味を持っていたのですが、別府鉄道、加悦鉄道、三菱大夕張鉄道のすべてに行けずじまいでした。北恵那鉄道は電化されていたものの、ローカルムードが漂いました。こんな状態で昭和50年代まで持ちこたえたのはなぜか、そのあたりも来年の第3部では考えることにします。

    こちらでも自治体主導の市域バス路線が複数あり、日野ポンチョも配置されているのですが、乗客数や道路幅員の関係で路線限定運用されているのか、我が家近くの路線では見かけません。
    ちなみにハフ50形をNゲージ模型化すると、車体長約37.3㎜!
    Bトレよりも小さくなります。
    2015年10月24日 11:18
  • 砂川

    初めまして。北恵那鉄道を調べていたら辿り着きました。以前から他の記事は見ていて楽しませていただいていたのですが、北恵那鉄道特集も本当に参考になりました。私は保存車のことを調べていた関係で北恵那鉄道はク551やデ2程度は知っていたのですがここまで車両が鉄路から離れた後も残っているとは思いませんでした。ますます興味が出てずっと北恵那鉄道ばかり検索しています。調べていてひとつ気になったのですがク82が美濃福岡駅のバス停に転用されたという記述が他のサイトで目に入ったのですがご存じないでしょうか。
    2016年03月16日 22:18
  • しなの7号

    砂川様 
    ご覧いただきあありがとうございました。
    ク82は保存前提として美濃福岡駅へ移送されたものの、保存されることなく所在不明になりましたので、そこで解体されたものと思われます。ク81のほうは廃止翌日に山之田川バス停に移送、保存されたあと売却されていますが、廃止後の車両の消息については今夏予定している第3部でご紹介できればと考えています。
    2016年03月17日 07:45
  • 88414

    ご無沙汰しております。
    ハフ11、ハフ31、ハフ51のハフ三兄弟が出来上がりました。
    https://h88414.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
    でご覧いただけます。
    これで、私の知る限りの車種を作り上げることが出来ました。
    次は、鉄橋ですかね⁉️
    (笑)
    2020年07月29日 22:05
  • しなの7号

    88414様
    拝見しました。完成おめでとうございます。軸箱と板バネの表現もよりリアルになり手抜きがないですね。ここまで車両がそろうと、検修庫があるといいですね…と無責任に言ってみたり( ^ω^)・・・
    2020年07月30日 21:04

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