中学生の頃撮影した画像です。
名鉄瀬戸線の地平時代の大曽根駅に留置されていたデキ202。
これも名鉄瀬戸線の地平時代の大曽根駅。このワフ39は予備車なのか、いつもこの位置に留置されていました。手ブレーキのカバーがある緩急車は私鉄っぽくて、私のお気に入りでした。
森下~大曽根間 モ750形
この日のネガを見ると、大曽根駅とその周辺で撮影した瀬戸電関係5コマ。この前に1コマ、後ろに3コマ分の露光していない部分があるのですが、これだけを撮影しに来たとは思えないので、もしかしたらコンパクトカメラゆえにレンズキャップを外さずに肝心な被写体を撮り逃していたのではないかという気がします。カメラを買ってまだ3本目のカラーフィルムで、大曽根に来た本来の目的も今となっては何だったのかさっぱり記憶にありません。
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1982年12月30日
自動車で飯田線に来ていました。飯田線は南北に長い路線ですが、どちらかというと愛知県内の撮影にはあまり行ったことがありませんでしたので、同県内の有名撮影地を訪ねました。
飯田線 長篠城~鳥居
飯田線 野田城~東上
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1996年12月30日
例年、この日は岐阜県の実家へ行く日になっていました。この年は、その途中に自動車で少し遠回りをして、高山本線上麻生駅前に保存されているC12163を見てきました。
この日、ここへ来る前、美濃加茂市内で異様な光景を見ました。下の記事で書いています。
【377】ヨ8000の第二の職場?
この記事へのコメント
クハ116-206
しなの7号
普通車掌と専務車掌の間には見えない高い壁がありました。私がカレチになる少し前まではニレチを経験しなければならないこともあり、普通車掌から見ればカレチさんは2段階上位という感覚で、チーフさんは大げさに言えば雲の上の人。
それだけに証明をされるときのお気持ちはわかります。