【903】 1972年夏・自由研究で出かけたときの画像より (中央西線 第829列車)

中学生時代の夏休みに、自由研究で中央西線の名古屋・塩尻間に乗車して、その車内の様子や車窓について書いたことがある。その時に撮影したネガだけが今も残っているので、46年前の国鉄を偲んでみることにした。


1972年7月26日

中央西線829列車 名古屋発長野行(松本から2829列車)

名古屋11:40発―中津川13:39発―木曽福島15:11発―塩尻16:14着

長野までこの列車に付き合ってしまうと、その日のうちに家に帰ることができなくなるため、乗車区間を中央西線部分(塩尻まで)だけにした。

(塩尻以遠の時刻:塩尻16:30発―松本16時50分着17:48発―長野19:32着)


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1972年は、新幹線が岡山まで開業した年にあたる。このころの中央西線の電化区間は名古屋・中津川間で、この列車の牽引機関車は中津川までEF64が担当した。上の画像のうち行先票は別列車のもの。客車は旧客編成で、前から3両が中津川行・荷物車2両を挟んで後ろ5両が長野行だったと思う。

下は交通公社版1972年3月号時刻表復刻版からの転載画像。

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中央西線名古屋口の列車本数は今と比較すると信じられないほど少なく、普通列車には客車列車、気動車列車、電車列車が混在している。電車列車には快速がある一方で、足の遅い客車列車は一部の駅を通過していることがわかる。


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中津川で、電気機関車EF64と前3両の客車が切り離され、ここから非電化区間になるのでディーゼル機関車DD51と交代した。同時に列車後部には、途中駅(木曽福島?)まで回送される気動車が2両連結された。中津川駅には駅弁売りもいる。

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ホーム反対側には入換用のC12が停車していた。


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坂下~田立間の車窓風景。

川は木曽川で、建設途中の新線用複線コンクリート橋が架かる。この列車が走っている線路は、この翌年の複線電化完成時に廃線になって、このコンクリート橋がある新線ルートに切り替えられた。


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南木曽駅ですれ違った上り828列車の蒸気機関車D51。

このころの定期旅客列車はディーゼル機関車が牽引していて、蒸気機関車は貨物列車用になっていたが、旅客列車であっても蒸気機関車とディーゼル機関車との重連になることがときどきあった。


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倉本・上松間。

すでに電化工事が始まり、コンクリートポールが建植されている。


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同じく倉本・上松間。

車内放送で、「寝覚の床」の車窓案内放送が流れた。その放送を聴いた乗客たちはいっせいに進行左側の車窓に注目した。


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上松 (この画像だけは帰路に乗った急行列車から撮影)

ここからは森林鉄道が出ていた。その小さい客車が車窓から見えた。


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中平信号場で停車して、新潟から名古屋に向かう上り急行「赤倉」の通過を待つ。これは停車中に急行の後ろ側を撮影した画像。中平信号場は上松・木曽福島間がまだ単線だった時代にあった行違い用の信号場で、旅客扱いはなかった。この信号場は電化後も残されていたが複線化された1982年に廃止され、木曽福島側は別ルートの新線トンネルに切り替えられ、車窓から中山道の難所「木曽の桟」の景観も見えなくなった。


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木曽福島に到着。一部が欠けた木曽福島機関区の扇形庫が見えている。


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塩尻に到着。ここまで列車を牽いてきたDD51ディーゼル機関車が切り離されるところ。手前には荷物用の台車が見える。この列車には荷物車が連結されていたから、塩尻では中央東線に中継する相当量の荷卸しがあったはずなのに、記録していない。

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このころの塩尻駅は、現在の駅より東京方にあって、中央西線(名古屋方)対篠ノ井線(長野方)の列車は進行方向が逆になった。この829列車も、反対側に別のDD51ディーゼル機関車が連結され、この先は篠ノ井線に入る。その後は松本で58分もの長時間停車があったあと、列車番号を2829列車と変えて長野に向かうが、私が乗車したのは中央西線部分だけということで、ここで列車を降りた。




