【728】 北恵那鉄道32:「廃線の日」

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1978年(昭和53年)9月18日、ついに北恵那鉄道線にとって最後の日が来ました。
中途半端な月半ばに営業を終了することになったのは、先月書いた国鉄下呂線との関係をはじめとする諸事情もからんでいたのでしょうか。
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先週アップした「思い出のさよなら電車」として使用されてきたモ565には、廃止前日にさらに装飾が追加され、違和感を持っていた「さようなら560形 鉄道友の会」と書かれていたヘッドマークは側面に移され、「さよなら」と大書された 鉄道友の会による大型のヘッドマークが新たに取り付けられ、17・18日に「さよなら電車」として運転されました。
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「さよなら電車」を務め、装飾されたモ565は、これも先月書いたように名鉄から国鉄線を甲種輸送によって北恵那にやってきて5年もたっていない新参者でしたが、レール塗油装置も取り付けられて本線の主力車両として活躍していたので抜擢されたのでしょうか。というよりも、ほかの車両には故障や定期検査期限満了とかの事情があって、モ565がいちばんまともな状態だっただけだったのかもしれません。そうした制限がなかったとしたら、個人的には北恵那鉄道生え抜きで普段は入換専用だったデ2を使った本線運転で最後の花道を飾ってあげたかったと思っていました。

説明はこのくらいにいて、それでは最終日の画像をご覧いただきます。
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美濃福岡での行き違い。モ563とモ564。
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最後の下り列車下付知行。始発駅の中津町発車前にはセレモニーが行われました。
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ふだんは乗降客が少なく閑散としていた関戸駅は、夜にもかかわらず見送りの人々が。
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下りの終列車が終点の下付知駅に到着すると、通常は翌日まで車両は留置されますが、最終日は車両を中津町の車庫に回送する必要があったために、上り臨時列車が運行され、この列車には無料で乗車できました。これが北恵那鉄道での最終列車となりました。その上り中津町行の発車風景を後部から見送りました。車掌は手動の扉から出発監視中。車内は超満員らしく後部運転席には一般人と思しき人が座って、手をふっているのがわかります。
下付知駅で。
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この日は、夜になっても人々が駅や車内に、そして車両の周りに途切れることはなく大勢の人々に見送られて北恵那鉄道線は、1924年(大正13年)8月5日から54年の歴史に幕を下ろしたのでした。
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※上の新聞記事は廃止翌日、昭和53年9月19日付け中日新聞の転載画像です。

そして、廃止翌日には、ちょっとしたエピソードがあります。それは来週アップします。






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この記事へのコメント

  • NAO

    しなの7号様、こんばんは。
    昭和53年夏は私の日本交通公社大判時刻表購入元年で、手許には残っていませんが7月号を買いましたから北恵那鉄道は巻末会社線欄に載っていたのでしょうね。10月になりますと上野駅ホームの女の子が表紙になったダイヤ改正号、これも買いましたが、在来線優等列車の号数が上り下りで偶数奇数に分けられたこと、線路保守による昼間の空白時間帯と特急スピードダウンで話題になったのも覚えていますが、地方私鉄どころか国鉄も慌ただしい時期だったのではないでしょうか。
    私は廃線日を目の当たりのしたことはほとんどありませんが、唯一、自宅近くの路面電車営業終了日は夜遅くまで見送りに行きました。電車をまとめて収容する車庫に何台もの車両が回送されて行ったこと、翌日から輸送を担うバス新車が臨時と回送取り混ぜて送り込みされていたこと、普段は路面電車に感心を持たれかったであろう人たちまで通りで写真を撮っておられたこと、門限が厳しい同級生まで親御さんと一緒に遅くまで写真を撮っていたこと....。
    いつの時代も無くなるものには惜別の光景が展開されるものですね。
    2016年10月07日 00:40
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    昭和53年4月号時刻表が手許にありますが、北恵那鉄道はもちろん掲載され、接続する中央西線では、日中はすでに381系によるL特急ネットダイヤが完成しています。しかしこのころの夜行事情は大きく異なり、現在にない鉄道の勢いを感じます。特に大阪→長野の夜行定期DC「ちくま2号」と名古屋→長野の夜行定期DC「きそ5号」は、どちらも春休み中に長野から定期普通列車に併結する形で飯山線戸狩まで延長運転をしていますし、その「ちくま2号」には大糸線の南小谷行「くろよん」を、「きそ5号」には、糸魚川行「つがいけ2号」を併結する日もあるといった盛況ぶりで、そのほかにも夜行定期列車と臨時列車が何本も見られます。

