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zoom RSS 【983】 稲沢にて 〜DD51 890に寄せて〜

<<   作成日時 : 2019/05/15 16:00   >>

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先週、名古屋市内で知人と飲む機会があったので、その往路にJR東海道本線の稲沢駅に途中下車してみました。と言っても、多治見〜美濃太田〜岐阜経由というICカードによる大回り乗車中という事情があるので改札外には出ないで、次の上り普通列車が来るまでの15分の間に、旅客ホーム上から見える範囲に留置してあるJR貨物愛知機関区の機関車群を観察してみようと思っただけのことです。
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その旅客ホーム付近には、いつもJR貨物の機関車が留置されているのですが、休車や車籍が抹消された機関車が多く含まれ、昨年度末までにまたそのうちの何両かが解体されてしまったので、そのあとにどんな車両たちが留置されているのか確認しておこうという目的でした。
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この日、ホームから確認できた機関車は、米原方から大雑把にEF64 1047・DD51 890・EF64 1021・DD51 1146・DD51 1147・DD51 891・DE10 1557・DD51 1803・DD51 1156といったところでした。ほかにも留置車両がありましたが、手前に留置されている車両に遮られて番号が確認できませんでした。この中には国鉄時代からこの地で稼働していたDD51 890とDD51 891の2両がいます。
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   ↑DD51 890

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   ↑後ろがDD51 891(手前は岩見沢〜鷲別から流れてきたDD51 1147)

DD51 890とDD51 891のほかは、国鉄最末期以後(主にJR貨物時代)に各地から転属してきた機関車ばかりですが、それでも国鉄形機関車ばかりがこうして目の前にずらりと並んでいる光景を間近に眺められるとは、すでに国鉄が分割民営化されてから30年も経っているわけですから珍重されるべき場所とも言えそうです。
DD51のうち何両かは区名札が抜き取られ、命脈つきかけていることを示していますが、そのDD51 890もその中に含まれます。
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DD51 891はDD51 1147の後ろに隠れて確認できませんでしたが、たぶん同じ状況のように思えます。私は列車掛として貨物列車に乗務していた1980年前後の約1年半の間に、当時の稲沢第一機関区所属のDD51 890・891号機とも、自ら乗務する列車を牽引してもらっているのは確かですが、いつ、どの列車だったのかは、家で記録を確認しないとわかりませんでした。この2両はJR貨物色に変更されてはいますが、もう動くことはないのだろうと思うと、つい見入ってしまいます。直接運転したり検査修繕に関わったわけではないにせよ、国鉄で乗務員を経験した者としては、乗務した列車に関係したことが明らかな車両には、ともに仕事をした仲間意識みたいなものが湧いてきます。それに、プラットホームに佇む私の背後にあるのは、そのDD51たちと仕事上で関わった約1年半の間に、出勤し、貨物列車の出発線まで乗った職員用バス乗り場などがあったビルがそのまま残っているのです。
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停まっているトラックの手前がバス乗り場でした。このビルでは仕事に付帯する仮眠、入浴、食事ができ、生活の一部でもありました。
遠い昔を回顧しているうちに、次に乗るつもりだった普通列車までの15分間などはあっという間に過ぎ、当日の名古屋市内での集合時刻には余裕があったので、さらに1本後の列車に乗ることにして、つごう30分間、機関車を眺めて過ごしました。

その翌日、家に遺してある国鉄時代の記録を当たってみた結果、私が乗務する貨物列車は、少なくともDD51 890に7回、DD51 891に2回牽引されたことがわかりました。特に890号機には縁があったようで、機関車の運用と乗務員の運用の双方が同じサイクルで回っていたのかと思える状況でした。
以前にも「【309】思い出の乗務列車2:セメント専貨5294列車」で890号機牽引の貨物列車の編成記録をご紹介していますが、それとは別に、もう一列車、思い出の貨物列車編成をご紹介しておきましょう。

