【730】 北恵那鉄道33:「廃止翌日の回送列車?」

北恵那鉄道が廃止になったとき、私はすでに国鉄に就職して2年以上経っていたころで、乗務掛(荷扱)の職名で荷物車に乗務する毎日でした。それより前の高校生時代の学校帰りには、中津町駅にはいつも立寄って、車両たちの様子を眺め、ときには車庫の詰所に立ち寄って、整備をされていた方に、電車のことをお聞きしたりすることもありました。就職後は中津町駅にもめったに行かなくなっていましたが、廃止も間際になったころ、久しぶりに車庫に寄ってみました。いつも親切に話をしてくれた方は、バスの整備のほうに配置転換になるとのことで、廃止が現実に近付いたことを感じました。
そして、廃止後の車両の処遇についてお聞きすると、最終営業が終わって中津町に集結する車両のうち、モ565、デキ251が売却されることになり、廃止翌日に山之田川駅から搬出されるということと、山之田川駅前にはバス停待合室としてク81が保存されるということでした。モ565とデキ251の売却先は明らかにされませんでしたが、保存展示目的で購入されたことは、あとで新聞報道されてわかりました。

廃止翌日(1978年(昭和53年)9月19日)の午前中、一時的に本線の架線に通電され、3両は山之田川駅まで自力回送されました。売却先へ大型のトレーラートラックで陸送されるモ565とデキ251は、中津町駅構内が手狭で搬出作業が困難なため、国道沿いで広い空き地がある山之田川駅から搬出する必要があったものと考えられました。一方で、山之田川に保存されるク81は動力を持たない制御車なので、他車に牽引されて保存場所へ移動する必要がありました。そこで売却されるモ565にク81を牽引させ、デキ251は単機で回送するといった回送形態でした。

すでに廃止になった鉄道ですから時刻ははっきりとはわかりませんでした。廃止翌日の午前中に、前日に大勢の人であふれていたのが、うそのように静まり返った中津町駅で、それらしい動きを確認した後、私と北さんはそれぞれの自動車で木曽川鉄橋に並行した国道257号線の玉蔵橋のたもとで、その自力回送を待ち構えました。

まず、姿を現したのがモ565+ク81の2両編成でした。
画像

営業列車ではありませんので、手動ドアは解放されたまま、そしてモ565の側面の装飾は、鉄道友の会提供のもの以外はそのままの姿で、ゆっくりと通り過ぎていきました。
廃止された線路上での運転ですから、「列車」とは言えず閉そく方式(北恵那鉄道では票券閉そく方式を採用)の適用もないと思われます。それに山之田川駅には側線があるものの、廃止時点では閉そく区間の中間停車場でした。続行運転も可能だと思われましたが、変電所の容量の問題もあったでしょうから、モ565+ク81の2両編成が山之田川に着いているだろうと思われるくらいの間隔があって、デキ251が真っ黒い姿を現しました。
画像

北恵那鉄道では本線を走る貨物列車は設定されず、混合列車として電車に貨車を併結する方式で貨物輸送を行っていましたから、デキ251は中津町駅と国鉄中津川駅の間の貨物の受け渡しと構内の入換専用で、本線上に出たという話は、これまで聞いたことがなく、廃止後ではあっても、木曽川鉄橋上でこの機関車を見ることは初めてでした。そしてゆっくり木曽川鉄橋を渡り始めたデキ251は、渡り終える寸前に、下の画像の位置で停まってしまいました。
画像

画像では見にくいのですが、顔見知りの車庫の方がドアを開けて外を見まわしています。ここのトラス橋は非常に高さが低く、電車のパンタグラフはいつもペシャンコ状態でした。それはこの画像からもなんとかわかると思います。この鉄橋上は架線の高さが低くて速度制限があった場所でしたので、不具合でも起こったのかと私どもは思いました。

