ところで、今年に入って「あの年の12月13日」の記事中、前半部分に1か月の日付誤り(1月13日が正当)を発見しましたので、該当部分を正しい日の記事に移動しました。コメント欄のほうも内容を壊さないよう留意したうえで記事移動に該当する部分を分離して、記事といっしょに移動しましたので、ご報告しておきます。申し訳ありませんでした。今後も記述の誤りや状況変化に気が付いた時点で訂正や追記はしておきたいと思っています。
シリーズ記事「あの年の〇月〇日」では、2月29日以外はその日に関係するモノやその日に撮影した過去の画像を見つけることができ、出かけた記録のない日には、昼休みに撮影していた春日井貨物の画像でごまかしながらも366回継続ができました。鉄道中心にはしましたが、以下のとおり鉄分薄めの旅行や自分の趣味の分野も取り混ぜました。
◆決まったメンバーで何度も行ったグループ旅
会社のメンバー3人でやっていた「清酒ん18きっぷの旅」と「50代5000円でGO!」・車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行く温泉旅・車掌区時代の鉄を中心とするメンバーによる撮り鉄旅・会社のメンバーで始まった西国三十三所巡礼旅
(下の画像は、1990年7月14日西国三十三所巡礼旅で訪れた谷汲山華厳寺です。)
◆特定の目的をもった一人~二人旅
中山道徒歩の旅・さわやかウォーキング・琺瑯看板巡り・道標巡りを含む旧街道歩き・酒ラベル収集旅・仕事での出張・平成年間恒例の善光寺参り・撮り鉄旅・乗り鉄旅・保存車両巡り・廃線跡巡り
(下の画像は、1997年6月14日保存車両巡りの途中に立ち寄った旧信越本線碓氷峠廃線跡です。)
◆その他の旅
家族旅行・友人知人との旅・修学旅行・職場の親睦旅行
(下の画像は、1989年11月26日職場の親睦旅行で立ち寄った東大寺二月堂です。)
旅で使った乗車券や記念品などもアップしてきました。
交通機関の乗車券類や入場券等・駅弁の掛紙・イベントや施設の入館券・寺院の御朱印・宿泊施設のパンフレットと領収書・有料道路通行券。旅とは違いますが、日付が特定できるレシート類・交通反則告知書の類やコンサートチケットもアップしました。
地元のことを扱った日は多く、地元中央西線に関係する画像を192日・飯田線35日・明知線27日・北恵那鉄道15日・愛知環状鉄道17日、それぞれアップしました。1日で複数年の画像をアップした日もありましたので、1年で798日分のことを書きました。(日数には既出の記事へのリンクだけ貼って内容紹介を省略した日も含んでいます。)その間に使用した画像は1967年に使用した乗車券の画像から2020年の記事アップ当日の画像までを用いて、使用した画像総数は1640枚でした。年ごとにまとめると1973年の画像をいちばん多く使いました。これは、この年に九州や山陰などへSL撮影旅に出かけたことと、地元中央西線と明知線からSL牽引列車が引退した年であったことによります。
アップした798日分を古い順に並べ替えると、カメラを持つようになってから50年間の自分の趣味史のようなものになりました。
あの日あの時の積み重ねのなかで、変わらずにとどまるモノはこの世に何もないことは重々承知していますが、長い年月を経て復活するものもあります。長年中央西線の中津川機関区に所属していたD51のうち827号機が直江津駅構内で圧縮空気による動態で復活公開されることになったのもその一つでした。この画像は、カメラを持つようになった50年前、1971年10月に中津川機関区で撮影したものですが、こうして転車台に乗ったD51 827が動く状態で半世紀後に見ることができるようになろうとは予想さえできませんでした。さらに引退時の青ナンバーと集煙装置が付いた中央西線末期の姿のままであることは、この上ないプレゼントであります。ぜひ再会したいと思っています。
この記事をアップした時点で、直江津では先日来の大雪で鉄道が機能していない状態にありますので、それどころではない状態だとお察しします。関係者の皆様にはお見舞い申し上げます。
さて、拙ブログは昨年末に閲覧総数700万PVを超えました。これまでご覧いただき感謝いたします。今後は、年始のご挨拶と近況報告、整理できたコレクションの紹介など、生存確認程度での新規記事更新はさせていただくつもりですが、基本的には無期限でお休みさせていただくことにします。コメント欄が設定してある既存の記事にコメントをいただいた場合に、当方からの返しコメントをアップすることができない場合やお時間をいただく場合も出てくると思いますのでご容赦ください。長く拙ブログにお付き合いいただいた皆様方に改めて御礼申し上げる次第です。どうもありがとうございました。
この記事へのコメント
NAO
こんにちは。
長らくのブログ運用、お疲れ様でございます。元?プロの方がお書きになる内容は、我々が知り得ないことがたくさんで、本当に楽しく拝読させていただきました。目の前をゆっくり通過する、いろんなものが積載された長編成貨物列車を飽きずに眺めるような、そのような感じでさまざまな情報を吸収させて戴きました。本当に有難うございます。
9000番台臨時列車にはほとんど乗ったことはありませんが、貴ブログ臨時設定スジが引かれた際は、ぜひとも訪問させて戴ければと思います。
失礼致しました。
hmd
しなの7号
書き手が国鉄改革の手法とその強引さに少なからず疑問を呈する立場でありますし、鉄道との付き合い方や考え方から来る違和感も持たれただろうと思いますが、長らくお付き合いいただきありがとうございました。これから草生し赤錆びた不要不急路線になりますが、幸いにして古い記事にお越しくださる休線巡り?の方は今でもおられることですし、当面廃線にはしませんので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
しなの7号
幸いにして、古い記事にお越しくださる方は今もいらっしゃることですので、差し支えなければ、相互リンクはこのままでお願いしたいと思っております。その古い記事内にリンク切れ箇所が多数あることも承知しており、少しずつではありますが修正してまいりたいと考えています。今後ともよろしくお願い申し上げます。
中央西線
ところで本線復活したD51200には会いに行かれたんですか?
