【939】 使用停止の車内トイレ

垂れ流し式の列車のトイレには「停車中は使用しないでください」という注意書きがドアに書かれていたのをご記憶の方は多いと思います。
画像
(画像は、 碓氷峠鉄道文化むらの保存車)

停車中の便所使用が制限されていることは、子どものころから知っていましたが、走行中の使用を制限する例を初めて知ったのは、高校生のときでした。

それは、初めて九州へ行った時の、下り急行「桜島・高千穂」でのことで、朝の4時前、下関到着前におはよう放送が入りました。その中では、「下関を出ますと、すぐに関門海底トンネルに入ります。トンネル内では衛生保持のために、便所・洗面所の使用を一時お断りいたします。およそ5分くらいですので、少々御辛抱願います。」ということでした。なるほどとわかる話ではあります。

ちなみに前夜のお休み放送のときには、転落した方も「おおぜい」あるからデッキのドアは必ず閉めるようにという内容の放送も入り、いずれも今の列車では考えられない環境で列車が走っていたなあと思うわけです。
画像

(画像は大井川鐵道の客車であり、桜島・高千穂号とは無関係です。)


私も、以前は撮り鉄らしきこともしていましたから、知らない間に被害にあっていたかもしれません。

画像

画像の電車は長野電鉄の電車で、トイレがありませんので安全ですが、国鉄の列車をこんな角度から撮影したら、ぶっかけられることを覚悟する必要アリです。たいてい写真を撮ったら、後追い写真を撮るために撮影者は列車の前方を向きますから、背後からやられるのではないでしょうか。高速だと霧状になり気が付かない場面もあろうかと思うのです。

そもそも列車は当時非冷房車が大多数でしたから、列車に乗ったら、夏場はふつうに窓を開放していたのですから、今考えると非常にコワい行為であったことと思うのですが、窓側の白いシャツの袖口が黄色く染まったという話も聞いたことがあります。車掌も列車の最後部で列車の着発時には顔を出していますから、私もその霧をかなり吸い込んだことでしょう。


先週は岡多線の例を挙げ、今回は関門トンネルの例を挙げたわけですが、首都圏の住宅密集地でも便所使用制限が行われていたようです。便所に施錠をするわけではなく放送で周知するだけだったのだろうと思いますが、その辺の詳細は知りません。国鉄分割民営化直前(昭和61年11月1日時点)で、名古屋鉄道管理局内では、以下のような便所使用停止区間が設定されました。(それ以前の制限については岡多線以外不明です。)

1 便所使用制限区間 

  東海道本線 笠寺~枇杷島間

  中央本線 名古屋~新守山間

2 対象列車

  汚物処理装置を装備した旅客車のみで組成した列車を除き、上記区間を運転する全列車。

  岡多線内の汚物処理装置不装備車は使用停止


当時117系や381系電車、485系は汚物処理装置を装備していました。
画像

汚物処理装置を装備しなかった車両は、113系電車などの普通列車に多く、165系電車や14系客車にも一部装備していない車両がありました。
画像

気動車には未装備車が多数あったと思われます。

そのときの達示によると、車掌が車内放送で周知するための文例があり、

「みなさんにお願いいたします。○○から○○までの区間は、住宅密集地区のため、お手洗の使用をご遠慮くださいますようお願いいたします」

と、書かれていました。けれど、私はそんな放送をした記憶がありません。そういう達示については、厳しく指導された記憶もありませんし、職場で話題になった記憶もありません。ダイヤ改正前に区内の車掌全員に文書が配られたのは確かです。その後、分割民営化直後に、私は当該区間を一部ですが乗客として通勤で何度でも利用していましたが、便所使用制限区間についての放送は聞いた記憶もありません。
画像

画像は、その便所使用制限区間である名古屋~枇杷島間。今はそんなことは伝説にもならないまま、JR形の車両が行き交います。手前の名古屋鉄道ミュースカイもトイレを装備しています。




この記事へのコメント

  • なはっこ

    小学生の頃列車を眺めていた、関西の東海道線はトイレ使用制限区間から外れていて、頻繁に使用されていました。

    新快速用153系や113系快速の流し管には、排水が線路ギリギリに落下するための配慮からか、先端に塩化ビニールのシートがついていました。それが走行時揺れていて、なんとも不気味でした。