素人の私どもから見ると、回送の手間や消費電力を考えれば、デキ251がク81とモ565を牽く3両編成での回送形態が効率上最良だろうと思いました。また写真を撮る方の立場としては本線上の3両編成のほうが見栄えがするし、事情があって3両編成が不可能なら、せめてデキ251+ク81と単行のモ565の組み合わせのほうが断然面白いと思いましたので、なぜ2編成に分け、またデキ251にク81を連結させる選択肢はなかったのか、そのへんの理由を、車庫で事前に尋ねてみました。
その答えは、木曽川鉄橋の強度の問題だそうで、重いデキ251は単機で回送することになったようでした。

そんな経緯もあったので、ちょうどトラス部分を渡り切った後とはいっても、ガーター橋部分で突然止まってしまったデキ251に何が起こったのか?と心配したわけです。しかし、すぐに何事もなかったように、また走り出しました。

私たちはすぐに山之田川駅の手前まで自動車で先回りして、本線走行中の写真を再度撮りました。
画像

上の画像は斜め後ろから撮影しています。デキ251は画面左から右へ走っています。勾配の付いた左カーブを上りきると山之田川駅で、すでに到着しているク81の姿が画面右上に写り込んでいます。
このあと山之田川駅に向かいました。

さきほどデキ251に乗務されていた車庫の方がおられたので、さきほどの停車の理由を聞いてみましたら、意外な答えが返ってきました。

「あんたら、どこにおった? たぶん鉄橋のあたりで写真撮っとるやろうと思って停まってそのへん見たけど、どこに居たかわからなんだわ」


さすがに営業列車ではありません。撮影しているだろうから列車を停めてゆっくり撮影させてやろうという心遣いだったのでした。
ご自身の仕事がなくなってしまう車庫のみなさんは、そのとき心中穏やかではなかったであろうに、そんな中でご配慮をいただいたことを、私は決して忘れることはありません。
画像

後日、お礼かたがたその時のデキ251の写真も含め、自分が撮った北恵那電車の写真を差し上げるために、配置転換先のバスの車庫に、その方を訪ねて行ったのですが、タダでは受け取れんと、頑なにプリント代を払うとおっしゃるのでした。





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この記事へのコメント

  • あさしお3号

    古き良き時代のいいお話しですよね。
    昨今では考えられないような出来事ですね。
    心がほっこりいたしました。
    2016年10月13日 18:40
  • しなの7号

    あさしお3号様
    今から38年も前のことですが、良くも悪くもあのころの日本からは大きく変わったことを感じますね。
    2016年10月13日 22:32
  • 門鉄局

     しなの7号様、こんばんは。
    最終日翌日の回送列車、こちらも本邦初公開の映像ではないでしょうか。一連の北恵那鉄道の記事を拝見していると地元ファンならではのものでこれほど詳細な記録は他になく、ぜひ書籍として出版されることを希望します。デキ251が本線を走行するのは最初で最後、わざわざ撮りやすいように橋梁上で停車してくれた運転士さんの気持ちが嬉しいですね。
    後日写真を届けてもタダでは受け取れないと言うのは甲種回送の時の仕事だからここから離れることは出来ないという話に通じるものがあり、おおらかなようで仕事には厳しかったこの鉄道の社員の方々の心意気を感じます。北恵那鉄道は最後まで誇らしく生涯を全うしたと言えるのではないでしょうか。
     それから40年近い歳月が流れ「コンプライアンス」の名のもとに社員の管理も徹底されるようになりました。マイナス査定を恐れてビクビクオドオドしながら働く我々現代人はあの頃と比べて幸せなのか考えさせられてしまいます。
    2016年10月13日 23:23
  • はやたま速玉早玉

    はじめまして。初コメントさせていただきますm(__)m
    停止して下さるなんて、凄く『粋』ですね。温かい人柄が滲み出ていると、おもいます(*´∇`*)
    北恵那鉄道、乗ってみたかったです!
    2016年10月14日 00:10
  • NAO

