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zoom RSS 【949】 中央西線を走った車両12 :蒸気機関車《後篇C12・C56》

<<   作成日時 : 2019/01/10 05:30   >>

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過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。

〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜

<C12>
C12は主に入換用でしたから、本線上での活躍は限られましたが、中央西線が全線電化された後も中津川と木曽福島両機関区に配置されていました。

中津川機関区所属のC12は、中津川の入換作業に従事していました。
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C1269[中]  1973年7月 DL化される直前、中津川での入換作業

そのほか中津川機関区のC12は、恵那から分岐する明知線の貨物列車の仕業も受け持っていましたので、明知線の貨物列車が運転される日には毎日、中津川〜恵那間の中央西線本線上の回送がありました。
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C1269[中](再掲画像)1972年・月日不明 美乃坂本〜恵那
上り定期旅客列車最後部での回送。下りは貨物列車最後部で回送されていた時期もありましたが、回送は、単行機関車列車による時期もありました。最末期は上下列車ともに単行機関車列車のダイヤが引かれていました。
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C1269[中] 1973年7月30日 美乃坂本〜恵那
この写真を撮影した時点で、すでに中央西線は全線電化されD51は引退していましたから、この単行機関車列車は、木曽福島・上松間に運転されていた木曽福島機関区のC12による単行機関車列車とともに、線内に残された希少な蒸機列車でしたが、明知線向けの単行機関車列車のほうは1973年7月に中津川の入換がDL化された3か月後の10月にDL化されています。

中央西線最後の蒸気機関車配置機関区となった木曽福島機関区所属のC12は木曽福島駅と上松駅の入換作業に従事していました。
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C12199[木] 1973年3月30日 木曽福島駅
このC12199はデフレクタを装備した名物機関車で、C11を押し縮めたようなプロフィールをもった異端機でした。
木曽福島機関区のC12は、1両の機関車が木曽福島・上松両駅の入換をかけ持ちする運用でした。
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C12164[木] 1973年5月13日 上松駅
C12164は正面ナンバーが形式入りでしたので目立ちましたが、木曽福島機関区での活躍は短く半年程度でした。廃車された後は大井川鉄道千頭駅に静態保存され、その後は日本ナショナルトラスト所有となり動態で保存運転されましたが、現在は静態で新金谷駅に常駐展示されています。

上松駅で入換作業がある日には、木曽福島〜上松間に単行機関車列車が運転されました。また、本線でD51が使用されていたころには貨物列車の後付で回送されていたこともありました。
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C12164[木] 1973年5月13日 上松〜木曽福島
本務機はD51で、最後部のC12は補機のようにしっかり力行しています。

〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜

<C56>
国鉄に残る蒸気機関車が少なくなる中、末期に意外な展開がありました。七尾線のDL化で失業したC56124が木曽福島に転属して来たのでした。それまで木曽福島に残っていたC12は、車検切れまで使い切って、次のC12を車検切れまで使い切るという繰り返しをしていたようで、上に画像をアップしたC1269を含む中津川機関区で最後まで明知線用として残った2両のC12も、明知線DL化とともに順次木曽福島へ転属して使用されたうえで廃車(廃車後保存)されています。そしてついにC12そのものの数が減り、性能的に似たC56にお呼びがかかったといったところでしょうか。
C56124も正面が形式入りナンバーで存在感がありました。
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個人的なことですが、私が最初にカメラを向けた蒸気機関車は、明知線の貨物仕業を終えて恵那から中津川に向けて貨物列車の最後尾にぶら下がったC12で、最後に見た「現役の蒸気機関車」は、この木曽福島機関区のC56でした。C12とC56ともに小型で、D51などの大型蒸機に隠れがちで地味な機関車ですが、私にとっては思い出深いだけでなく、小型機ゆえの思い入れがある形式です。
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フライキ(手旗の通称)をなびかせた操車担当が添乗して貨車を引き上げる歯切れのよいブラスト、貨車を突放した直後の制輪子の軋みと単式コンプレッサの連続した排気音が懐かしく脳裏をかすめます。こうして子供のころから国鉄の現場を外から垣間見た風景は、私が国鉄で入換作業に従事するころには機関車がDLになり、車掌が入換をする駅での入換作業ではフライキを使わず乗務員無線機による作業に代わっていました。それでも自分の指示で進路が構成され、自分の指示に応答して機関車が鳴いて(汽笛を吹鳴することを「鳴く」と言いました。)動くといった、鉄道模型を操作しているような感覚で本物が動くという体験(なんか普通と逆で変ですが)は車掌をやっていたから味わえたことでした。今、こういう入換作業中の人々の画像を見て思うに、わずか1年半程度の自分の列車掛時代は、失敗と冷汗の連続でもありましたが、得難い一瞬であったと思っていますし、今でも作業手順などはしっかり記憶に残っています。



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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
しなの7号様、こんにちは。

C12などの小型蒸機は小生も親しんでおりました。
SL末期の頃ですので本線の大型蒸機は次々と引退していき、
昭和49年ごろになりますと(立ち回り先?の九州ばかりで恐縮ですが)高森線のC12、日南線のC11、後藤寺あたりに9600が残っていたくらいでした。
明知線と同じく高森線のC12も末期は熊本から単機回送でした(混合列車はなくなりました)。立野から、ワフ1両だけの逆向きC12の貨物列車が、大きなブラスト音とともに25‰を登って行ったのを思い出します。
中学生になって自分のカメラを与えられたのですが、写真の腕は落ちてしまい?あまりいいカットが残っていません(泣)

