【1071】あの年の3月3日《1991年》

1991年3月3日 瀬戸市民公園交通児童遊園で撮影。
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この日は、子供たちの自転車運転の練習のためにここに来ていました。この電車は名鉄瀬戸線で使用されていたことがあるモ766(瀬戸線時代はモ566)ですが、北恵那鉄道へ転出したモ561~565とは兄弟関係にあたり、同形車です。私にとってみれば見慣れたスタイルに親近感が湧きますが、おへそライトに復元され、そうかといってナンバーは766のままという中途半端な姿が腑に落ちません。それでも今も現存していることはありがたいことだと思わなくてはなりません。

いろいろあたってみましたが、3月3日に撮影した画像はほかに見当たらなかったので、今日はこれだけでご勘弁ください。

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この記事へのコメント

  • やくも3号(文字オタク)

    しなの7号様 こんにちは。
    たとえ一枚でも毎日お写真があることがすごいです💦

    古い車両を保存してくれているのは大変喜ばしいですが、必ずしもオリジナルに忠実でなかったりすることは、少し残念なことが多いですね。たとえば103系電車の保存車両の戸袋窓がなかったりHゴムが黒かったり・・
    模型においても保存車両においても、番号表記やサボの文字がただのMSゴシックだったりすることがあると全てをぶち壊している感じですね。刑事ドラマに出てくる(もうじき壊される)古いパトカーのナンバープレートの書体が陸運局指定の「自動車登録番号票文字」ではなくただのゴシックだったりするのとたいして変わりがないような感じです。(あ、そうか。どこかの埠頭の博物館もどきの鉄道車両ももうじき壊されるからこれでいいのか・・)
    もと模型屋としては『そこはこだわってくれ』というところです。
    2020年03月03日 13:30
  • D51125

    しなの7号様
    こんにちは。瀬戸電、、保存はありがたいですし後世に残したい思いはあります。
    しかし、前照灯のみ日本車輌製造の引き渡し時の頃に戻してもう〜ちゅう感じです。
    懐かしいだけでは今後の維持に影響は出ます。それはこの車両を含めてもう若い世代の方は見たこともないからです。
    今や名鉄各線では収益率が一番の線区となっても使いにくいのは変わりません。
    600V時代の朝の混み方を思い出して辛いです。身動きひとつ出来なくなり大曽根駅までは地獄でした。中央西線の新守山が出来てそこから乗ってもやはりラッシュ地獄でした。蒸気機関車客車ではドアが狭く二箇所では扉付近に人が溢れて降りられない焦りが有ったのを思い出します。
    ホ109ではなく改造後のモ769のままの方が瀬戸電らしいですね。
    ペンキの色もちょっと違います。
    でも、北恵那565の様に気の毒な事にならないで現存してるのは良しとすべきでしょうか。
    2020年03月03日 16:05
  • D51125

    しなの7号様
    先程は失礼致しました。モ766なのに769と打ち間違えていました。
    すみません。ところで私が通学で使ったのは主にモ700、モ750と
    その付随車でモーター無しの制御車の二両編成ですが偶に故障がありました。その場合前後の車両と合体して四両編成で走行したことが何度かありました、、。しかし
    この四両編成は制御可能ではなくただ二両編成が残り二両を押すとか引くのみだと考えます。とすると運転士はノロノロでも前後の運転席でどのように操作したのでしょうか。
    大変危険な行いと思いましたけれど待避線のない瀬戸線ならではのことでしょうか。
    これで大津町手前の急カーブをゆくと先頭車のすぐ横に後続車が見えてまるで遊園地のお猿さん電車のようになってしまいました。
    よく遅延がありガリ版に手書きの遅延証明書をもらいましたけど学校に出しても無視され効果なかったのを思い出しました。
    いつだったか昭和41年だったか交通ストライキがありその日の朝直前で名古屋市営は動いたのですが名鉄は動かなかった。で、学校を休んだら欠席扱いにされた。
    津島や大高、大府の生徒は休んだのに出席扱いになり、何だこの差は?電車の扉が自動でなく手動でラッチを回して掛けてないとカーブでガラガラって開放になってしまうローカル田舎電車と笑われからかわれてオマケに教員からは歩いてでも来れるだろうと言われたけどそりゃ無理な距離でしたわ。
    今でこそお堀電車とか言って乗ってもいなかった方々が懐かしんでおられるが、酷い路盤と規格の低いレールとても国鉄には及ばない程度の低さの鉄道でした。
    大森の大事故を起こしたのもこの型だったような。
    大曽根駅の上下線の間の路盤に
    これが 名鉄式 ATS と書いた看板がどうだと言わんばかりに設置さてたのは昭和42年だったか。
    そんなのなくても大丈夫なスピードしか出んのだけれど取り敢えず
    車輪を挟むカーリターダーなのね
    とその時は思いました。
    思い出は美化されすぎてしまいますが現実は結構危険に満ちていた当時でした。
    2020年03月03日 19:16
  • しなの7号

