昭和の鉄道員ブログ

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zoom RSS 【844】 割引切符

<<   作成日時 : 2018/01/15 06:20   >>

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上の画像は、自分で購入、使用した乗車券です。そのころ私は名古屋鉄道管理局と静岡鉄道管理局管内有効の職務乗車証を交付されていたので、同じ国鉄線であっても、乗車証の区間外については乗車券を購入しなければなりませんでした。そこで別に支給される職員用割引券を使って、名古屋鉄道管理局と長野鉄道管理局の境界駅であった中央西線の坂下から東京南鉄道管理局と静岡鉄道管理局の境界駅であった函南駅までの乗車券を買ったということで、つまり、中央西線・中央東線・東海道本線をぐるりと一周してきたわけです。目的地は東京で、安産祈願のため水天宮へ参詣したときのものです。

割引券には種類がいくつかありました。
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手前から、職員本人用、家族用、永年勤続者用です。それぞれ、在職年数などで発行枚数に基準が設けてあり、このころはすでに、こうした乗車証や割引制度は国民の理解を得られないとして、適用範囲や交付枚数がかなり縮小されたあとでした。それ以前は「運賃料金割引証」という名称でした。
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画像では見難いですが、割引証には〇に「職」の字が書かれていて、乗車券類にも同じようなゴム印が捺されて「マルショク」と呼ばれました。
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再掲画像ですが、自分が使用した切符です。

このような職員割引をはじめ、学生割引、身体障害者割引など割引証を必要とする割引乗車券類は、旅行開始前に発売するものであって、原則として旅行開始後に車掌が車内で割引乗車券を発行することはありません。しかし、無人駅から乗車される場合は除かれていたので、車掌も割引の乗車券類を発売するケースは時々ありました。

割引証を受領して車内補充券を発売するときには適用割引の表示をする必要があって、収受金額も普通より安いですから、いつもと勝手が違います。たまにしか発行しませんから、記入事項や取扱いに自信がないと、車掌区のたまり場や出先の詰所で、こそっとと同僚や先輩に、「今日は富田浜でマルショウマルカイを発行したけど、これでいいよね?」などど控片を見てもらったりすることもありました。
「マルショウマルカイ」とは身体障害者割引証(介護付)による割引で、介護者も割引対象でした。発行した乗車券の控え片といっしょに割引証本体は車掌区に収受した運賃とともに引き継ぎました。発行する乗車券の記事欄に「障」と「介」の字それぞれに丸印を付けて割引であることを表示するので、「マルショウマルカイ」と呼ばれました。こんな券面になります。
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(この画像は、国鉄時代に車内補充券で発行された状態を再現したもので、実物ではありません。)

介護者なしの身体障害者割引証は「マルシン」と呼ばれ、「身」の字に丸印を付けました。「マルシン」は片道100qを越える場合に割引が適用となりました。
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上の例は、名古屋在住だった私の叔父が使用したものです。叔父は若くして身体障害者になり、最寄の大曽根駅から100qに満たない私の実家最寄り駅まで来るのに、100qを越える駅まで割引証を使って乗車券を購入し、途中下車して前途放棄していたのでした。そして「汽車」が好きな私に、不要になったその切符を収集用としてくれたというわけで、今も手元に残っています。
身体障害者割引については、のちに、身体障害者手帳の提示だけで発行するようになり割引証が廃止されました。

また、国鉄が分割民営化され株式上場後には、新たに株主優待割引券による割引ができました、
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これも再掲画像で、自分が使用した切符です。