    小生も何度か、霧のような排水を感じたことがあって、帰宅後母からこっぴどく怒られたことがありました。

    後年社会人になってから、知人が幼少時代、田んぼで凧揚げをしていたところ、肥溜めに全身落ちたと聞き、ゲラゲラ笑ってしまいました。

    今考えると、小生も東海道線で同じような経験をしておりました!
    2018年12月11日 07:36
  • ヒデヨシ

    しなの7号様こんにちは
    小学生卒業まで九州にいたので
    関門トンネルの放送は何度か聞いたことがあります。
    下関や門司は大きな駅であり交流直流の切り替えやそもそも島が違うで列車の始発終着が多く設定されていますが
    それ以外に今は絶滅状態の普通列車、快速列車、急行列車で福岡〜山口両県を気動車や交直両用電車で結ぶ設定も多くありました
    なぜ便所(当時の言い方)が使えないのか
    あまり深く考えたこともなかったです

    JR化後城北線でキハ40が使われていたとき処理装置付きながら自社線にその回収設備が無いためトイレの使用停止されていました。
    施錠して強制的に使えなくしていました。
    ステップ付の客扉のステップに板を張りホームの高さに会わせてあったりと興味深かったです。

    写真の列車トイレ
    段差がついて小便(当時の言い方)の時に使いやすい様にしたのは大発明で一般住宅にも広範囲に広がったと聞いています
    昔の家も列車トイレでした。
    オハ35の特に古いものはしゃがんで足を載せるところだけ足場があり一度だけ見たとき驚いたし怖かったです
    気動車も客車も水の流量や勢いが乏しく頼りなかったです
    14系客車で薬品水がかなり勢いよく流れて感動した記憶があります
    JRの列車トイレはもう一般建築用と変わりないですね。
    2018年12月11日 14:33
  • しなの7号

    なはっこ様 こんにちは。
    そうでした。流し管にゴムみたいな材質のビラビラが付いていましたね。白いチリ紙がくっついて目立っていることもあって…

    肥溜めは小学生のころ、ふつうにありました。幸いにも落ちたことはありませんが、当時はまだ水洗トイレもなく、幼児が家のトイレで用を足すと便壺に落下する危険があったので、畑でしていました。私の家の隣にも幼児がいて、玄関先の畑でしゃがんでいました。終わると「おかーちゃん もういいよ~」と大声で母親を呼ぶ声がいつも聞こえてきました。そうすると、隣の奥さんがその子のお尻を拭きにチリ紙を持って玄関から出てきました。後始末は生ゴミなどといっしょに埋められ、堆肥になり自然に還りました。そういうことが珍しくもなかった時代ですが、今はその畑も宅地に変わっています。
    2018年12月11日 16:07
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんにちは。
    関門トンネルの放送、やはりお聴きになったことがありましたか。私が聴いた車内放送では「衛生保持のため」という言葉が入っていましたが、それにしても一般に何の意味だかわからないかもしれませんね。それにしても見事に旅客列車は下関で分断されましたね。かつて多くの名列車が通りぬけたことを思うと現状は寂しい限りですが、415系の後継がどうなるのでしょう。

    大小男女共用できる列車便所は合理的ですね。私は小学校入学前から国鉄を退職するまで、家でこのタイプのお世話になっていました。ただし汲取り式でした。
    以前書いたスハニ31が「足を載せるところだけ足場がある」古いタイプでした。水洗とは言っても列車便所の場合は、おっしゃるようにきれいとは言えなかったですね。汚れているところを洗い流してあげようと(決してそういう親切心ではないけれど)狙ってみても、干からびていてダメですし… まあ、今は齢のせいで勢いがなくなり、なおさらダメですが。。。
    最近の車両はトイレスペースが大きくなって、その部分に窓がないので、外観がモハユとかキハユみたいだなあと思う車両もありますね。
    2018年12月11日 17:51
  • 門鉄局

