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zoom RSS 【973】 中央西線を走った車両24: 20系客車(団体と回送)

<<   作成日時 : 2019/04/04 06:00   >>

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国鉄時代に中央西線で活躍した車両たちを振り返りながらここまでまいりましたが、一般客扱いではない団体専用列車や回送列車、試運転列車なども、いくつか画像に記録しておりますので、引き続きご紹介してまいります。
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1985年1月22日 大桑〜須原(既出画像)

20系寝台客車については、「ちくま」関連で以前に書いたのですが、「ちくま」の20系客車は12系客車との併結編成でした。しかも夜行列車でしたから中央西線内で撮影した画像がありません。しかし国鉄末期になり、20系客車が特急運用から外されて団体用に転用されるようになると、九州方面から信州方面への団体臨時列車として入線してくることが増えてきました。
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1986年(撮影日不明) 釜戸
ほとんどが冬場の運転で、高校のスキー学習の団体さんのようでした。こういう列車が冬場の信州には集中しましたから、現地に車両の留置や整備清掃する基地がなく、輸送後に空いている車両基地まで回送する列車が運転され、逆に車両基地から帰路の団体さんを信州にお迎えに行く回送列車もあったわけで、こういう列車は日中に運転されることが多かったのです。
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1987年(撮影日不明) 美乃坂本〜中津川
このころの20系客車の車体に3本あったラインのうち、一番上の1本が消されつつあった時代で、それが特急用から格下げされた証のようにも思えました。

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1986年月日不明 中津川〜美乃坂本(既出画像)
20系の入線が増えたころ、名古屋鉄道管理局に欧風客車ユーロライナーが誕生し、EF64 66が、その塗装に合わせて塗り替えられました。正面から見るとEF65PFに似た塗り分けでしたから、20系の牽引をする機会に出会わないかと思って気にしていましたが、実現しました。

そしてこれも既出画像ですが、もう一度。
八王子機関区からお召列車を牽引したEF64 77が国鉄最末期に稲沢機関区に転入し、20系客車をけん引したこともありました。
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以前にも書きましたが、20系客車は幼少時の私にとっては見ることも乗ることもできない車両でした。そして大人になっても「乗る努力」をしなかったので乗る機会がないままで、停車中の車内を見せていただいたことが唯一の「乗車」体験でした。そういう20系が地元の鉄路を駈けていくのを苦もなく見ることができるようになったことは、夢の一部だけが現実になったようにも思えました。しかしその姿は特急で活躍したときとは大違いで、明らかにくたびれているのがありありとわかり、そのとき瀕死状態の日本国有鉄道も併せ見る思いがしたものです。
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1986年1月13日 9815美乃坂本〜中津川