このような割引制度は姿かたちは変わっても残っていますので、ご覧いただく方によっては珍しいものでもないのでしょうが、戦傷病者の後払制度による乗車券の無料引き換えは、もう今ではかなり少なくなったであろうと想像します。私が車掌になった昭和50年代後半には、戦傷病者の乗車券引換証による車内補充券の発行が、わずかですがありました。こうして発行する乗車券は「カクセン」と呼ばれ、記事欄に「戦」の字を□で囲み、「後払」と記入しました。あとで国が国鉄に運賃相当額を乗客に代わって後払いすることになるので、領収額欄には金額が入らず横に抹線が入った車内補充券が出来上がります。その代わり一番下の備考欄に後払金額を書きました。そのころでも少なかったので、発行すると車掌のたまり場では、「どうだ! めずらしいやろ」と自慢する人がときどきありました。内心、書き方に自信がなくてほかの人に見てもらいたい想いがあったのかもしれません。それでも見る私のほうは参考になるもので、いつか発売することあるかもしれないと思うと、自然と見る目も真剣になりましたが、在職中に発行する機会は訪れませんでした。
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(この画像は、国鉄時代に車内補充券で発行された状態を再現したもので、実物ではありません。)
戦傷病者の方で、身体障害者手帳も併せて交付されている場合、身体障害者割引を適用できる場合には、正規運賃と身体障害者割引との差額を後払いすることになり、上の例のように「カクセン・マルシン」のような割引+後払の表示になります。ほかにも介護者付の引換などもあるようですが、こういう稀有な申告されると、一瞬頭の中が真っ白になりそうです。
本線系の駅や車掌区の職員には日常茶飯で手慣れたことでも、ローカル線ではきわめてレアケースとなることは、こういうことのほかいくらでもありました。同じ基本給で同じ車掌をやっていても、配属個所によってその仕事量とそれに必要な知識量には大きな隔たりがあると感じたものです。けれど、大駅や大車掌区にいると、逆に特定の仕事には強くなれても、自分の仕事以外にはまったく無知になるのもまた事実です。私など国鉄時代は車掌になる前から乗務員で、駅のことや、運転職場のことは全く知らないまま退職してしまいました。そうなると実務面での知識や視点は偏ったものになり、駅や運転士との連携で支障をきたすことはあったと感じています。今は、駅→車掌→運転士のような進路がありますから、そういう弊害は少なくなったとは思います。
しかし与えられた仕事を、昇進するための腰掛的な一時の仕事と考えがちで、職人気質の強い現場のスぺシャリストは育ちにくい環境のように思います。企業や社会が求めるものであれば従うしかありませんが、若い方々に、やりがいのある仕事を、一生の仕事として.見つけられるような労務管理を、ぜひとも管理者には考えてもらいたいものです。生産性を上げ、利益を上げることに偏重してしまい、特に現場においては働くことの喜びや充実感を味わいつつ、対価を受け取れる「豊かな労働」が失われつつあるように感じています。




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コメント(15件)

内 容 ニックネーム/日時
“「まるしん」「まるしょう」「まるかい」は、無人駅ばかりのローカル線に乗務してましたので、結構、発行しました。本線系車掌区に転勤してからは、皆無に等しくなりました。ただ、「区変別」は、転勤後初めて知りました。”

という内容のコメントをいただきました。

本文にもちょっと書きましたが、補足すると、昭和50年代に身障者割引を受けるには、社会福祉事務所長が発行する「身体障害者旅客運賃料金割引証」が必要でした。割引証は表紙付で何枚綴りだったか知りませんが、表紙には発行者(社会福祉事務所長)の職印のほか、「日本国有鉄道」の角印(事前刷込の印刷)と契印と通番?も記入された、いかにも役所の書類らしい様式でした。もちろん身体障碍者手帳の提示もお願いし、固有番号も券面に書き込みます。お客様自身が割引証の乗車区間などを記載をしなければならず、数としては多い割引でしたから、その割引証が廃止されて手帳の提示だけになったことで、お客様はもちろん、現場も非常に楽になったと思いました。特にローカル線で無人駅が増えたことによって、交通弱者の方には負担がいく結果となったのは間違いないですし、車内で申告されれば、ほとんど車掌のほうで割引証は代筆しなければなりませんでした。
かくいう私の母も身体障害者で、手帳を交付していただいて数年経ちます。手帳には「旅客鉄道会社運賃減額第2種」とありますが、鉄道に乗って移動することなど皆無なので、これまで一度も利用したことがありません。
(続きます)
しなの7号
2018/01/16 10:32
「区変別」(区間変更+別途片道)は割引とは関係がないですが、ローカル線では片道か往復ばかりを書くことになりますね。岡多線で最低運賃の乗車券を持って乗り越して競艇に行くお客様に、「往復くれ」と言われて「区変別」で発行すると、(往復乗車券でないから)「こんなきっぷじゃあ競艇場で払い戻しできない!」と怒られるので、発行しませんでした。たしかに競艇場の人に「区変別」なんてわかるはずがない…

