【1374】あの年の12月31日《1996年・2006年》

1996年12月31日 昨日書いた高山本線上麻生の続き(翌日)になります。実家に行って正月用の食料などの買い出しが終われば、特にすることもないので、父とうちの子供といっしょに自動車で地元の保存蒸機の様子を見に行ってきました。 恵那市に保存されているC12 74廃車後は恵那市役所の敷地内に保存してあったものが、ここ(現在地)に移設されていました。のちに、このすぐ隣に恵那市中央図書館の建物が建設されました。事故防止のためなのはわかるとしても、展示物である機関車本体にフェンスを取り付けてしまう神経が自分にはわかりません。それにしても、機関車に乗ってもいいから落っこちないようにするためなのか、機関車に乗せないためなのかの判断にも苦しみます。 明智小学校に保存されていたC12 244当時は埃を被っていましたが、ご承知のように現在は明知鉄道明智駅で圧縮空気による構内運転が行われるまでに整備されています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年12月31日 この日は2006年最後の日の出を東谷山(とうごくさん)山頂で眺めるつもりで、まだ夜が明けない中、閑散とした高蔵寺駅から徒歩でスタートしました。 東谷山は標高198 mで、名古屋市守山区と瀬戸市にまたがっています。山頂には尾張戸神社(おわりべじんじゃ)があり、元日は初日の出を目的とする人々がたくさん来るでしょうから、1日ずらしました。初日の出ではなく大晦日の日の出を見に来るもの好きはそ…

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【1373】あの年の12月30日《1971年・1982年・1996年》

1971年12月30日 中学生の頃撮影した画像です。 名鉄瀬戸線の地平時代の大曽根駅に留置されていたデキ202。 これも名鉄瀬戸線の地平時代の大曽根駅。このワフ39は予備車なのか、いつもこの位置に留置されていました。手ブレーキのカバーがある緩急車は私鉄っぽくて、私のお気に入りでした。 森下~大曽根間 モ750形 この日のネガを見ると、大曽根駅とその周辺で撮影した瀬戸電関係5コマ。この前に1コマ、後ろに3コマ分の露光していない部分があるのですが、これだけを撮影しに来たとは思えないので、もしかしたらコンパクトカメラゆえにレンズキャップを外さずに肝心な被写体を撮り逃していたのではないかという気がします。カメラを買ってまだ3本目のカラーフィルムで、大曽根に来た本来の目的も今となっては何だったのかさっぱり記憶にありません。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年12月30日 自動車で飯田線に来ていました。飯田線は南北に長い路線ですが、どちらかというと愛知県内の撮影にはあまり行ったことがありませんでしたので、同県内の有名撮影地を訪ねました。 飯田線 長篠城~鳥居 飯田線 野田城~東上 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年12月30日 例年、この日は岐阜県の実家へ行く日になっていました。この年は、その途中に自動車で少し遠回りをして、高山本線上麻生駅前に保存さ…

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【1372】あの年の12月29日《1973年・2000年・2002年》

1973年12月29日 12月25日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」 この日は北九州での撮影でした。 後藤寺線 起行~船尾 筑豊本線 東折尾~中間 この日までで撮影日程は終了し、その夜の急行「阿蘇」のスハネ16に乗って、翌日名古屋に着いています。 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2000年12月29日 名鉄電車・バス全線乗り放題の「1DAYフリーきっぷ」を使って、ふだん乗ることがない名鉄電車の支線区間へ乗りにいきました。 <当日乗った名鉄電車のルート> 上飯田―犬山―新可児―明智―八百津(折返し) 八百津―明智―御嵩(折返し)―犬山―新岐阜―(田神経由)―新関(折返し)―野一色―徹明町―美濃北方―黒野 黒野―谷汲(折返し)―黒野―本揖斐(折返し)―黒野―岐阜駅前・新岐阜―金山 この9日後、年が明けて2001年1月7日に、再び「1DAYフリーきっぷ」を使って名鉄線乗り鉄の続きをやっています。 (【1015】あの年の1月7日《1974年・2001年》で触れています) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2002年12月29日 昨日の続きになります。北九州乗り鉄旅の2日目です。 <当日の行程> 久留米―夜明―田川後藤寺―新飯塚―…

