【971】 中央西線を走った車両23: 70系電車(後篇)

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 今回は先週の70系電車の続きです。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 神領電車区の70系は6両編成で運用されていました。 1978年10月 釜戸~武並 そのほか朝夕の増結用(岡多線の旅客営業開業後は岡多線用としても使用)として4両の付属編成もありましたので10両編成も組んでいました。一時期12両編成もあったと記憶しています。10両編成以上で中津川まで入っていた定期列車は私が知る限り1往復だけでした。 <ある日の10両編成の記録> 1969年4月28日 626M 6:29中津川発=8:07名古屋行   クハ68082   モハ70116   モハ70044   サハ75004   モハ70078   クハ76305   クハ76030   モハ70307   モハ70018   クハ68075 (所属名未確認ですが、全車「名シン」と思われます) 4両・6両編成とも、両端のクハがどちらもクハ68という編成は見たことがなく、それはたぶんクハ68にはトイレがないからだと私は思っています。しかし10両(6両+4両)になると、この例のように両端がクハ68になることがありました。当時の私はクハ68に対して偏見を持っていたこともあって、こういう編成は嫌…

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【970】 国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-3)

先週に引き続いて、国鉄時代に録音した「しなの号」の車内放送の解説や補足などを書いておくことにします。音声は、車内放送部分だけを編集してアップしていますので、車内録音ノーカット版ではありません。収録した日と列車は前回と同じで、続編となっています。 ・録音日:1986年10月26日 ・列車:中央西線・篠ノ井線「しなの7号」 ・運転区間:名古屋・長野 ・今回の収録区間:薮原~松本到着放送 ・収録時間:約11分20秒 ◆薮原宿 鳥居峠 奈良井宿(0分05秒~) 薮原駅と奈良井駅の間に鳥居峠があり、ここが太平洋と日本海との分水嶺になっています。蒸機時代は難所だったそうですが、複線電化されるにあたって現在の新ルートに付け替えられて、今では電車が鳥居トンネルを通って難なく通過します。 中山道時代はさらに大変だったわけで、その難所の麓にある薮原と奈良井の両宿場町が栄えたということです。奈良井宿は昔の面影を残す観光地になっており、中央西線はその宿場町に並行していますが、残念ながら車窓から眺められるのは宿場町の家々の裏側なので、宿場町の風情を味わうためには普通列車に乗って奈良井駅で降りなくてはなりません。 放送にもありますが、しなの号の運転区間の中で、いちばん桜が咲くのが遅いのがこのあたりです。4月に「しなの号」に乗ると、どこかで満開の桜に出会えます。その約1ヶ月間で満開の桜を見られる場所が変わっていき、年によって多少は違うものの大型連休あたりにこの付近で満開を迎え、その年の車窓からの花…

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【969】 中央西線を走った車両22: 70系電車(前篇)

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 70系電車は、80系電車に比べると知名度が落ちますが、電化されたばかりの1966年から中央西線で使用されていました。そのころ電化区間は名古屋~瑞浪間だけで、まだ神領電車区もなかった時代でしたから、大垣電車区の所属になっていました。1968年に中津川までの電化工事が完成すると神領電車区が開設され、70系は大垣電車区から神領電車区へ全車が転入し、それとは別に大船電車区からも新たに70系が神領電車区に転入してきました。これでその年の10月からの中津川電化に伴うダイヤ改正への車両配置が整ったわけです。1977年3月10日 高蔵寺~定光寺 瑞浪・中津川間の複線電化工事は1968年8月に完成し、10月のダイヤ改正を前にして、夏休みに沿線の小中学校の児童生徒を対象とした試運転列車の無料試乗会が催されました。大人たちが10月のダイヤ改正まで乗車できない「電車」に乗れることはこの上ない喜びでした。しかし定員の関係なのか全校児童生徒が対象というわけではなく、私が住んでいた校区では学年が指定され、小学5・6年生と中学1年生に限られていました。私はそのとき小学5年生でしたので、かろうじてセーフとなり幸運でした。学校の行事という感覚で、欠席者もほとんどなかったような…

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【968】 国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-2)

先週に引き続いて、国鉄時代に録音した「しなの号」の車内放送について解説や補足を書いておくことにします。音声は、車内放送部分だけを編集してアップしていますので、車内録音ノーカット版ではありません。収録した日と列車は前回と同じで、その続編となっています。 ・録音日:1986年10月26日 ・列車:中央西線・篠ノ井線「しなの7号」 ・運転区間:名古屋・長野 ・今回の収録区間:倉本~宮ノ越付近(4-2) ・収録時間:約13分00秒 ◆乗鞍岳(0分05秒付近~) 深い谷が続く木曽谷の底から乗鞍岳が見えることは意外に知られていません。もっとも雲がなく空気が澄んだ快晴の日でないと見られないのですが、コンディションさえよければ、倉本駅を出てすぐ、左側の車窓から列車と並行しながら左へカーブしていく木曽川の上流方面に見えます。 ◆小野の滝(案内放送0分18秒付近~1分25秒)       (現地を通過するのは2分44秒付近) 放送で「滝の上のほうだけ見えます」と言っているように、列車の車窓から滝の全容を見るのは不可能です。下を走る国道19号線には駐車スペースもあり、そこからは全容が見られますが、滝の正面を横切る中央西線の鉄橋がたいへん目障りです。江戸時代に安藤広重による浮世絵「木曽海道六拾九次之内『上ヶ松』」にも描かれた名瀑ですが、明治時代に造られた鉄道によって景観が台無しになったわけで、今なら景観の保護が優先されたのではないかと思います。 ◆寝覚ノ床(1分25秒付近…

