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zoom RSS 【979】 平成時代の鉄道と私(平成元年〜平成10年)

<<   作成日時 : 2019/04/25 05:00   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 19 / トラックバック 0 / コメント 8

国鉄が分割民営化されて2年も経たないうちに平成の世になりました。それから30年以上経ち、平成が終わりを迎えようとしていますが、鉄分は薄まりつつも維持しています。平成元年から平成31年まで撮影してきた鉄道関連の画像のうち、なるべくいままでアップしていない画像を選んで、各年1枚ずつ3回に分けて順にアップしていきます。今回は平成元年から平成10年までです。

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平成元年(1989年)
まだまだ、地元で見る列車も駅も国鉄のころの面影をそのまま残していましたが、少しずつ国鉄にはなかった新形式がJR各社で登場しつつありました。
画像
<平成元年8月13日 中央西線 美乃坂本〜中津川>
実家へ帰ったときに、JR東海が昭和63年に旧国鉄のキハ80系を改造して誕生したジョイフルトレイン「リゾートライナー」を撮影しました。このころ国鉄形車両の改造車や車体色変更車両がたくさん現れましたが、どれを見ても違和感だけでなく、センスのなさを感じました。

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平成2年(1990年)
樽見鉄道で蒸機運転が行われたのがこの年でした。
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<平成2年8月23日 樽見鉄道 谷汲口〜神海>
C56160をJR西日本から、客車も一部をJR東海から借り入れるなど、バブル景気最後の年らしい大盤振舞のイベントでした。

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平成3年(1991年)
撮り鉄にはめっきり行かなくなったかわりに、積極的に未乗線区に乗りに行っていました。この年、春の青春18きっぷ使用開始初日(このころ春の使用開始日は2月20日からでした。)から、元同僚だったJRの現役車掌氏4人といっしょに2泊で豪雪ローカル線を旅しました。その途中で、寄り道をして磐越西線の会津若松→猪苗代間で気動車が牽引する上り雪見トロッコ列車に乗りました。
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<平成3年2月21日 磐越西線 猪苗代〜翁島>
画像はその列車から降りたあと、猪苗代から折り返していく下りの雪見トロッコ列車です。

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平成4年(1992年)
青春18きっぷだけで日帰りできる範囲の旧国鉄未乗線はかなり減ったので、出かける目的が昭和の面影を残す私鉄車両撮影になってきて、その一つが南海貴志川線でした。この1201形電車は戦前の整ったスタイルと落ち着いた塗装で、お気に入りでした。
画像
<平成4年9月1日 南海貴志川線貴志駅>
今では、南海貴志川線は和歌山電鐵貴志川線となり「たま駅長」で有名になりましたが、もちろんそのころ「たま」はまだ生まれていません。

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平成5年(1993年)
この年、D51498が牽引する「信州博アルピー号」が松本〜辰野間に運転されました。
画像
<平成5年7月20日 中央東線 塩尻〜小野>
比較的近いところでD51498が見られるとあって、日帰りで3回通いました。
乗るほうも含め、鉄分が少ない年でした。

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平成6年(1994年)
「乗る・撮る」のほかに、鉄分のない温泉旅を含めると、この年は10回(12泊)宿泊を伴う旅をした特異な年でした。その中の一つが、またD51498の撮影行で、今度は信越本線長野 - 黒姫間に運転された「SLアップル号」でした。
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<平成6年10月30日 信越本線 牟礼〜古間>
そのほかにも日帰りで大井川鉄道と秩父鉄道にSL撮影を目的として出かけており、ここに来て撮り鉄が復活傾向になりかけましたが、継続しませんでした。

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平成7年(1995年)
この年は4月に転勤があり、仕事上最悪の年でした。11月になって腹いせに東北へ乗り鉄に出かけています。
画像
<平成7年11月27日 東北本線 野辺地駅>
ED75 700牽引の50系客車です。乗車したのはこの画像にある列車ではありませんでしたが、この日が赤い50系客車への最後の乗車になりました。
このあと、旧国鉄線の未乗線区を乗りつぶす目的で、8年連続で毎年東北への旅をすることになります。

