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zoom RSS 【963】 中央西線を走った車両19:159系・155系・167系・169系電車

<<   作成日時 : 2019/02/28 06:20   >>

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過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。

〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜〜J.N.R.〜

159系は大垣電車区に所属した中京地区の修学旅行用電車でした。
この電車は、修学旅行以外にも臨時急行・臨時快速に使用されたほか、定期列車にも153系に代わって運用されることがよくあり、先週書いた中央西線中津川と東海道本線を直通する朝夕1往復の快速列車でも、運用されているのを見たことがありました。
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1973年2月26日 快速2636M 美乃坂本
前日夕刻の大垣発中津川行に159系が運用されているのを見て、翌日の朝、登校前に駅まで出かけて撮影した画像です。

ところで、私は中学校の修学旅行で159系に乗った世代ですが、徐々に新幹線に移行し始めるころでした。小学校6年生のときに、まだまだ先の中学校の修学旅行について保護者向けのアンケートがあったことを今でも記憶しているのですが、その内容は、修学旅行で新幹線を使いたいか、それとも従来どおり在来線の修学旅行列車を使いたいかという希望調査でした。従来のように在来線利用なら、修学旅行の行先は箱根と東京だけになるが、往復新幹線を使えば日光まで足を延ばせる。ただし新幹線利用だと、費用負担が1人3000円余計にかかるが、さてどうする?ということでした。私は言うまでもなく「こまどり」がいいと親に伝えました。そのアンケートがあったころには、新幹線に乗ったことがない級友は多かったはずですが、その翌年に大阪万博があり、そのときに新幹線に乗った者は多かったのではないかと想像します。そのアンケートの結果ですが、3000円の壁が響いたのか、私どもの学年は新幹線でなく159系による「こまどり」に乗車することができました。時代背景の一つとして思い出すのは、一般加入電話がある家は少なく、普及していたのは地域内だけを対象とした有線電話(非自動式)でした。小中学校の修学旅行の日には、有線電話のスピーカーから、一斉放送で全戸に向けて「〇〇中学校の修学旅行団一行〇〇名は、さきほど予定どおり本日の宿泊地箱根に全員無事に到着しました」と知らされました。今では考えられませんが、そういう安否確認方法しかありませんでした。
そのとき乗った159系は中津川始発で東海道本線に直通しました。期待していた先頭のトレインマークは掲出されていませんでした。往路は熱海で下車してバスに乗り換え、復路は始発の品川から乗車して名古屋乗り換えなしで中央西線直通でした。

高校に進学した年に中央西線の中津川以北が電化され、多客期に159系による臨時列車を中央西線で多く見るようになりました。
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1974年8月18日 臨時急行「きそ51号」恵那〜美乃坂本
画像

1976年4月25日 田立〜南木曽(列車名不明)
159系は、のちに湘南色に塗り替えられていくと存在感が薄れ、冷房改造されることなく廃車されてゆき、見かけなくなりました。

【951】中央西線を走った車両13:気動車の中でご覧いただいたキハ58系急行「赤倉」走行シーンと同じ日、同じ区間で収録した159系急行「きそ51号」の動画がございますので、アップしました。「赤倉」同様に、8oフィルムから起こしましたので、動きがぎこちなく、サイレントです。その点をご承知の上でご覧ください。再生時間は35秒です。

159系と同じく修学旅行用であった155系「ひので」「きぼう」も、修学旅行の新幹線移行が進んだからなのか、一般車並みに車内を改造されると同時に、外装を湘南色に変更して関西方面から中央西線に直通する団体専用臨時列車に運用されていました。
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1974年6月8日 団体専用列車 中平信号場で
(中平「なかだいら」信号場は、上松〜木曽福島間が単線時代にあった信号場です。)
中央西線の全線電化に伴う急行列車用165系の多くは、網干区にあった修学旅行用155系を波動輸送用に一般形に改装したうえで宮原区に転属させて、その玉突きで在来の165系を神領区に転入させることによって調達しているので、タイミング的に考えれば、155系が修学旅行色で中央西線入線したことはたぶんないと思います。
155系も159系同様に、低屋根構造の車体だったために、南木曽以北にある高さが低いトンネルでも制限なく走行できたので重宝されたと思われます。
そして、その後宮原から155系が大垣電車区に一般用として転属してくると、153系や165系に混じって定期列車に使用されるようになりましたので、【88】乗務した車両:155系電車で書いたように、自分が乗務する列車に組み込まれたこともありました。