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【1371】あの年の12月28日《1973年・1981年・2002年・2003年》

1973年12月28日 12月25日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」 山陰本線 三見~玉江 山陰本線 長門市駅 このあと九州入りしましたので自由周遊区間から出ました。 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1981年12月28日 車掌時代のことですが、乗り鉄の同僚に誘われて名松線に乗りに行ったのがこの日でした。当日はキハ55+キハ30という2両編成で1往復してきました。そのときの画像を【685】JRダイヤ改正で思いだすこと⑥~名松線で、アップしていますので、今回は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2002年12月28日 この日から1泊で北九州へ乗り鉄旅に出ています。 <当日の行程> ―(新幹線)―小倉―(ソニック13号)―大分 大分―由布院―久留米(泊) 久大線 由布院この日の目的は久大線の初乗りでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年12月28日 昨日の続きで、1泊での山陽・四国へ乗り鉄旅2日目です。 <当日の行程> 倉敷市―(水島臨海鉄道)―三菱自工前を往復 倉敷駅―(バス)―JR児島駅 児島―多度津―琴平 琴電琴平―(琴電)―仏生山―(…

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【1370】あの年の12月27日《1973年・2003年》

1973年12月27日 一昨日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」 江津駅に停車中の三江北線貨物列車。(集煙装置付C56 126) 山陰本線 鎌手~岡見 山陰本線 宇田郷~須佐 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年12月27日 この日から1泊で山陽・四国へ乗り鉄旅に出ています。 <当日の行程> ―(新幹線)―京都―(スーパーはくと3号)―郡家 郡家―(若桜鉄道)―若桜―(若桜鉄道)―郡家 郡家―(スーパーいなば6号)―岡山―清音 清音―(井原鉄道)―神辺―福山―倉敷(泊) この日の目的は、若桜鉄道と井原鉄道初乗りでした。

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【1369】あの年の12月26日《1973年・1974年・2009年》

1973年12月26日 昨日から書いている「山陰地方と北九州の蒸機撮影」で、山陰本線京都発前夜22:04出雲市行普通列車から早朝降りたのは倉吉駅でした。ここで倉吉線のC11が牽く混合列車に乗り換え、まず関金駅付近で折り返す客車列車から撮影を始めました。関金~上小鴨 倉吉~上灘 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1974年12月26日 昨日書いた夜行急行紀州5号で、この日の早朝に降りたのは新宮駅でした。ここから急行きのくに1号に乗り換えて行った先は御坊。紀州鉄道の気動車を撮影するのが目的でした。 非電化私鉄には強い関心を持っていましたので、このあとは藤並へ移動し有田鉄道へ行きました。 この旅は単独行でした。いっしょにSLを追いかけた仲間は、さらにSLを追いかけて北海道に渡ったり、旧形電機に転向したりと、志向がそれぞれ変わっていくのを感じていました。それよりも、受験に向けて鉄道どころではないというのが、同年代のあるべき姿だったことと思われます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・・ 2009年12月26日 この年は、前日に家内と首都圏に来ていましたが、家内だけが用を済ませてその日のうちに帰り、私だけが中山道歩きのために宿泊しました。朝、埼京線で戸田公園駅で降…

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【1368】あの年の12月25日《1973年・1974年・1975年》

1973年12月25日 高校生のとき、5泊の行程で山陰地方と北九州の蒸機撮影に出かけました。 この日の宿は山陰本線京都発22:04出雲市行普通列車の座席でした。このあとも隔日で夜行列車を宿としました。 この旅のことは、以前【832】撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」で書きましたので、詳細は省略します。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その1年後、1974年12月25日も夜行列車の座席が宿になりました。 その列車は名古屋発紀伊勝浦行「紀州5号」でしたが、この列車は、この1年半後から乗務することになる列車でした。当然そのときはそんなことは考えもしませんでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1975年12月25日 その1年後は日帰り鉄でした。近鉄四日市から出ていた近鉄内部線へ行っています。 現在は「四日市あすなろう鉄道」として存続されています。 このころは、両運転台の電動車が付随車を牽引する方式で、終点内部駅では機回り転線作業が行われていました。連結器も朝顔形のピンリンク式でしたし、鉄橋もこのように貧弱なものでしたから、大近鉄の路線とは言っても昔からの軽便らしさがよく残っていました。

