【736】 北恵那鉄道36:「廃線後の施設撤去作業」

北恵那鉄道が廃止され、しばらくすると施設の撤去作業が始まりました。
どのように進むのか、ときどき勤務明けや休みに自動車で出かけて様子をうかがっていたある日、旧美濃福岡駅で北恵那鉄道の車両ではない加藤製作所製の小型L形DLが、北恵那鉄道に最後まで残っていた貨車ト107を従えて停まっているのを発見しました。
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小型L形DLは、おそらく撤去作業を請け負った業者が持ち込んだものだったのでしょう。こういうときは製造番号を見るとか、素性をはっきりさせなければいけないのでしょうが、22.1㎞もある鉄道の架線や電柱、線路の撤去までは、まだ相当の月日がかかるだろうからという気もあって、何も調べず写真だけ撮りました。
そしてもう一つ、旧美濃下野駅で得体のしれない車両を線路上に見つけました。
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無蓋車の側板を取り去ったような車両ですが、こんな車両は北恵那鉄道には在籍していませんでした。これもどこかから撤去作業用に持ち込まれたのかと思ってよく見ると、ト107とともに最後まで残っていたもう一両の貨車ワム301の変わり果てた姿でした。屋根と側板がすべて撤去され、床板と支柱の一部、片側の妻板の一部だけが残されていたのです。
ワムとはいえない姿になってしまったこの車両、実はこのあと、美濃福岡で見た小型L形DL+ト107に連結されて、撤去したレールや架線・電柱などの運搬に使用されました。そのための無蓋車化?だったようです。またしばらくしてから、撤去作業がどうなったか自動車で見に行ってみました。どのあたりで作業が行われ、いつ廃材運搬列車?が走るのかわかりませんので、自動車から線路や電柱、架線の撤去状態に注意していくと、終点だった下付知側からレールがなくなっており中津町に向かって撤去作業が進行していることがわかり、その日は旧美濃下野駅の近くに「加藤小型L形DL+ト107+ワム301改」の編成が撤去作業をしながら停車している現場を目撃しました。
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作業の手順は、
1.貨車の上に載せたフォークリフトのフォーク部分に括り付けたワイヤーを、地上にある廃材(レールや倒された電柱など)のある位置まで垂らして廃材に括りつける。
2.魚釣りのように貨車の床板の高さまで廃材を引っ張り上げる。
3.そのままフォークリフトが2両の貨車の上を、廃材を括りつけたワイヤーを引っ張りながら機関車側に走る。
4.ワイヤーに括りつけられた廃材は引きずられて、貨車の床面に積載される。

こういう方法で、フォークリフトはクレーン兼ウインチのような役割でした。この作業のために2両の貨車の連結部分には渡り板が置かれ、それはたぶん2枚目の画像にあるワム301の片側に一部だけ残された妻板部分を90°倒して利用したのだと思われました。
ある程度積み込んだところで、DLの牽引で廃材運搬列車?が集積場所まで運転されていたようでした。
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またしばらくして、撤去作業の様子を観察しに行きますと、目を疑う光景に出合いました。加藤のL形DLではなく、見覚えのある茶色の凸型DLが「ト107」と「ワム301改」を従えて撤去作業をしていたのです。
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その見覚えのある茶色の凸型DLとは、旧東濃鉄道笠原線のDD105でした。東濃鉄道笠原線は非電化で、晩年は貨物営業だけを行っていましたが、北恵那鉄道の廃止の翌月(1978年10月31日)に廃止されており、私はその日にこのDD105の姿を見たばかりなのに、こうして北恵那鉄道に線路上にこの機関車がいることが信じられない思いでした。
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もうその後は加藤のL形DLを北恵那鉄道上で見ることはなく、その素性は謎のままとなってしまいました。撤去作業はDD105 にバトンタッチされたものと思われました。
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廃材の集積場所は、この時点では旧並松・関戸間にあった空き地でした。廃材は貨車からクレーン車でつり上げて地上に下ろされていました。ここから廃材ははトラックに積み替えられていきました。こののち、撤去作業は中津町側からも始められ、最終的に山之田川駅跡地が資材の集積場所となり、北恵那鉄道のレールはすべて撤去されてしまいました。しかし、多くの鉄橋の橋桁は、撤去作業が大掛かりになるからか、そのまま存置され、北恵那鉄道の遺跡として今も見ることができます。