関西方面から直通する団体専用臨時列車には155系のほかに167系も使われました。
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1975年5月30日 団体専用列車 上松で

167系は冷房化され湘南色になったあとも、季節急行「ちくま・くろよん」に使用されました。しかし1986年11月ダイヤ改正以降は臨時化されて国鉄分割民営化を迎えます。中央西線での167系については、以前【457】臨時列車の乗務(24):167系・165系団体列車の中で書きましたので、ここでは省略させていただきます。

このほか、信越本線の特急化によって本来の職を解かれた169系電車が松本運転所に転属してからは、中央西線で、団体列車や臨時急行列車に使用されるようになりました。
169系についても、【453】臨時列車の乗務(22):169系・165系団体列車の中で、中央西線内のことを画像も交えて書いていますので、ここでは、省略します。
そのほか、別の記事の中で書いたことですが、国鉄末期に長野運転所の169系の一部に、新幹線0系の廃車発生品である転換クロスシートを装備したリニューアル編成が登場し、わずか2日間だけではありましたが、名古屋発小淵沢行急行「たてしな」に使用され、中央東西線を直通運転したことがありました。
その記事でアップした画像の使いまわしです。
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コメント(12件)

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こんばんは。国鉄修学旅行電車、ほとんど縁の無い電車でした。
何回か見たことはあるんですが、乗車も撮影もしていません。
同じ修学旅行用のキハ58系800番台も同様でした。
近鉄の修学旅行電車・あおぞら号は小学校の修学旅行で乗りました。
大阪の小学校は、お伊勢参り修学旅行が定番でした。
修学旅行の安否確認ですが、KBS京都ラジオで「修学旅行情報」というスポット番組?がありまして、「○○小学校修学旅行団は、○○に無事到着しました。保護者の方はご安心ください」なんて放送してました。これもみんな過去の事になりました・・
つだ・なおき
2019/02/28 23:29
しなの7号さん、おはようございます。

155系というのは実物に乗ったことはもちろん、見たこともないのですが(昨年?に鉄道模型では見たことがあります)、車内は6人掛+4人掛のボックスシートでその座席の間にはテーブルまであったというのを、昔の鉄道雑誌で読んで知りました。
それなりに長距離を移動するのに6人掛と4人掛とは、いくら修学旅行で学童利用が主体とは言え高校生も利用する訳ですから、当時の日本人の体格でもかなり窮屈ではなかったのかな、と思います。
私としてはエコノミークラス症候群などが心配になってしまいますが、当時はそんな概念も全くなかったのでしょうね。

私の住む県では、昭和が終わって平成の時代になった1990年代半ばくらいまで県立高校では修学旅行がなかったそうです。正確に言えば「修学旅行に行けるのは女子だけで、男子は山奥の研修所のようなところに軟禁?されて朝から晩まで軍隊のような生活をさせられた」そうです。
女子だけが修学旅行に行ける理由は「女子は高校卒業したら結婚して家庭に入って、そのあとはどこにも行けないから」という女性差別、男尊女卑を地で行くような理由がまかり通っていたそうです。
ちなみに行き先は東京から京都、奈良、大阪を回って帰ってくるというかなり盛りだくさんな行程だったそうです。

私は元々は九州ではなく関東出身ですが、父の仕事の都合でこちらに来てそのままいついてしまいましたが、私が移住してきた頃に男子も女子も一緒に修学旅行に行けるようになったそうです。
ある意味、しなの7号さんの高校時代よりも酷い時代錯誤の状況だったのかもしれないな、とこの記事を読んで思いました。
九州の鉄子さん
2019/03/01 07:29
つだ・なおき様 こんにちは。
私が子供のころ住んでいた地域での修学旅行での行先は、小学校が京都・奈良、中学校が箱根・東京が定番でしたので、私は伊勢参りに行ったのは転職後が初めてで、そのとき(昭和63年)が、JR参宮線初乗車(往路)であり近鉄特急初乗車(復路)でした。近鉄さんには縁がなく、2階建てあおぞら号に乗ることも見ることもありませんでしたが、あれは名車ですね。