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【1367】あの年の12月24日《1993年・1994年・2006年》

1993年12月24日 昨日の続きです。三浦半島油壷で泊った2日目は、この年に完成したばかりだった横浜ランドマークタワーに立ち寄ったあと、交通博物館へ行っています。 そして、251系スーパービュー踊り子を試してみました。ふつうは伊豆でもう一泊となるのでしょうが、私どもは熱海で新幹線に乗り継いで、その日のうちに帰りました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年12月24日 昨日の続きです。別府温泉に泊まった翌日は、帰路につく日でした。 別府からバスに乗って高崎山のサルを見てから大分に出て、あとは485系「にちりん」~「ひかり」の乗継で帰りました。さすがにお疲れモードだったのか、「ひかり」の車種を思い出すことができません。そこで当時の時刻表を紐解きますと食堂車マークがあるので100系だったはずですが、食堂車を利用した記憶がありません。それでは…と、こんどは駅弁掛紙が入っている段ボール箱を開けると、この日の日付がある東筑軒「かしわめし」の掛紙が出てきました。往路の寝台車で散財したので節約したのでしょう。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年12月24日 平成年間に毎年出かけていた善光寺参りは、この年は行けないままになっていて、やっとこの日に出かけました。 いつもは鉄道を利用することが多く、たまに自家用車を使っていましたが、このときは往路だけ高速バスを利用してみました。 乗…

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【1366】あの年の12月23日《1991年・1992年・1993年・1994年・2005年》

平成の時代、12月23日が天皇誕生日でした。我が家では、まだ子供が幼少だった1991年・1992年・1993年・1994年に、この祝日を絡めて一泊の家族旅行をしていました。観光シーズンではないし、帰省にも早すぎるので交通機関も宿泊施設も空いていることに加えて、青春18きっぷの使用期間であることが動機でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1991年12月23日 昨日の続きです。瀬戸大橋が見える鷲羽山のホテルで泊まった2日目は、岡山の池田動物園へ行きました。 そして帰路は青春18きっぷではなく新幹線を使いました。時間短縮だけでなく100系新幹線の食堂車に乗ることも目的で、「二階建新幹線の食堂車に乗せてあげよう」と子供たちをダシに使いました。そのとき乗った食堂車のレシートの画像が、【992】変なコレクション12: レシートにアップしてあります。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1992年12月23日 昨日の続きです。奈良の興福寺五重塔が見える旅館で泊まった2日目。関西本線で名古屋方面とは逆に天王寺へ行きました。目的地は天王寺動物園でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年1993年12月23日は青春18きっぷでなく東京ミニ周遊券と往復新幹線を使って関東方面へ行きました。 湘南モノレールで江の島江の島から江ノ電で鎌倉へ、そ…

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【1365】あの年の12月22日《1974年・1991年・1992年・1994年・2002年・2012年》

1974年12月22日 こんなものが保存してあります。私は麻丘めぐみのファンではありませんでしたが、大ファンだった友人から、「いっしょに行くはずだった者が行けなくなったので、代わりに行ってほしい」と言われて買わされたような記憶です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 平成の時代、12月23日が天皇誕生日でした。我が家では、まだ子供が幼少だったころに、その祝日を絡めて一泊の家族旅行をしていました。観光シーズンではないし、帰省にも早すぎるので交通機関も宿泊施設も空いていることに加えて、青春18きっぷの使用期間であることが旅行の動機でしたから、積極的に青春18きっぷを利用していました。 1991年12月22日は、瀬戸大橋へ行きました。 その途中、姫路で播但線の福崎まで寄り道をしてDD51が牽引する客車列車(下り12系・上り50系)に乗ってきました。播但線 福崎駅 動画からのキャプチャー画像です。 この日の宿泊先は瀬戸大橋が見える鷲羽山のホテルでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年の家族旅行、1992年12月22日に京都と奈良へ行きました。 この日の宿は自分が小学生の修学旅行で宿泊したことがある興福寺の五重塔が見える旅館にしました。消費税が3%であること、それに加えて特別地方消費税があることに平成初期を感じます。  (その翌年1993年の家族旅行は12月23日出発…

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【1364】あの年の12月21日《2002年・2007年》

