別に鉄ヲタでもない列車掛同期生のKさんが、新しくカメラを買ったらしく、特急「金星」の写真を撮りに行こうというので夜の名古屋駅へいっしょに行きました。この時間帯には東京発の九州ブルトレ群が続けてくるので撮影しました。そういうことをしていると中央西線の中津川行終列車は出てしまい、家には帰れない時間帯になってしまいますが、不規則勤務に備えて稲沢にあった独身寮にも籍を置いていましたので、このようにプライベートで遅くなるときには便利でした。
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2008年9月27日 尾張旭市城山公園
尾張旭市にある城山公園周辺には、この時期にコスモスが一斉に咲くので、それを見るために城山公園に行ったところ、この機関車を発見しました。まったくの子供の遊具と化していましたが、現在は岐阜県の下呂市小坂町に移転保存されたとのことです。月刊『Rail Magazine』誌のブログ「編集長敬白」(閉鎖)の記事「復活なるか 仮名書き"サカ井"」によれば、森林鉄道で廃車された後、第二第三の人生を歩んでいた機関車だったようです。飛騨へ出かける機会があれば保存場所に立ち寄ってみたいと思っています。
城山公園の近くには、当時稼働して間もなかった名鉄瀬戸線の尾張旭検車区があります。本線を走る6000系と、デビュー直前のステンレス車4000系。
スカーレット塗装車全廃のときが来ることを予感させていました。
この記事へのコメント
ヒデヨシ
金星は身近な列車でした
筑豊に家族で里帰りする私のうちでは
特急利用では金星のみ選択されていました
急行では阿蘇(座席)や大阪から西海2(寝台)が多かったです
国鉄に入っても九州へ行くのに金星の利用もしました
通常は寝台より高いグリーン車料金ですが職員割引で料金が半額になるのでグリーン車利用です(寝台はならない)
最末期の金星がどんな編成だったのかは覚えがありません
14系の急行あそやくにさきも多く利用しましたが簡易リクライニングシートは嫌い
しなの7号
高校生時代は、夜行列車が非日常の世界であり好んで急行に乗りましたが、国鉄に就職してから乗務と夜行は日常になってしまったこともあって、鉄道旅行には行かなくなり、夜行列車を避けるようになりましたから、金星に乗ることはありませんでした。移動は、もっぱら自動車でした。
Takky
かく言う自分も、高校受験の合格祈願に太宰府天満宮に行くと言う口実で「金星」のお名残り乗車をしたのでかなり印象に残っているのですが…
しなの7号
間違いのご指摘ありがとうございました。本文の該当部分を削除しました。
撮影したのは1979年で間違いなく、私とKさんは、この年の春に列車掛登用試験(車掌になるための試験)に合格しました。春から夏にかけての4か月半、全寮制の共同生活のあと、車掌の卵(列車掛見習)として指導者に連れられ、貨物列車に乗務を始めたのが9月でした。それは、当時私どもが将来乗務できそうな唯一の寝台特急であった「金星」の専務車掌になれる道が開けたときでもありました。「金星」の撮影に出かけた動機はKさんがカメラを買ったことのほか、「金星」がひとつの目標みたいに思っていたこともあったと思います。おっしゃるように金星はこの撮影から3年後の57.11ダイヤ改正時に廃止され、私どもが乗務する機会が来ることはありませんでした。
不要な当時の話まで持ち出してしまい、どうも失礼いたしました。
やくも3号
名鉄の電車は赤色ばっかりではなくなっていたんですね。
大手鉄道会社の車両はそのほとんどが非鉄金属車体となっていますから、無塗装ボディにイメージカラーのラインののみのカッティングシート貼りとなるのは当然のことなのでしょうか。
そうしてみますと、いつもようかんに見えてしまう阪急電車は現在も無塗装にせず、昔ながらのイメージを守るべく気の遠くなるような作業を伴う塗色を頑なに行っていることはすごいことなんだなと思います。
ゼニアールとまでは言わないものの、名松線を存続する鉄道会社と同じく、やはり体力があってのことなのでしょうか。
しなの7号
名鉄瀬戸線がステンレス車に統一されて5年になります。ほかに日常の行動範囲内にある名鉄線は小牧線だけですが、こちらはもっと前からステンレス車に統一されていますので、名古屋中心部に行くことがほとんどなくなった自分にはスカーレット一色の名鉄車両を見る機会がなくなって久しいです。
阪急の高品質で上品な塗装や内装からは、商品としての車両へのこだわりが感じられ、コストばかりを意識して走る道具と化していく大多数の他社車両とは一味違いますね。