    しなの7号様、こんにちは。
    関門トンネルは何度も通っているはずですが、トイレ使用禁止は記憶にありません。しかしトンネルの構造などを考えると納得できる話です。私の家は鉄筋コンクリート造の社宅だったのでトイレは水洗でしたが、北九州の祖父母の家は昭和50年頃まで汲み取り式でした。今から思うと不衛生ですが、当時は家も列車のトイレもそういう物で何とも思わなかったです。関西ではあまり使用制限はなかったと思いますが、奈良から乗った大阪環状線直通の113系快速ではトイレのドアに掲示があって鍵がかけられていました。コーラをがぶ飲みしていた友人が予想外のことに蒼くなっていたことを思い出します。
    2018年12月12日 14:18
  • うさお

    ご無沙汰です。東北線もトイレ入口に上野~大宮間はトイレ使用禁止みたいな表記が115系にはありましたが放送は聞いたことがありません。
    185系の新幹線リレー号も確か上野~大宮間はトイレ自粛みたいな気がしましたが、あの時期なら新製で汚物処理装置はあったと思いますからどうだったのかな?

    話はそれますが当時の特急、急行型車両には洗面器の横に半円形の手洗いみたいなものがありコックをひねると水が流れてなんだろう?と思っていましたが痰壺だったと聞いて、ウゲッと思いました。
    あと特急急行以外はトイレットペーパーなかったような?
    2018年12月13日 04:45
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    私が乗った下りの「桜島・高千穂」は、関門通過時刻が夜明けで、洗面所と便所の使用頻度が多い時間帯だったという事情もあったのかもしれませんが、陸上トンネルと違って自然排水ができない海底トンネルは保守が大変ですね。
    田舎では下水道はなく、浄化槽もなかったので、市役所のバキュームカーが大活躍していました。それがべつに珍しくもなかったので、汽車のトイレでも「そういうもんだ」と思っていました。不衛生なりに、実家があった町内では、回覧板の順で定期的に回ってくるジョウロと消毒液で、家の周りと便槽内を消毒し、学校のトイレには洗面器にクレゾール液が用意されていました。

    奈良の113系でも岡多線方式?がありましたか。変に車両に対して知識があってトイレがあるものという前提で乗車すると焦りますね。私はJR四国の普通列車用に改造されたキハ58が便所撤去されていることを知らずに土讃線上り普通列車に阿波池田から乗ったとき小用を催し焦りましたが、坪尻で特急待避があったので救われました。
    2018年12月14日 13:10
  • しなの7号

    うさお様 こんにちは。
    東北本線上野~大宮間のトイレ使用禁止については、国鉄の接客用マニュアル冊子に、放送文例が載っていました。↓
    「みなさまにお願いいたします。大宮・上野間は道路や家屋が線路に近いため、お手洗いの使用を停止しております。大宮・上野間でのお手洗いの使用はご遠慮願います。」
    この文例から想像すると、トイレの鎖錠はしなかったみたいに受け取ることができます。新幹線リレー号の時代は、まだ汚物処理装置は準備工事だけだったんでは?
    一昨日、某所で保存中のオハフ33客車内で痰ツボつきの洗面器を見てきたばかりでした。子供のころは石鹸入れかなあと思っていました。トイレットペーパーが普通列車に付くようになったのは汚物処理装置が付いてからではなかったでしょうか。かたい紙を流されると装置が詰まって故障するので、やむを得ず置いたというのが本音か?
    2018年12月14日 13:14
  • うさお

    そんな車内アナウンス文例があったのですね。普通列車では聞いた記憶はないです。施錠はしていませんでした。
    やはり、痰壷はわからないですよね。コメントを見るとトイレ絡みのお話は色々とあるんですね。
    2018年12月15日 16:43
  • 3RT 生

    しなの7号様、こんばんは。

    「霧状のモノ」には、心当たりがあります(汗)。
    当時のローカル駅の便所はよく言えば素朴なつくりで、小便器の代わりにモルタルの「壁と溝」だけ・・
    (ストリートビューで、播磨下里駅に行って見てください。まだ残っているのでしょうか・・)

