【1290】あの年の10月8日《1972年・2006年・2015年》

1972年10月8日
この年は日本に鉄道が開業して100年めでした。各地で鉄道100年記念行事が行われ、記念グッズもたくさん出た年でした。
その年10月7・8日に神領電車区の公開があり、私は8日に出かけました。そのときの画像は、【828】撮り鉄12か月…1972年10月「鉄道100年 神領電車区」でアップしていますので、今日は省略とします。

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2006年10月8日
「中山道徒歩の旅」で、この日は下諏訪に来ていました。
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その日のことは、【241】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(9):徒歩で再訪 塩尻宿~芦田宿で書きましたが、下諏訪駅から最大級の難所である和田峠の途中にある樋橋バス停まで歩いた日でした。
和田峠へ向かう国道142号線は急坂路で、あちらこちらに緊急避難所が見られます。
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長い下り勾配でブレーキを踏み続けることによって、ベーパーロック現象が起こってブレーキが効かなくなった場合に突っ込む場所だと思われます。鉄道ですと、用途的には車両逸走対策に通じますし、設備的な見かたをすれば安全側線のようでもあります。いずれにしても突っ込みたくない場所ですが、鉄道の場合は分岐器によって否応なしにそこに誘導されてしまうのに対し、自動車の場合は能動的にステアリング操作をして突っ込むことになりますから、それなりの覚悟が要りそうです。

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2015年10月8日 稲沢に行きました。
構内にはヨ8000形式が停まっていました。
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使用される機会はめっきり少なくなり、稼働車は少数になっていきますが、このヨ8634は東武鉄道で2017年から運転を開始した「SL大樹」用として生き延びたようです。
さて、当日は稲沢のヤード跡地の一部に建設されたショッピングモールへ行ったので、そこに展示保存されている2両のヨ8000形式のほうも観てきました。これらは東海道本線の列車からもよく見えるので、ご存じの方は多いと思います。
s-1008-15b.jpg
そのうちの1両の車体表記の画像です。書体は、見る人が見ればやや不自然ですが、一般の人からは忠実に手書きされていると思われることでしょう。プロの塗装業者さんの仕事に間違いないと思いますが、プロであっても鉄道に関してはまったくの素人さんであることが明白です。ここに来られる方は、国鉄書体の不自然さ以外にも間違いがあることがお判りかもしれません。

おそらく塗装直前の時点で、すでに消えてしまった表記の状態をそのまま忠実に再現された結果なのでしょうから塗装業者さんを責めるわけにはいきません。

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この記事へのコメント

  • 唐獅子

    それが国鉄書体でないことには、全くわかりませんでした。

    奈良県の桜井線の天理駅のそばに旧客が静態保存されています。
    本記事の国鉄風書体を笑えないレベルで、車体に文字列が書いてあります。
    車両の隅に「天テンリ」との記載があります。
    この趣味をやっていると3回ぐらい突っ込みたい話ですね。
     ①多分「天」のことを天王寺鉄道管理局ではなく天理と勘違いしている。
     ②カナ3文字の電略記号を昭和40年代中盤以降には国鉄では使わなくなったことを知っていない。(では日本で唯一のカナ1文字の駅の電略記号をどう扱っていたか知っていますか?)
     ③そもそも天理駅近辺に車両の配置がない。
    2020年10月13日 13:33
  • しなの7号

    唐獅子様
    車両の保存状態はそれほど悪くなく保守管理もされている保存車であっても、ナンバーや表記類のいい加減さによって雰囲気が壊れてしまう例は多いように思います。天理の保存車を見たことはありませんが、「天テンリ」は意図的な仕業のようにも思えなくもありません。稲沢の例は、忠実に再現しようとして努力の跡がそこかしこに見えるのに、まったく実情に合わない意味になってしまい、惜しい結果になっています。

    津駅のことはネット検索でも、容易にたどり着けます。
    駅と車両基地とは別の現業機関ですし、車両の配属箇所名略号表記の規定は存じませんので、やや話がそれてしまいますが、駅の電略は列車ダイヤにも書いてあり、それを見ると伊勢線の津は「ツ」の1文字が書かれていました。また、関西本線亀山(操)は「カメソ」の3文字で表記され、業務上での通称は、津は「ツウ」、亀山(操)は「カメソウ」でした。
    2020年10月13日 20:14
  • 唐獅子

    私が知っていた(おそらくWikipediaがソース)、国鉄津駅の電略記号は『天ツツ』でしたが、部署が変わると違うものですね。失礼いたしました。
    2020年10月14日 03:50
  • しなの7号

    唐獅子様
    いえいえ、「津」は61.11まで天王寺鉄道管理局でしたから、こちらは持ち合わせていた名古屋鉄道管理局の資料しか見ていません。国鉄時代はどうだったかという話になると、天王寺鉄道管理局発行の資料や正しい知識がありません。

    私どもは、国鉄時代に実際に他局の駅あてに打電するとき、他局には同じ電略を使う駅がある可能性がありますので(そもそも、こちらも他局の駅名電略まで知らない。)駅名に電略を使いませんでした。駅を特定する意味で線名を併記することもありました。
    実際に打電した電報用紙(他局駅あて)の控えを
    【55】車掌4:切符の発行誤り(-_-;)
    https://shinano7gou.at.webry.info/201008/article_11.html
    でアップしています。

    車両への表記では東唐津気動車区「門ヒカラ」というカナ3文字表記があったようです。ほかには第一・第二機関区の区別が必要だと、カナの後に漢数字が付いた例はありますが、「大ミハソ」などは早い時期に姿を消しているようですね。また余計な話ですが、私どもの車掌区での会話の中では、宮原(操)は「ミハソウ」でなく、みんな「ミヤソウ」と呼んでいました。
    2020年10月14日 20:28