また、その後の旧東濃鉄道DD105と2両の貨車の消息を私は把握できていません。少なくとも他に利用価値がなさそうな2両の貨車は、現地で解体された可能性が高いように思います。




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この記事へのコメント

  • NAO

    おはようございます。
    廃止になったあとでも”電気運転”でない”列車”が走るのですね。モーターカーのような車両ならともかく、まさしく列車です。
    廃止直後の鉄道を見に行ったことはありませんが、撤去作業の後片付けではこのように線路上の車両で行うことは考えたことがありませんでした。
    2016年11月03日 07:26
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    レールが剝がされたばかりの軌道敷は生なましく、自らの生命ともいえるレールの撤去作業は、タコが自分の足を食べる?ようなものでしょうか。ほとんどの人に知られることもなくおそらく何十往復も走ったであろう「列車」は、レールが剥がされるたびに走行距離は確実に減ってゆきました。亡骸の骨を拾う作業を見ているようにも思えます。
    2016年11月03日 11:06
  • ヒデヨシ

    しなの7号様こんばんは
    これは全く知らなかった事実で鉄道誌などでも全く触れられていません
    山中での単線での作業では車両を使うのが一番効率が良さそうです
    近くに同時期に廃線になった鉄道のDLがあったのは誠に好都合だったんですね
    東濃鉄道のこのDL、異様にキャブが低いなと思ったら井川線のでしたか。
    リンク先の記事で納得です、ありがとうございました。
    2016年11月03日 21:29
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 おはようございます。
    撤去作業の途中から東農鉄道のDLが登場したのは意外でした。両社は同じ名鉄系の鉄道会社でしたから、同じ業者が撤去作業を請け負ったとか関連もありそうな?。
    この機関車の小ささには大変違和感がありましたが、経歴を見れば納得ですね。大井川鉄道から2両が東濃鉄道へ、1両は上武鉄道に譲渡されたそうです。
    2016年11月04日 07:12
  • はやたま速玉早玉

    しなの7号様、こんにちは。

    線路は仕方ないとして、駅舎、架線柱、鉄橋はそのまま維持し、廃線跡をウォーキング或いはサイクリングコースとしても良いのではないでしょうか?(←よく提案される保存方ですが)
    車両たちにも残留してもらい静態保存(私個人的には一部区間だけでも土日祝運行の動態保存が望ましい)を行えば、鉄橋ファンのみならず地元の方々にとっても楽しめる憩いの場になるのでは?と、おもいます。
    しかし、地元自治体に維持費、改修費などの負担が強いられるでしょう。だもんで現実的ではないかもしれないですね…
    2016年11月04日 12:11
  • しなの7号

    はやたま速玉早玉様 こんにちは。
    これまでの連載でご紹介してきた廃車車両の例のごとく、車両単体の保存もままならないのに、施設ともども保存するというのは、さみしい話ですが現実的ではないと思います。
    変な話ですが、実家の空き家を3年間保守してきました。維持管理には金とヒマ、技術と熱意などが必要で、その対象物が車両や鉄道施設ともなると、簡単にはいかないだろうなと思ってしまいます。
    廃線跡の一部は遊歩道として利用されています。
    2016年11月04日 17:16
  • 門鉄局

     こんばんは、しなの7号様。
    こちらもまた貴重な記録ですね。軌道の撤去作業にDLが使われていたとは。確かに道路事情も良くなかった当時としてはそれが一番効率的だったのでしょうけど、今では早々手頃なDLが手配できるとは思えず自動車が現実的ですね。カトーの小型機は貨車移動機でお馴染みですが、運転台が極端に小さな異様な風貌の機関車は元大井川鉄道井川線の車両だったのですね。居住性が悪く乗務員から敬遠されたというのも納得です。
     最近の模型の発売予告でびっくりしたのはキハ91系、M社から数年前に数バージョン発売されましたが、まさかK社から出るとは。キハ181系や381系、D51に続く「中央線シリーズ」なのでしょうがこれはかなり欲しいです。管理人様ももちろんご購入ですよね?
    2016年11月04日 22:26
  • はやたま速玉早玉

