【961】 中央西線を走った車両18: 153系・165系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。


~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~


153系・165系

1968年に中央西線の瑞浪~中津川間の電化工事が完成した時点から、私の実家の最寄り駅での「電車」との付き合いが始まりました。そのころ古い70系電車と、気動車、機関車牽引の客車列車が混在するなかで出色だったのが、1往復だけあった中津川発着の東海道本線直通快速列車でした。この列車は大曽根~多治見間ノンストップという速達性のほか、大垣電車区の153系8両編成であったことが、「急行」を思わせ、よく乗りました。

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1971年4月 中津川発大垣行快速1634M 美乃坂本~恵那


大垣電車区の153系編成の先頭車は、正面が橙色一色の低運転台と高運転台のクハ153が混在していました。ほかにも正面が橙と緑の2色塗装のクハ165が混用されましたので、どの顔が来るのかということも楽しみの一つでありました。


165系による急行が中央西線を走るようになったのは、そのあと1973年の全線電化時からでした。こちらは新たに神領電車区に配置された車両でしたが、すべて他区からの転属車で新車ではありませんでした。

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1973年7月21日 上り急行「きそ1号」 恵那駅で

急行では、165系の中間にサハ153が混入することが多く、153系から改造されたクハ164もよく見かけました。

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1973年7月30日 上り急行「きそ1号」 美乃坂本~恵那

上の2枚の画像は、どちらも全線電化された年の7月に撮影していますが、このころは急行であっても、普通車の場合は冷房車かどうか運次第であったことがわかります。ちなみに、先頭から4両目のグリーン車までは指定席車です。

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1975年3月9日 上り急行「きそ1号」 美乃坂本~恵那

宮原電車区から神領電車区へ転属したクハ165には、新快速ブルーライナー色の車両があって、しばらくの間、塗装変更されず運用に就いていました。このころの165系急行編成は、基本編成8両と付属編成4両からなる12両編成が主流でしたが、後に基本編成だけで運転されるようになりました。

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中央西線で定期列車最後の電車急行になったのが1982年11月に気動車から電車化された急行「赤倉」でした。

この列車のことは、つい先日「【950】165系電車時代の急行「赤倉」に関することいろいろ」で書いたばかりで、新潟運転所(上沼垂支所)持ちの運用でしたが、長続きせずに1985年3月で廃止され、その後は中央西線の「急行」種別の列車は、夜行列車と臨時列車でしか見られなくなりました。
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1983年2月16日 上り急行「赤倉」 野尻~十二兼


153系・165系とも、以前「乗務した車両」のシリーズ記事で中央西線のことも触れながら書いていますので、また同じようなことを繰り返し書くことになりそうですので、このへんで今回は終了して、該当記事へのリンクを貼っておきます。





これらの記事中で、中央西線での画像のほか、少しですがその中で編成の記録も書いています。








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この記事へのコメント

  • NAO

    しなの7号様、こんばんは。
    中央西線に急行用電車使用のサービス列車があったのですか。時代は違いますが、銭取られるライナーとは大いに違いますね。
    ブルーライナー塗色の急行運用は「鷲羽」で見たことがあります。ということは基本編成が共通編成だった「比叡」にも運用されていた?
    ブルーライナーに運賃のみで乗り育った私、急行運用と聞くと、乗ってしまえば同じ車両なのに遜色急行の印象を持ってしまいます。特に指定席だと。
    逆にブルーライナー新快速に湘南塗色車が混じると、そこだけが格調高く見えたものでした。
    2019年02月22日 00:15
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    1968年10月のダイヤ改正では、大垣・名古屋対東京の急行東海が改正前の4往復から2往復に半減されていますので、153系によるローカル運用が可能になり中津川快速運用が賄えるようになったのでしょう。
    全線電化後1973年に神領に転属してきた165系は旧宮原車が多く、新快速色のクハ165が紛れ込んだ結果となったのでしょう。その後の50.3ダイヤ改正では、DCのまま残っていた一部の「きそ」・「天竜」が電車化されていますので、この画像(1975年3月撮影)にある新快速色のクハ165はそのための転属車ではないかと思います。
    まだ急行に非冷房車があった時代に冷房車だった旧新快速車は遜色どころかグレードが上だと思いますが。。。
    2019年02月22日 14:51
  • 中央西線

    大垣快速は一般改造の155系も見られました。大雪の時大垣車運用の113系快速の代走で153系が入っているのを千種駅で見たことがあります。神領の165系が大垣に転属の過渡期に比叡に前神領の165系がグリーン車を含め入ったこともありました。
    2019年02月23日 09:10
  • しなの7号

    中央西線
    155系もありました。来週の記事で触れます。
    153系は朝夕だけのような感覚ですので日中に走ると違和感が。
    神領のサロ165は、ほとんど宮原からの転属車だったから、最後の関西里帰り運用になったのかもしれませんね。
    2019年02月23日 10:23
  • 風旅記

    おはようございます。
    今日も楽しく拝見させて頂きました。
    電化区間が延伸していった頃、鉄道が新しく刷新されたような、新しい時代に向かう感覚があったのではないでしょうか。
    車両は新車でなくとも、優等列車用の車両が今よりも輝いていた(普段使いの存在ではなかった)のではないかと想像しています。
    中央西線には幾度かしか乗ったことはないのですが、重ねられた改良の痕跡に、高度成長期以降の路線の歴史を見たような気がしていました。
    そして、今の新しい車両の大きな窓から見える風光明美な車窓は、時代を超えて素晴らしいものでした。
    風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
    2019年10月07日 09:39
  • しなの7号

    風旅記様 こんにちは。
    田舎の単線非電化路線が複線電化路線に変貌していったのは、私の小学生時代にあたる数年間でした。その間、工事の進捗状況が気になりましたし、ダイヤ改正のたびに使用される車両が変わり、少しずつ施設も車両も列車ダイヤも「東海道本線のようになっていく」のが喜びでした。そういうなかで急行形電車など限られた列車にしか使用されない列車を見たり乗ったりするのはほんとうに楽しみでした。
    そのころ使用された車両はすでにありませんが、新線に切り替えられた線路跡とか、改良された痕跡を残す駅の設備などを今も残している箇所が多いのも歴史の長い中央本線の魅力の一つでしょうね。ただ時が流れてしまい、ぼんやり車窓を眺めていても、それとわからずに通り過ぎてしまいがちですし、今は列車の速度が速いので、気を付けていてもうっかり見るべき目標物を見逃してしまうほどです。
    2019年10月07日 16:36

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