2002年12月21日 この日から一泊で、烏山線・磐越西線・会津鉄道(旧会津線)・野岩鉄道(国鉄としては未開業となった鉄建公団建設線)・日光線・わたらせ渓谷鉄道(旧国鉄足尾線)に乗りに行っています。 そのことは、【833】乗り鉄12か月…2002年12月 北関東・みなみ東北で書きましたので、詳細は書きませんが、その記事にアップしなかった画像をご覧ください。 烏山線烏山駅に停車中の列車 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2007年12月21日 この日から一泊で、日本橋に向けて中山道徒歩の旅をしていました。 今回の起点は高崎線の新町駅でした。 本庄市内 深谷市内 東京まで80㎞…ずっと3ケタだった東京までの距離が2ケタになってくるとずいぶん近くなったと思う反面で、80㎞というのは中津川から名古屋までより遠いと考えれば、まだ先は長いとも思えました。

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【1363】あの年の12月20日《1999年・2004年・2012年》

1999年12月20日  1990年代後半から、M社からNゲージの蒸気機関車の模型が続々と製品化され始めていました。私は、ボイラー直径の小さいC12とかC56の製品化は難しいだろうと思っていました。それでも、ついにこの年12月に、M社からC12 66とC12199の2種類が同時にリリースされ、さっそくこの日に名古屋市内へ買いに行ったのでした。これが、その帰りに使った乗車券です。 買ったC12は、腰高で、ボイラーは太すぎるし納得できかねる作りでしたので、早々に手放しました。そのプロポーションの崩れた模型の画像は、のちにK社からすばらしいC12がリリースされたときの記事【602】KATO-N蒸機 C12~そして思うことの中に1枚だけアップしています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2004年12月20日 松屋の領収書。こんなものもコレクションです。10年前の夏に、100枚めになるときは「100枚記念に、どこか遠くの街の知らないところで食べてみる旅にでようかな?」などと書いたのですが、旅にもほとんど出ない、外食もめったにしない生活になりましたので、いっこうに行く機会がなく、現在までに集まっている松屋の領収書の数は91。しばらく行ってないなと思い、最新の領収書を見ると3年も前のものでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年12月20日 中央西線 春日井~勝川そしてこのころは、昼休み…

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【1362】あの年の12月19日《1999年》

1999年12月19日、青春18きっぷを使って保存SL巡りをしてきました。 中央東線茅野駅前に保存されているC12 67 この機関車は中津川機関区で廃車になっています。明知線と中津川での現役時代を知っていますので、懐かしさがあります。ただ、たいていの保存蒸機は、自分が知っているころの装いはまったく違っているので、別物を見ているような気にならないわけではありません。 中津川では炭庫に警戒色が塗られ、一般受けしない姿でしたが、自分としてはあの警戒色こそが懐かしさであり、見たままの67号機に思えます。 続いて下諏訪へ行きました。青少年広場に保存されているC12 171 この機関車は木曽福島機関区で廃車になっているので見たことがあるのですが、現役時代をカメラで記録したことがないように思います。木曽福島ではデフレクタが付いたC12 199のほうに気が向いていたので、そういうことになっているのかもしれません。 この2両とも、上諏訪機関区所属時代がありますので、ゆかりの地の近傍に保存され幸運なほうでしょう。 ところで、このころ保存蒸機の情報収集は今のようにインターネットでチャチャッと調べることはできませんでした。私の情報源は「Rail Magazine」通巻117号(特集:蒸機こそすべて)で、全国の保存蒸機を撮り尽くされた方の記事でした。そこに記された保存場所を分県地図の都市図などから探し出すという方法でした。今回のC12 171号機の保存場所なども、現地に行ってやや迷いましたが、それはそ…