都会では修学旅行の安否確認をローカルラジオ局が担っていたのですね。地域によるでしょうが、有線放送がない町などは、防災行政無線の屋外一斉放送なども使われたのではないでしょうか。
しなの7号
2019/03/01 16:17
九州の鉄子さん様 こんにちは。
乗車した159系「こまどり」にも着脱式の大型テーブルが付いていましたが、一般用列車で運用されるときには取り外してありました。専用電車ができる前の修学旅行は、定員以上に詰め込んだということですから、たとえ狭い3人掛シートでも1人ずつ座席があることは有難いことと捉えられていたと思います。155系電車が登場するわずか十数年前は戦後の混乱期でした。例えば宮脇俊三著「増補版時刻表昭和史」第14章に終戦直後の夜行列車の惨状が綴られています。満員でトイレにまで人が乗り込み、出入口から乗降できず、乗り降りは窓から。とても女性が乗れる状況ではなかったそうで、誰もが安心して乗れる交通機関として、鉄道は昭和の時代に少しずつ発展改良されてきたということでしょう。

私の高校でも広島県の江田島にある自衛隊術科学校宿泊カッター訓練(幸いにして雨で資料館見学に変更♪)を含んだ「研修旅行」でした。ただし旅行コースには広島市内と秋吉台観光が含まれ、男女とも同じコースだったと記憶します。平成に入ってからも、おっしゃるようなことがあったとは信じられない思いがしますが、同じ国、同じ時代であっても、田舎と都会では性差別だけにとどまらず、日常生活全般にわたって考え方の落差は計り知れないと思っています。私は生まれてから30年近くを田舎で暮らし、その後転居してからまた30年、ときどき田舎に帰ってみると、30年前とさして変わりない古い「しきたり」も残っており、時代錯誤を肌で感じています。
しなの7号
2019/03/01 16:18
自分の修学旅行は0系新幹線でしたが名古屋までは往路は神領区の165系12両復路は113系8両でした。大垣の155系は房総急行増備の為、大垣の153系が転出した玉突きですね。
中央西線
2019/03/01 21:48
中央西線様
高校の研修旅行(一般に言う修学旅行に相当。行先は広島・山口)は、新幹線博多開業前でしたので、岡山までの往路新幹線を含む一般客扱列車利用でした。
そのあと50.3新幹線博多開業関連で大垣に155系が宮原から転属していますね。F誌1975年4月号によれば、
下関の167系36両中16両が宮原へ
宮原の155系32両が大垣へ
玉突きで
大垣から165系が宮原へ13両・アルプス/天竜などDC急行のEC化用に14両
大垣から153系が山陽快速用に2両・総武成田鹿島線電化用に8両・新快速堅田延長用に2両
しなの7号
2019/03/02 15:37
しなの7号様おはようございます
159系良いですね、好きです。
系列の無駄使いで、もう少し後年登場だったなら155系の番台区分になっていると思う。
一桁9番でもEF63との協調運転は出来ません。
中京地区は修学旅行の期間が短いので当初から波動輸送に使えるよう153系同様の座席にしたとか。
私が中学生の時はこまどり利用の学校も残っていましたが多くは新幹線に移行しており、うちの学校も前年から新幹線だったと思います。
155と159も含め快速で乗った事があるだけです。
新幹線若返り工事の都度何度も「東海51号」に乗っていますが159、155どちらか忘れましたが組み込まれていた事もありました。
この列車は名古屋〜豊橋無停車なのですが
こまどりのスジで運転されていたので
こまどり停車駅である刈谷駅も運転停車で必ず停車していました。
名古屋から乗り刈谷駅でホームにいた同僚と顔を会わせたり
大垣に155系が転属してきたことにより
153、155、159、163、165を豪華に使う直流急行型電車見本市のような編成もありました。