    「痰壷」ですが国鉄旅客車の洗面所はもとより駅ホーム、待合室まで完備?されていましたね。
    「つぼ」は、お世話になっていた私鉄の分岐する山陽本線の駅にもありました。私鉄ホームの待合室にあって、管理が国鉄から私鉄に移管されたあと、JRができてからも残っていました。
    ずっと木製のスタンドに鎮座し続けていたソレには「工」のマークがついていました。
    2018年12月15日 19:58
  • しなの7号

    うさお様 こんにちは。
    最近になって、そういう放送文例が掲載されていることに気付きました。書かれていた接客用マニュアル冊子は1978年に印刷されたものでした。
    不思議と?トイレがらみの記事にはアクセス数が多く、いただくコメントも多いので、こちらも、あとでいろいろと思い出したりします。
    2018年12月16日 07:37
  • しなの7号

    3RT生様 こんにちは。
    播磨下里駅をストリートビューで見ました。駅本屋と離れて建つのが駅便所の原型ですね。小便器がなく壁と溝だけのタイプの駅便所は9年前の信楽高原鐡道の雲井駅で使わせてもらいました。感動して?写真も撮ってきちゃいました(;^ω^) ここもストリートビューで確認しようとしたのですが、駅前まで見ることができないので現況は不明ですが、当時でも状態は良くて外壁羽目板の補修もされていました。私が小学生時代の学校便所はこの方式で、壁面に向けて飛ばしあったものですが、今は勢いがないのでやれません(;´∀`)
    「工」の字が入った琺瑯製痰ツボも、今や懐かしいアイテムになってしまったですね。こちらは最後に見たのがいつだったか、気にして見ていなかったのでわかりません。知らない間に昭和の常識は今の非常識になってしまったことが多いなあと思います。
    2018年12月16日 07:37
  • 103系

    しなの7号様。

    大宮矢印左右上野新幹線連絡便のトイレ不使用アナウンス、私は何回も聞いた記憶があります。
    懐かしい木製トイレドアの客車をELが牽いていたころですが、仙山線沿線の登山に出かけ某駅前の商店でルートを尋ねると
    「トンネルを通って行くのが最短で分かりやすい。トンネルの照明は入口にスイッチがあるから」
    今なら姿を発見されしだい“線路内に人立ち入り”で全区間の運転が止められてしまうでしょう。さて線路際を歩いて行くと形がくずれた白い紙は落ちているし、冷風吹き出す真っ暗なトンネルまで行ってみると入口からすぐの所にブツが…トンネルを通っていく気持ちが失せました。が、保線職員のご苦労がしのばれました。長い面白山トンネル内には山形側に列車交換する場所があり、停車中の使用は絶対にしてはならぬとも思いました。
    2018年12月16日 09:04
  • しなの7号

    103系様
    東北新幹線大宮開業時、新幹線リレー号は新車だったのに、循環式処理装置は準備工事にとどまっていたということですね。車両基地にも処理施設が必要で、車両と地上双方の設備が整わないと運用できないですから、大赤字の国鉄としては大変な出費だったと思います。今はホームドア設置の費用が大変みたいです。
    私も高校生のころに鉄道トンネル内を通行したことが幾度かあります。いずれも照明がないトンネルばかりでしたから、足元に白い紙やブツなどあっても気が付かないほどの暗闇でした。その方がよかったかも。長大トンネルになると、信号場や駅がその中にあることがあって列車が停車しますから、風雨によって流されることもなく、駅だと人目にもつきますからマズいことになりますね。名古屋駅では置き土産を客車への給水用ホースで洗い流していました。
    2018年12月16日 16:54
  • さつえいにん

    はじめまして。京都から時々見させ頂いています。トイレの使用制限放送については、当地の山陰線でも、特急、急行に限ってありました。上り列車が保津峡に差し掛かる手前になると、名勝案内の放送ついでに、「嵯峨からは市街地区間に入って参りますので、お手洗いの、ご利用は遠慮下さいますよう...。」のアナウンスが思い出されます。
    同線のキハ181系「あさしお」ですが、午後一の1往復だけは、汚物タンクの整備が遅かった米子車運用だったので、96年の電化まで放送は継続していたと思われます。沿線での撮影では要注意列車でした。爆。
    2018年12月23日 23:55
  • しなの7号