    おはようございます。
    廃止後も運転業務を含む残務処理があるのを目の当たりにされたのですね。橋梁上停止の大サービスまで。
    家庭でデジタル写真がプリントアウト出来る時代、部下に進呈しても、ああすみません、で終わってしまう現代(私を含む)からすれば写真の一枚一枚に対する観点の差を感じます。
    タダでは受け取れないの社員さん、このお気持ちは立派です。(進呈する側からすれば対応にお困りだったかもしれませんが)
    2016年10月14日 08:12
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    頼みもしないのに現場の方の裁量で蒸機のロッドの位置を合わせて停めてくれたとか、他の車両と並べてくれたというエピソードは、昔話として聞くことがあります。
    私もその後、車掌になり、鉄道ヲタクのお客さんにも出会いました。たとえば、
    ◆武豊線の入場券を買うために武豊線に乗ってきた人
    【49】入場券集めのお手伝い
    http://shinano7gou.at.webry.info/201008/article_5.html
    ◆340Mでサインを求めてきた人
    【356】思い出の乗務列車18:上り大垣夜行340M ~車掌のサイン~
    http://shinano7gou.at.webry.info/201303/article_3.html
    どちらの例も、職務中、本来の仕事以外のことを自然発生的に私の独断でしたことですが、今では許容されるものではありません。それらは自らの仕事への愛着があったから、そして相手が鉄道に愛着を持っておられることが理解できたからしたまでのことです。自分の仕事に誇りを持っていたかどうかはともかく、仕事中にも潤いがあったように思います。一言一句マニュアルどおりの対応を求められ、仕事は数値で管理される無味乾燥な仕事に潤いを見出すことは難しく、仕事を終えたときに満足感でなくストレスしか残らないような不幸な労働者が大多数になってしまったように思うのですが、違いますかね。
    2016年10月14日 14:38
  • しなの7号

    はやたま速玉早玉様 はじめまして。
    今はどこの会社でもセキュリティが厳しくて部外者を拒絶していますが、昭和の時代は、社会全般にそうした人と人とのつながりがあり、国鉄でも、たとえば下の記事のように高校生の質問にも答えてくれたりもしました。
    ◆【703】熊本機関区からの返信ハガキと鉄道郵便
    http://shinano7gou.at.webry.info/201607/article_3.html
    現代のほうがよくなったことは数限りなくありますが、そのために失われた、あるいは捨ててきた無形の財産もまた多いのだろうと思います。
    2016年10月14日 14:39
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    いわゆるお葬式を最後の別れと捉えるわけではなく、廃線の日以後も、私は北恵那鉄道車両や施設の後始末を見に行ったりしました。言ってみれば病中のお見舞いから、火葬され、お墓に入るまでを見届けたかったというべきでしょう。
    画像や映像は、デジタルカメラの世になってからと、その前とでは、非常に1枚1枚の重みが違いますね。写真は写真屋さんに撮ってもらっていた時代だとさらに1枚の重みは増すでしょう。デジタル化で、いとも簡単に撮影できてリセットもアリ、修正加工さえできてしまうといった面でも写真は「真を写す」ものとは言えなくなりました。コラ画像のような副産物も生産されるようになり、不正なコピーも現れるようになりましたが、こういうことは便利なツールを万人が入手できた代わりに、それまでなかった不正との戦いに挑むはめになって、逆に不自由さを味わうようになったわけで、これは現代社会の他の分野でもまったく同じですね。
    2016年10月14日 14:41
  • はやたま速玉早玉

    しなの7号様、こんばんは。
    返信されたコメントに記載されていた【703】熊本機関区からの返信ハガキと鉄道郵便、拝見致しました。

    熊本機関区の方が①きちんと返信された事②丁寧な返信内容、凄く律儀で人間的魅力を感じます。消印の演出も素敵ですね(*´∀`)♪

    私が中学生の時に分割民営化が行われ、即ち国鉄時代もリアルタイムで経験あります。散々無愛想と叩かれていた国鉄でしたが、私自身当時小学生ながら『そんなに悪いかなあ…?』と感じておりました。