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【1361】あの年の12月18日《2010年》

2010年12月18日 実家へ週1回程度通っていました。この日は神領始発、朝の下り一番列車松本行普通列車で出かけました。 この列車で行けば、いったん実家に行ってから冬場に運転される朝の貨物列車に間に合うのです。 中央西線 美乃坂本~中津川 何のために実家に行っているのかわからないようにも思われるかもしれませんが、実家では時間指定ですべきことは限られるので、時間調整さえすれば写真撮影の時間くらいは取れました。帰る時刻も考えておきました。暮れの早い日没より前にやってくる貨物列車の時刻に合わせて実家を離れ、駅の近くで撮影中央西線 美乃坂本~中津川 その足で駅から帰りの列車に乗るのです。 コンデジ1つをポケットに忍ばせての撮影は、撮り鉄活動とは言えないですが、実家のことと会社のこと、双方に一向に進まない問題が山積していましたので、鉄道との接点がせめてもの息抜きでした。 中央西線 美乃坂本 あれから10年たっても未だ解決することなく引きずったままの問題はありますし、新しい悩みの種が次々と発生しつつあるのがこの世の現実です。でも時が解決してくれたことはたくさんあったことは確かですし、これからもそれを信じていくことにしています。 ◆画像はすべて当日の撮影です。

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【1360】あの年の12月17日《1978年・2015年》

1978年12月17日 中央西線 神領電車区 中央西線から70系電車が引退した日でした。 こちらは、そのとき神領で撮影したクモエ21800とクモハ40800 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2015年12月17日 飯田線豊川へ行きました。 この日、日本車両豊川製作所で新製された台湾鉄路管理局「普悠瑪(プユマ)号」用TEMU2000型電車の甲種輸送がありました。 甲種輸送は、豊川~豊橋~笠寺~東港のルートでした。 画像は進行方向が変わる豊橋駅で、東海道本線下り線側に転線するため、いったん東方へ引き上げている場面です。 東海道本線 蒲郡駅

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【1359】あの年の12月16日《2011年》

2011年12月16日 中央西線 春日井~勝川 ほかに、アップすべき画像がありませんので、またこれです。 EF65 1083は、際立った特徴がないようで、ありきたりの絵ではありますが、まだJR貨物更新色で2000番台化される前であることや、ワムハチを牽いていること、そして線路沿いの高いフェンスがないことから、それらが9年の時のしわざであることに納得します。

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【1358】あの年の12月15日《1981年・1982年》

1981年12月15日 中央西線 美乃坂本~恵那 この日はキヤ191系検測車が中央西線に入線しました。当時は名古屋第一機関区に1編成2両が配置され、中部地方の国鉄線の検測に使用されていました。 ついでに撮影した381系電車 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年12月15日 天気がよく中央アルプスが見えそうだったので、飯田線に行きました。まだ雪が少ないのであまり映えません。 以上2枚は飯田線 田切~伊那福岡 飯田線 七久保~伊那本郷 どこに行っても山があり、峠を越えると街がある信州に通い詰めるうち、すっかり信州ファンになってしまいました。

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【1357】あの年の12月14日《1973年》

名古屋鉄道のモ765が北恵那鉄道に転入してきたのが、1973年12月14日でした。 モ765は、北恵那鉄道ではモ565を名乗ることになります。 当日のことは【722】北恵那鉄道29:「モ565入線の日」で、すでに書いたので、今日はその記事でアップしていない画像を貼っておきます。 美乃坂本~中津川この画像ではモ765は手前の土盛に隠れてしまっていますが、この貨物列車の最後部ワフ(増緩急車)の前位で名古屋鉄道モ765が甲種輸送されてきました。 国鉄中津川駅 貨物列車から切り離され、駅構内にいったん留置されたところです。このあとDD16によって中津川機関区の転車台まで移動して方向転換したあと、連絡線を北恵那鉄道デ2に牽引されて北恵那鉄道中津町にある車両基地へ収まりました。

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【1356】あの年の12月13日《1994年》

1994年12月13日 この年は高山本線全線開通60周年で、これを記念して高山~飛騨古川間では蒸気機関車(C56 160)が運転されました。12月7日の記事で、その試運転の撮影に出かけたことを書きましたが、12月9日から5日間が営業運転日(毎日2往復で12系客車使用)となっていて、12月13日はその最終日でした。 この日だけは通常の2往復の12系客車による「SL飛騨路1・3号」(折返し「2・4号」)の運転前に、旧形客車(オハフ46)2両編成の「SL飛騨路61号」(折返し「60号」)1往復が走りました。このSL飛騨路61~60号は、時刻表に「車内暖房が入りません」の注釈付きでした。旧形客車には蒸気暖房が標準装備されていますが、旧国鉄からトロッコファミリー号に使用する目的でJR東海に編入された客車でしたから、冬季に蒸気暖房を使用する想定ではなく、運行時間わずか20分程度の1往復だけのために蒸気暖房の整備を省略したということだったのでしょうか? SL飛騨路1号 SL飛騨路3号 ◆以上3枚とも上枝~飛騨国府で撮影