<1980年6月11日〜12日 関西本線267列車>
運転区間・乗務区間共 稲沢23:19〜亀山操3:19
DD51 890(稲一)
 ヨ  13820  (長シオ)
コタキ 19036 近江長岡→高茶屋
コタキ 19133 近江長岡→高茶屋
コタキ 19024 近江長岡→高茶屋
ワフ29927(天シク)名古屋→加佐登・亀山
コタキ 19076 近江長岡→新 宮
ハワム284276 白 鳥→亀 山
ハワム188139 白 鳥→亀 山 
ハワム 82608 白 鳥→亀 山
ハワム183897 白 鳥→亀 山
 ワム 71502 宇都宮貨タ→奈良
 ワム 71039 昭和町→阿田和
 ワラ 15199 弘 前→伊賀上野
 ワラ  5583 弘 前→伊賀上野
 コキ 26454 沼 垂→松 阪
 コキ 52999 南長岡→松 阪
 ワラ  1199 上諏訪→奈 良
 ワム 68209 南 港→三瀬谷
ハワム584325 清 州→熊野市
 ワフ 35347  (千シワ)
現車20 延長換算26.0 換算54.3(笹島) 

この列車は稲沢発亀山操行で、特徴は朝刊の輸送をしていたことでした。途中の停車駅は枇杷島・笹島・四日市・加佐登・井田川・亀山(旅客ホーム)でした。編成中5両目のワフ29927は途中の笹島で連結された新聞輸送用車両で、名古屋〜笹島間の別列車からの継承車です。その名古屋〜笹島間の列車については、「【332】思い出の乗務列車13:新聞輸送貨物列車271列車」で書いていますので、よろしければご覧ください。
つまり、267列車は、271列車の新聞積ワフを継承する列車というわけです。上に書いた停車駅のうち、加佐登・井田川・亀山(旅客ホーム)は朝刊取り卸しのための停車でした。新聞積ワフは、その編成前部に連結された高茶屋行セメント積車の後ろに連結されることが貨車輸送方で指定されていましたが、高茶屋行セメント積車の両数は毎日異なりましたので、列車掛はワフの連結位置が前から何両目であるかを途中停車駅の乗継詰所にある鉄道電話で加佐登駅に電話連絡することになっていました。駅員無配置の井田川駅へ新聞を受け取りに来る新聞店は加佐登駅からワフの停車位置を把握してホーム上に待機するという手はずだったのかもしれません。(井田川停車時間は3分)
井田川駅では出発合図をする駅員がいないので、新聞店員が新聞を取り卸し、列車掛に対して作業完了の合図をしてきます。列車掛は時刻と出発信号機の現示を確認したうえで、乗務員無線機を使用して機関士に「下り267列車発車!」の要領で出発合図をしたものですから、39年前のこの267列車ではDD51 890号機は私の出発合図に汽笛で応えてくれたはずです。(当時は汽笛合図あり)

次にDD51 890・891号機を撮影した画像を探しましたところ、国鉄時代の画像は見当たりませんでしたが、JR時代の画像はありました。891号機の方は更新塗装に変更された後の画像が1枚出てきただけでしたが、890号機の画像は何枚か出てきました。
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     ↑ 1996年6月29日 東海道本線五条川信号場付近 国鉄色時代のDD51 890
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     ↑ 2012年12月22日 関西本線四日市駅 更新塗色のDD51 890
国鉄退職後に撮影した画像も891号機より890号機が多いということは、やはり890号機と私との縁は深いようです。

稲沢駅のホーム上に佇んでいたとき、やや離れた愛知機関区の検修庫付近に停車しているDE10 1562のエンジン音がかすかに聞こえてきましたが、旅客ホーム付近に留置された機関車群は静かに眠りについていました。調べてみるとDD51 890・891号機は1974年に製造されていますから45歳。私が国鉄に就職する前からこの地で働いていたことになります。長きにわたるお勤めご苦労様でしたと言いたい気持ちです。
まさか愛知機関区がDD51最後の定期列車受持ち区となるとは考えもしませんでした。愛知機関区で稼働しているDD51はあと数両となりました。稼働機の中には稲沢第一機関区時代から在籍する825号機もいます。終焉までに一度くらいはDD51の「生エンジン音」を聴きに関西本線に出向こうと思っています。







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コメント(19件)