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この記事へのコメント

  • ヒデヨシ

    しなの7号様こんにちは
    貴重なお写真に心躍ります。
    DD51のなんと堂々としていることか
    蒸機を追いたてて絶頂の頃なんですね。
    ワイパーにスノープロウ
    柔らかな寒地仕様でしょうか
    全車非冷房車で編成されていたと聞いていますが写真の最後尾では立派に冷房車が連結されていますね。
    2018年08月06日 12:01
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんにちは。
    そうなんです。DD51の新製間もない姿が写っています。
    掲載した画像では機番が読み取れませんが、元のネガで確認しますと、塩尻で切り離されるのはDD51 701で、最後の画像はDD51 845と機番が読み取れます。
    701は長野運転所に新製配置されて3年目のB寒地仕様車です。SGのない845が変で、長野にも稲沢第一にも思い当たりません。この機関車は厚狭区に、この1カ月前に新製配置された機関車だと思われます。夏の多客期ならSGは不要ということで、厚狭に行く前に長野で借入れたものでしょうか。よくわかりません。(念のため今も再度ネガをルーペで直接見て確認しましたが845に読み間違いはありません。)
    「全車非冷房車で編成されていた」とおっしゃるのは急行赤倉号のことだと思いますが、塩尻方(画像で見えるほう)には指定席が4両(ハザ・ロザ・ロザ・ハザ)ありましたので、このころにはもう4VK装備のキロ28を1両組み込んで指定席車だけを冷房化していたと思われます。一方で名古屋方「ハ」はこの先10年後の秋に165系電車化されるまで見事に非冷房車のままという悲惨な急行でした。
    2018年08月06日 15:21
  • つだ・なおき

    おはようございます。木曽福島機関区のラウンドハウスが好いですね。
    火災で一部が焼失して、コンクリート製の車庫を建て増ししたそうですね。気動車急行といえば、夏の臨時急行の指定席を確保して当日、駅へ行けばなんとキハ55。当然冷房無し。指定席料金をお願い致します。半額払い戻してくれました。
    2018年08月07日 05:56
  • しなの7号

    つだ・なおき様 こんにちは。
    この翌年に木曽福島機関区の見学に行きました。その帰りにこのプラットホームで列車を待っていたら、この扇形庫を保存しようという趣旨の署名活動をされている方から声をかけられ、署名に応じましたが、ご承知のとおり現存していません。

    何かの理由で指定席車に冷房車が充当できず急遽キハ55で代用したのでしょうか。指定席車が冷房故障で、他の車両の指定席に空席があれば席を移動。空席がなく立席となった場合は全額払戻、そのまま故障車に乗車したときは半額払戻という取扱いだったと思いますので、その準用でしょうか。
    2018年08月07日 09:22
  • はやたま速玉早玉

    しなの7号様、こんにちは。

    列車は勿論ですが駅弁売り、寝覚の床に見入る乗客の姿、荷物用台車…旅情をかきたてられる画像ばかりです。

    松本駅で58分の長時間停車、昔の長距離列車では主要駅でよく見られましたね。学校、会社からの帰宅に合わせた時間調整その他の理由があったみたいですが、このような時間も鈍行旅においては重要な『間』であると私は考えます。
    ちょっと席を立って腰を伸ばし、乗客の入れ替わり、列車編成、(場合によっては)機関車の付け替えや客車の増結、を味わう。そして駅前散策。この空気感がいいですねぇ。

    しかし、長距離列車も姿を消し、主要駅での乗り継ぎ時間も短くなり味気がなくなってしまいました。まあ、乗り継ぎ時間が短縮され少しでも遠方に行けるメリットも得られましたが。

    上松の森林鉄道に関して:赤沢森林鉄道に行きたいのですが実行に移せていません。
    2018年08月07日 17:04
  • しなの7号

    はやたま速玉早玉様 こんにちは。
    長野までの全区間に乗ってこそ、列車としての性格に触れられるというものではありますので中途半端この上ないことですが、切り離したりつないだり、行き違いで長時間停まったり急行に抜かれたり、こんな贅沢があのころにはあったんだなあと思います。今どきですと1~2時間乗ると乗換で、これが短時間の絶妙な乗り継ぎ。交通機関としては進化し、お金さえ払えば特急にも乗れるわけですが、特急なんかでは絶対味わえない汽車旅の醍醐味は長距離鈍行にこそあると思います。そんな悠長な旅は今ではなかなかできませんね。
    赤沢には子供が小さいころ1度だけ行きましたが、自家用車がないと困難な立地ですね。
    2018年08月07日 17:31
  • 門鉄局