******************

※勤務個所の固有名詞などをお書きになると投稿者様の特定や、個人情報流出の原因となる危険が高いと思われたので、投稿されたコメントは管理人の判断で掲載しませんでした。
しなの7号
2018/01/16 10:33
こんばんは。
「マルショウマルカイ」に当たる乗車券は使用したことがあります。父は健在で、ほぼ普通通りの生活が出来ますが、ある疾病により身障者手帳が交付されるようになりました。孫娘を新幹線に乗せてやろうというので駅に行き、私が介護の扱いを受けることになったのですが、マルス窓口ですからすぐ発券され、私もどんな券面記載だったかはっきり覚えていません。
地元公共交通機関のパスも支給されておりますが、単身赴任生活があまりにも長過ぎた父は、亡き母とは仲が良いとは言えない雰囲気でしたが、このパスも介護扱い1名が認められるので、交付されてから夫婦一緒に外出されることが増え、それまでにはなかったような仲睦まじさとなってパスがこんな効果を生み出すのかと感心したものでした。
私も介護扱い同行したことがありますが、本人は元気そのものですから、交通機関には同行するのが申しわけない気持ちで、最近は一緒に行動するのを控えています。
NAO
2018/01/16 17:25
NAO様 こんばんは。
昔は発行に手間がかかった車内補充券の発行も、今では車発機で難なく発券できるようになりました。こういうことに限らず、自分が仕事で得た知識や要領は、その仕事自体が時代の流れのなかで消滅していくことばかりで、役に立たなくなりました。

コメントに書いていただいた2つの例にあるように、鉄道やバスが、家族の忘れられない貴重な時間を提供する場所となりうること。これは忘れがちであることながら、公共交通機関が単なる移動空間ではないことの例と言えるのではないでしょうか。だからこそ公共交通機関は存在することに意義があり、人にやさしくあるべきで、障害の有無に関係なく誰でも気後れすることなく利用できなければなりません。現状では都市部を中心に改善されつつありますが、利用するためのバリアをさらに解消して、障害をお持ちの方にももっと利用しやすい交通機関になっていってほしいと思います。同行するのが申しわけないとか、一緒に行動するのを控えるとかおっしゃらずに、大いに家族で鉄道を利用していただくべきだと思います。

しなの7号
2018/01/16 20:14
しなの7号様 こんにちは。
>与えられた仕事を、昇進するための腰掛的な一時の仕事と考えがち

そうですね。私の塾に最近まで在阪大手私鉄の駅員をやっていた男子生徒がいます。早起きして駅の掃除をし、誠意を込めて乗客への対応をしていたそうですが、その駅のあった地域柄か理不尽なクレーマーが多いうえ、社内でも駅員→車掌→運転手→駅長の進路をたどらなければならず、いろいろあって心が折れてしまったようでした。看護師の学校に入学し、今度はそちらの方面で人と接する仕事を頑張りたいそうです。
かと思えば、私の父も若いころは同じく大手私鉄社員でしたが、(いまなにかと話題の〇阪大学を卒業したあと)しばらくは駅員をし、その後は事務職につきました。しかし、ダイヤの仕事や諸申請についてのことはいまでもよく語りますが、駅員時代の話は一切出てきません。誠意を込めてその時点での自分の職掌にまい進していたのかどうかはわかりません。
滋賀県知事の三日月大造氏はJR西の運転手をされていたそうですが、115系で瀬野〜八本松を上るときの抑速ブレーキなどの話は面白く、前原誠司さんにもたいそう羨ましがられたようですね。

ちなみに、私は、★☆に入社した時は、ごく短期間でしたが金型磨きや工作室での完成見本製作、ミニ四駆の箱詰めライン職場での研修がありました。工作室は楽しかったですが、箱詰め工場ではタイヤを入れすぎたり説明書を入れ忘れたりして、ラインを何回止めてしまったことか・・・
やくも3号
2018/01/17 15:15
やくも3号様 こんにちは。
都市部の駅のように不特定多数の乗客と接する仕事は、厄介な場面にも多く出くわすでしょうから、精神的にキツかったでしょうね。車掌のときの同期生にも1人、JRに採用希望を出さず看護師学校に入学すると言って国鉄末期に退職していった者がいました。私は彼の消息を知らないですが、今は看護師として充実した生活を送っているといいなと思っています。

熱心に向き合い、そこから何かを得た仕事であれば、息子や家族に、その仕事について話したくなるように思います。。。功績とか成績という次元のものがあればもちろんですが、そういう客観的な事実などなくても、その仕事によって辛いながらも自らが精神的に充実した生活を送れたことに満足できた仕事なら、自信をもってお話しできるものではないでしょうか。

三日月大造氏が瀬野八の運転経験者だったのは存じませんでした。さきほど対談のサイトを見ましたが、私は組合活動にはまったく熱心でなかったです(*'▽') 

私は、入社2年目の社員を対象に行っていた社員研修で、現場の実務を教えたりしたことが何回かあり、なるべく興味を引きそうなことをしてもらいましたが、嫌われる部署でしたので、たぶん研修生には楽しい仕事だと感じる者はいなかっただろうなあ… 
しなの7号
2018/01/17 17:19
こんばんは。