内 容 ニックネーム/日時
しなの7号様、こんにちは。
私もかつて祖母の家の前に走る美祢線とその近くの厚狭機関区にたくさんいたDD51をよく見ており、あの機関車がいなくなってしまうのかと思うと寂しさを感じます。
愛知のDD51はそちらで見たことはありませんが、昨年の9月の帰省中に山口県で出会いました。このブログでも記事があった迂回貨物列車です。
いつもひっきりなしに走る貨物がいなくてなんだか寂しい早朝・夜間の山陽本線を結構なスピードで駆け抜けていき、まだまだDD51は、鉄道貨物は活躍できるんだぞと言っているようでした。
おき2号
2019/05/15 18:41
おき2号様 こんばんは。
愛知機関区で今稼働しているDD51の中には、厚狭機関区から転属した857号機があります。同機は昨年の迂回運転で里帰りして活躍していますね。迂回運転で使用された他の機関車も、愛知区に帰還後、引き続き稼働中のようです。
今や、国鉄貨物輸送が盛んな頃を経験した現役機関車はわずかになりましたが、その息遣いは、往時を伝えてくれていますね。
しなの7号
2019/05/15 20:10
しなの7号様 こんばんわ。
福知山線の旧客の先頭車両に乗ると、DD51の前面が間近にこちらを向いていて、小学生の時うれしかったものです。デッキに行きたい、というときつく父から注意されて悔しい思いもしました。住宅街の塀に沿って走る時など、エンジンの音が反響して、これまた迫力がありました。あの音を再び聞きたいですね!
なはっこ
2019/05/16 20:56
しなの7号様こんばんは。
稲沢駅の留置線は国鉄型の機関車が多く留まっていますね。快速列車であっという間ですが稲沢の構内は車掌車も何両か見かけることも出来て雰囲気は最高です。
駅近くのショッピングセンターに展示している車掌車を見るたび操車場時代の稲沢を知らないだけに昔はどれだけ広大だったのかなと思ってしまいます。(関東出身なので)
うさお
2019/05/16 21:27
なはっこ様 こんばんは。
旧客編成のデッキに立つことを許してもらえなかった思い出は、私もあって、それは「【867】52年前の家族旅行を辿ってみる」で書きました。そのとき、しかたなく後ろの方の車両の窓から眺めた赤い車体のディ−ゼル機関車が、たぶん初めて見たDD51だったと思われます。
一方、仕事では入換を伴う貨物列車ですと最前部の緩急車に乗務しましたので、もろに排煙を浴びながら乗務していました。もう列車に乗ってエンジン音を楽しむことは、SL列車に乗るより難しいことになってしまったようですね。
しなの7号
2019/05/16 22:02
うさお様 こんばんは。
名古屋に用事があるとき、ICカードによる岐阜廻り大回り乗車をときどきしますが、岐阜からの東海道本線の普通列車は多くが岐阜始発で確実に山側に席を確保できるので、私は普通列車愛用者で、稲沢も含めて車窓を楽しんで乗っています。稲沢の構内は本線部分と清州方の出発線付近を除くと国鉄時代の面影はなくなりました。展示されている車掌車も、留置されている車掌車と貨車も、そして今後の処遇がどうなるのかわからないEF6477などもかならず目に留めています。
しなの7号
2019/05/16 22:02
しなの7号様こんにちは。永らくの定期更新お疲れ様でした。コメントさせて頂くようになったのはまだ最近ですが、いつも丁寧なお返事をいただけて嬉しく思っております。これからも気の向くままの更新楽しみにしております。
私も仕事で愛知に行った折は稲沢に寄り道してきます。おっしゃられるように、ホーム横の留置車両を見ていると時間が過ぎるのが早いです。稼働中であればアイドリング音やブロア音で賑やかな機関車たちがあんなにたくさん繋がれているのに、何も聞こえてこないことが物悲しいですね。二度とエンジンを起動することはない雰囲気がまさに「火が消えた」という感じです。残念ですが、長年にわたり黙々と働いてきた彼らにご苦労様でしたという思いです。
私の地元関西では、JR西日本の宮原区のDD51が主に工臨で活躍中です。仕事で東海道本線に乗車中に思いがけず出会ったりするのですが、一瞬で風景が「国鉄」になります。そんな日は1日幸せな気分で過ごせます。
オハフ33
2019/05/17 14:20
オハフ33様、こんばんは。
どうもありがとうございます。新規記事はかなり少なくなりますが、ときどきは覗いてくださいませ。

ここに留置されている車両すべてではないにしても、二度と自力で動かないであろうと思わせる車両を見るとき、現役時代には事故をもらったり、故障に苦しんだこともあったのだろうと想像しますが、長い間の地味な健闘を称えたいですね。