自分は2018、2019の3月の2度やまぐち号に乗車してきました。
しなの7号
人混みが大嫌いで、何事も混雑が収まった後しか出かけない人なので、有田川時代には出かけていません。「やまぐち号」のほうも、C57時代を含め乗ったり撮ったりしたことが一度もありません。遠いことに加え、200号機が別人のような容姿になったことが、気乗りしない一因かもしれません???
まころん
連日のブログ更新、お疲れ様でした。
また、貴重な写真と、滋味溢れるコメントをありがとうございました。
短い間でしたが、しなの7号様と交流できたことは、とても幸せでした。
特に中央西線の蒸気機関車の話題は、楽しみであり、おおいに教えられましたし、感動しました。
しばらくは、ゆっくりお休みください。
感謝を込めて。
しなの7号
本文に書きましたように、このシリーズで最も多く使ったのが1973年の画像で、中央西線の蒸機への想いが強かったことが表れていました。そのころの共通の思い出から始まり、既存記事の鉄話や旅話にも呼応していただきましたことに感謝します。
門鉄局
分割民営化から歳月が過ぎ国鉄を知らない世代が増えあまりに一方的な国鉄批判を展開するマスコミ報道に辟易していた所に出会ったのが御ブログでした。
今では絶滅してしまった荷物車や貨物列車の車掌車、旧型客車から急行特急まで幅広い車種列車種別を担当されたのは当時の国鉄ならではで心から敬意を表します。
人生には思いもよらぬことがあることを痛感する昨今ですが私個人としては人員不足で乗務員をしばらく続けられそうなのは幸か不幸か?複雑です。
楽しい時間をありがとうございました。
しなの7号
長い年月の中で何が起こるか予想もつきませんし、自分の力では変えられない大きな力に屈することばかりですが、その中で与えられた今を、良くも悪くも受け入れられることが幸せというものではないでしょうか。納得できない手法で強行された国鉄改革ではありましたが、今をこうして不自由なく生きていられる自分は幸せです。けれど、その手法が公正であったのかどうかは別問題で、多くの犠牲と地域分割による弊害が国鉄を知らない世代の人々に多少なりとも伝わればと思っています。
拙ブログでは、鉄道に関係のないくだらない話も含めて、焦点がないまま書いてきましたが、長きにわたり幅広い分野にたくさんの好意的なコメントをいただき感謝します。悔いのない鉄道人生をお送りいただけますよう祈念しております。
つだ・なおき
自分も昨年6月に、定年退職いたしました(引き続き嘱託にて勤務しておりますが)。これからもときどき、お邪魔いたします。どうぞお元気で。ありがとうございました。
しなの7号
貨物列車の乗務はほんの1年半足らずでしたが、まだ国鉄の将来がどうなるのか確定していない1980年前後でした。当時はまだ伸び伸びと仕事ができた好い時期?でしたから、編成やら落書きの書き写しなど)もできていました。
ご愛読ありがとうございました。そして長きにわたるお勤めお疲れさまでした。お互い健康には気を付けましょう。
take
しなの7号
当時は列車別改札が普通でしたから、列車のない時間帯にホームにいると今よりも目立ってしまったでしょうね。どんなことでもヒヤヒヤした記憶というのは何十年経っても忘れないもので、何事もなかった旅より、失敗や肝を冷やした旅のほうがいつまでも忘れないものです。国鉄時代の中央西線を思い出しながらご覧いただけたとすれば、この上ない幸せです。長くご覧いただきありがとうございました。
元てつ
追伸 できれば車掌時代の体験は書籍にぜひして下さい。
しなの7号
ご覧いただきまして、ありがとうございました。
当時は一般に親方日の丸、税金泥棒、働きの悪い者の集団のように喧伝された国鉄職員ですが、漫画「カレチ」は、仕事に真っ直ぐに立ち向かう職員たちの姿とともに、5巻では国鉄改革の渦中で難しい立場に置かれたそれぞれの登場人物の行く末が描かれており、当時の国鉄職員たちの苦悩も伝えてくれたと思っています。
オレンジ快速
ましたね。なんかいい時代だったと思います。
しなの7号
今どきは、駅や車内は自動放送、表示はLED、車掌がいない列車、駅員のいない駅、技術的な進化を遂げて便利でわかりやすくなったことは数限りないですが、昭和の時代にあったものが少なからず失われていきました。それらの多くには人が関わっていて、それらには風情があり温かみがありました。そこが趣味の原点だったのかもしれないですね。
中央
しなの7号
見てました😄♥