【980】 平成時代の鉄道と私(平成11年~平成20年)

平成元年から平成31年まで撮影してきた鉄道関連の画像のうち、なるべくいままでアップしていない画像を選んで、各年1枚ずつ3回に分けて順にアップしています。今回は平成11年から平成20年までです。


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平成11年(1999年)

撮り鉄活動はほとんどしなくなりましたが、乗り鉄のほうは、毎年恒例になった東北行を継続するほか、乗り残した旧国鉄線区に乗ることを兼ねて中小私鉄巡りや保存車両巡りに行くことはありました。
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<平成11年3月13日 蒲原鉄道村松車庫>

旧国鉄キハ41000の払下げ車クハ10で、国鉄時代の面影が存分に残っています。この車両に乗ることはできませんでしたが、現役でいることが驚きでした。けれども蒲原鉄道自体が、この年10月に廃止されバス化されました。

このときは蒲原鉄道乗車と撮影、新潟交通の撮影、JR越後線初乗りを兼ねて出かけています。


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平成12年(2000年)

この年は九州と東北地方の乗り鉄に出かけています。

秋田~鷹ノ巣間で、「あけぼの」のヒルネを利用しました。
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<平成12年2月12日 秋田駅>

乗り鉄に専念してきた結果、このころになると未乗の旧国鉄線は、名古屋から直接アプローチしにくい北関東や房総方面に集中して残ったほか、各地に散在する旧国鉄特定地方交通線から転換された第三セクター鉄道が目立つようになってきました。


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平成13年(2001年)

この年、遠方への乗り鉄旅は東北だけでした。職種が変わったこともあって出かけることが少なくなり、前年暮れからこの年にかけて、近場でフラリと行ける名古屋鉄道の乗り鉄を始めています。
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<平成13年9月22日 名鉄美濃町線 上芥見~白金>

他にあまり例を見ない郊外の路面区間には、撮り鉄には行かなくなっていても、新型車両モ800形とのミスマッチも面白く、ついカメラを向けたくなる光景でした。

名古屋鉄道の乗りつぶしなど、その気になれば簡単にできますが、いつでも行けると思っていると、なかなか出かけることはありません。長く放置した結果、名古屋鉄道線が完乗できたのは、このときから11年も後になってしまいました。


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平成14年(2002年)

この年から、コンデジに移行しました。

前半は仕事が忙しく、出かける機会がありませんでしたが、秋に入ってからその反動で各地に出かけています。9月四国が完乗となったあと、翌10月にも中国地方へ出かけています。
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<平成14年10月5日可部線三段峡駅前C11 189>

三段峡駅前に保存してあったC11 189は、高校生のころ志布志機関区で現役時代に出会ってから29年ぶりの再会だったことに気が付いたのはつい最近のことです。(現在は広島市内に移転とのこと)

その翌週には、いすみ鉄道・JR久留里線とセットで小湊鉄道。12月には北関東と乗り残していた磐越西線の一部に乗って、ここまで東北行は8年連続になりました。さらにその翌週には北九州方面にも出かけていて、いままででいちばん集中的に乗り回した時期になりました。


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平成15年(2003年)

この年は連続していた東北行きが途切れましたが、2年連続となる九州行があり、この時点で九州島内の旧国鉄線のうち「くま川鉄道」(湯前線)以外が完乗になりました。九州以外では、落穂拾いのように第三セクター鉄道に移管されている旧国鉄特定地方交通線や、いつ乗ったか日付を特定できないJR移管区間に出かけたり、そして参考記録として京浜東北線や中央・総武緩行線のように実質的な専用の線路を持つ運転系統にも乗りに出かけました。
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<平成15年7月27日 関東鉄道キハ102 下館駅>

このときは、乗り残していたJR東金線と真岡鐵道(旧国鉄真岡線)へ行くことを主目的としながら、鹿島鉄道・関東鉄道といった未乗ローカル私鉄を経由してアプローチしてみました。関東鉄道ではキハ100形(旧国鉄キハ30形)に乗ることを目的としていました。


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平成16年(2004年)

6月に、阿武隈急行と山形鉄道に乗車、9月には北海道の「室蘭支線」、日高線、北海道ちほく高原鉄道に乗車し、この時点で残っていた東北・北海道の旧国鉄線が完乗となりました。