    しなの7号様、こんばんは。

    しなの7号様がご実家の保守に費やされた労力、私の想像の範囲を超えます←私には不可能な事です。自宅の清掃、整理整頓でも四苦八苦してますので…(清掃自体は決して嫌いではないのですが)
    廃線跡、車両をほぼ現役の状態で保存する事、確かに現実的ではないですね。そんな中、蒸気機関車や旧型客車たちが国鉄時代の状態で活躍中の大井川鐵道には驚愕です。冬に乗車したので蒸気暖房のスチームが上がっており、テンションが異常に高くなった事があります。
    今なお現役で活躍、それを支えている大井川鐵道の現場の方々に対する感謝の気持ち、忘れてはダメですよね(*´∇`*)
    2016年11月05日 00:36
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    軌道敷内の作業では、今は軌陸車がありますね。事故復旧のためにかつて国鉄では操重車が要所に配置されていましたが、それも見られなくなり対応も変化したなあと思います。
    DD105はパワーがありそうですから作業効率が上がったのでしょうか? 廃止が9月で、撤去作業が秋~冬に向って進んだことから、大量の落ち葉などで空転して走れなかったとか加藤くんからリリーフした理由が何かあったのでしょう。

    Nゲージでは、これまであまり充実してなかった中京圏の車両のリリースが続いていますが、ついにここまで来たかとの思いがします。キハ91 9も含まれるとのことですので、パノラマしなの以来のセット物のお買い上げになると思います(^◇^)
    2016年11月05日 09:34
  • しなの7号

    はやたま速玉早玉様 こんにちは。
    空き家の管理は、ご近所のご迷惑になることが続出するので難しいです。台風で雨樋が飛んだり、塀が倒れないように一部撤去するなど、すべて劣化に対してのマイナス進行でした。大井川鐡道が蒸気機関車と旧形客車を動態で維持し今日まで営業に使用しておられるのも、そこに並々ならぬ努力と工夫が凝らされた結果だとつくづく思います。冬の蒸気暖房も大きな魅力の一つです。私も客車の蒸気暖房の取扱くらいはまだできますよ。
    つ【545】旧形客車の暖房
    http://shinano7gou.at.webry.info/201412/article_9.html
    2016年11月05日 09:35
  • はやたま速玉早玉

    しなの7号様、こんばんは。再度コメント失礼致します。
    【545】旧型客車の暖房、あわせて【317】思い出の乗務列車6:関西本線223列車(後篇)~夜行寝台編成?拝見致しました。
    私が鉄道ファンになるキッカケの一つ『旧型客車』、に関する蒸気暖房の詳細なしなの7号様の解説に出逢えてすごく嬉しいです(*≧∀≦*)
    蒸気暖房止弁、放熱管切換コックの存在は初めて知りました。亀山での冷えきった客車をなかなか思うように暖められないご苦労もあったのですね。

    俄然、実物の旧型客車蒸気暖房、見たくなりました。大井川鐵道、近々行きたいですなぁ(*^3^)
    2016年11月06日 23:07
  • しなの7号

    はやたま速玉早玉様 こんにちは。 ご覧いただきありがとうございました。 蒸気暖房はJR東日本の旧客、真岡の50系、大井川の旧客でこれからの季節には体験可能かと思います。最後部から白い湯気を出しながら走っているのを見るだけでも「汽車」を感じさせてくれて、いいものですね。
    2016年11月07日 10:46
  • 西宮後

    しなの7号様 始めまして、西宮後と申します。
    1年以上前の記事に対するコメントで失礼します。
    この機関車が北恵那鉄道撤去で使われている様子を記録されていたとはとても貴重ですね。
    青い機関車の正体は東濃鉄道笠原線新多治見駅構内跡の側線を利用して国鉄余剰貨車解体に使われてた昭和27年加藤製作所製10t機です。
    北恵那鉄道線の撤去後はまた新多治見に戻ってしばらく使われたものと思われます。
    なお多治見に来る前は西名古屋港から枝分かれする専用線の貨車入換に使われていたそうです。
    2018年01月28日 00:09
  • しなの7号

    西宮後様 
    この手の動車は神出鬼没ですが、北恵那鉄道の廃材撤去に使用された2台は、どちらも東濃鉄道に関係していたのですね。
    新多治見で貨車解体をしていたことは記憶にあります。中央西線の車内から見るだけで現地にまで足を運びませんでしたから、そこに「加藤」が住んでいたことにはまったく気付きませんでした。笠原線の貨物営業廃止直後に、北恵那鉄道の設備撤去に従事する動車を入れ替えた結果ということなのですね。
    私は昭和55~56年に、仕事で西名古屋港まで乗務で行ってました。そのころには、もうそこに「加藤」はいなかったことになりますが、もとはあのあたりにいたのかと想像するだけでも、別の感情がわいてきます。
    貴重な情報提供ありがとうございました。
    2018年01月28日 08:55

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