割引乗車券類に関しては、発売条件、乗車変更の取扱いがまちまちなので、特に出札担当の頃はマスターするのはなかなか苦労しました。戦傷病者後払は近年取扱いが皆無に近い状況のようです。(終戦時に20歳としても、現在は90歳を超えていますから。)

さて現在は、JR各社も駅→車掌→運転士という社員運用が一般的ですが、駅の実態はといえば、車掌までの腰掛け状態の若い社員や、契約社員(最長5年間)が出札・改札の多くを占め、業務委託駅の激増と相まって、技術継承というお題目とはかけ離れたものとなっております。特に出札業務などは奥が深いにもかかわらず、前述の契約社員でもできるような軽い仕事と会社が認識していることについては、出札経験者として憤りすら感じています。




TOKYO WEST
2018/01/19 23:37
TOKYO WEST様 こんにちは。
ほかにも、車掌では話題にも上らない割引がいくつかありましたから、出札の方は大変だったでしょう。
うちの亡父は生きていれば今年90歳ですが、それでも召集令状を受け取っていないくらいですから、近年「戦後」を感じる場面に出会うことはすっかりなくなりました。ウィキペディアの文言を借りますが、《召集令状の表面から見て左側は「応召員旅客運賃割引証」ないしは「後払証」として切り離せるようになっていた》とのことです。国鉄の採用試験会場に行ったときも、受験票ハガキが乗車証を兼ねていたのを思い出します。

おっしゃるような雇用形態の多様化も、技術継承の障害になっていますね。それとマニュアルと作業を支援するシステムがあれば当面の仕事のほとんど片付いていくものですから、「その日の仕事が片付けばそれでよい」的な感覚になってしまい、勉強をしなくなるのではないかと思うのは、自分に思い当たるからなのですが。
しなの7号
2018/01/20 11:32
近年「戦後」を感じる場面に出会うことはすっかりなくなったと書きましたが、不発弾処理による運休とかがありますね(-_-;)
しなの7号
2018/01/20 12:11
しなの7号様

昨年10月末に、 117系電車のご乗務について、 【97】 乗務した車両:117系電車(1)中京地区への導入
にて質問させて頂いた「たかやま」と申します。その節は7年も前の記事へのコメントに、即座に2通もご返答下さり有り難うございました。
(内容は、「小学生を運転席に座らせたご記憶はお有りですか?」という質問と、ご回答へのお礼でした)

前回コメント致した少し前、私のブログで当時の旅を記事にしたのですが、あのお返事を頂いてからは、立体的に自分の文を読み返すことが出来るようになりました。改めてお礼申し上げます!

( https://ameblo.jp/misaki-ha-uminofurusato/entry-12322596631.html )
(↑「嘘ではありませんよ」という程度のURL記載です(笑))

今回ふたたびコメントさせて頂こうと書き進めましたら、非常に長くなってしまいました。貴ブログへのご掲載は結構ですので、どうか少しでもお時間に余裕のある時にお読み下さいませ。なお文中、不愉快にお感じになることがありましたらお詫び申し上げます。
(続きます)
たかやま(その1)
2018/01/20 18:11
●「乗務員なんて気分のもの。安い給料でもいい仕事するんだ。事故や苦情を減らしたかったら、嘘でもいいから乗務員に『お疲れさん!』とか言ってみな。絶対効果あるから」と常々言っている私に、今回の文書はまさにツボでして、勢い気持玉(ガッツ)を3連打してしまいました。
(私は組合役員ではありません(笑))

…しかし振り返れば、執筆者の言わんとされている事をまるで理解してない可能性が大なわけで、暴挙を反省しております(汗)


●鉄道の安全大量輸送・定時運行を支える様々なシステム。ハード面では書物等で大筋は理解できますが、ソフト面はなかなか理解し辛く感じていました。
慣れてしまえば毎日同じことの繰り返し。その中でいかにミスを防ぐか?貴ブログにヒントがある気がして、あれから全記事を拝読しました。(ただいま2周目です(笑))
そこで感じますのは、しなの7号様をはじめとする職員の皆様の、

「俺たちがこの国の輸送を担っている」

というその誇りです。
(@これは文を読んでいるうちに感じたことで、誓って「始めから想像した事」ではございません
A 定年を待たずに早世される方も少なくなかった事等は存じておりました。その上で申しております
B 申し訳ありません。末期のモチベーションの維持について、語る言葉を私は存じません)