12月にはローカル私鉄巡りを兼ねて関東地方へ出かけました。出かけた先ではいつも国鉄車両に乗っておきたい思いが強く、往路では余命わずかになったサロ111に乗ってみました。
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<平成16年12月10日 東海道本線 小田原駅> 

この日、未乗になっていた「快速むさしの」ルートに乗車して、旧国鉄線のJR東日本移管部分が完乗になりました。旧国鉄線乗りつぶしに目途がたったこともあって、この年から新たに鉄分のない2人とともに日帰りの「清酒ん18きっぷの旅」を始め、約6年間で17回続きました。


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平成17年(2005年)

旧国鉄線未乗線区を乗りつぶしていくほどに、未乗線区は散在し、往復の経路だけが長くなるばかりで、未乗線区乗車区間はほんのわずかということが増えましたので、ほかの目的を兼ねて出かけることは年々増えてきました。既乗線区で引退する国鉄形車両へ乗車するのも、その一つでした。
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<平成17年2月5日 山陰本線益田駅>

この翌月の引退が決まっていた「いそかぜ」(181系気動車)です。この「いそかぜ」乗車の前日には、北近畿タンゴ鉄道宮福線に乗車しました。旧国鉄線完乗をするにあたっては、工事が完了できず開業できなかった路線を引き受けた第三セクター鉄道を含む国鉄特定地方交通線転換鉄道にも乗車するようにしていました。

翌3月に北越急行ほくほく線に乗ったことで、乗るべき線区は九州の「くま川鉄道」(湯前線)だけになりました。ここまでくると、続けて乗りに行きそうなものですが、そのためだけに九州まで行くのもどうかと思い、そのまま放置になりました。そうなると出かけることがめっきり少なくなりそうなものですが、この年から中山道全宿場巡りから発展する形で中山道徒歩旅を始めました。その後は、途切れながらも4年かかって中山道「日本橋~草津宿」を完歩しました。京都三条大橋まで徒歩区間を延長することにしましたが、山科駅付近から三条大橋までは、いまだに未踏破で放置状態が長く続いています。


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平成18年(2006年)

この年は、中山道歩きに専念しています。もちろん往復には必ず列車を使いますから、半分は列車に乗って遊んでいるので鉄分は0というわけではありませんでしたが、純粋に列車に乗るためだけに出かけたのは一度だけでした。

それは、当時臨時運行だけになっていたJR東海の381系電車で名古屋~白馬間を一往復乗車したときでした。
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<平成18年5月5日 大糸線白馬駅>

この2年後、JR東海の381系は最期を迎えます。


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平成19年(2007年)

首都圏と中京圏を結んでいた旧国鉄の準急「東海」をルーツとする東海道本線の特急「東海」が、この年に廃止されました。廃止になる前に乗っておこうと、首都圏に用事を作って乗りに行きました。
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<平成19年1月13日 東海道本線静岡駅>

中山道歩きが信州から関東地方へ進んだ関係もあり、この年はその後も首都圏に出かける機会が幾度かあり、東海道新幹線で往復するばかりでは面白味がないので、「しなの」~「あさま」~「のぞみ」で一周するコースをよく使いました。


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平成20年(2008年)

この1年、中山道歩きは日本橋に向けて埼玉県内で長く中断したままで、年末近くなって2度(3日間)歩きに出かけただけで、東京都を目前にして年を越しました。

そして、平成16年から継続中だったのが「清酒ん18きっぷの旅」でした。
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<平成20年3月14日 北陸本線今庄駅>

「清酒ん18きっぷの旅」の途中、北陸本線今庄駅で下車した列車が去っていく画像です。まだ419系が健在でした。

そのあとも「清酒ん18きっぷの旅」は継続していますが、そのほかには、遠方に出かける機会は少なくなっていきました。


~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~


「平成21年~平成31年」が残ってしまいましたので、明日、臨時便として平成最終日の夜にアップします。予告どおり毎週月・木曜日の定期更新は今月で終了とさせていただきます。










この記事へのコメント

  • NAO

    しなの7号様、こんばんは。
    今回が定期最終便なのですね。花束をお渡ししたい気持ちではあるのですが、今後も(菱型マーク?)臨時便が運行されるようですから.....。
    画像のC11は志布志でご覧になったのですか。私は三段峡では車番まで確認しなかったのですが、昨年の広島(厳密に言うと市内からわずかに東の安芸郡)営業中に再会しました。拙ブログ6月29日の記事に画像を載せています。と言っても私の場合は2回とも静態保存ですが。
    私は583系には結局乗れずじまいで、419系になってから北陸出張で乗り合わせました。サロ111は結構裕福な先輩と首都圏出張に行ったとき、新橋-横浜間という担区間でしたが、カネを払ってでも座りたいという先輩につきあって車内精算でBグに移動して乗れたのを思い出しました。