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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。流石は「腐っても20系」ですね(ホントに車体裾が腐食してました)。でもやっぱり、2本帯になったら惨め感は否めませんでしたね。特急のときに乗ったのは「あかつき」で2回だけでした。急行格下げ後なら、「だいせん」「かいもん」ですね。ナロネ21改造のナハ21は、けっこう好かったですよ。
つだ・なおき
2019/04/04 23:06
つだ・なおき様 こんにちは。
20系客車と181系電車は国鉄在来線全盛期のイメージリーダー的車両でしたので、乗っておくべきでしたが、どちらにも乗れずじまいでした。「だいせん」に乗ったのは14系時代でしたし、「かいもん」は10系時代。つまり国鉄在職中にはまったく乗る努力をしていませんでした。出かけるときはいつでもクルマで、列車に日常的に乗務しているとプライベートでわざわざ乗る気になれなかったのは確かです。まして国鉄在職中に利用した夜行列車と言えば、14系「さくら」と旧客「越前」の2回しか思い当たりません(*_*;
しなの7号
2019/04/05 07:31
 博多から初めてお便りします。文面から誠実な人柄がお察しできるとともに、高い文章力に敬服しています。今回は20系寝台車ですね。私は大阪で育ちました。子供の頃、母の故郷である青森県まで毎年1〜2回、急行時代の「日本海」を利用していました。大阪を夜出ても、青森に着くのは翌日夕。子供には極めて退屈でしたが、いい思い出になっています。
 中央西線は長野での友人の結婚式で乗った「しなの」、なにより新宿から夜行の「ムーンライト白馬」で松本まで行き、乗り継ぎで西線の一番列車で名古屋まで利用しました。どれも懐かしさばかりです。
 これからも健筆を期待しています。ありがとうございました。
バブ
2019/04/05 10:56
バブ様
もともと作文は嫌いでしたが、好きな鉄道なればこそ、こうして書く気になるというものです。ご覧いただくのもお恥ずかしい限りですが、ご評価いただきありがとうございます。
汽車旅の良さがわかる前の子供であったとしても長距離夜行列車の非日常体験の記憶はしっかり残るでしょうね。私の夜行列車体験は高校生のときが最初でしたが刺激が強かったものです。ただし、そのころの20系寝台特急は私には身分不相応なもので、乗ったのは急行列車ばかりでした。
ご利用になった「西線朝一番の名古屋行しなの」はたぶん1002Mしなの2号だと思われますが、私の最終乗務列車となりましたので懐かしい列車です。博多にお住まいですと信州は遠いですが、機会がございましたらまた中央西線の旅をご堪能ください。
予告しておりますように平成の終わりとともに、拙ブログは事実上お休みとなり不定期更新とさせていただきますが、廃止するわけではありませんので、ときには覗いてみてください。ご投稿ありがとうございました。
しなの7号
2019/04/05 13:38
しなの7号様、こんにちは。
坂本衛氏はようやく、やっと乗務出来た20系は急行「だいせん」だったと書かれていますが、私も一度だけ駆け込みで乗れたのが「だいせん」でした。
せっかくなのでBネ下段を確保したのですが、確かにあのスペースは既に時代にそぐわなくなっていたかもしれません。翌朝、ナハ21に座ってみましたが、天井高といい、あれはお得だったかもしれません。倉吉から先の快速区間を定期券で乗れる通学生が羨ましく思えました。
大社線に入ると、外車で畦道に入り込んだ感じがしました。もっとも当時の私はまだ外車なんて乗ったことはありませんでしたが。
帰路は10系普通「山陰」B寝台でしたが、寝てしまえば20系との差は感じられませんでした。
NAO
2019/04/07 11:59
NAO様 こんにちは。
幅の狭いB寝台に非自動扉という20系が時代遅れな車両と思われたのは確かです。同時にナハネ20にも乗務員室があり1車1人の乗務を想定した設計であり、ナハネフ22に展望スペースがあったことには、昭和30年代の特急らしさと品の良さを感じていました。
中央西線での臨客は、たいていゆったりしたダイヤでした。EF64のブロア音の後に静々と品のいい青い車体がゆっくりと続き、最後に12系より重々しいエンジン音がカヤから聞こえ、遠ざかっていくまでを見届けるのは、自分には幸せな一瞬でした。中央西線の20系も「外車で畦道に入り込んだ感じ」の大社線と大同小異で、「人気がなくなった有名芸能人の地方巡業」だったでしょう。田舎住まいの私など、地元で有名芸能人が観られると、その興行を楽しみにしていたファンの一人と言えます。
しなの7号
2019/04/07 14:21
こんばんは
うわぁ、よく追いかけました。まさにその時期です!
某情報誌を見て、運転日が土日だとチャンス!
小、中学生でしたので名鉄広見線と国鉄(JR)太多線を使って
の出撃であり、中央西線といっても多治見駅での駅撮りが精いっ
ぱい。あとは、せいぜい多治見駅東にある歩道橋からカーブ
の勾配を下ってくる列車を撮るぐらい。20系8両とかだと後ろは
切れちゃいますが、それでも「ブルトレ」が撮れたと大喜びで
した。
多治見駅では中線停車が多く、多治見駅東の歩道橋から急いで駅に
戻って見学・撮影大会でした。回9821レ、今でも覚えている
思い出の列番です。
とうかいしれい
2019/04/07 21:15
こんばんは。

以前にも書いたと思いますが、車内の静粛性はのちの14系や24系よりも優れていましたね。また、寝台のカーテンもセット・解体のたびに付け外しをしていたため、手間はかかりましたが、昼間の居住性にも意を払っていたことがうかがわれます。
ところで、20系客車のほか、10系客車や153系、181系など昭和30年代に登場した車両は老朽化が早く、比較的短命だったように思います。20系は「ナ」級で、14系・24系の「オ」級に比べて軽いことが影響しているのではないでしょうか。
TOKYO WEST
2019/04/07 22:46
とうかいしれい様 こんばんは。
いただいたコメントは、自分の中学生時代に重なります。ただし、私の中学生のころの撮影目的はD51であり、お決まりの場所は中津川か落合川で、列車に乗って出かけました。
この20系団臨が入線した国鉄末期にはマイカーで追っかけもできる20代後半になっていましたが、「ブルトレが撮れた」と大喜びだったのは、その中学生時代と変わっていませんでした(*‘∀‘)
あのころRF誌に毎月掲載されるようになった「国鉄団臨情報」には中央西線関係の団臨も多かったですね。たまたま今、そのころのRF誌(1986年4月号創刊300号)を見返しましたところ、宮原操〜名古屋〜塩尻〜(ここまで回送)辰野〜篠ノ井〜秋田を往復する20系団臨や、前に書いた20系多客臨「なにわ銀嶺」のことも書かれ、想像どおり宮原車の運用で終点妙高高原から直江津まで回送されていたこともわかりました。全国一社制の国鉄らしい運用だなあとつい見入ってしまいました。
しなの7号
2019/04/08 19:41
TOKYO WEST様 こんばんは。
20系客車に乗車していないので車内の静粛性のことは私にはわからないですが、あのころの特急用車両は、設計にも保守にもひと手間かける時代でしたね。それがおそらく時代の変化と財政的な問題で、その後の車両は費用を抑え、保守の手間をかけないような方向に向いていったということでしょうか。一方で10系客車からスタートした軽量化は、おっしゃるように車両の寿命にはかなり影響したと思われます。軽量化によって、昔は牽引定数内で増結による輸送力増強に寄与し、今は省エネに貢献しているものだと思います。けれど初期の軽量化技術と使える材料では、耐久性が犠牲となったということでしょうか。ところで20系は「ナ」級を名乗りながら、難燃化対策などで事実上「オ」級になってしまったようですね。
しなの7号
2019/04/08 19:42

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