    こんばんは、しなの7号様。
    当時の鉄道旅行の楽しみが伝わってきます。対向列車や新線工事、駅風景や機関車の付け替えなどきちんと記録されているのはさすがです。中央西線は蒸気・ディーゼル・電気、ハコのほうも客車・気動車・電車と各種揃い、もちろん貨物列車も健在で今の画一化された状況からすると夢のようです。
    私が鉄道旅行を始めた(家族旅行以外で)のは昭和50年代後半でしたが、小中学生にはフイルムや現像代が高価で車両の写真しか残ってないのが残念です。旧型客車だと疲れない特異体質(笑)なのでワイド周遊券の自由周遊区間でも特急に乗らず鈍行客車列車を優先するので、友達からはおかしな奴扱いされていました。今でもじっと座っているのが苦手で、かつては食堂車という格好の逃げ場がありましたがなくなって久しく鉄道旅行からすっかり遠ざかってしまいました。
    2018年08月07日 19:10
  • しなの7号

    門鉄局様 こんばんは。
    中学生のガキがやることですから、たいした画像はありませんが、流れた時代が、何でもない画像に味付けをしてくれたという面はあるかもしれません。おっしゃるように、国鉄時代の中央西線を走る列車は多種多様。特急以外は他線区からの中古車両だったりしましたから、列車本数は少なかったですが、バラエティには富んでいました。
    「旧客だと疲れない特異体質」とおっしゃいますが、今どきの列車は高加速高減速でカーブも限界まで高速で通過します。混雑さえしていなければ機器の音もなく、停車中に社会探訪?に出かけ気分転換できる旧客の旅は疲れないということには十分に納得できます。いつも車窓を気にしている私にとって、50~60㎞/hくらいの速度がちょうどよく、高速だと眼が疲れ、翌日頭痛に悩まされることがあります。そういう理想とする列車には、そう簡単にはお目にかかれなくなってしまいました…
    2018年08月07日 20:34
  • 中央西線

    829レは名古屋口で乗車経験があります。当時は70系72系80系PC列車雑多気動車急行間合い気動車とバラエティーにとんでました。自分は好んでPC列車急行間合い気動車に乗ってました。土曜の昼さがりに通る826レは勝川で激混みで最後部の荷物車に乗ったことがあります。828レは名古屋までDD51でした。
    2018年08月07日 21:52
  • しなの7号

    中央西線様
    中津川あたりは列車本数が少なく、列車を選り好みすることはできませんでした。826列車は長モトの61系主体だった記憶です。高校生になった直後の登校では825列車の荷物車直後オハフのデッキが定位置でした。別に激混みではなかったですが、なぜか1度だけマニとの連結部の渡り板がセットしてあったことがあったので、1区間マニ36の渡り板の上に乗っていったことがありました。
    2018年08月07日 22:23
  • 1538M車掌

    しなの7号様こんばんは。
    1973年3月春休みに中2の私は精勤乗車証で初めて中津川機関区を訪れ間近で生きた蒸気機関車を見た感動は今でも忘れませんそれ以降幾度と訪れ落合川橋梁で撮影、機関区に戻り模型製作用資料の撮影など楽しい思い出ばかりです。鉄道101年記念快速木曽路号で木曽福島へ行きあの間が欠けたラウンドハウスを見てどうしたのだろうと思いを巡らせたものですが今日初めて納得致しました。ありがとうございます。旧客列車も好きですが小心者の厨房+精勤乗車証では臨時急行ちくまでさっさと帰ってしまった記憶があります。単線の旧線で電化ポールの無い所で撮影をと思っているうちに電化切替となり蒸気機関車と共に過ぎ去ってしまいました。その後中津川を訪れたのは列車掛見習いで訪れるまでありませんでした。中津川機関区は大好きでした。
    2018年08月07日 22:50
  • しなの7号

    1538M車掌様 こんにちは。
    ちょうどこのころはディスカバージャパン~アンノン族の出始めでもあり、木曽路は観光客に加えSLブームに沸き立っていた時期でした。あのダム湖畔の落合川駅は賑わっていましたね。私も通いました。田立旧駅から南木曽までが比較的遅くまで旧線を使用して架線がない写真が撮れましたが、あの区間は個人的にはカメラが壊れた悔しい思い出が優先します。こちらでちょっと書きました。↓
    【222】(-_-;)失敗作(-_-;)
    https://shinano7gou.at.webry.info/201111/article_8.html

    あのころ中央西線での12系は目立っていました。快速木曽路のD51にはアンバランスで、録音すると冷房エンジンの音が(;´Д`)
    一方で「ちくま」はやっと急行らしくなったと思ったもので、D51の撮影地移動のために乗車したことがありますし、牽引機はDD51でしたが、ブルトレも入線しない田舎では、あの塗装はブルトレを思わせたので必ず撮影していました。