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【967】 中央西線を走った車両21 :80系電車と115系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 80系電車は、国電の代表形式のうちの一つで、幹線からローカル線まで幅広く活躍し、電化された中央西線でも使用されていました。 1980年3月頃 美乃坂本~中津川 中津川電化時点(1968年)ごろは、中津川まで乗り入れる定期列車には70系が主に使われていましたから、そのころ中津川界隈で80系を見た記憶といえば、週末に運転された臨時快速「恵那峡」くらいでした。 厳密に言うとそれはウソになります。と言うのは神領電車区の70系に組み込まれたサハのうち3両は横須賀色に塗装された80系のサハ85が混入していたからで、いつも「スカ色」の80系を見ていたことになります。そのサハ85については、後日70系の記事のなかで語ることにしますので、今回は触れません。 中央西線で本格的に80系電車が使用されるようになったのは、中央西線が全線電化された1973年からと言ってよいと思います。 1979年4月29日 田立~坂下 南木曽以北に断面が小さいトンネルがあるため、使用されたのは電動車モハ80のうち低屋根800番代か、折り畳み高さが低いPS23パンタに取り換えた神領電車区の編成に限定され、4両単位で編成を組んでいました。70系にはそういう狭隘ト…

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【966】  国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-1)

私が国鉄末期に乗務していた「しなの」号は、名古屋と信州を結ぶ列車で、381系電車9両編成で運転されていました。 乗務する車掌は3人チームで、その中の車掌長がチーフと呼ばれ、車内放送も受け持っていました。チーフは列車全体の責任者としてグリーン車の乗務員室に乗務し、私は最後部の運転室でドア扱いも担当する最下位の専務車掌で、乗客扱いのほかに列車の運転に関する取扱(ドア扱いをはじめ信号現示確認し列車を発車させるなど)を兼ねていました。もう一人は特別改札行路の専務車掌(車掌長行路に組み入れられていたので、実際には車掌長職の場合がほとんど)で、主に前寄り3両の自由席車を受け持ちました。チーフはグリーン車を含む編成中央部の指定席3両を、最後部の私は後寄り3両(指定席)を受け持つのが一般的でした。 当時の私は、何事もなければ将来は車掌長になるのが自然の成り行きでしたから、車掌長の仕事のテクニックなどを見て、後の自分の仕事に活かそうと思っていました。 この列車では、観光客のみなさんから、車内巡回中に沿線の風景や名所について尋ねられることもありましたから、私は必ず木曽路の観光ガイドブックを持って乗務していました。詳細な沿線観光案内放送をされる車掌長氏とコンビになったときには、最後部の運転室で私物の小型テープレコーダーでそれを録音したこともあり、わかりやすい放送のしかたや、沿線の観光地のことなどを勉強したものです。 その録音テープを今になって聴きなおしますと、あたかも実際にしなの号に揺られているようで、…

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【965】 中央西線を走った車両20 :475系電車と72系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 《475系電車》 中央西線に交直両用475系とは実に違和感を持ちますが、名古屋~博多間の急行「玄海」の間合い運用でした。それはおそらく神領電車区が完成した年、1968年10月のダイヤ改正(中津川電化時)からだと思いますが、当時は中津川まで運用されていなかったので、私は見たことがありませんでした。私が475系に気付いたのは中津川まで運用されるようになったときで、古い時刻表と記憶とを総合すると、中津川始発の上り快速列車が2本体制になった1969年10月のダイヤ改正からではなかったかと思います。その1年前の電化完成時1968年10月のダイヤ改正で中津川を朝7時台に153系の上り快速が設定されましたが、1969年10月の時刻表を見ると朝7時台に中津川始発の上り名古屋行快速が運転されるようになっています。下の画像は時が経過して1971年4月に美乃坂本~恵那で撮影した快速636M名古屋行です。(列車後方から撮影)  画像では正面愛称板こそ白表示ですが、字幕には「急行」が出ていて、そういうことに無頓着だった時代であったことを反映しています。 1本前の153系快速が普通車8両編成で、中央西線にデビューしたころは輝いて見えたものでしたが、この475系はサ…

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【964】 駅名のアクセントと読み間違い

国鉄時代の1983年8月8日に、関西本線の桑名・富田間に「朝日」駅が開業しました。 記念の臨時列車が運転されました。 記念乗車券も発売されました。記念乗車券は硬券セットで、これは部内でも予約注文を受け付けていましたので、当時の私の乗務範囲内のことでもありましたから入手し、増収に協力?しました。駅の近くにアサヒビールの工場などがあるわけではないと思うのですが、ホルダーにアサヒビールの広告があるのが、面白いと思います。 どうでもよいことかもしれませんが、新駅ができて、「次は、あさひ、あさひです」と車内放送をする立場になると、アクセントが「あ」に来るか「さ」に来るか、気になってしまいました。部内の指導資料には、記念乗車券を回収するときは記念券部分を旅客に交付しろとか、当たり前のことは書いてあるくせに、アクセントをどうするかというようなくだらないことはもちろん書いてありません。結局のところ正しいアクセントは未だによくわかりません。近鉄は「伊勢朝日」ですから、参考になりそうですが、そう考えると「名古屋」にしても「近鉄名古屋」「名鉄名古屋」では「な」にアクセントが来ますし「名古屋市」「名古屋行」だと「ごや」にアクセントが来ますが、単独で「なごや」と言うと「な」にアクセントが置かれる場合もあれば「ごや」の場合も聞きます。どちらかが正しいとか間違っているということではないのでしょうから、どうでもいいことなのは承知していますが、特に地元民の方がお聴きになると違和感を感じる方はあるだろうと思うわけです。 …

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