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平成8年(1996年)
この年の春、長く使ってきたカメラが壊れ、オートフォーカスのカメラに変えました。そんなことがきっかけになって出かける機会が、乗り鉄撮り鉄ともに増えました。
画像
<平成8年9月1日 茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)湊線 金上〜中根>
キハ11国鉄色に惹かれ、この年2回茨城交通湊線へ行きました。国鉄分割民営化後9年にもなると、国鉄色復活が集客力を発揮するようになってきたようです。乗り鉄は前年から連続となる東北行と初の四国進出がありました。

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平成9年(1997年)
この年には、北陸本線の北びわこ号にC571が使用され、その撮影に3度ほど出かけましたが、多くのギャラリーに囲まれるのがストレスになってきました。こうして人気を集める機関車があると思えば、誰にも見向きされず朽ち果てていく保存車両もあることを複雑な思いで見つめるようになったのもこのころで、保存車両巡りをかなり頻繁にしています。
画像
<平成9年10月10日 長野県白馬村 C56 150>
乗り鉄のほうは、北海道、中国地方西部、東北に出かけています。

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平成10年(1998年)
この年、今の住まいに転居したこともあって、休日は家にいることが多くなりました。それでも乗り鉄はいちおう継続していて、毎年恒例になった東北のほか、2年連続で北海道にも出かけています。
画像
<平成10年7月20日 石北本線網走駅>
残っている旧国鉄車は、どこへ行ってもJR各社のオリジナル色に塗り替えられているのが当たり前の時代になっていました。そういうこともあって撮り鉄活動はしなくなりました。








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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
お疲れ様です。様々な列車のお写真UPしてくださりありがとうございます。旧南海貴志川線の1201線レトロでいいですねー浮烽オリバイバル運転でもあれば乗りに行くため資金作ります。今はたま電車やいちご電車ですかね。和歌山県と言うと果物はみかんですが紀の川市は苺も有名で貴志駅に隣接する売店にも苺関連のお菓子が売られていますね。たまちゃんも亡くなりましたが亡くなった後でもグッズはよく売れています。
鉄子おばさん
2019/04/25 10:22
鉄子おばさん様 こんばんは。
さすがに戦前製の南海1201形はすでに過去帳入りしていますので、もう走る姿を見ることはできませんが、この画像を撮影したころより華やかになったであろう貴志駅には再訪してみたいと思っています。
しなの7号
2019/04/25 22:10
おはようございます。さすがに戦前製の1201形にはもう会えませんよね。夢で会うことにします。貴志駅にはぜひ足を運んでみられるとよろしいかと思います。私は過去2回貴志駅に行ってガラス越しですが生前のたまちゃんにお目にかかっています。今度は毛の長いニタマちゃんにお目にかかりたいです。
鉄子おばさん
2019/04/26 07:45
鉄子おばさん様 こんにちは。
和歌山県には、ほかに訪問する予定にしているところがありますので、そのときに組み入れたいと考えています。
しなの7号
2019/04/26 09:54
しなの7号様こんばんは
元々ジョイフルトレイン自体に国鉄時代に生まれたものも含め興味が無かったので勝手にやってくれ状態でした。
お話しのJR各社の塗装変更車
まったくもってセンスのないものばかり
国鉄時代185系の斜めストライプはすごく良かったと思いましたがオリジナルだったからでしょうか?
185系リレー号、117系、新幹線300系など
優等列車や快速用車輌に窓枠を塗り分けるのではなく窓下のラインに違和感を覚えたものでした
近鉄特急など見ても窓部分の塗り分けは高級感あると思います
ヒデヨシ
2019/04/28 22:00
ヒデヨシ様 こんにちは。
私は国鉄時代のお座敷列車からスタートしたジョイフルトレインには、大いに興味を持っていました。自分が乗る側になりたいという意味ではなく、定期直通列車がなく観光客に見向きもされないローカル枝線へ入線や、各地の様々な機関車との共演が魅力でした。鉄道ならではの旅行形態の提供ができるという意味では、新しい鉄道になっても、新幹線頼みでなく在来線の活性化に寄与するものだと思って見てきましたが、バブル期のあだ花と言われるような存在で終わったのは残念でした。しかし、ここにきて豪華列車があちこちで生まれ、当時とは客層も旅行形態も違うものの、そういう需要があることを再認識しました。しかし如何せん、自社エリア中心の運用ですから、私の目には国鉄時代の再来とは映りません。ただ鉄道会社の地元とのタイアップによりローカル鉄道の活性化に寄与してもらいたいという思いは、当時と変わりありません。