    定期運行、本当にお疲れ様でした。臨時便を楽しみにしております。
    2019年04月29日 23:20
  • 門鉄局

    しなの7号様、こんにちは。
    平成時代もいよいよ今日で終わりですね。
    JRになっても興味が薄れたと言いつつも、地方のローカル私鉄は気になって時折出かけていました。津軽鉄道や南部縦貫鉄道、十和田観光電鉄や同和鉱業片上鉄道などすでに過去帳入りした鉄道も多いです。
    北海道唯一の私鉄だった三菱石炭鉱業は数日前に廃止になっていて、驚くとともにがっかりしましたが、一度乗ったことがあったので自分を慰めました。親切な美鉄バスの運転士さんが回送車に便乗させてくれたのも今ではあり得ないことで、いい思い出になりました。夕張線自体が廃止になったのも当時は考えても見なかったことで、産業構造の変化と時代の流れを感じます。
    しなの7号様の写真を拝見しているとまだまだ国鉄車輛も原色のまま活躍していたようで、私もすねたりしないで(笑)追っかけていれば…と少し後悔しています。
    新時代ももうすぐです。令和が平成同様平和な時代であることを祈念して、結びとさせていただきます。最後に長年の定期運転お疲れ様でした、臨時運転も期待していますのでこれからも宜しくお願いします。
    2019年04月30日 17:11
  • しなの7号

    NAO様 こんばんは。
    人間同士に思わぬ再会があるように、平成の30年間に思わぬ場所で思わぬ国鉄車両との再会をいくつか経験し、そのたびに不思議な縁を感じてまいりました。それに加えて、意図的に再会するために出かけたことも数多いですが、もう今では出かけた先で出会うことができる国鉄型車両自体が少なくなってしまいました。
    志布志機関区で現役のC11 189を撮影していたことに長く気付かないままでした。縁もゆかりもない地に保存された蒸気機関車は多かったですが、どれも保存時点では安住の地におさまったと言われながらも、平成の長い年月の間には状況は一変し、移転したもの、放置されているものや解体されてしまったものが多数あります。

    私にはグリーン車は似合わないし、通常は必要としませんが、首都圏の普通列車だけは例外です。新幹線より安くて長時間車窓観察できることが最大のメリットですが、普通列車がロングシート中心になってしまったことに起因します。そういう意味ではJR西日本で導入されたAシートに乗車する意味は私には全くないのですが、果たして定着するのでしょうか?
    鉄道に対する接し方や考え方は、みなさん異なるわけですが、そういう方々にどれだけ「国鉄」を伝えられたか自信はありませんが、ながく拙ブログにお付き合いいただきありがとうございました。
    2019年04月30日 19:57
  • しなの7号

    門鉄局様 こんばんは。
    私は地方の鉄道のうちでも、非電化私鉄には特に興味を持っておりましたが、同和鉱業片上鉄道と三菱石炭鉱業には行けずじまいでした。国鉄からの払い下げ気動車を使っている鉄道が多かったことも理由の一つであります。失われていった地方のローカル私鉄に続いて、国鉄から引き継いだもののお荷物になっているJR各社のローカル線に順番が来たように思います。実際に乗りに行ってみると、乗客の少なさはもちろんのこと、駅周辺の活気のなさを感じ取ることが多い状況を見るにつけ、新しい元号になってからは、廃止に向けての方向性が明確に示される線区が続出するような気がしてなりません。国鉄が地域分割∔民営化され、鉄道ネットワークの意味が薄まった時点で、地方の鉄道の存在意義がその程度に縮小されるのは想像されたことですから、諦観のようなものは持っています。
    自分の平成は国鉄の名残を求めて全国を巡礼し、供養してきた?と言ったら変ですが、一応の区切りとしてこの国鉄中心のブログの不定期化のタイミングはほどよいとも思っています。悪名高かった国鉄に対して好意的なコメントを多数お寄せいただきありがとうございました。また忘れたころに覗いてくださいませ。
    2019年04月30日 19:58

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