    やくも3号様 こんばんは。
    自分も保存車両に表記されているフォントが気になる方です。
    国鉄の実車でも、小学生時代に客車に書かれた所属表記「名ナコ」(名古屋)は転写式だったと思われ表記はきれいでしたが、「名ナツ」(中津川)は手書きだったらしく、微妙に書き手の個性が出ていたのが気になったりしたことがありました。

    保存車の場合、表記は人の顔にようにいちばん目立ち、その車両の表情を大きく左右するものですから、オリジナルの書体に忠実であってほしいものです。そして、資金の都合などの事情があってメカそのものがきちんと復元できなかったりすることがあることはやむを得ませんが、いったいいつの時代を表現したいのかわからないような中途半端な姿に改装することのないように望みます。しかし私自身、鉄道以外のことには無頓着で「そんな事どうでもいいじゃん」と思う分野があまりにも多いので、偉そうには言えません。
    2020年03月03日 21:20
  • しなの7号

    D51125様 こんばんは。
    ここには5年前にも訪問していまして、案内板には“電動客車モ「766」”と、廃車時点の車番が表題に掲げてありました。この案内板の文面には、当初はステップがありトロリーポールだったことなど履歴が丁寧に書かれ「旧瀬戸電の社紋、塗色、前照灯など、できるだけ新造当初の姿に近づけ」という文言も見られました。
    昭和18年に撮影されたとされるこの電車の現役中の画像が、家にある書籍にあったのですが、新製後十数年経ってもおへそライト、トロリーポールによる集電、路面電車と変わらない低いステップがある姿のままで、ナンバーは旧番566を名乗っていました。そういう姿も戦前の普段着の瀬戸電と言っていいでしょう。しかし保存時にステップまで復元することは、かなり高いハードルだと思われますが、このステップを廃止したことはスタイル上の大きな変更点なので、その復元が困難だったのならば、中途半端な復元を避けて、無理をせず戦後の姿を再現したほうがよかったと私は考えます。別のご意見をお持ちの方もおられましょうが、「できるだけ新造当初の姿に近づけ」という意向ならば、ステップとトロリーポールの復元は不可欠ではないでしょうか。ナンバーに至っては、766のままでは瀬戸電時代とは何のつながりもありません。塗装ですが、劣化してチョーキング現象が出て白っぽくなっています。5年前に再訪したときはさらに白っぽくなっていましたが、現況は確認をしていません。また状態の確認をしてきたいと思っています。

    大森の事故車は1番違いで、北恵那に行った565だったと聞いています。
    列車の最前部以外に連結された動力車によって操縦する運転方式を推進運転と言い、異常時に施行されることがありますが、ブレーキが貫通し、規定されている制限と運転方法を遵守して運転をしているならば危険とは申せません。それと名鉄式ATSとカーリターダーとの関係が私には理解できません。

    線路規格も低く、車両はボロ。踏切が多く、そういう意味では危険がたくさん潜んでいた瀬戸電の利用者としては、嫌な思いばかりをされたことも同時に後世に正しく伝えるべきことでしょう。それに加えて、そういう路線で、とにもかくにも定時運転と無事故に努めてこられた乗務員や整備員の皆さんを、私は鉄道愛好者として讃えたいと思います。出来の悪い子ほどかわいいと言いますが、華やかな本線の特急より私は瀬戸電のほうに私は人間臭さを感じます。故障ばかりしている古い電車と付き合う乗務員と整備員の皆さんの電車への想いが伝わってくるようです。
    2020年03月03日 21:21