    しなの7号様がおっしゃった通り、今の平成時代、便利になった反面、例えば個人情報の扱いなどでがんじがらめになったりして、息苦しさも感じてしまいます(´・ω・`)
    2016年10月14日 23:43
  • 急行真田丸

    しなの7号さま、おはようございます。

    北恵那鉄道への愛情あふれる内容に、こちらもほっこりしております。

    ローカル私鉄ファンの私も門鉄局さまと同じく、後世に残すためにも本にして欲しいです。

    2016年10月15日 08:41
  • しなの7号

    はやたま速玉早玉様 こんにちは。
    国鉄時代をリアルタイムでご存知ですと、思いは私と同じだと思いますが、平成世代の方に国鉄は悪者というイメージだけが伝承されていくの怖いです。昭和の時代に叩かれまくった国鉄でも、その時代に普通に生きていた人の集団でした。
    今の時代、同じ思いで接しようとしても、会社も世間もそれを許しません。難しい世の中になりましたね(´・ω・`)
    2016年10月15日 08:41
  • しなの7号

    急行真田丸様 
    ありがとうございます。
    今のところ、このブログ以外の情報発信はしておらず、書籍化など考えもしていませんw。一連の国鉄在職関連のブログ記事を来年中には終えたい(←毎年、そういっていますから怪しいですが…)ので、そのあとブログ記事を読み返してから、このあとのことをじっくり考えますね。
    2016年10月15日 08:50
  • こがね しろがね

    しなの7号さま、こんにちは。貴重な玉蔵橋とデキ251との撮影に、このようなことがあったのですね。これもそれまでのしなの7号さまの、北恵那鉄道に対する思いや働くの方々への敬意があってのことかと思います。これまでされてきた仕事に関心を持ってもらえたことが、この停車になったのではないでしょうか。仕事に対する意欲を維持することが難しい時に、こういう対応が自分にはできるのか。時代の違いもありますが、人の大きさを見させていただいたような気がします。

    鉄道廃止という大きな再編をした北恵那交通が3年前にまた大きく組織の形を変え、自動車整備・トラック・タクシー・旅行・貸切バス・キャンプ場と、いずれの事業も移管されて路線バス以外の事業が無くなり、たいへんな思いをされた方がこの時にもみえたことを、このブログを読まれる方々にも知っていただけたらと思います。
    2016年10月16日 04:59
  • しなの7号

    こがね しろがね様 こんにちは。
    今ではあり得ないことと思うので、こういうことを書きましたが、いつの時代にも、「私にもそうして欲しい」「前はそういうことをしてくれたと聞いている」とか言って図々しく現場や会社に、無理な要求をする者が出てきたりするものです。社会全体がそういう傾向が強くなって、一部の常軌を逸した者の行動から守るために、現代の窮屈な社会規範ができてしまったように思います。
    そういう中で、ほとんどの労働者は、会社内では名目的な地位を与えられてはいても、たいした裁量権はなく、会社のためサラリーのため、ただ仕事を「させられる」ようになってしまったのではないでしょうか。今の時代に、地位ではなく仕事の内容にやり甲斐と誇りを持って自らの仕事に臨めている方は幸せだろうなあと思います。

    私が小中学生時代に、秋の遠足はいつでも北恵那鉄道のバスでした。「【508】中央西線の代行バス」で使った画像に北恵那交通色の東濃鉄道バスを掲載しましたが、そのときにも北恵那交通の貸切バスはなくなってしまったのだなあと改めて思いました。鉄道事業廃止以来の大きな節目だったのでしょう。多くの社員の方にも影響があったのでしょうね。
    2016年10月16日 15:32
  • やくも3号