入換作業も大好きで、子どもの頃は駅から遠い撮影地より、駅や機関区で機関車が動くのを見ている方が長かったからでしょう。蒸機での突放の音は最高でしたね。
3RT生
2019/01/10 11:17
3RT生様 こんにちは。
本線で華やかさを放つ大型蒸機とか特急列車は、皆が注目し人気もあるものですが、私はその陰に隠れ、日常の生活臭が染みついた小型機関車とか田舎の小私鉄に強く惹かれます。ワフ1両だけの逆向きC12の貨物列車など最高の部類ですが、あいにく私は、明知線のC12で、そういう編成の貨物列車を見ることはできませんでした。その後DD16に置き換えられてから貨物取扱量が一段と減ったとみえて、DD16+ワフ(後にヨに置き換え)という編成にときどき遭遇するようになりましたが、それはそれで絵になったものです。

昭和49年頃に九州に残ったSLを挙げていただきましたが、その中で高森線だけはその年の春に再訪したかったので、熊本機関区に往復ハガキで運転状況の照会をして切符まで買ったのに諸々の理由で行けなくなったのは悔しい思い出です。

前に書いたことですが、蒸機の突放で思い出すのは、生前に中央西線の貨物列車の車掌をやっていた父が言っていた以下の言葉です。
「蒸機の突放は、青旗振って機関車が動き出してからボッボッボッと3回(ブラストが)聞こえたへんで赤旗出して止めりゃあ、たいてい按配よういっとったけど、電機はいつ止めてええかわからんし、加速がええもんで怖い。」
しなの7号
2019/01/10 14:44
こんにちはしなの7号様。
木曽名物デフ付きC12、199号機ですね。
四国にもいたそうで写真を雑誌で拝見したことかありますが(機番は失念しました)、こちらは斜めカットのないC56と同様のものを装着していました。吹田のD51が撤去していたように入換とローカル線の運用にはかえって邪魔なのではと思いますが、同様の用途の9600には大量に装備されているのでそれなりの効果があったのでしょうか。
間に合わなかった世代の私は写真や模型で偲ぶしかありませんが、蒸気な消滅と同じくして国鉄の斜陽が加速したことは何とも皮肉です。C12にワフ1両なんてメルヘンの世界ですね、見てみたかったです。
関係ないことですがお父様の話で思い出したことは、初期のVVVF車はインバータ音が大きく運転研修生には入換運転のとき「起動して1回変調音がしたときにノッチを切ったらびったり25q/h」なんて教えていました。今のIGBTインバータ車はすっかり静かになりこの話も過去のことになりつつあります。
門鉄局
2019/01/13 14:36
門鉄局様 こんにちは。
C12199のデフは、C56のそれとは違って上部がカットされてないんですよね。なのでC11の短縮版みたいに見えるのですが、木曽福島で先に廃車になったために私が見たことがないC12198も同じ形のデフを付けていたといいます。
これらは、廃車になったC11のデフの再利用とのお説もあるみたいです。
私にはC12の短編成列車は模型のようで、そして模型で再現したい最たる列車なのですが、そういうこと、わかる方にしかわからないですよね?
SLに限らず、列車の起動から加速する間の音の変化は面白いものですが、なるほど現場でもちゃんと仕事に活用しているのですね。音も時代とともに失われていくと、懐かしい昔の音を聞きたくなるものです。
しなの7号
2019/01/13 15:12
しなの7号様こんばんは。
C1269は私の住んでいる安城市の安城市総合公園に昭和49年引退後保存されています。屋根もあり保存会もあるようで割と綺麗に保存されて居ります(当時の煤はありませんが)。他にもD51-688は私の会社のある岡崎市南公園に保存されています。他にも西線縁のお釜が私の廻りに沢山保存されています。何れも子供が小さい時に巡礼致しましたが私の子供は気持ちの良いほど興味を示さず諦めました。時間を作って今一度保存車廻りをしてみたいですね。またC56は浜田機関区で夜の入換作業の力強く小気味良いブラスト音が印象的で当時ラジカセで録った音があり今でもたまに聞いています。西線にC56が居たとは知りませんでした。小海線の高原のポニー号にも乗車しましたが行きの12系座席夜行急行ちくま号に乗車したことの印象が今でも鮮明に覚えております。地味な人間なので派手なイベントは苦手なのでしょうか。音と言えばキハ65のDML系エンジンの音が好きですね、起動時に一瞬息を継ぐように間があり吹き上がって行くところがイイですね、これも急行紀州で採取しており疲れた時に亀山〜名古屋などを聞けば疲れが取れる様です。
1538M車掌
2019/01/14 22:29
1538M車掌様 こんにちは。
今回画像をアップしたC12とC56は、幸いにして日帰り圏内に保存されていますので、全部保存場所を巡りました。1538M車掌様とまったく同じで、子連れで行った場所もあり、つまりそれから約20年経っていますので再訪したいです。
山陰で見たC56と言えば、高校1年生の冬に江津で見た三江北線の集煙装置付C56126が印象に残っていますが、このときのモノクロネガは劣化してしまい修復不能になってしまいました。電化後も木曽福島で生息していたC12〜C56は、本線の列車牽引がなくて話題になりませんでしたが、明知線のC12がなくなってから、王滝森林鉄道と兼ねて木曽福島に数回足を運びました。最後の小海線のC56のときは鉄友に誘われましたが、出かけられない事情ができて断念しました。
キハ65が起動するときのエンジン音からは、夕方の武豊線948Dを思い出します。車掌スイッチを押下して「折戸」がバタンと閉まり、ブザー合図のあとはあのエンジン音、どちらもがいつものDCと違ってました。運転士に言わせると逆転機が入りにくいとか車掌に言わせれば暖房が効かないとかトイレがないとか困った車両でもありました。その録音はあいにくありません。自分の場合、疲れたときの音は…飯田線の旧国の車内音がイイです。すぐ眠りに落ちてしまいます。
しなの7号
2019/01/15 16:02

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