国鉄185系から斜めストライプがはやりだしたようにも思えますね。169系かもしか色は、そのパクリ感がにじみ出ていましたから、やはり185系の場合はオリジナルだから自然で違和感を覚えないのでしょう。窓下のラインについても同感ですが、駅舎の設計や車両の無塗装化などとともにコスト意識至上となった社会情勢を映した結果のように思えます。
国鉄時代の20系客車にある単純な3本ラインの塗分けには高級感が出ていますし、同じ色使いなのに70系電車のような近郊形電車からは軽快感を放つ。そういうところが国鉄のセンスであり昭和の匂いなのだと思っています。撮り鉄はやらなくなりましたが、大自然の中にある列車の存在を際立たせる車体色の列車はめっきり少なくなり、撮影意欲は下がるばかりだったのが、私の平成時代だったようにも思います。
しなの7号
2019/04/29 08:23
しなの7号様、こんにちは。
平成元年もう国鉄ではなく世はバブルの絶頂期でした。私はこの当時の空気に馴染めず(地方都市の駅員に恩恵は無かった)、鉄道趣味からも離れていました。見慣れた国鉄車両がセンスを疑うような塗装や形態になっていくのが悲しく、見ることを避けたい気持ちもあったと思います。中学時代から憧れだったキャノンF1を購入したにもかかわらず、ほとんど鉄道を撮ることはなくなっていました。
近年もリニューアルと称して在来車を新型車と同じように塗装変更する例を見ますがやはりオリジナルが美しいと思います。20系客車と横須賀色は同じ色で塗り分けが違うだけなのにそれぞれ重厚と軽快を感じ国鉄センスの真骨頂だと思います。
ジョイフルトレイン私は結構好きでした。、ユーロライナーなど美しいデザインと塗色、専用塗装機があって興味をそそられました。のちの汚らしいJR塗装変更車と違う!と思います。
今JR九州をはじめとする豪華列車が流行りのようですが、これは「鉄道旅行」ではなく車両を含めて全く興味がありません。











門鉄局
2019/04/29 15:01
門鉄局様 こんにちは。
平成元年のところにアップした「リゾートライナー」を見たときには、門鉄局様が「見慣れた国鉄車両がセンスを疑うような塗装や形態になっていくのが悲しく、見ることを避けたい」とおっしゃるのとまったく同じ気持ちがいたしました。改造タネ車を知っているだけに、このときは、これがオリジナルのキハ80系であったら…という気持ちもあったことを思い出します。それでも「しなの」381系電車と「ひだ」・「南紀」80系気動車を最後まで国鉄色で通したJR東海の姿勢はJR他社に比べよかったと思っています。

この平成初期には、まだまだJR各社の主力は旧国鉄車で占められていましたが、各社とも意図的に国鉄の面影を払拭し、新会社をアピールしたいという意識が強かったのは確かで、新塗色に塗り替えられた車両が続出でしたが、なぜにあれだけ酷い色使いと塗分けデザインばかりだったのか、呆れるばかりでした。
SLの画像も入れましたが、こちらは逆に視覚のみならず五感で在りし日の国鉄を思い出させてくれました。SLそのものは理屈抜きに私は好きですが、こうした運転は「文化財」という側面より「興行」の匂いが強く、そのあとは何度も撮影に通うようなことにはなりませんでした。そして撮影する対象を見失い、セミ版カメラを手放しました。

近年の豪華列車、私も別に乗りたいとか撮りたいという気にはなりません。しかし中小私鉄でやっている食事なしの指定席プランがある特別列車なら、話のタネに乗ってみてもいいくらいには思っています。(そのときは旨くて安い地酒はちゃんと仕入れてから乗るつもりです(*'▽'))
しなの7号
2019/04/29 17:36

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