    さつえいにん様
    ご覧いただきありがとうございます。
    山陰本線でもありましたか。そういう放送は、わざわざ改まってするのでなく、車窓案内放送に続いてサラッと放送するのがいいのかもしれないです。それにしても、保津峡の景観を眺めずに早めにトイレに行っておけと言われてるみたいな…  特に旧線時代、川下りの乗船客は追い抜いていく列車を見上げ何を見る?何を思う?
    2018年12月24日 12:01
  • YAMA

    いつも楽しく拝見させていただいております。
    平成10年にいそかぜ号に乗車した時関門トンネル通過前にトイレ使用禁止の放送がありました。米子のキハ181系は結構晩年まで垂れ流しみたいだったですね。平成7年頃の鉄道ジャーナル誌の列車追跡でこの列車が登場し種村直樹氏が垂れ流し式トイレの特急列車が存在していることに関心?されていました。
    2019年01月02日 20:30
  • しなの7号

    YAMA様
    情報提供ありがとうございました。JR発足後10年以上経っても特急に垂れ流しが残っていたというのがなんとも・・・・
    私は平成17年、廃止直前の「いそかぜ」に乗って関門トンネルを通りましたが、そういう放送はありませんでした。トイレは確認しませんでした。
    2019年01月02日 21:22
  • やくも3号

    しなの7号様 こんばんは。
    昔の航空機のトイレも飛行中に汚物を空中に排出していたようですね。しかし、列車と違うのは、高度10000mから放出した場合、気圧の関係で汚物は空中で霧状に粉砕されて本当に『雲散霧消』していました。つまりウンさんが霧消していたと。
    最近では、機内と機外の気圧差(機内0.8気圧ー機外0.2気圧)を利用して、ほとんど水を使うことなく汚物をタンクへ流す(吸い込ませて移動させる)バキューム式が広まったことを知りました。
    2019年01月06日 19:19
  • しなの7号

    やくも3号様 こんばんは。
    飛行機はそういうことなのですか。そうしますと、以前はウンさんが雨に含まれて地上に降ったということですかな。上空から降るものは、犬のウンさんより始末が悪いですな。電線に止まったカラスのウンさんが降ってきて危うい目にあったことがあり、霧消に腹が立ちました(-_-メ) せめて霧にして放出しろ!

    昔の列車トイレでは単線形トンネル突入時に、外気との気圧差が大きくなるから逆流バキューム式、その瞬間に雲散?…
    2019年01月06日 20:24
  • 風旅記

    おはようございます。
    今日も興味深く拝見させて頂きました。
    時代と共に鉄道の姿も変わってきたのだと思いますが、なかなか他では見ない視点で、興味深く感じました。
    今振り返ればとても信じられないような過去のトイレ、それもその当時には当たり前であったのだと思いますし、長い時間を経ての人の意識の変化も面白いものです。
    子供の頃には、普段の通勤電車とは違って、トイレの付いている列車に乗ると「遠くに行く列車」という感覚にワクワクしたものです。
    最近では車椅子にも対応した大型の洋式のものを備えた車両が多くなり、これも社会的な要請が変化した一つの時代の表れでしょうか。
    風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
    2019年08月07日 09:11
  • しなの7号

    風旅記様 こんにちは。
    半世紀前に当たり前であったことが今や全くの非常識になったことは、トイレ事情に限ったことでなく身の回りにいくつもあるものですが、慣らされてしまうと自らの意識の変化にも気が付きにくいものですね。
    通勤電車というものにまったく馴染みがなかった田舎育ちの私の子供のころは、「国鉄はトイレがあってクロスシート、私鉄はトイレがなくてロングシ-ト」という感覚でした。そして駅や列車のトイレは狭くて臭くて汚いもので、用を足せば一刻も早く退散したい場所でしたが、いつしかトイレはきれいになっていき、多目的トイレの広い空間は居住性もよく、喫煙や電話など本来の利用目的からはずれた使い方で長時間占領されてしまい、真に多目的トイレを使いたい人が使えないことが問題になったりしているようです。
    2019年08月07日 11:15

この記事へのトラックバック