【596】熱田駅荷物基地全面開業の日
https://shinano7gou.at.webry.info/201506/article_7.html
で書いていますが、JR西日本のDD51のうち1043号機には自分の列車を牽いてもらったことがあります。私と関係のあるDD51は1043号機が最後の1両になりそうな気がしています。
しなの7号
2019/05/17 19:46
ご無沙汰しております。記事は毎回拝見しておりますが、コメントを書くまでに至らず次の記事が出てしまうということの繰り返しであります。申し訳ありません。
私は、まだD51が中央西線を走行していた頃に、やはり同線で運用のあったDD51の627号機や628号機などのナンバーをよく記憶しております。関西線ですとC57を置き換えたDD51の661号機から667号機ですね。頭の中が古すぎですね。
ここ数年間は関西線を何度か訪問しておりますが、生え抜きの825号機があまり撮れないままです。やはり1156号機の人気が高いようですが、私はなかなかの変人ぶりが変わりません。890号機や891号機もあまり巡り会わないうちに2018年春頃に戦列を引退してしまいました。
2019年3月の改正で、最後まで残ると思われていたセメント列車もあっさりとDF200に置き換わってしまいDD51の運用はもうかなり減りましたが、ドドンシャシャドドンというジョイント音を聞くとDD51牽引客車に乗った頃を思い出します。たまにセメント列車をDD51が代走してますが、あの可動鉄橋がDF200の軸重に耐えられるのだろうかと思ったりします。今後DD200が量産されるとそれに置き換えの可能性も有りかなという気がします。そうするとセメント列車とDF200の組み合わせが思い出話になりかねないのですが。
北恵那デ2
2019/05/18 17:09
北恵那デ2様 こんばんは。
古い記事へ遅れてのコメント書き込みも歓迎ですので、よろしければどうぞ(*'▽') 
さすがに627号機や628号機は、自分が乗務していたころ出会った記憶も記録もないので、当時すでに稲沢第一から転属していたのではないかと思います。それでも中央西線時代から知るDD51750などは、
【953】中央西線を走った車両14 :ディーゼル機関車
https://shinano7gou.at.webry.info/201901/article_8.html
で書いたように、貨物列車で私の誘導で入換作業にも従事しましたし、SGがありますから旅客列車や荷物列車でも乗務列車の牽引をしてもらいました。同じように661号機と662号機も仕事上でまったく同様の付き合いがありました。

825号機も仕事で馴染みはあり、9年前には特大貨物牽引のために、中央西線春日井まで入ったこともありました。この時です↓
【105】鉄分補給2010.11.27:中央西線へ入線したDD51
https://shinano7gou.at.webry.info/201011/article_15.html
記事上ではナンバーまで書きませんでしたが、この日は825号機でした。

今の私は撮り鉄活動をしなくなったのですが、関西本線に出かけたとき、DD51を見かければナンバーが気になります。DD51最終全検出場(1801)してから4年経ちますので、愛知区で稼働中のDD51の行く末は見えてきたように思います。
いい写真を遺してください。
しなの7号
2019/05/18 20:09
ここに書くのが適切でないかもしれませんが、報告しておきます。
https://news.mynavi.jp/article/20190518-825548/
最後の一行(クロ381)に注目です。
唐獅子
2019/05/18 20:14
唐獅子様
私も今朝この報に接しました。しょせんは「新幹線館」なのだなあと思いました(*´Д`) 
しなの7号
2019/05/18 20:29
お疲れ様です。国鉄生まれの車両は丈夫ですね。DD51型ディーゼル機関車は時々アイドリング音が聞こえると思いきや岡山駅のホームに止まっています。夜勤の休憩時には会いに行けるので仕事はハードでも恵まれた私にとっては恵まれた環境です。ちなみに後藤総合所属の車両です。通勤の列車は基本一時間に一本しかないので腰掛けて列車を眺めながら待つのですが苦にならないですね。
鉄子おばさん
2019/05/20 17:04
鉄子おばさん様 こんばんは。
私の住むJR東海エリアからすれば、岡山周辺はDD51に限らず国鉄形車両たちが30年以上経っても多数生存する別次元エリアのようなところだと思います。さらにその中でDD51は国鉄時代からの装いを変えずにいるのですから動く国鉄博物館ですね。私も、このブログを始める直前には、関西本線に比較的近い勤務地だったので、通勤の途中や昼休みに、沿線や駅でDD51を見て過ごしたことがありました。
しなの7号
2019/05/20 19:41
しなの7号様シおっしゃるとおり国鉄形がピンピンしてますよ。
鉄子おばさん
2019/05/20 20:28
しなの7号様、こんばんは。
残念ながら厚狭機関区の跡は今は太陽光パネルが並んでいて何も残っていないです。
ですが、まだ857号機のような機関車がしなの7号様の見に行けるところにいたり、逆に他のコメントにもありましたDD51 1043やD51 200のようにしなの7号様の近くにいた機関車を私がたまに見に行けたりするのは面白いもので、線路はつながっているのだなと思います。
両機とも2ヶ月ほど前に見ましたが元気に走っていました。
おき2号
2019/05/20 22:33
おき2号様 こんにちは。
数年ぶりに出かけた場所で、道路や街並みが大きく変わったことに驚くことがありますが、最近は太陽光パネルでもそう思います。時代とともに生活や風景が変わっていくことは当然ですからどうしようもありません。すっかり変わってしまった稲沢には、ヤード跡地であることを示す表示やモニュメントがあります。また「【948】思い出の乗務列車57:中央西線普通列車531D&522D」では多治見機関区跡地に門柱が保存されていることを末尾で触れましたが、昭和時代に多くの国民の生活の一部だった鉄道を、知ってもらうきっかけになればよいと思います。