    市電の最終日と言いますと、私は名古屋市電の最終日に出かけています。北恵那鉄道線が廃止される4年前でしたが、当日は車庫の中も自由に足を踏み入れることができ、装飾された電車の写真も撮れました。小学生のころには母の実家に行くときに何度も乗った名古屋市電。その系統番号だけは今でも覚えています。
    2016年10月07日 15:51
  • 門鉄局

     こんばんは、しなの7号様。
    施設も車両も満身創痍、正に矢折れ刃尽きた感じの北恵那鉄道の最後ですが、社員さんと鉄道友の会の会員さんによる手作り感一杯のお別れ装飾や沿線の人々総出のお見送りなど、当時の暖かな空気が伝わってきます。多くの人々が最後に一目見ようとつめかけたにもかかわらず、それ程混乱することもなく粛々と最終を迎えられたのではないでしょうか。
    私は混雑もお祭り騒ぎも嫌なので極力最終日には近づかないようにしているのですが、24年前両親の郷里の路面電車の大部分廃止には居ても立っても居られず最終日に立ち会いました。営業を終えて次々入庫してくる電車のボディを誰ともなく始まったねぎらうように黙々と叩く一般市民の方々の姿が一番印象に残りました。一番別れを惜しんでいるのは毎日の生活の中に電車が存在したこの人達なんだと。最近「OO号最終列車発車式」や「XX線お別れ式」の映像を見ると一般乗客を妨害する行為や写真を撮りたい為か暴言・怒号が飛び交っていて嫌な気分になります。あといつ頃からか大声で「僕のOOありがとう!」「さようなら、俺の青春!」(そんなの知らないよ)などと自己陶酔的に叫ぶ人がいて白けた気分になります。別れを惜しむ気持ちはわかるのですが、もう少し大人の態度が取れないでしょうかね。愛すればこそ一人ひそかに涙して去るというような。
    2016年10月08日 00:38
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    鉄道ヲタクだけが集まるイベントと違って、一般の人に浸透した鉄道や列車の最終セレモニーで思うのは、日頃利用されてきた方や、裏方的にその列車の運転に携わった方々の想いを感じるものです。

    念願の鉄道が開業し、その鉄道に期待を寄せる沿線住民が祝う。
    使命を全うした鉄道の最終日に、その鉄道に感謝しつつ沿線住民が見送る。

    そういう場での、私を含む鉄道ヲタクとしても、最後の姿を見届けたいわけですが、しょせんはよそ者でしかありません。その深い思い入れは沿線住民や鉄道会社の社員など関係者より強いものがあったとしても、です。
    おっしゃるように、自分の想いをそういった言動に移したくなるほど感極ったような行動が、最終日のセレモニーの動画などで見られますが、別れの美学というものがあるとすれば、受け入れがたいものと思います。
    2016年10月08日 10:20
  • 門鉄局

     しなの7号様、こんにちは。連続投稿失礼します。
    微妙な問題ですがコメントありがとうございます。
    自分を含む鉄道フアンの行動には以前からいろいろ思うことがあり、最近では鉄道の日関連のイベントに家族で出かける以外は参加していません。職員側とフアン側どちらの気持ちもわかるので。逆に思い入れが深い車両の最後に立ち会うことになったら沈着冷静に行動できるほど出来た人間とも思っていません。ただ「絶叫マニア」が嫌な感じを受けるのは、
    声だけはメディアに収録され「あれは俺だ」と自慢したい魂胆が見え見えなのと、間違いなく地元の利用者ではないことでしょう。

    刃折れ矢尽きてですね。恥ずかしいです、訂正させていただきます。
    2016年10月08日 15:57
  • しなの7号

    門鉄局様 こんばんは。
    SLブームのころから、一部の鉄道ファンの行き過ぎた行動によって、利用者はじめ現場や沿線住民にご迷惑を掛けてきたことは多く、なにかと問題視されてきました。惜別の想いの表現方法は十人十色でしょうが、自らが主役であるかのようにふるまう一般常識を逸した鉄道ヲタクの行動は、同業者として恥ずかしい思いがしますね。
    そういうイモ洗い状態の場面では、いろんな意味でストレスがたまるだけですから、私はめったに寄り付きません。そして、齢相応に鉄道との付き合い方も変わってきましたし、国鉄分割民営化から30年が経とうとしている今、考えてみるに最終日にぜひ立ち会いたいと思う車両も、列車も、鉄道も、すでに引退してしまったように思いますので、今後もそういうことはないように思います。
    2016年10月08日 20:48

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