昭和の時代が進むにつれ、他業種にシェアを脅かされたかもしれませんが、代々受け継がれた「尊いもの」を胸に、仕事をされていたように感じました。それは鉄道院時代からの伝統なのでしょうか?きっとそうだと思っています。
(続きます)
たかやま(その2)
2018/01/20 18:13
●私の勤めるバス会社でもこの数十年の変化の中で、「乗務員は大人しくなったが職人気質も減り、サラリーマン的になった」と言われております。私自身も、その言葉に負い目を感じていました。

【537】 国鉄伊勢線7:置石

の中で、置石・コンクリート製蓋で往来妨害をした小学生を捕らえ警察に引き渡されたお話がありました。

まずは脱線事故にならず良かったですね。
また、現場の皆様の憤りは察して余りあるものがございます。
まして私が129Dの運転士だったらと考えると、、、
『 殺られるかもしれない… 』 頭に血がのぼる思いです。

しかし、それ以上に印象深かったのは、「大人が大人として、子供を教育できている(されていらした)」という事です。

もちろん、現場の皆様はそれどころではなかったと存じます。しかし大人が為すべき子供達への躾という点について、大いに考えさせられるものがありました。

身体的には恵まれた現代の労働環境に身を置きながら、人間としてはほぼ何も出来ない自分の不甲斐なさを恥じるものです。



後味の悪い文章。この文は削除頂くものと心得ております。今後は、他の方が読んでも楽しい文を心掛ける事をお約束致します。

「時代の流れ」の一言で片付けてならないものは、やはり有り、逆行することは出来なくとも捨てずに持ち続けることはできる。しなの7号様のブログから貴重な宝物を頂戴する事が出来、感謝申し上げます。有り難うございました!
(続きます)
たかやま(その3)
2018/01/20 18:14
追伸:今更ではありますが、御父上のご冥福をお祈り申し上げます。

二追:線香無煙化のお話し。特に、『 EL DL化による無煙化でなくLED化による無煙化 』の一文には、ダメとは思いつつも堪えきれず、とうとう吹き出してしまいますた。
御父上様しなの7号様、大変申し訳ございません 。

結局負けてしまいましたが、あれだけ試される文章に、私は出会ったことがありません
(((>.<)))
たかやま(その4:最終です)
2018/01/20 18:15
たかやま様 こんばんは。
拙ブログに対してのご感想をお寄せいただきましてありがとうございました。なにぶんにも鉄道人生からの落ちこぼれが書いているものですので、ご評価いただくほどの内容ではありません。しかし、生を受けた時期こそ少々違うとは言っても、同じ昭和の時代を見てきた者として、当時の大人から見習い、本来なら子供や若い人たちに伝えるべきことができていないと感じることは私も同じです。

国鉄には大勢の職員がおりましたから、模範的でない職員も私を含めて多かったわけで、横着を決め込み、泣く子も黙るような組合活動とストライキ。そういう中でも、巨大な組織の歯車は一日たりとも休むことなくバックアップの設備も今のように充実していない中でも動き続け、そのために自らの仕事を極めようとした多くの人が一致協力するといった心意気は、ひいき目に見れば今よりもあったのではないでしょうか。それは当時の人が偉かったわけでなく、今は皆がそういうことがやりにくい環境で仕事をさせられているということなのだと思います。
(続きます)
しなの7号
2018/01/20 21:36
「大人が為すべき子供達への躾」については、私はまったく反省することばかりです。もちろん世間の多くの大人たちも似たようなものと思いますが(そうう考えがいけないのですが)、しかるべき躾をしなかったのは、面倒なことを避けて通ってきた、まさに私の世代の責任としかいいようがありません。
「逆行することは出来なくとも捨てずに持ち続ける。」頑固な年寄りかもしれませんが、鉄道に身を置いた11年は捨てがたいというより、生きていた6分の1にすぎないたった11年ではあるものの、それがなかったら、味気ない人生であったとさえ思いますので、国鉄で得たことと失ったものへの執着は死ぬまで捨てられないでしょう。
仏壇のLEDは今でも健在で、毎日点灯しています。父が亡くなって夏が来ると5年。昨年末に、少しは仏壇周りをグレードアップしようということになり、先月ネット通販で「おりん」(チーンとならすアレ)を、モダンな感じのものに買い換えました。うちのは小型の家具調仏壇なので、それに合うような小型のおりんにしたのですが、あとで見ると「ペット用にどうぞ」などと書かれていて、「俺はペットか!」と父は怒ってるかもしれません。けれど、音色がどことなく、昔の駅によくあった通票閉そく器の音に近い気もしますので、こちらで「チンチン」と鳴らすと彼岸の駅で「ボンボン」と鳴って、こちらからの通票を受け取ってくれているやもしれません…
しなの7号
2018/01/20 21:36

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