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【1355】あの年の12月12日《1985年・2009年・2010年》

1985年12月12日 中央西線 坂下駅 この年の1985年11月14日~12月13日にわたって、湖西線(安曇川~永原)と中央西線(高蔵寺~坂下)で、試験用の制御付振り子装置や操舵性台車・パンタグラフ・主電動機に換装した日根野区の381系電車で、高速試験が実施されていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年12月12日 会社のメンバー3人でやっていた「清酒ん18きっぷの旅」で、加古川線に乗って「白雲谷温泉ゆぴか」へ行きました。 「白雲谷温泉ゆぴか」最寄駅は市場駅。このあと姫路城へ行っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年12月12日 「清酒ん18きっぷの旅」の延長線上にあった「50代5000円でGO!」の旅で、長良川鉄道を利用して郡上八幡へ行きました。 その日のことは、【112】「50代5000円でGO!」2010.12.12:郡上で、書いています。

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【1354】あの年の12月11日《2004年》

2004年12月11日 前日からの続きで、常陸多賀駅前のビジホからスタートしました。 常陸多賀…(徒歩)…鮎川―(日立電鉄)―常北太田 常北太田…(徒歩)…常陸太田―水戸―佐貫―(関東鉄道竜ケ崎線)―竜ヶ崎 竜ケ崎―(関東鉄道竜ヶ崎線)―佐貫―我孫子―成田―千葉―東京―(東海道新幹線)―この旅では、往復の新幹線区間を除いてJR線では青春18きっぷを使用しました。 この日乗ったJR線区間はすべて既乗区間で、参考記録区間もありませんでしたが、せっかく関東地方に来たので、翌年春に廃線予定になっていた日立電鉄と、経路上にあって未乗だった関東鉄道竜ケ崎線への初乗りが目的でした。あとは千葉方面に寄り道して成田山新勝寺などへ立ち寄り、青春18きっぷを有効活用してきました。

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【1353】あの年の12月10日《2004年》

2004年12月10日 この日から2日間、関東地方で気になっていた鉄道に乗りに行きました。 <この日の乗車経路> ―(東海道新幹線)―小田原―平塚―(湘南新宿ライン)―大宮―(快速むさしの2号)―立川―(青梅特快)―西立川(折返)―吉祥寺―(京王井の頭線)―東松原…(徒歩)…梅ヶ丘―(小田急)―代々木上原―(東京メトロ千代田線~常磐線)―松戸or柏(どちらの駅で乗り換えたか?)―水戸―常陸多賀(泊) 自分で決めた基準では「旧国鉄の未乗線とはならないが、実質未乗となっている区間」を参考記録として乗っておこうという趣旨でした。 この日は、余命わずかな東海道本線113系サロ110と湘南新宿ラインのグリーン車を乗り継いで小田原から大宮へ向かっています。 大宮からの快速「むさしの」のルートに乗ることが一番の目的でした。国鉄時代には毎日運転される旅客列車が走っていなかった貨物線ルートを走りますので参考記録として乗車しました。 「東松原…(徒歩)…梅ヶ丘」の部分は、雑誌「旅」2000年9月号に収録(2003年8月号臨時増刊「宮脇俊三の旅」にも再録)された、故宮脇俊三氏の「ご当地、東松原散歩コース探見」を見て歩きたくなったということによります。散歩コースを歩いて宮脇宅の前も通ってきました。マンション銘板を見て、ここが「聖地」! 常陸多賀に泊まったのは翌日の行程に便利だという理由によります。

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【1352】あの年の12月9日《1986年・1989年・2012年》