    しなの7号様 こんにちは。
    最近の『葬式鉄』、嫌な言葉ですね。本来、車両や路線が廃止されるとなると、別れを惜しむのはもちろんなのですが、それに携わった方々の労を『ねぎらう』ことが欠落し、むしろ『葬り去る』ことに躍起になっていると感じるからです。それに対し、こちらの記事では、ねぎらうことのお返しとして、職員の方々が撮影のために停まってくださるという『信頼関係』が見えてきます。
    『三ない鉄(乗らない、撮らない、買わない)』いわば『無気力鉄』の私はイベントには全く出向きませんが、小学生の時には友人たちと京阪神近郊区間にはもう走っていない古い車両を見ようと旅行を企てたことがあります。しかし、その時は当然?遠征など実現しませんでした。少し経って、唯一出かけたのは、新登場の新快速用117系電車のお披露目会です。学校帰りに友達と電車に乗って京都駅まで行き、夕刻遅く帰宅して叱られた覚えがあります。
    大好きな153系ブルーライナーはまたたく間に全車置き換えられてしまいました。
    2016年10月20日 12:54
  • しなの7号

    やくも3号様 こんばんは。
    「葬式鉄」には、同じような感想を持ちます。もう見られなくなる車両(列車)だけでなく、それに携わり維持管理してきた方への感謝の気持ちを持って繰り出す人がどれだけおられるのかと、最終日の喧騒を醒めた気持ちでテレビニュースを見ることがよくあります。
    『三ない鉄(乗らない、撮らない、買わない)』は、私も近年思い当たるところがあります。それは国鉄車両の数がめっきり減ってしまったことに起因します。そういう列車が走れば、車内も駅も沿線も人だらけですし、何より姿かたちは紛れもない国鉄ですが、30年も経ってその本来の役目を果たしている車両はほとんどないでしょう。一昔前まで旧国鉄線の乗り鉄にいそしんでいたころ、旧国鉄車を狙って乗り、そこで静かに別れを告げてきたつもりです。そのときの画像や映像を見て彼らを偲ぶことはあっても出かけることは、ほとんどありません。
    新快速153系ブルーライナーは、117系化によって一部車両が中京地区に流れてきましたので仕事で乗りました。そのため思い入れがありますので、地元車とは言い難い車種ですが、そんな理由で模型(6両セット)を手放さずにおります。
    2016年10月20日 20:22
  • しげぞう@

    しなの7号様 お邪魔致します。
    自分も「葬式鉄」が嫌で、さよなら運転などのお別れ行事には、あまり出向いたことはありません。そんな中、馴染み深かった、名鉄竹鼻線の末端区間の廃止時には、最終列車の見送りに行きました。何度か乗った路線が廃止になる寂しさに、最終列車の警笛に涙したのを覚えています。未だに廃線区間の踏み切り跡を車で通るときに、一時停止をしてしまいそうになります(笑)
    しなの7号様と北恵那交通職員の長い付き合いと信頼関係が有ったからこその出来事だったんだろうなと、羨ましく思いました。
    また宜しくお願い致します_(._.)_
    2016年10月25日 05:02
  • しなの7号

    しげぞう@様 おはようございます。
    何年もいっしょに時を過ごした車両や線区の最期は見届けたい思いは今でも強いですが、そうでない車両や線区に乗りに行ったり撮りに行ったりするときは、最終日の喧噪の中でなく、フツーの姿に接したいと思います。
    転居した今では、北恵那鉄道沿線に出向く機会はほとんどありませんが、並行する現在の国道257号線には1か所だけ北恵那鉄道の踏切がありましたから、さすがにその跡地ををクルマで通ると、必ず思い出します。もちろん廃線跡はほぼ全線記憶していますから、この国道は、わき見運転注意区間の連続です(*´Д`)
    2016年10月25日 08:28

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