昨日、私が配属された係で、毎年給料天引き積立して1年に1度旅行をしていたことを書きましたが、その前年も同じ係だったので、同じように旅行に行っていました。その年の行先は京都でした。
人事異動があった4月から毎月積立をして、旅行に行ける程度までお金が貯まるのがこの時期なので、係の旅行は毎年こういう時期になるわけです。
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1989年11月26日
係の旅行の話が続きますが、こちらは昨日書いた1989年に奈良へ行ったときの2日目の画像です。
奈良市内、東大寺界隈にあった看板類です。観光地だけにフィルムの看板が多いです。仁丹も旅のお供でした。
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1995年11月26日
東北地方へ2泊3日の一人旅2日目です。この日は五能線と津軽線に乗って青森に泊まりました。
この3日間の旅については、【831】乗り鉄12か月…1995年11月 JR五能・津軽・大湊線、下北交通(昨日貼ったリンク先と同じです。)に書きましたので、省略とします。
この記事へのコメント
NAO
チケットの定期観光バスは、ひょっとして夜の庭園や山頂からの夜景展望のコースではなかったでしようか。もし、そうでしたら庭園鑑賞後のルートは私の実家付近を通るコースで、私の庭のような位置関係の住宅街に毎晩観光バスが通っていて、不思議な感じでした。
仁丹の看板は日本では代表的な宣伝のひとつですね。以前、日系の道場を舞台にしたブルースリーの映画でも、仁丹の看板が使われていたような。
しなの7号
このときの定期観光バスでは「しょうざん」へ行ったことと、京都駅烏丸口バス乗り場がわからなくて焦ったことしか覚えておらず「山頂からの夜景展望」は記憶にありません。(猫に小判)
当時の時刻表を見ますと、この定観バス「G夜のゴールデン」の内容は、「しょうざん庭園→懐石風料理→古典芸能」(食事代含 4時間)とありました。
「仁丹」の看板は昭和の時代、主要鉄道路線や主要道路から見えるような大きな看板が見られたものです。乗物酔いの予防用として子供の頃には家に常備してあり、遠足のときに持っていきました。