同じ車両を離れた地で別の時代に別の人々がそれぞれに注視し趣味の対象としているのは、車両の転配属が全国規模になる国鉄と地域分割されなかったJR貨物なればこそですね。DD511043を最後に見たのは、約4年前で、境線の車窓から後藤総合車両所にいるのが見えました。
しなの7号
2019/05/21 09:59
しなの7号様こんばんは。
あっ!更新されているじゃないですか、これからも時々覗くようにしますね。
かつては全国で見られたDD51も今や風前の灯ですね。私も松阪市在住時代毎日のように見て親しんだ機関車ですから思い入れもひとしおです。267列車の車票を見ると高茶屋や加佐登、伊賀上野や三瀬谷などの駅名が懐かしく当時の国鉄の貨物営業が極めて広範囲であったことが伺い知れます。今月の24・25日に両親を連れて思い出の松阪市へ行ってきました。
名神から新名神、伊勢自動車道のルートでしたが(夕方に草津JCで事故がありびっくりしました)、大型トラック・トレーラーが多く「これが鉄道輸送だったら運転士1人で済むのに」と父親と話したものでした。東日本大震災や山陽本線不通のときに痛感したように大量輸送性に優れた鉄道貨物
を見直す動きになって欲しいと思います。
リニア鉄道館の保存車両更新のニュースは極めて遺憾です。保存の意味を全く理解していないどころか、文化財ではなく
企業PRの場所としか考えていないことには怒りすら感じます。これから新幹線が廃車になる度に「うちはリニアと新幹線の博物館だから」とばかりに入れ替えが行われていくのでしょうね。この会社に博物館をする資格はないと思います。
門鉄局
2019/05/28 22:05
門鉄局様 こんばんは。
稲沢駅ホームで過去への想いを巡らせる機会がありましたので、この記事を起こしましたが、今後も定期的な継続をお約束できる状態にはありませんので、申し訳ありません。
貨物列車乗務時代はすでに貨物輸送が縮小されつつあった時期でしたが、それでも編成メモには今では考えられない駅がいくつも出てきて、著しく鉄道貨物輸送が衰退していったことを再認識します。JR貨物愛知区のDD51は紀伊佐野までの運用がありましたから、DD51890・891は紀勢本線でも運用されたものと思います。その運用が廃止されて久しく、国鉄分割民営化を前提にしてかなり営業線区を絞ってJR貨物が発足したにもかかわらず、その後も列車本数・営業区間ともさらに減少していきましたね。その間道路での大型車が絡んだ事故は絶えることはありません。交通事故減少効果のほか、人手不足と働き方改革といった問題の解決や災害時の物流確保のために、鉄道貨物は十分使えたのにと思ってしまうのは私も同じです。しかし鉄道ネットワークが劣化しターミナル施設が撤去・売却されていった現状を見るに、簡単には元に戻せないところまで来てしまったと、諦めが先に立ってしまうようになりました。
リニア鉄道館の方針にも失望しました。明治時代から100年以上も日本の発展を支えてきた鉄道文化を引き継いだ鉄道事業者なのに、それを利用するのみで文化を伝承しようという責任感を感じ取ることはできませんね。
しなの7号
2019/05/29 21:19

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【983】 稲沢にて 〜DD51 890に寄せて〜 昭和の鉄道員ブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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