そう言えば晩年は全て湘南色で153系風塗り分けになりましたがクハ155のうち1両だけ元々の113系風塗り分けで湘南色になったのがいますね
マイクロエースの製品もわざわざ作り分けて編成箱に入っています。
167系は存在は知っていましたが今に至るまで見たことありません。
ヒデヨシ
2019/03/04 06:09
ヒデヨシ様 こんにちは。
159系の一桁9番に違和感ありですね。例えば155系100番台などとしたほうが自然な感じさえします。首都圏や京阪神に比べれば中京圏の修学旅行需要は少なかったでしょうから159系は多目的に使用されたようですね。まだ中津川〜塩尻間が未電化のころ、夏休みに松本へ行ったら修学旅行色の電車が留置されており、155系だと思い近寄ると名カキとあり159系だったのに気付き、非常に驚いたことがありました。アルプス用に貸し出されていたようです。

155・159系が湘南色になってからの正面塗分けの件ですが、クハ155は153系と同じ。クハ159は−1が153系・155系に同じで、−3〜5が113系風だったと思います。(−2は修学旅行色のまま廃車)もっとも私は当時、クハ159が全部113系風の塗り分けだと思い込んでいました。
マイクロエースの湘南色159系・湘南色155系とも各1セットを買いましたが、保有数削減で4両ずつ放出。159系のほうは、そのクハ159−1だけが塗り分けてありました。
しなの7号
2019/03/04 14:19
こんばんは。
155系や159系には縁がありませんでしたが、乗車したことをはっきりと覚えているのは、昭和53年3月の急行東海51号(名古屋→品川)の159系です。東海道新幹線半日運休時の臨時列車でしたが、このときは、大垣夜行で名古屋へ行き、東海51号で帰ってくるというものでした。
TOKYO WEST
2019/03/04 23:34
TOKYO WEST様 こんにちは。
強行軍ですね(゚д゚)! ヒデヨシ様のコメントにもある急行東海51号、刈谷が運転停車とのことでしたので、当時の時刻表を紐解いてみました。そうしましたら静岡までの客扱停車駅は新幹線停車駅に限られていましたが、そのあとは清水・富士・吉原・沼津・・・と品川まで新幹線駅以外にも停車するのがちょっと意外でした。
しなの7号
2019/03/06 15:14
しなの7号様 こんばんは。
私も155系、見てみたかったです。(Nゲージは持っていますが・・)

京都府民の自分は高校の修学旅行は九州でしたが、行きかえりとも『さんふらわあ』でした。もし現地集合なら『博多まで新幹線』をあえて避けて山陽線鈍行乗り継ぎとかを決行したことでしょう。
(聞くところによると、母校の修学旅行は昨年は台湾かパラオかイギリスかを選べたようで、ずいぶん豪勢になりました)

ところで、現在の京都の中学生の修学旅行先を教え子に聞きましたら、学校によって沖縄かディズニーランドか信州(蕎麦打ち体験)でした。これなら行き先によって移動手段は自動的に飛行機か新幹線かバスに決められてしまいますね。信州は全行程がバスだったので退屈だったようです。
逆に北海道出身の生徒は修学旅行は京都だったと言っていました。先入観で、京都の女性はみんな舞妓さんの格好をしているとか、京都と奈良は自転車で5分くらいだと思っていたようですが、それは北海道の人は冬にはみんなスキー板を履いて通学していると思いこむようなものだよ、と言って笑いました。
やくも3号
2019/03/09 21:18
やくも3号様 こんにちは。
私も155系は改造後しか見たことがありませんが、改造後でもいったん車内に入るとボックスごとに枕木方向にずらりと蛍光灯が並ぶ光景は、バス窓キロハ25を見るように?あまりのショックに寝込んでしまわれたかもしれません。それでも新品に交換された4人掛けの座席は153系より背もたれの腰の部分がヘタってなく掛け心地はよかったです。

今の修学旅行は豪華になったのですね。行先を選べることも含め、少子化時代には学校の宣伝効果にもなっているのでしょうね。

航空機・新幹線・バスのコースで選べと言われたら、
新幹線>バス>航空機
乗り物酔いをしないこと、地に足が付いた乗り物であることが重要。
行先で選べば
・・・・沖縄>信州>>>>ディズニーランド
沖縄はモノレール以外に鉄道が見れない。
信州でわざわざ食いもんを作らされるのはいや。
この手のテーマパークは大嫌い。
つまり、どのコースも我慢を強いられるコースになりそうなので、京都在住でなくてよかったかも。
自分たちは田舎の学校ゆえに、修学旅行で京都に行って初めて外国人を見た者は多かったと思います。
しなの7号
2019/03/10 13:01

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