1986年12月9日 このとき国鉄の余命はあと4か月を切っており、前月に行われた61.11ダイヤ改正では、事実上のJR体制に移行していました。私はこの時期には複数の就職希望先の二次試験を終えており、いつまで乗務の仕事ができるのかまったくわからない状況下にありましたが、あとは結果を待つだけでしたから、千葉鉄道管理局のお座敷列車「なのはな」が名古屋鉄道管理局内への入線があったので、刈谷~大府間(現逢妻~大府間)へ撮影に行きました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1989年12月9日 転職後、会社のメンバーで始まった西国三十三所巡礼旅、この日は日帰りでした。行程は以下のとおり 〔集合〕~一宮IC―(名神高速)―八日市IC―観音正寺<第32番>―竜王IC―(名神高速)―瀬田東IC―(京滋バイパス)―宇治東IC―三室戸寺<第10番>―醍醐寺(下醍醐から上醍醐<第11番>徒歩往復)―京都東IC―(名神高速)―一宮IC~〔解散〕 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年12月9日 中央西線 美乃坂本駅 前日は東京に行っていましたが、実家のことでは心配事が続いていました。この日は早朝から実家へ行って、午後帰途につきました。

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【1351】あの年の12月8日《1990年・2012年》

1990年12月8日 車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅で、前日に飛騨地方へ出かけ奥飛騨温泉に泊まっていました。そして12月8日には、神岡鉄道の神岡鉱山前駅へ立ち寄りました。山間の駅ですが、いかにも貨物駅らしい佇まいでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年12月8日 この年は「新幹線YEAR 2012」キャンペーンがあり、その一環で「ご当地ラッピング新幹線」が運転されていました。 浜松町駅のこの子は、こういう衣装でした。

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【1350】あの年の12月7日《1994年》

1994年12月7日 この年は高山本線全線開通60周年で、これを記念して高山~飛騨古川間では蒸気機関車が運転されました。 12月3日から試運転が開始され、この日は試運転最終日でした。 試運転下り1本目 上枝~飛騨国府 試運転上り1本目 飛騨古川~飛騨国府上り列車は逆向きでした。しかし高山~飛騨古川間は全体に飛騨古川方に向けて下り勾配ですから、ブラスト音と煙は、断然上り列車のほうが出ます。 試運転下り2本目 上枝~飛騨国府気温が低いので少しでも吹かしていれば白煙はでますが、煙の流れからも速度が出ていることがうかがえます。 試運転下り3本目 上枝~飛騨国府下り1本目を撮影した鉄橋のカーブ内側からです。運転区間が短いので、この鉄橋付近が一番の撮影ポイントでしたが、下り列車に対して下り勾配です。それでも、あらかじめ鉄橋の手前に速度を落としておいて力行してくれるというサービスでした。

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【1349】あの年の12月6日《1982年・2003年》

1982年12月6日  飯田線 柿平~三河槇原 定番の撮影地です。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年12月6日 昨日から書いている北九州の乗り鉄2日目。全線未乗だった松浦鉄道ではフリーきっぷを購入。 大村線も未乗でした。乗ったのはこの編成ではなく青い塗装のキハ66でした。 この2日間で北九州に残っていた旧国鉄線は完乗になり、九州島内に残る旧国鉄未乗路線(2003年当時旅客営業している鉄道路線に限ります)は、旧国鉄湯前線の「くま川鉄道」だけになりましたが、長く九州を訪れることはなく未乗のまま放置することとなりました。訪問することが叶い、旧国鉄線完乗になったのは、それから12年後となる2015年になってしまいました。         ↓ 【647】九州乗り物乗りある記(前篇)

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【1348】あの年の12月5日《1997年・2003年》

1997年12月5日 平成年間には毎年1回の善光寺参りは欠かさなかったのですが、1997年は、なかなか行く機会がなく、ついに12月を迎えてしまい、この日に出かけました。指定席にはあまり乗らない私ですが、この日指定席にしたのは、たぶん、しなの3号はふだんから乗車率が高い列車であることと、途中駅多治見から乗車したという2つの理由のほかに、その1年前から定期列車が383系に変更されたことによる試乗的な意味があったのかもしれませんが、そのときの383系の印象も含めて記憶にありません。 長野駅から善光寺へ徒歩で向かう途中に旧後町小学校内に保存されているD51549に再会してきました。中津川機関区時代馴染みの機関車でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2003年12月5日 この日から1泊で、北九州に未乗で残っていた旧国鉄線へ乗りに行きました。 北九州は、国鉄時代ほどではないにせよ、今でも線路が入り組んでいるので、かなりの既乗線区に乗車しなければなりませんので効率がわるいのですが、高校生時代の1973年に蒸機撮影時以来30年ぶりに乗車する線区も多く、記憶のかなたになっていたり、そのころなかったものができていたりして、初乗りのような新鮮さを味わうこともできました。そういう箇所の一つが、平成筑豊鉄道田川線沿いにある源じいの森で、車内から保存車のヨ9001が見えました。 それとは逆に、撮影地だった箇所ではこの上ない懐かしさに浸ることもありました。そん…