    中津川にはかつて3線式の煉瓦造矩形庫があったといいますが、私の記憶にはまったく残っていません。位置は私どもが知っている庫の位置ではなく川を挟んだ今の運輸区側だったということです。
    2018年08月08日 09:04
  • 風旅記

    こんにちは。
    貴重なお写真を楽しく拝見させて頂きました。
    中央西線に乗った機会は少ないのですが、山深い景色の中を走って行く列車の雰囲気はよく伝わってきました。また、所々に新しく整備されたことが分かるような区間がありましたが、それも、電化以降にも続いていた線路改良の結果だということも理解できました。
    私が乗った列車は、JR東海の標準的な近郊型電車でしたが、機関車の牽く客車ならば、車窓の見え方もまた違ったのではないかと想像しています。
    今年の酷暑の中、窓の開けられる列車、冷房のついた列車、どちらに乗りたいか、難しいところではありますが、時代の雰囲気を含めゆったりとした時間の流れは、今にはない鉄道の豊かな旅の時間だったのではないかと思っています。
    時刻表を持って、列車に乗りたくなってきました。
    風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
    2018年08月09日 13:45
  • しなの7号

    風旅記様 こんにちは。
    中央西線は歴史が古く、明治時代末期に全通しています。そのため急勾配とカーブが多く高速化が難しいことから、ルートを変更した個所がいくつも見受けられます。それから年月を経て旧線跡は自然に帰り、あるいは道路に化け、知っていないとわからなくなっています。旧線はトンネルも短くて今よりも車窓風景を楽しめました。
    旧形客車は快適性から言えば今とは比較にならないほど劣悪でしたが、今でも「トロッコ車両」「SL列車」に代表される速度が遅く、列車によっては空調もなく乗り心地もよくない車両を楽しむ文化?がありますので、そのへんに価値を見出してくださる方になら、遅くても暑くても、険しくも見事な自然景観と、五街道の一つであった中山道の史跡を車窓からチラ見しながら走る列車が木曽路にあれば、乗ること自体が旅の目的になると私は思っていますが、なかなか現実はそうはならないようです。せめて空いた時期や時間帯の普通列車で、山間の木造駅舎を一つずつ眺めながら、半世紀前の汽車旅を反芻するつもりで乗りたいと思っています。
    2018年08月09日 16:31
  • 中央西線

    6月にJR西日本バス30周年割で名古屋から夜行バスで富山まで期限切れ寸前地鉄株優とアルペンルート株優で通り抜けして中央西線鈍行で帰ってきました。平日だったので長ナノ211系3連はがら空きでトイレ前唯一のクロスで車窓を楽しみました。
    2018年08月09日 20:00
  • しなの7号

    中央西線様
    18きっぷシーズンでなければ、3両だと余裕かもしれないですね。松本運転所115系引退後、211系の列車を避けているので、松本~中津川を211系で乗り通したのは1度だけですが、そのときも空いていました。
    2018年08月09日 20:36
  • まころん

    しなの7号様
    こんばんは。今日7/26のブログから903に入りました。あの頃の塩尻駅は、中央西線の列車は方向転換をしていましたね。懐かしいです。
    中津川からの帰り、夕暮れの塩尻駅で見たD51重連貨物の前補機が、903号機でした。その出発シーンは、今でも鮮明に覚えています。本務機は煙に巻かれて見えませんでしたが。
    あの頃は、長距離の普通列車が全国的に走っていたと思います。確か新宿からも、長野行き(松本行き?)の普通列車が走っていたと記憶しています。
    慌ただしい新宿駅のホームに、茶色の客車が佇んでいました。そこだけ、時間が止まっているような…。中学生だった私は、要も無いのに車内に入り、ボーっとしていたのを思い出します。
    時々、立川まで往復もしました。あの青い背もたれと座席。あの匂いまで蘇ってきます。
    長文失礼いたします。貴重な写真を拝見できて幸せです。ありがとうございました。

    2020年07月26日 20:11
  • しなの7号

    まころん様
    旧塩尻駅は懐かしいですね。西線では見られない新型183系「あずさ」が見られる一方で、狭窓スハ32系、気動車急行だった「きそ」と「天竜」の併結作業なども見ることができ、SLがなくなった後も「汽車の駅」の雰囲気が漂っていました。
    新宿から長野に直通する旧客の普通列車もありましたね。
    【903】に因む?D51 903も懐かしい機関車です。昭和46年に稲沢第一から中津川に転入し、わずか1年ほどで電化を待たずに廃車になっていますが、戦時形カマボコドームが特徴で,中津川や落合川で見ていました。
    2020年07月27日 20:11

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