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【1347】あの年の12月4日《2010年・2012年》

2010年12月4日  ブログで「北恵那鉄道:その廃線跡」のシリーズをアップするに当たっての取材を兼ねて、久しぶりに北恵那鉄道廃線跡へ出かけました。 田瀬駅跡 栗本駅跡 並松駅跡あれから10年。並松駅跡は宅地造成されており、この遺構は現存しません。 夕方、実家から家への帰り道、恵那山は冠雪。3回恵那山に雪が降ると里にも雪が降ると言われていました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年12月4日 いつものように昼休みに春日井貨物の撮影に行きました。この日は大宮更新色のEF64 1008でした。(画像省略) そのあと、近くにある春日井市交通児童遊園に立ち寄り、そこに保存してあるD51 792の様子を見てきました。「きかんしゃトーマス」らしき絵が描かれた看板が括り付けてあるのに気が付きました。手作り感があふれ心が安らぎます。

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【1346】あの年の12月3日《2005年》

2005年12月3日 愛知環状鉄道 八草駅(画像を修正加工したわけではありません。) 愛・地球博が閉幕した後、駅名が「万博八草」から「八草」に戻された八草駅の様子を見に行ってきました。 駅の規模は大幅に縮小されるため、施設の取壊し工事が進行中でした。 この縮小工事で不要となったホームの一部は、その3年後に開業した明知鉄道極楽駅にも再利用されたそうです。 工事期間中の乗車券発売施設は仮のプレハブ構造の建物になっていて、貼り紙によれば営業時間は7時15分~11時55分と15時30分~20時30分だけのようで、撮影時は日中の営業時間外でした。

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【1345】あの年の12月2日《1990年・2008年・2010年》

1990年12月2日 天竜浜名湖鉄道 三ヶ日駅 会社の所属課の忘年会を兼ねた旅行で三谷温泉に行った帰り、寄り道をして天竜浜名湖鉄道に少しだけ乗ってきました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年12月2日 JRセントラルタワーズ名古屋駅が入るJRセントラルタワーズでは、年末年始に壁面を利用したイルミネーション「タワーズライツ」を毎年実施していました。(壁面を利用したイルミネーションは、この翌年が最後になりました。) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年12月2日 中央西線 春日井~勝川いつもの春日井貨物。 この日は紅葉色プレートで側面蛍光灯装備の異端車1089号機が来ました。

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【1344】あの年の12月1日《1984年・2012年・2013年》

1984年12月1日 名鉄八百津線 キハ10形富士重LE-CarIIのシリーズがお気に入りだったことは、以前にも書いてきました。この日は、まだデビューして間もない「レールバス」を名鉄八百津線へ自動車で見に行きました。 私は乗りたかったのですが、いっしょにいった家内と乗る乗らないで意見が分かれてしまい、乗らずじまいで帰ったことを覚えています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2012年12月1日 中央西線 美乃坂本駅いつも実家へ通っていたころでした。すでに会社には翌年春に退職する意思を伝えていまして、この先、実家がどういうことになるかわからないまま師走を迎えていました。(下へ続きます) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 年が明け、1月早々に父が入院し、さらに転院した先で7月に亡くなりました。3月に私が退職した後も、父のことと母の老人ホームへの転居、空き家になった実家の後始末などで忙しい1年で、泊りで旅をするまでにはなりませんでしたが、日帰りで近場には出かけることはありました。この日は、やすたろう様といっしょでした。 2013年12月1日 関西本線 富田浜 このあと、ひさしぶりに貨物鉄道博物館を見学しました。ワフ21000です。 5年前には、まだ元気だった父と2人で訪れました。(11月2日の記事) そのときは、まだワフ21000が整備されていませんでしたが、今回は見事に復元されていま…

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